苛々するときもあるよね
勝てない。勝てない。勝てない。
何をしても、勝てない。
ジルドさんにどんな助言をもらっても、どんな手ほどきを受けても、全く勝てない。
負け続け、消費し続けていく日々に、僕は切羽詰まる。
もう年越しまで後僅かになってしまっていた。
なのに、勝てない。
勝てそうな手応えさえも感じ取れない。
どうすれはいいのか。
何をすればいいのか。
悩み、苦しみ、段々と
だけど、そんな両親にさえ気を遣えないほど僕は思い悩み、焦っていた。
このままでは、本当にミストラルを失ってしまうよ。
もうずっと会っていないミストラル。
このまま彼女に会うことなく、僕は大切に想う女性を失ってしまうのだろうか。
嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ!
ミストラルが隣にいない僕の未来なんて、そんなものはいらない。
何がなんでもジルドさんから一本取って、お宝を手に入れなきゃいけない。
でも、その手立てを見出せない。
思い悩みすぎて、僕はここ数日まともに眠れていなかった。
ジルドさんからも、休息はちゃんととるようにと言われているんだけど、寝て起きたら年を越してしまっていそうで、怖いんだ。
きちんと休息をとっていない僕の思考は停滞し、今年の残り少ない学校の授業も頭に入ってこない。
ジルドさんとの試合でも、最初の頃より無様に負けるようなことが多くなってきていた。
悪循環に陥っているのは自分でもわかっている。だけど、どうすることも出来ないんだ。
今の僕は、何をしても上手くいかない状況だった。
だから、朝方に
「おい、手前ぇ。どこを見て歩いてんだ」
見た目がいかにも悪人面をした男の人に、僕は胸ぐらを掴まれる。
「すみません。ぼうっとしていたので」
ああ、これは僕が悪いよね。
前をしっかり見て歩いていなかった僕が、この男の人にぶつかってしまったんだ。
「すみませんで済むと思ってんのかっ」
男性は怒鳴り、僕を投げ飛ばす。
僕は咄嗟に受身を取ったけど、舗装された道に投げ飛ばされて少なからず全身に痛みが走る。
「投げ飛ばすことはないでしょう。こっちはちゃんと謝ってるんです」
上手くいかない日々に、僕は苛々を溜め込んでいた。
だから、普段なら平謝りだっただろうなこんな事で、僕は頭にかっと血が上ってしまう。
「あぁ? なんだお前。自分が悪いのに俺に食ってかかるつもりか」
「だから謝ったでしょう。何も投げ飛ばすことはないと言っているんです」
僕は立ち上がり、男性を睨む。
「ひ弱な小僧風情が、生意気なんだよ」
顎を上げて威嚇する男性に、僕も負けじと睨み上げる。
なんで朝からこんな面倒くさそうな男の人に絡まれなきゃいけないんだ。
「舐め腐った小僧に、世間の厳しさを教えてやるっ」
言って男性は、僕に殴りかかってきた。
難癖つけて、すぐに暴力を振るう。なんて最低な人だ。
僕は気後れすることなく応じる。
男性の拳は、いつもジルドさんの鋭い突きを受けている僕には止まっているように見える。
身体を捌きながら余裕で回避し、お返しとばかりに男性の襟首を掴んで投げ飛ばした。
男性は殴りかかった勢いも合わさって、派手に転がる。
「手前ぇぇっっ」
怒り心頭で睨む男性。
だけど、僕にとって男性の睨みなんて怖くもなんともない。
僕は、投げ飛ばされて無様に地面に這いつくばる男性を見下していた。
「まだやりますか」
僕にとって、この男性は相手にもならない。
僕の馬鹿にしたような態度に、男性は顔を真っ赤にし、唇を震わせて立ち上がる。
きつく握り締められた男性の拳。
まだやろうというのかな。勘弁してほしい。僕は今から学校に行かなきゃいけないんだ。
「糞小僧が! 後悔させてやる」
男性はきつく握った拳を振った。
全然、届く距離じゃないよ。
僕は油断していた。
しかし、男性の手から放たれたのは、届かない拳ではなく、倒れた時に掴んだのだろう地面の砂や埃だった。
埃が目に入り、僕は視界を奪われる。
しまった。
そう思った瞬間、腹部に重く激しい痛みが走る。
「なめやがって。調子に乗りすぎなんだよっ」
男性は僕の顔面を殴りつける。
視界を奪われた僕は、避けることも出来ずに一撃を受け、痛みに倒れこんだ。
男性は倒れた僕に、更に蹴りを繰り出してくる。
腹部を蹴られ、足を蹴られ。
僕は頭を両腕で覆って丸く固まり、防御するしかなかった。
何度も何度も蹴られ、罵声を浴びせられる。
全身を襲う痛みに、僕は悲鳴をあげた。
くそう、何で僕がこんな目に会わなきゃいけないんだ。
痛い。痛い。
さっきまでの威勢は何処へやら。僕は男性にいいようにやられてしまっていた。
「そこの人っ、何をしているんですか!!」
女性の叫び声がした。
「エルネア君っ」
聞き覚えのある声。
でも目潰しを受け、暴行を受けている僕には誰の声かは一瞬ではわからなかった。
「ちっ、巫女か」
男性は舌打ちすると、最後にもう一度僕を思いっきり蹴飛ばして、走り去った。
遠のいていく重い足音。
そして、近づいてくる複数の慌てたような足音。
「エルネア君、大丈夫ですか」
耳元で 聞こえた心配そうな声がルイセイネだと、ようやく僕は認識できた。
「う、うん。僕は大丈夫だよ」
目を擦りながら、なんとか起き上がる僕。
「うわっ。エルネアっち、血が出てるよー」
まだごろごろとして痛い目では確認できないけど、イネアも側に居るみたい。
「一体何があったのでしょう」
心配そうな第三の声。これはキーリだね。
「ええっと、僕が悪いんだよ」
うん、これは僕が悪いんだ。
全身を襲う痛みで僕は徐々に冷静さを取り戻す。
普段の僕なら、あんな
ジルドさんに全く勝てない焦り。ミストラルを失うかもしれないという絶望。残りが僅かになってしまった期限への焦燥感から、僕は普段ならあり得ない暴挙を犯してしまったみたいだ。
さっきのは、明らかに僕が悪いんだよね。
男性にぶつかったのは僕だし、納得してもらえるような謝罪ができなかったのも僕。そして年上の人を見下したような態度を取ったのも僕。
何もかも、僕が悪かった。
黙り込んだ僕を見て、ルイセイネは心配そうに寄り添ってくれる。
「本当に大丈夫ですか」
ルイセイネの冷んやりとした手が僕の頬を撫でる。
すると、暖かく優しい気配がして、すうっと痛みが消えていった。
治療法術だね。
「ありがとう」
ようやくぼんやりと見え出した瞳で僕はルイセイネを見て、微笑む。
「わたくしはエルネア君の治療をしますので、キーリとイネアは先に学校へ向かってください」
僕に肩を貸して道の端に座らせてくれたルイセイネが、キーリとイネアに言う。
「そうだねー。ここはルイセイネに任せるよ」
「そうですね。そうしましょう」
ふふふ、と微笑みあって、キーリとイネアは僕たちに手を振って、去っていく。
「ごめんね。心配かけちゃって」
「一体何があったんですか」
「ううんとねぇ」
今の出来事は、僕の失態なんだ。それをルイセイネに話すのは恥ずかしかった。
「あらあらまあまあ、教えてくれないのですか」
頬を膨らませて口をへの字にするルイセイネ。だけど追求するようなことはせず、僕を優しく抱きしめてくれた。
僕は全身に優しく温かい気配を感じる。
そして痛みが薄れていく。
心地よい感じに、僕はルイセイネに身を任せて瞳を閉じた。
さっきの男性には申し訳ないことをした、と今更ながらに反省する僕。
あれって、途中から目撃していた人がいたら、一方的に男性が悪者になっちゃうよね。
巫女様にまで見られて、立場ないんじゃないかな。
もしも次に何処かで会ったら、ちゃんとお詫びをしよう。
それにしても、僕は絶対にあの男性には負けないと思っていたのに、なんで負けてしまったんだろう。と、いつもジルドさんと試合をして闘いの事ばかり考えていた僕は、今の喧嘩のことも考えてしまう。
僕は、男性の動きは完全に捉えていた。
圧倒的に僕の方が身体能力が上だったのに、負けてしまった。
原因は、あの目潰しだね。
不意を突かれて、視界を奪われた僕は、一方的にやられちゃったんだ。
そこで、僕は前にジルドさんが言っていたことを思い出す。
何が何でも勝ちたい時には、汚いことも必要。
男性のあの目潰しは、まさに汚い手だと思った。
でも、喧嘩なんだから決め事なんてないんだよね。
男性は逆転するために使える手を使ったまでなんだ。
油断して対応できなかった僕が悪い。
僕にも、ああいう汚さが必要なんだろうか。
勝つ為には手段を選ばず。
でも、と僕は首を捻る。
本当にそれで良いのかな。
勝負って、正々堂々じゃないといけないんじゃないかな。
僕の考えが甘い?
そもそも正々堂々の定義って何だろう。
目潰しは駄目?
でも暗闇の呪術で視界を奪う人はいるよね。呪術士にそれは卑怯だとは言えないと思う。
だまし討ちは駄目?
だまし討ちって何さ。相手の不意を突くことがだまし討ちなら、予期できない動きはしちゃ駄目って事にならないかな。
ううん、と唸る僕。
「あらあらまあまあ、まだ何処か痛いところがありますか」
僕の唸りを勘違いしたルイセイネが、心配そうに僕の顔を覗き込む。
「ううん、大丈夫だよ。でも、もう少しの間このままでいて良いかな?」
「ふふふ、お気の済むまで」
優しく微笑んでくれるルイセイネに甘え、僕はもう少し思考に沈む。
何が汚い手で、何が綺麗な技なのか、今の僕にはよくわからない。
でも、考えてみて、気づいたことはある。
汚い手の定義とかそんな事はどうでもよくて、僕は自身が卑怯だと思った手は使いたくないってことだ。
自分自身で嫌悪感を感じる振る舞いはしたくないと思った。
それが正当な手でも、汚い手でもね。
だけど、そんなことを言っていて、僕は本当にジルドさんに勝てるのだろうか。
ジルドさんには何がなんでも勝たなきゃいけないんだ。
今の僕では、年内にジルドさんに勝つ見込みは全くない。
ならば、卑怯だと
どんなに汚くても、勝つ為には何でもすべきじゃないのかな。
でも、やっぱり卑怯なことはしたくない。
それをしてしまうと、スレイグスタ老から教えてもらった竜剣舞が
やっぱり僕は、竜剣舞で勝負するべきなのかな。
それとも、勝つ為には手段を選んではいけないのかな。
思い悩み、揺れる僕の心。
「がんばれがんばれ」
ふと、耳元で不思議な声がした。
「ルイセイネ、いま何か言った?」
「いいえ、わたくしは何も言ってませんよ?」
僕の質問に、不思議そうに首を傾げるルイセイネ。
「がんばれ、エルネア」
そしてまた聞こえてくる、聞いたことのない声。
ふわり、と頬に柔らかい風を感じ、僕は何とはなしに視線を上げた。
「がんばれがんばれ」
いつの間にか、僕の目の前にはプリシアちゃんくらいの背丈の、愛らしい女の子が立っていた。
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