力を合わせて

 スレイグスタ老に一任された僕は、まずプリシアちゃんを呼んだ。


「あのね。プリシアは大おじいちゃんのお手伝いでいっぱい頑張っていたんだよ!」

「すごいね、プリシアちゃん」


 アレスちゃんに手を引かれてやって来たプリシアちゃんは、いつものように満開の笑みを浮かべて、スレイグスタ老のお手伝いをいかに頑張っていたのか話す。

 そのプリシアちゃんの横では、付き添いで耳長族の村から出て来てくれた白いおひげのおじいちゃんが苦笑していた。


 プリシアちゃんは、スレイグスタ老のお手伝いだと思って忙しくしていたんだろうけど、本当は違うんだよね。耳長族は、スレイグスタ老から指示を受けて、万が一の時に備えて竜の森を捨てる準備に追われていたに違いない。

 もしも、金剛こんごう霧雨きりさめがこのまま進み、竜峰を降りてアームアード王国の王都や竜の森を呑み込めば、そこに住む者たちは犠牲になってしまう。そうならないように、竜の森でも王都でも最悪の事態を想定して、故郷を離れる準備が今も慌ただしく進んでいるんだ。


「プリシアちゃん。それじゃあ、新しい任務だよ。なるべく急いで、アレスちゃんにご飯を食べさせてね?」

「ごはんごはん」


 きゅっ、とプリシアちゃんに抱きつくアレスちゃん。プリシアちゃんも、僕の言葉の意味を正しく理解して頷くと、アレスちゃんと抱き合う。


 アレスちゃんも、れっきとした精霊だ。だから、こちらの世界に顕現したり精霊術を行使するためには、それなりの力が必要になる。普通に幼女の姿で顕現するくらいなら、僕から流れる力だけで十分なんだけど。でも、これからアレスちゃんには大人の「アレスさん」になってもらい、最大限の力を発揮してもらわなきゃいけない。

 だけど、アレスさんの霊樹の力は、先の冥獄めいごくもんの一件で使い果たしちゃったからね。

 というわけで、精霊力の補充をプリシアちゃんにお願いしたわけです。


「よし。アレスちゃんの準備が整い次第、出発だよ!」


 僕も、アームアード王国に帰ってくるまでに、アレスちゃんへ竜気を与えられるだけ与えてきた。なので、あとはプリシアちゃんからの補給が整えば、準備は終わる。


「それで、あんた達。どうやって、あの化け物を倒すんだい?」


 気を張り詰めたスレイグスタ老の隣に座るアシェルさんが、興味深そうに僕たちを見下ろす。


「そうですね。金剛の霧雨が竜峰を降りてくるまで待つなんてことはしたくないので、こちらから殴り込みに行きます! 面倒ごとは、早めに対処して解決させちゃった方が良いですからね」

「ふん。そんなに上手くいくものかしらね?」

「そればかりは、やってみなきゃわからないですよ。でも、僕たちが金剛の霧雨を討伐できなかったら……」


 残された手段は、スレイグスタ老の禁術のみになってしまう。僕たちはそれが嫌で強引に介入したわけだから、失敗なんて許されない。


「汝らの成長を間近で見せてもらうとしよう。彼奴あやつの場所までは、我が背中に乗せて連れて行こう」


 スレイグスタ老の背中に乗って、空を飛べる! と無邪気に喜んだのは、プリシアちゃんだけだった。


「何がなんでも、絶対に倒してみせます!」


 プリシアちゃんとは逆に、僕たちは緊張に顔を強ばらせながら頷いた。






 僕はみんなを連れて、スレイグスタ老の背中へと空間跳躍する。プリシアちゃんはそのまま駆け足で、頭の上まで走っていった。僕たちも、後を追って移動する。


「普通だったら、おじいちゃんに乗れるなんて滅多にないことだから興奮するんだけどな」


 スレイグスタ老の上に乗った経験なんて片手の指で数えられる程度しかないもんね。

 スレイグスタ老は、竜の森の守護竜として僕たちにも普段から厳しく接する。だから、よほどのご褒美か用事でもない限りは、身体の上に乗せてはくれない。

 まあ、お世話をしているミストラルなんかは、スレイグスタ老の全身を奇麗に拭きあげるために日頃から乗ることを許されているみたいだけどね。

 それでも、普段は乗れないスレイグスタ老の背中に乗れて、プリシアちゃんは興奮気味だ。それに引き換え、頭の上を目指して長い首の上を歩く僕たちの足取りはいつになく重い。


 もしも、金剛の霧雨の討伐に失敗してしまったら、僕たちは大切なものを数多く失ってしまう。

 故郷の王都や、大切な竜の森。そして、その最奥に生えた巨樹の霊樹。

 もちろん、むざむざと大切なものが失われていくさまを、無様に見届けるだけにはならない。

 もしも僕たちが、金剛の霧雨の討伐を失敗した場合。スレイグスタ老には、切り札があるという。

 だけど、その最後の切り札は、正真正銘の禁断の術。それでも、スレイグスタ老は竜の森の守護者として、禁術の行使を躊躇ためらわないだろうね。

 そして、たとえスレイグスタ老が禁術で金剛の霧雨を倒してくれたとしても、スレイグスタ老を失ってしまう結果になってしまっては意味がない。

 だから、与えられた機会に僕たちは必ず成功を収めなければならないんだ!

 絶対に失敗できない大事を前に、僕たちはいつになく緊張していた。


「ふむ。そう気負う必要はない。汝らは普段通りに、己の成せる事を成せば良いだけだ」


 スレイグスタ老は、僕たちが頭の上まで移動したことを確認すると、小山のような巨大な身体を起こした。それだけで、視界が驚くほど高くなる。

 これまで、視界の先に遠くに見えていただけの関所が、一気に眼下の景色になった。

 関所内では、動き出したスレイグスタ老と、その頭上に集まった僕たちの姿を確認した兵士の人たちが、慌てたように走り回りだしていた。


じいさんが行くのなら、私も見届けにいかなきゃね。もちろん、あんたもついて来るんだよ」

『ちっ、面倒な』


 と言いつつも、アシェルさんに促されたレヴァリアも大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせた。


「守護竜様。皆様、いってらっしゃいませ」


 全員を見送る形となった白髭のおじいちゃんが、スレイグスタ老の足もとで心配そうにこちらを見上げていた。

 僕たちは、白髭のおじいちゃんだけでなく、自分自身の不安も払拭するように笑顔を浮かべて、見送る者たちに手を振る。


「行ってきます!」


 最初に飛び立ったのは、レヴァリア。次いで、アシェルさんが空に舞う。最後に、僕たちを乗せたスレイグスタ老が大きく優雅に翼を羽ばたかせて、大空へと上がった。


 きゃっきゃと無邪気に喜ぶプリシアちゃん。スレイグスタ老の頭の上から落ちないように、大人の姿に変貌したアレスさんがしっかりと抱きしめてくれていた。

 どうやら、プリシアちゃんからいっぱいご飯をもらって、力を取り戻したようだね。

 よし! これなら、たとえどんな化け物だろうとも必ず撃退できる!


 スレイグスタ老は、僕たちを乗せて進路を西に向けた。

 何度か大きく翼を羽ばたかせただけで、竜峰に連なる山嶺を軽々と超えていく。

 そして、瞬く間に目的の地へと辿り着く。


 雲の上から、竜峰の険しい自然を見下ろす。

 薄い雲が山の合間を流れていく様子が見える。

 谷間を突風が吹き抜けたのか、急斜面に茂る樹々が揺れた。小鳥の群が、驚いたかのように一斉に飛び立った。

 小鳥の群は、遙か上空の僕たちに気付くことなく、楽しそうに飛ぶ。そして、霧のまくのような、霧雨の中へと無警戒に入っていった。


 僕たちは、小鳥の群の様子を見つめていた。

 風が緩やかに流れ、霧の奥に薄らと見える景色が揺らぐ。


「あっ」


 と、誰かが声を漏らす。

 僕も、息を呑んで眼下の景色に驚いた。

 霧雨の中へと飛んでいった小鳥の群が、景色が揺らいだ瞬間に消失してしまった。

 まるで小鳥の群なんて最初から存在していなかったかのように景色を揺らす霧雨は、山を二つ分ほど覆っている。

 遠目に見れば、何気ない山間部の風景。だけど、いま目の当たりにしたように、霧雨の内側は異常な世界になっている。


「ううん、違う。異常な世界を視ているんじゃなくて、金剛の霧雨という化け物を、僕たちがそう認識しているだけなんだね?」

「ふむ。見た目だけであれば、我も何の変哲もない霧雨にしか見えぬ。しかし、小鳥の群が示したように、奴の内側に無警戒に入ってしまえば、何が起きるかわからぬようだ」

「言ってみれば、自分たちから化け物の体内に入っていくようなものですね?」

「さようであるな」


 僕たちは、雲の上からじっくりと金剛の霧雨を観察した。


 竜族でさえ、あの霧雨の内側に入ると喰われてしまう。そう考えると、僕たちも霧雨の中に侵入するのは危険だ。


「では、汝はどのようにして、あの化け物を退ける?」


 スレイグスタ老の問いに、僕は懐から霊樹の若枝を取り出した。


「近づくことができなくても、今の僕なら遠くからでも力を発揮できます!」


 間合いの届かない始祖族の巨人にも、僕の霊樹剣は届いたんだ。

 霊樹剣は、僕の力と意志で自在に威力と間合いを変えられる。

 であれば、わざわざ危険を犯して霧雨の奥へと入っていく必要はない。

 外から最大限の力で、金剛の霧雨を撃退すれば良いんだ!


 僕は、深い集中に入る。

 スレイグスタ老の頭の上に僕は立ち、瞳を閉じる。そうすれば、すぐに世界を感じ取れる。

 足もとのスレイグスタ老からは、今にも爆発しそうなほど充満した計り知れない竜気が伝わってきた。僕たちが間に合っていなければ、この力で禁術を行使していたのかもしれない。


「エルネアよ。我の竜気を思う存分に使うが良い」

「ええっ! 良いの、おじいちゃん!?」


 スレイグスタ老の思わぬ申し出に僕たちが驚くと、ぐるる、と喉を低く鳴らされた。


「汝らに任せた以上は、この蓄えた力も有効に消費した方が良い。それに、あれは出し惜しみができるような相手ではなかろう」

「そうですね。それじゃあ、遠慮なく使わせていただきます」


 空に上がると、竜脈から力を汲み上げることはできなくなってしまう。代わりに僕はスレイグスタ老の竜気を使わせてもらうことにした。


「わらわも全ての力を其方に託そう」


 言ってアレスさんが僕と融合する。

 プリシアちゃんから補充した精霊力はアレスさんの内側で霊樹の力へと変換され、それが僕の身体に満ちていく。

 霊樹の力に触発されたのか、僕が宿す竜宝玉もいつも以上に荒ぶる力を解放させていった。

 僕の内側で竜気と霊樹の力が合わさり、嵐のように吹き荒れていく。


「エルネアだけに負担を強いるわけにはいかないわ」


 背後から、暖かい手が添えられた。

 ミストラルの手だ。

 だけど、ミストラルの手から僕へ流れ込んできた力は、彼女だけのものではなかった。

 ニーナに錬成されたユフィーリアの竜気と、ライラの元気一杯の竜気。繊細なセフィーナさんの竜気がみんなの力に流れを示している。

 ルイセイネとマドリーヌ様から流れてきた力は紛れもなく、法力だろうね。神聖な温もりが、僕の内側で荒ぶる嵐のような力の角を落とし、柔らかい流れへと変えていってくれる。

 そして、ミストラルの澄んだ竜気が、全ての力を優しく包むように広がっていく。


 流れ、混じり、真夏の分厚い雲のように僕の内側で膨れ上がっていくみんなの力。それを僕はスレイグスタ老から受け取った竜気で錬成していく。


「出し惜しみなしだよ。全力で僕たちの力を金剛の霧雨にぶつけるんだ!」


 僕は、霊樹の若枝を頭上に大きく掲げる。

 若枝は、既に緑色に眩しく発光し始めていた。

 僕は若枝を両手で握り締めると、今も尚膨れ上がり続けている力を流し込んでいく。

 若枝は、まるで霊樹が根から竜脈を吸い上げるように、僕たちの力を取り込んでいく。

 そして、輝きを増していき、姿を変化させ始めた。


 若枝は、僕の意思を汲んで見慣れた木刀の形へと姿を変える。

 さらに木刀は、次第に立派な新緑色の剣へと進化していく。

 とても見慣れた剣の形だった。

 僕がいつも右手に握っていた、白剣。霊樹の若枝は緑色に眩く輝いているので、色は違うけれど。


 でも、霊樹の若枝が形を変えた精霊剣の変貌は、これで終わりではない。

 精霊剣は更に大きくなり、両手で構えるに相応しい大剣へと成長していく。

 そして、僕たちの力を取り込み続ける緑色の刃は、空を斬り裂くかと思えるほど無限に伸びていった。


「エルネアよ。汝の力を彼奴に示せ!」


 スレイグスタ老が空を破るほどの咆哮を放つ。


『霊樹の精霊剣に宿し聖なる力よ 世界に歪みをもたらす邪を祓え!!』


 僕は、渾身の力を込めて霊樹の精霊剣を振り下ろした。

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