絶対防御
新緑色に輝く霊樹の精霊剣が、一条の光となって振り下ろされた。
雲と空を斬り、竜峰の山二つ分を覆う霧雨を両断すべく迫る。
がんっ!! と、硬い物体に剣を振り下ろした時のような衝撃が手に伝わってきた。
「っ!!」
竜峰の風景と、しとしとと降る霧雨の境界。そこで、霊樹の精霊剣が押し止められた。
「このっ!」
僕は全力で剣を振り下ろす。
だけど、柔らかい霧雨の風景に新緑色の刃が入らない。
「エルネア!?」
背後で、ミストラルが不安そうに声を上げた。
「硬い。剣が……霊樹の精霊剣が何かにぶつかって、それ以上は進まないんだ!」
そんな、まさか! と、全員の顔色が変わる。
地下遺跡の守護者である始祖族の巨人や妖魔の王の核でさえ、
僕の両手に伝わってくる感触。それは、
「ええい、此の期に及んで!」
スレイグスタ老が咆哮を放ち、金剛の霧雨へと向かって急降下する。そうしながら、全身を
「魔物如きが、無駄な
そして、巨大な口から
空と地上に黄金色の立体魔法陣が何重にも形成れさ、金剛の霧雨を包み込んで金色の光の柱を生む。
「あんた達も加勢するんだよ!」
アシェルさんに促されたレヴァリアが炎の息吹を放ち、紅蓮の炎の雨を降らす。ニーミアも大きくなると、アシェルさんと並んで、全てを白い灰に変える息吹を放った。
だけど、スレイグスタ老や他のみんなの攻撃でさえも、霧雨の表層をなぞるだけで奥まで届かない。
『斬れろおぉっっ!!』
僕は全身全霊の力を霊樹の精霊剣へと送り、両手に力を入れる。
それでも、霧雨の端に触れた新緑色の光の刃は、それ以上進まなかった。
「なんて硬さなんだ!」
柔らかい霧雨の風景からは想像もできない異常な硬質感に、心の奥底からじわじわと焦りが沸き始める。
「小鳥の群や竜族は抵抗もなく霧雨の奥に入れたのに、なんで!?」
霊樹の精霊剣の刃は、金剛の霧雨に拒絶されているかのように、表層から先へは全く進まない。
このままじゃあ……
金剛の霧雨を両断できず、倒せなかったら……
今も全力で陰陽の竜術を放つスレイグスタ老。
金剛の霧雨の討伐に失敗してしまったら、僕たちは大切な者を失う結果になってしまう。
嫌だ。
それだけは、絶対に嫌だっ!
「このっ!」
「エルネアっ!」
気付くと僕は、ミストラルの制止を振り切って、スレイグスタ老の頭の上から飛び降りていた。
「アレスさん!」
『あれを使う気か。推奨はできぬが……。仕方ない』
僕と同化したアレスさんが、漆黒の物体を召喚した。
魔族の支配者が、魔王の
僕は、霊樹の精霊剣を右手で振り下ろしたまま、魂霊の座を左手に握る。そして、落下の勢いそのままに、触れたもの全ての魂を喰らい消滅させるという魔王の魔剣を、金剛の霧雨に突き放つ。
がんっ!! と、また重鈍な衝撃が左手に伝わってきた。
魂霊の座であっても、突き落とせないのか!?
それでも、魂霊の座は触れただけでその絶望的な威力を示すんだ。
『やああぁぁぁぁっっ!!』
霧雨の表面を上から下へなぞるように魂霊の座を当てながら、僕は落下していく。
「エルネアっ!」
地面すれすれの高さでミストラルが追いつき、僕を背後から抱きしめた。おかげで、僕は地面に激突することを免れる。
僕はそのままミストラルに抱かれて地面へと降りた。
右手には、新緑色に輝く霊樹の精霊剣。
左手には、全ての魂を喰らい消滅させる魂霊の座。
でも、両手に握り締められた二本の剣は、どちらも金剛の霧雨を斬り裂いてはいなかった。
どれだけ両手に力を入れても、目の前で淡く揺れる霧雨の風景には食い込まない。
僕は精一杯に念じる。
『刃が通らなくても、魂霊の座に魂を奪われてしまえっ!』
ぐっと左手に力を込める。
だけど、どれほど力を入れようとも、どれほど念じようとも、目の前の霧雨に変化はなかった。
「な、なんで……?」
わけがわからない。
妖魔の王の核でさえ斬り裂いた霊樹の精霊剣で両断できず、全ての魂を喰らい滅する魂霊の座の刃に触れながら、魂を奪われない。
なにもかもが異常すぎて、理解が追いつかない。
ミストラルも、僕を背後から抱きかかえたまま、呆然と立ち尽くす。
なぜ?
なぜ……?
混乱する思考。
僕たちの攻撃は、金剛の霧雨に通用しなかった?
魂霊の座はどうして威力を示さない?
このままじゃ……
「気を抜くでない、エルネアよ!」
その時、上空からスレイグスタ老の咆哮が響く。
はっ、と意識を戻す僕とミストラル。
そして、見た。
しとしとと優しく降り続く霧雨の
水色に美しく輝く
大亀は、まるで宝石を彫り込んだかのような全身をしていた。
だけど、その宝石彫刻のような神秘的な姿に魅入るようなことはない。逆に、水色の大亀の姿を視界に入れただけで、言いようのない恐怖が魂の奥底から湧き上がってくる。
ぞくり、と全身に悪寒が走る。
「エルネア、翁の元へ戻るわよっ」
ミストラルが銀に近い金色の翼を羽ばたかせるのと、霧雨の奥に佇む水色の大亀が口を開くのとは同時だった。
「っっ!!」
僕はミストラルの飛翔を待たずに、強引に空間跳躍を発動させた。
一瞬で、横合いに大きく移動する。
直後、
咄嗟に、元居た場所を振り返る僕とミストラル。そして、愕然する。
つい一瞬前まで僕たちが居た場所は、淡い霧雨の風景から飛び出した新たな霧雨の塊が在った。
ただし、普通の霧雨でないことは、すぐに理解できた。
「あ、あれを受けていたら……」
霧雨の塊は、その優しい風景からは想像もできないような、破壊的な威力を僕たちにまざまざと見せつけた。
まさに、金剛の霧雨の反撃なのだろう。山二つ分ほどを覆う霧雨の本体から伸びた新たな霧雨の塊は、質量を持っているかのように触れたもの全てを薙ぎ払い、押し潰していた。
僕たちが立っていた場所だけでなく、その背後に
「何をぼうっとしておる。二撃目が来るぞ!」
スレイグスタ老の言葉に、ミストラルが急いで翼を羽ばたかせた。
優雅さなんて二の次のように激しく翼を動かし、僕を抱いて急上昇する。
霧雨の奥に佇む水色宝石の大亀が、上昇していく僕たちを目で追いながら、ゆっくりと口を開く。その動きに合わせるかのように、霧雨の輪郭が不気味に
狙われている!
死の恐怖が全身を襲う。それでも空間跳躍を発動させると、大亀が放った二撃目の霧雨の塊からなんとか逃げる。
上空での空間跳躍に姿勢を崩しながらも、ミストラルは全速で金剛の霧雨から距離をとっていく。
空に高く上がり、遠くから地上を見下ろすことによって、霧雨から伸びた新たな霧雨の塊が何なのか、ようやく理解した。
まさに、亀だった。
まるで亀の四肢のように、霧雨の本体から四方に伸び始めた、新たな霧雨の塊。
そして次に、上昇していく僕とミストラルを狙うように、亀のような頭部を伸ばし始めていた。
とてつもなく巨大な亀の姿へと輪郭を変貌させていく霧雨の風景。見た目の柔らかさとは裏腹に、僕たちは底知れぬ恐怖を感じる。
霧雨の奥に静かに佇む水色宝石の大亀は、遠ざかる僕たちを静かに見上げながら、周囲の霧雨を更に変化させていく。そうしながら、またもや口をゆっくりと開き始めた。
このままミストラルだけに任せて飛んでいても、金剛の霧雨の攻撃に晒されるばかりだ!
何か手立てはないかな、と周囲を探る。
すると、危機をすぐに察知したスレイグスタ老が、僕たちと金剛の霧雨の間に割って入り、陰陽の竜術を放った。
「ミストラルよ、我の背中に乗り移れ」
「はいっ!」
スレイグスタ老に促され、ミストラルはスレイグスタ老の巨大な背中へと降り立つ。
スレイグスタ老は、僕とミストラルが背中に乗ったことを確認すめと、息が止まるほどの速さで雲の上へと移動する。
僕は、金剛の霧雨の攻撃が届かない位置まで移動したことを確認してから、ようやく純白色に変化したスレイグスタ老の鱗の上に足をつけた。
でも、そこで無様に姿勢を崩して座り込んでしまう。
「あっ……」
既に、激しい衰弱が始まっていた。
冥獄の門から続く、全力の連戦。しかも、今回は全身全霊の力を込めて霊樹の精霊剣を放った。
僕は今や、全てを出し切った状態だった。
エルネア、と心配そうにミストラルに抱きしめられる。
僕もミストラルを抱き返そうとするけど、指先にさえ力が入らない。
いつの間にか右手からは霊樹の精霊剣が消え、霊樹の若枝が指先に絡まるように挟まっていた。
左手に握っていたはずの魂霊の座は、見当たらない。アレスさんが回収してくれたのかな。
でも、ここで終わるわけにはいかないんだ!
「まだ……。まだ、やれるんだ」
言って僕は、全身に力を入れ直す。
今ここで金剛の霧雨を倒せなかったら、残された手段はひとつしかなくなる。
だから、僕が倒さなきゃいけないんだ!
足に力を入れる。腕を動かそうとする。
だけど、強い衰弱が始まった身体は、思うように動いてくれない。
「駄目だよ……。お願い、動けっ」
必死に力を振り絞る僕。
ようやく、右手が上がった。
それを、ミストラルが優しく握り返す。
「エルネア……」
「ミストラル、駄目だよ。今ここで僕たちが諦めちゃったら、駄目なんだ」
訴えるように顔を上げてミストラルの顔を見る。
ミストラルの顔が、揺らいで見えた。
僕は、無意識のうちに泣いていた。
無力さ。
無念さ。
悔しさ。
絶望。
様々な負の感情が内側から溢れ出し、涙となって零れ落ちていく。
情けない僕の泣き顔を見たミストラルが、強く抱きしめてくれた。
「もちろん、わたしたちも諦めないわ。まだ、きっと何か手があるはずよ」
「うん。僕たちが失敗したら、おじいちゃんが……」
「大丈夫、わかっているわ。でも、翁も今の戦いで力を消費したわ。だから、焦らないで。時間はあるから」
スレイグスタ老が禁術のために蓄えていた竜気は、僕が大量に消費してしまった。それだけでなく、スレイグスタ老自身も戦いに加わったことで、竜気を随分と消費している。
「だけど……」
スレイグスタ老は、改めて竜気を蓄えないといけない。それには、ミストラルが言ったように時間がかかるはずだ。
でも、時間的猶予があったとしても、絶対に変わらない事実がある。
それは、僕たちの全力をもってしても、金剛の霧雨を倒せなかったという最悪の結果だ。
スレイグスタ老は、これからまた直ぐに竜気を貯め始めるに違いない。そして、僕たちが敵わなかった金剛の霧雨に対し、禁術をもって挑む。
果たして、あの化け物にスレイグスタ老の禁術は通用するのか。結果がどうなるのかは、金剛の霧雨の恐ろしく高い防御力を目の当たりにした今の僕たちには想像もつかない。
それ以前に、金剛の霧雨の討伐の成否に関わらず、禁術を行使したスレイグスタ老は魔女さん狙われ、未来がないという結末が決定的に訪れる。
僕はそれを思うと、自分の無力さに絶望して、涙が出てしまうんだ。
酷い衰弱で全身に力が入らず、ミストラルの腕の中で情けなく涙を零す僕の傍に、みんなが駆け寄ってきた。
だけど、みんなもこの後に待ち構える物事の流れを理解しているのか、口重く佇むばかりだった。
「ええい、辛気くさいね」
そこに声を荒げたのは、アシェルさん。
「ここで意気消沈していても、何も変わりはしないよ。爺さんも、今ので竜気を消費しすぎて禁術を使える状態じゃないだろう。だったら、一度戻って、態勢を建て直した方が良いんじゃないかしらね?」
力を使い果たして尚、金剛の霧雨を倒せなかった僕。僕に竜気を分けてくれただけでなく、自らも全力で竜術を放ったスレイグスタ老。お互いに、これ以上の継戦能力は残っていない。
スレイグスタ老は、アシェルさんの言葉に喉を低く鳴らす。
金剛の霧雨の攻撃が届かない上空まで高度を上げて、竜峰の一部に掛かる霧雨を、黄金色に光る瞳で憎々しげに睨んでいた。
「ううむ……。仕方ない、此度は引き返すとしよう。彼奴の力を知ることができた。次こそは、奴を必ず撃退してくれようぞ」
スレイグスタ老は最後に大きく咆哮を放つと、金剛の霧雨に背を向けた。そして、僕たちを背中に乗せて、竜峰を離れた。
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