海の勝負師

 ざばーん。ざはんっ、と白波が磯場いそばに打ち付ける。

 寄せては返す波を覗き込むと、どこまでも透明な海水の奥で、魚たちが優雅に泳いでいる姿が見える。

 小魚。色鮮やかなお魚。たまに大きな影が素早く通り過ぎると、小さなお魚たちは慌てたように散る。でも、すぐに元の位置に戻ると、また楽しそうに、そして優雅に泳ぐ。


 僕は今、白浜の近くの地磯じいそで釣り糸を垂らしていた。


「エルネア君、全然釣れていないわ」

「エルネア君、このままだとプリシアちゃんが魔王になるわ」

「それだけは阻止しなきゃね!」


 僕の両脇には、ユフィーリアとニーナが一緒に座って、同じように海を眺めていた。


 プリシアちゃん?

 彼女は今、ヴィレッタさんとヴィエッタさんと、白浜の方で鬼ごっこをしています!

 他にもユンユンとリンリン、プリシアちゃんが召喚した土と風と光の精霊さんと、アレスちゃんとニーミアも一緒だ。

 そして、流れ星さまの二人は、地獄の鬼ごっこの真髄しんずいを知り、悲鳴をあげています!


 ちょっとやそっとのことでは、プリシアちゃんは捕まらないからね。

 耳長族の空間跳躍は、圧倒的だ。

 どれだけ危機的状況に陥っても、一瞬で打開してしまう。

 捕まえた! と確信して手を伸ばしても、次の瞬間には遠い別の場所に移動しいるプリシアちゃん。もしくはユンユンとリンリン。

 ヴィレッタさんとヴィエッタさんが鬼役だけど、これは一日中追いかけなきゃいけないだろうね。

 なにせ、プリシアちゃん以外の者たちは、空も飛べるからね!


「エルネア君がよそ見をしているわ」

「でも、安心よ」

「「だって、釣り糸はずっと動いていないもの」」

「ユフィ!? ニーナ!?」


 なんということでしょう。


 そうなのです。

 もうずっと、それこそ釣りを始めた時から、釣り糸が引っ張られる気配は全くないのです!


「きっと、お魚がいないに違いない」

「さっき、足もとの海中を覗いて泳いでいる魚の群れを見たばかりだわ」

「釣れていないのは、エルネア君だけだわ」

「そ、そんな馬鹿な!?」


 僕は、そんなはずはない、とユフィーリアとニーナのかごを覗き込む。

 すると、既に大小数匹のお魚が入ってた。


「いつの間に!」

「あ、また掛かったわ」

「ニーナ、それが釣れたら次は私の番よ」

「な、なんだってーっ!」


 言ってる側から、大きなお魚を釣り上げるニーナ。


 何かの間違いだ……

 なぜ、僕だけ釣れないんだーっ! と叫んだら、白浜まで僕の声は届いたらしい。


「ぼうずぼうず」

「んんっと、お兄ちゃんは釣りが下手へたなの?」

「プリシアちゃん、そんなことはないよ?」

「でも、エルネア君はまだ一匹も釣っていないわ」

「それどころか、釣り糸が動くこともないわ」

「しくしく」


 プリシアちゃんとアレスちゃんが磯場に来たことによって、鬼ごっこは少し休憩だ。

 アレスちゃんが謎の空間からお水の入った水筒を取り出して、ユンユンとリンリンが器に注いでみんなに配っていく。

 ヴィレッタさんとヴィエッタさんもやって来て、軽食を摂りながら休む。


「お、恐れ入りました……。まさか、プリシアちゃんさえ捕まえられないとは」

「自分たちの未熟さを痛感させられました。皆様は、このような遊びをいつも?」

「はい。毎日のようにこういう鬼ごっことか隠れん坊をしているので、みんな逃げ足と潜伏は得意ですよ!」

「逃げる相手を追いかけるのも得意だわ」

「隠れた相手を探すのも得意だわ」

「ヴィレッタさん、ヴィエッタさん、あまり落ち込まないでくださいね? なにせ、プリシアちゃんと鬼ごっこをすると、竜人族の戦士たちも悲鳴を上げますから!」

「プリシアを捕まえられるようになったら、超一流だわ」

「ライラを見つけられるようになったら、超一流だわ」


 逃げの職人プリシア。

 潜伏の職人ライラ。

 これから先、流れ星さまたちの中でどれだけの人数が、この二人を攻略できるだろうね?


 ふっふっふっ。

 楽しみです。


「エルネア君がまた遠い目をしているわ」

「でも、現実は変わらないわ」

「エルネアお兄ちゃんは、大物専門にゃん」

「ニーミア、良いことを言ったね」

「大物は大物でも、大騒動の大物にゃん」


 ニーミアの言葉に、家族全員が「確かに!」と頷く。

 しくしく。僕はどの大きさでも良いから、お魚が釣りたいだけなんでよ?


「それにしても、変わった釣竿ですね? あ、釣竿を見ること自体が初めてなのですが、それでも書物などに描かれているものとは少し違うような?」

「釣り糸も、こんなに細くても切れないのですね? しかも、よく見るととても美しいです。この籠の中の大きな魚を釣るときも、切れなかったのですよね?」


 ヴィレッタさんとヴィエッタさんは、内陸の育ちだという。

 しかも女性だからね。海用の長い釣竿なんて、これまでの人生で触れる機会も見る機会もなかったんだよね。

 それでも博識なようで、書物などで海のことや釣りのこと、海魚のことを知っていた。


「ええっと、この釣竿はですね」


 と、えさが取られているのではないか、と竿を持ち上げて、釣り糸を手繰たぐり寄せる僕。

 餌は、釣り針に綺麗に付いたままでした!


「竿は、飛竜の翼の骨なんですよ。だから、ほら。こんなにしなっても折れません。釣り糸は、テルルちゃんの糸だからね。こっちも絶対に切れたりしないですよ」

「ひ、飛竜の翼の骨!?」

「テ、テルルちゃんと言いますと……!」

「千手の蜘蛛さんだよ!」


 はい。実はこの釣り竿、竜人族の超特注品なのです!

 釣り針だって、海釣りが得意だという獣人族のかわうそ種の職人に作ってもらった逸品だし、お魚を入れる籠だって、耳長族の人たちの工芸品だ。

 凄いでしょ? と僕が自慢げに話すと、ヴィレッタさんとヴィエッタさんは何度も頷いてくれた。


「僕たちって、こうして誰かの遺した物やみんなの支えがないと、普段の生活もままならないんですよね」

「それを自慢げに言うのはエルネア君くらいだわ」

「それを誇らしく言えるのはエルネア君くらいだわ」

「だって、それが嬉しいんだもん! 僕たちは、誰かのために頑張れる。誰かは僕たちの支えになってくれている。それって、全員で一緒に生きているってことだと思うんだよね」

「プリシアは、ミストラルのご飯が大好きだよ?」

「あら、プリシアちゃん。私の手料理は美味しくないかしら?」

「あら、プリシアちゃん。私のお菓子は美味しくないかしら?」

「おわおっ、大好きだよ!」


 ユフィーリアとニーナが、プリシアちゃんにお菓子とお肉を与える。

 幼女は満面の笑みで両方を手にとって頬張る。

 その姿を見て、ヴィレッタさんとヴィエッタさんが微笑んだ。


「エルネア君は、私たちよりもよっぽど人を導くのがお上手ですね。頭が下がります」

「わたくしたちは、必然があってこの地に流れ着いたのだと、しみじみ思い知らされました」

「そう言ってもらえると嬉しいです。みんなで精進しながら、アーダさんが訪れるのを待ちましょうね!」


 はい、と元気良く頷く二人に、僕も勇気を貰う。

 そうだ。なげいてばかりでは駄目なんだよね。

 だから、僕も信じよう。

 絶対に、お魚が釣れるって!


「無理そうにゃん?」

「ニーミアよ。僕がお魚を釣れなかったら、君の夜ご飯はないんだよ?」

「んにゃん? ユフィお姉ちゃんとニーナお姉ちゃんが釣ったお魚を食べるにゃん」

「ニーナ、勝負だわ。どちらが沢山の魚を釣れるか、エルネア君を賭けるわ」

「ユフィ姉様、勝負だわ。どちらが大きな魚を釣れるか、エルネア君を賭けるわ」

「僕は、絶対にお魚を釣る!」


 ぽーんっ、と餌の付いた糸先を海に投げる僕。

 ユフィとニーナの勝負は、どうやら餌ごとの交代制で競われるらしい。

 全く同じの双子。いったい、勝負をするとどうなるんだろうね?

 僕も気になります。


「それでは、私たちはまたプリシアちゃんと遊ばせて頂きましょうか。今度こそは、捕まえてみせますよ?」

「んんっと、頑張って逃げるね?」

「ところで、気になることがひとつあるのですが。子爵様は、今はどちらに?」

「あー……」


 ヴィエッタさんの質問に、僕は遠い海の彼方かなたを見つめる。


「ヴィレッタさん、ヴィエッタさん、魔族に騙されちゃいけませんからね?」

「と、仰いますと?」

「ルイララの嘘つきーっ! 知らない人の前では、正体を現さないって言ったじゃないかーっ!」


 海に向かって叫ぶ僕。

 首を傾げるヴィレッタさんとヴィエッタさん。

 ユンユンとリンリンが苦笑しながら言った。


「ルイララ殿は、エルネアとどちらが多く魚を獲れるか賭けたらしい」

「でも、エルネアってお馬鹿よね。釣り勝負じゃなくて、どちらが多く獲れるかって、その時点で普通は魔族の計略に気づくわよ?」

「しくしく。僕は気づかなかったんだよ……」


 つまり!


 ぴくんっ、とその時。

 釣竿の先に僅かな揺れが伝わってきた。

 僕はお魚が掛かったと思い、思いっきり釣竿を振る。


 ごごごご、と海面が盛り上がる!

 大物だ!」


「はっはっはっ。エルネア君。勝負は僕の勝ちだね」


 そして、僕の餌付きの釣り糸の先を持って海から姿を現したのは、巨大な人魚!

 ……いや、ルイララです。

 そのルイララの手にした網には、大漁の海産物が入っていた。


 そうなのです。

 釣り勝負ではなく、漁獲量勝負と決まった時点で、ルイララは躊躇うことなく海に入っていったのです!

 そして、容赦なく海の幸を集めてきたんだね!


「それだけじゃないにゃん。海中でエルネアお兄ちゃんの餌に魚が寄らないように邪魔をしていたにゃん。空から海中が見えていたにゃん」

「な、なんだってー!!」


 ニーミアの衝撃的な密告に、僕は白目を剥いて仰け反ってしまう。

 これが、魔族ですよ!

 ヴィレッタさん、ヴィエッタさん、それに流れ星のみなさん、気をつけてくださいねー!


 と、双子の流れ星さまを見たら。


 人魚という伝説の生き物の正体をたりにして、僕と同じように白目をむいて気絶していました。


 ですよねぇ。

 普通、想像するのは下半身がお魚の、美しい女性ですよねぇ。


 なのに!

 ルイララは超巨大で、確かに下半身はお魚なんだけど、美しいというよりも魔族らしく恐ろしいからね!


「はははっ。エルネア君がまた酷いことを考えているなぁ。でも、勝負はついたからね。約束通り、帰ったら剣術勝負をしようね?」

「よし、ニーミア。ルイララをここに置いて帰ろう!」

「そうしたら、お魚のお土産がなくてプリシアが魔王になるにゃん?」

「それは駄目だね! でも、ほら。ユフィとニーナの釣ったお魚があるよ?」

「それは、エルネアお兄ちゃんのお土産にはならないにゃん?」

「ぐぬぬぬ。でも、魔王はお魚料理が食べたいと言っただけだしね?」

「エルネア君、往生際が悪いよ?」

「むきぃっ、誰のせいだと思っているんだい! ルイララ、ずるいよっ」

「それが魔族だからねぇ」


 ルイララとのお魚獲り勝負に納得のいかない僕は、再戦を申し込む。

 今度こそ、釣りで勝負だ!


「仕方がないね。それじゃあ、そこの双子みたいに、交代で釣竿を使おうか。ただし、双子が釣竿を交換する時に、僕たちも釣竿を交換する。それまでは何匹でも釣れるし、餌が取られていなくても交代だ。良いね?」

「望むところだ!」


 こうして、僕とルイララの勝負。

 ユフィーリアとニーナの勝負。

 そして、プリシアちゃんたちと双子の流れ星さまの勝負は、各所で熱をもって執り行われた。


 結果。

 ヴィレッタさんとヴィエッタさんは、最後までプリシアちゃんを捕まえられませんでした。

 ユフィーリアとニーナの勝負は、なんと二人が同じ数の同じ種類の同じ大きさのお魚を釣って、引き分けになった。

 凄いね!


 僕?

 ええっと……


「ぼうずにゃん」

「ははははっ。今日は大漁だったね。陛下もお喜びになるよ。さあ、帰ろうか」

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