始祖 竜魔人

 空が血のような赤色に汚染される。

 瘴気の黒い雲が高速で流れ、魂をむしばむ雨が降り始めた。


「力を……。もっとだ、もっと力を。俺に、更なる力をよこせ!!」


 広範囲に展開されたバルトノワールの呪術方陣からは、これまで魔族の国で流された血や命、うらみ、悲しみ、絶望、怒り、そういった負の要素から生まれた瘴気が無限に湧き出す。

 そして、禍々まがまがしい瘴気は濃度を増していき、最終的にはルガ・ドワンへと吸収されていく。


 今や、ルガは竜人族の域を超え、新たな存在としてこの世界に再臨さいりんしようとしていた。


 もともと屈強くっきょうだった肉体は更に数倍に膨れ上がり、肌は赤黒く変色してしまっている。

 全身の至る所に浮かび上がる鱗は、光を吸収するような漆黒。ひじかかとといった身体の節々ふしぶしにはいびつつのが生え、鋭利な先端はそれだけで凶悪な武器に見える。

 背中の巨大な翼と極太で長い尻尾は、もはや竜族のそれだ。


 それだけじゃない。

 両肩には、いつか見た巨大で真っ赤な口が開いていた。

 べろり、とルガの両肩でうごめく血のように赤い舌。それだけでも不気味だというのに、真っ赤な口は周囲の瘴気をどんどんと飲み込んでいく。

 あれは、イステリシアが所有していた大罪の大杖の力を解放したときに出現していた、生命を手当たり次第に食い散らす不気味な口だ!


 更に、ルガの巨大な竜の手からは、邪悪な爪が長く伸びていた。

 ぬらり、と邪悪な光沢に光る爪は、そこに存在しているだけで魂をきむしられるような呪いを放っている。

 どうやら、ライゼンが装備していた大鬼の爪をも取り込んだようだね。


 と、いうことは……!


 改めて、ルガの全身に見える漆黒のうろこを見る。

 竜族のように強固で、まるで鎧のような鱗。あれももしかすると、九魔将の全身鎧の特性を取り込んでいるのかもしれない。

 そうすると、こちらの術は無効化されてしまったり、長距離の光線にも警戒しなきゃいけないんじゃないかな!?


 そう思った矢先だった。


「貴様の力もよこせ!」


 ルガが吠えた。と同時に、右腕を振るう。

 それだけで、不気味な爪から五条の魔法が放たれた。


「おやまあ、強欲ごうよくですこと」


 ルガが狙ったのは、九尾きゅうびの大魔族であるシャルロットだった。

 そして、そのシャルロットは微笑ほほえみを浮かべたまま、光線を回避する。


「っ!?」


 僕たちは驚愕きょうがくした。

 あのシャルロットが、ルガの攻撃から逃げた!?

 ミストラルの猛攻もうこうさえ平然と受け流していたシャルロットが、躊躇ためらうことなく回避行動に移ったという事実に、僕たちは戦慄せんりつする。


「なるほど、そういうことですか」


 五条の魔光線を回避したシャルロットが、何かに納得したように頷く。


はるか東方に活動拠点を置いていたはずのバルトノワールが、なぜこちらの魔族を巻き込んだ騒動を起こしたのか。どうして、竜人族を同志として迎えたのか。ようやく合点がてんがいきました。ですが、気づくのが遅すぎたようですねぇ……」


 ふふふ、困りました。と、此の期に及んでも困った様子なんて微塵みじんも感じさせないような微笑みを浮かべたまま、シャルロットはなおも成長を続けるルガを見る。


「魔族の真の支配者を打倒だとうする、もしくは困らせるという企みは本物だったのですね?」

「……ああ、そうさ。御遣みつかいでもないのに、何千年もの長きにわたって魔族の最高位に君臨くんりんするあれらは、世界の秩序ちつじょを乱す要素でしかないからね……」

「ですが、それを言うなら魔女まじょなどもそうだと思うのですが? ……まあ、あちらよりもこちらの方が手を出しやすかったというところでしょうね」

「ははは、その通りさ」


 今や世界の新たなる脅威へと再誕さいたんし、その成長を止めないルガ。絶望の存在を前に、シャルロットとバルトノワールが言葉を交わす。


「竜人族は、元より神族や魔族などよりも高い戦闘能力を有しています。そこへ、始祖族としての要素を禁術によって取り入れることで、更なる力を与える。そうすれば、わたくしたちのような自然発生で生まれた始祖族を超える存在になれると?」

「実際、貴女はルガの魔法を脅威と感じて回避した」

「ふふふ。竜人族を素体そたいとしていますのに、魔法も扱われるのですね?」


 これは、最後の確認だ。

 バルトノワールの企みの全てを、シャルロットは知ろうとしている。


「魔族の真の支配者である方々かたがたも、言うならば元来通りの始祖族でございます。そこへ、あの竜人族、いいえ、今では竜人族と始祖族の特性をあわせ持つ『竜魔人族りゅうまじんぞく』とでも言えば良いのでしょうか、その者をぶつけることが、貴方の狙いなのですね?」

「正確には、その『竜魔人族』を生み出す禁術こそが、俺の目的さ……」


 バルトノワールは言ったよね。

 自分の生きたあかし。師であり、最愛の伴侶はんりょであった女性と歩んだしるしを世界にのこすために、呪術を基礎とした新たな禁術を生み出したと。

 禁術を発動させてしまえば、遅かれ早かれ魔女さんに狙われる。そうすれば、たかだか不老になっただけのバルトノワールでは、到底太刀打ちできない。


 だから、禁術によって生じる世界の変化を最後まで見届けることはできない、と最初からあきらめているんじゃないかな。

 バルトノワールは、ただひたすらに、自分たちが生きた証を遺したかっただけなんだ。


 そう、それはまるで、竜族が想いの結晶を後世に遺すように。


 でも、バルトノワールの禁術は、竜宝玉のように恩恵おんけいをもたらすようなものじゃない。

 世界に絶望を振りまく、凶悪ながんだ!


「できれば、貴女の魂や力も取り込めたら良かったんだけどね……」

「ふふふ、御愁傷様ごしゅうしょうさまでございます。わたくしは、そう簡単には籠絡ろうらくできませんよ?」


 バルトノワールが九尾の大魔族を復活させようとしていた理由。

 それは、いざという時。つまり、禁術の準備が整う前に魔王や僕たちのような邪魔者が出張でばってきた際に、時間稼ぎとして使おうと思ったからじゃないかな?

 ついでに、禁術の養分としても利用を企んでいたんだ。


「ははは……。 さすがに全てが計画通りというわけにはいかないな。だが……」


 バルトノワールは、呪術方陣内に残る僕たちを、弱々しい瞳で見つめた。


「代わりに、面白い要素を取り込めるようだ。……それに、貴女も結局はこの場に残っている。言っただろう? この方陣の範囲内に残っている生命は、全て禁術に吸収されるのさ」


 でも、シャルロットには空間転移の魔法があるから、逃げようと思ったら逃げられるんじゃない? という僕の思考を読んだシャルロットが、困ったような演技で人差し指をあごに当てた。


「空間が隔離かくりされていますね。術によって逃げ出せないように、事前に手を打たれているようですよ?」


 レヴァリアなんかは、血の色に汚染された空を未だに飛んでいる。ということは、移動自体はできるけど、空間転移のような術だけが阻害されているのかな?


「逃げたいなら、逃げれば良いさ。だが、ルガがそれを簡単に許すだろうかな?」


 シャルロットとバルトノワールが言葉を交わしている間にも、竜魔人ルガは瘴気を取り込んで成長し続けていた。

 今では、瘴気よりも濃い殺気を放ち、おどろおどろしい容姿に成り果ててしまっている。


「さあ、長話は終わりだ。最後に、君たちの生き様を俺に見せてくれ……」


 素直に回復法術をほどこされているバルトノワールが、マドリーヌ様の腕のなかから僕を見つめた。

 僕は先達せんたつの者の視線を受け、改めてルガに向き直る。


「そこで、見ていれば良いよ。貴方の企みを、僕たちが打ち砕く様子をね!」


 疾駆しっくする僕。

 やはり、空間を渡る術は阻害されている。空間跳躍でさえ、発動させようとしたら未知の圧力によって邪魔されてしまった。


 だけど、空間跳躍だけが僕の術じゃない!

 竜気をみなぎらせた跳躍で、僕は一気にルガとの間合いを詰める。


「人族ごときが、八大竜王を名乗るんじゃねえっ!」


 えるルガ。

 羽虫はむしを払うように、無造作に手を振るう。


「それは、さっき見たからね!」


 爪から放たれた魔法を回避しながら、ルガの懐に飛び込む。そして、白剣を一閃させた。


 ぎいぃん! という甲高い金属音のような響きが、空気を震わせた。


「くっ」


 弾かれたのは、僕の持つ白剣だった。

 竜殺しの属性を持ち、鉄だろうと岩だろうと容易く斬り裂く白剣が、ルガの鱗に傷さえもつけられない。

 やはり、九魔将の鎧の特性を取り込んでいるんだ!


 ルガの巨大な身体は、すでに巨人族に匹敵する。

 地竜だって吹き飛ばせる僕の全力の一撃にも微動だにしないルガは、絶対的な存在として君臨くんりんする。


「エルネア君、ルガの尻尾が右から来ます!」


 ごうっ、と空気が押しつぶされるようなとどろきと共に、ルガの背後から凶器が襲い来る。

 当たれば、ううん、圧縮された風圧に触れるだけでも致命傷になりかねない極太の尻尾から繰り出される一撃。

 だけど、ルイセイネの事前の忠告により、僕はなんとか回避することができた。


 どうやら、ルイセイネの竜眼りゅうがんは未だに有効なようだ。

 竜魔人族として再臨したルガだけど、元となる肉体が竜人族だからね。と、そこで再認識させられる。

 つまり、今のルガは、竜術と魔法を使えるってこと?

 いいや、それだけじゃないかもしれない。


 バルトノワールの禁術は、呪術で基礎を構築している。そして、バルトノワールが遺産として遺す禁術に、自分たちの呪術の系譜けいふを残さないわけがない。


 クリーシオは言っていたよね。

 呪術師にとって、先祖から脈々と受け継がれてきた呪術の系統を子孫に残すことこそが最大の目的だって。

 なら、バルトノワールもそう考えているはずだ。

 最愛の人と作りあげたものなら、尚更だ。


「くううっ……」


 突然、全身に重圧がかかってきた。

 まるで深い水底にでもいるかのように、押し潰されそうになる。

 周囲に充満する瘴気のせいじゃない。見れば、ルガの漆黒の鱗に複雑な模様が浮かび上がっていた。

 僕の内側で、アレスさんが霊樹の力を使って対抗する。それでも、鈍重どんじゅうな圧力にあらがうのがやっとで、打ちはらえない。


「エルネア!」


 ミストラルが叫ぶ。


 動きのにぶった僕へ、ルガの容赦ない追撃が迫る。僕を叩き潰そうと、巨大な竜の手が振り下ろされた!


『ちぃっ!』

「エルネア様!」


 上空から、ライラを乗せたレヴァリアが急降下してきた。そしてそのまま、猛烈な勢いでルガの側面に体当たりする。


 ずうんっっ、と重々しい響き。反応できなかった僕の横をかすめて、ルガの巨大な竜の手が大地を穿あがつ。

 レヴァリアに体当たりを受けたルガの側面が燃えていた。

 だけど、レヴァリアの紅蓮ぐれんの炎さえ通用していないようで、ルガの表皮をめた炎はたちまち鎮火してしまう。

 さらに、体当たりをして僕の窮地きゅうちを救ってくれたレヴァリアが、地面に落ちて苦悶くもんしていた。


「レ、レヴァリア様!?」


 体当たりのときに反撃を受けたんだ!

 レヴァリアの腹部がえぐられていた。

 僕を襲ったルガの手とは逆の手には、肉片が掴まれていた。


 ぐちゃり、とレヴァリアの肉片を口に含むルガ。


不味まずい肉だ」


 そして、反吐へどのように吐き捨てる。


「先ずは八大竜王の首を取り、俺様の力を竜峰の愚か者たちに知らしめてくれる!」


 ルガが僕を見下ろす。両肩の真っ赤な口が動いて、僕に舌を伸ばす。


「させない!」


 そこへ、ウォルが斬りかかってきた。

 人竜化したウォルは地表をうように飛翔し、ルガの背後から迫る。


「ユフィと」

「ニーナの」

「「竜胴呪縛りゅうどうじゅばく!!」


 長胴竜ちょうどうりゅうの姿をした竜術がルガの全身にからみつき、縛りあげる。


「あまり、魔法は好きじゃないんだけどねえ」


 珍しく、魔剣をさやに収めたルイララが魔法を放つ。

 ルガの足もとが沼のように変質し、足場をくずしながら巨大なルガを地中へと飲み込んでいく。


 だけど、一瞬で全てが徒労とろうに終わってしまう。


 ルガが僅かに身動きした。それだけで、ルイララの魔法が消滅する。

 地表はもと通りの固い地盤になると、ルガの巨体を支える。

 ユフィーリアとニーナが顕現させた長胴竜は容易く引き千切られ、背後から強襲したウォルも、ルガが翼を振るっただけで跳ね返されてしまう。


 圧倒的な力を手に入れたルガ。


 だけど、僕たちの窮地はこれだけに留まらなかった!


「それでは、こちらも続きを致しましょう」

「なっ!? シャルロット、貴女……!」


 糸目を更に細めて微笑むシャルロット。

 逆に、大きく目を見開いて驚愕きょうがくしたのはミストラルだった。


「だって、わたくしと貴女たちは敵同士でございましょう? さあ、気を抜いていると、死んでしまいますよ? ふふ、ふふふ」


 言ってシャルロットは、絶大な魔力が可視化した九本の尻尾を揺らめかせると、ミストラルに微笑みを向けた。

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