禁術

 世界が変貌へんぼうする。

 嵐の竜術でかき乱されていた大気に、不穏な気配が乗る。それは徐々じょじょに存在感を増していき、魂をちぢみ上がらせるような瘴気しょうきとなって世界に広がっていった。


「エルネア君、君は俺のあつかう術がなにかわかるかい?」


 バルトノワールの胸と口から流れ落ちる血は、大地に真っ赤な血溜まりを作りあげる。彼の血こそが術の力のみなもとであるかのように、地面に浮かび上がった複雑な呪術陣の模様へと血が流れていく。

 真っ赤に染まる、大地の方陣。


 どうやら、濃さを増していく瘴気は、この方陣の範囲内で発生しているようだ。


 そこでひとつ、気づく。

 バルトノワールがライゼンたちを使い、魔族の国で自由に暴れさせていた理由。それは、うらみやにくしみといったの要素を増やすためだったんだ!

 バトルノワールは、そうして生まれた負の要素を、何かしらの方法でこの場に集約させた。そうでもしない限り、上級魔族でもない者が簡単に瘴気なんて発生させられるわけがない。


 そして、もうひとつ。

 僕は、大地に広がった血の方陣と、バルトノワールが地面に突き立てた呪具のような長剣を見て、問いの答えを導き出す。


「やっぱり、貴方の術は呪術に由来するものなんだね?」

「ははは……。ご名答」


 バルトノワールは、胸に刺さったままだった白剣の刃に自ら手を伸ばすと、自力で引き抜く。

 これまで以上の血が吹き出し、バルトノワールは力なく地面に両膝りょうひざをつく。


「だがね……。これは呪術であり、禁術でもある。俺が生み出した、最高傑作さ……。もう、誰にも止められない。はははは。エルネア君、俺の勝ちだ」

「いいえ、貴方に勝ちをゆずる気なんてありません。マドリーヌ様!」


 僕の声に応え、マドリーヌ様が駆けつける。そしてすぐさま、バルトノワールに治癒の法術をかけ始めた。


「……やれやれ。俺を簡単には死なせないと言うのかい?」


 見ればわかる。

 胸の中心を貫かれたバルトノワールは、もはや瀕死ひんしの重傷を負っている。今さらマドリーヌ様が法術を施しても、わずかな延命にしかならないだろうね。

 もしくは、スレイグスタ老謹製の秘薬を使えば、一命は取り留められるかもしれない。だけど、助かるという選択肢は、バルトノワール自身がこばむはずだ。

 今こうして、マドリーヌ様の法術を素直に受け入れているのだって、死を遅らせているだけだと本人が最もよく理解しているからだ。


 だけど、僕はマドリーヌ様に治癒の法術をお願いした。


「このまま、大勢の者たちを巻き込んだ企みが達成されたという自己満足を抱えて死んでいくのは、卑怯ひきょうだよ!」


 瘴気の濃度が増していく。

 どす黒いもやが充満し始め、大地を汚染していく。

 生をむしばみ、負を拡散する瘴気。


 見れば、ユフィーリアとニーナとセフィーナさんとルイララは、ルイセイネが周囲に張り巡らせた結界内に避難していた。

 大魔族のシャルロットは、まだこの程度の瘴気は意に介すものでもないようで、平然としている。

 八大竜王のウォルと竜姫のミストラルも、自らの竜気で瘴気をはらっている。

 満身創痍まんしんそういの竜人族のルガだけが、瘴気に当てられて苦悶くもんしていた。


 バルトノワールが発動させたという禁術は、まだ発動初期だ。きっとこれから、更に恐ろしい状況へと変わっていくに違いない。

 そして、バルトノワールはこの禁術の結末を知っている。

 知っていて、もう何者にも止められないと確信しているからこそ、死を受け入れている。


 だけど、僕はそれを許したりはしない!


 自らの正義のために、自分の信じることのために手を汚すという選択肢は、必ずしも否定されるようなことじゃない。それくらい、僕だって知っている。

 でも、多くの者たちを巻き込み、不幸におとしいれたバルトノワールのくわだての先には、いま以上の惨劇さんげきしか待っていないと確信できる。そして、それを良しとするバルトノワールの禁術は、自己満足以外の何ものでもない!


 バルトノワールがやってきたこと、やろうとしていることを考えれば、自己満足にひたりながら命の灯火ともしびを消してもいいなんて、到底思えない。


 だから、僕は簡単にはバルトノワールを死なせたりなんかしない。

 彼の目の前で、この企みを阻止してみせる!


 バルトノワールは、あくまでも立ちはだかろうとする僕の意志を読み取ると、膝をついたまま笑みを浮かべた。

 そして、おもむろに言葉をつむぎ始める。


「俺に無くて、エルネア君が持っていたもの。それがなんだかわかるかい?」

「……さあ?」


 地表に充満していた瘴気は、今度は空を侵食し始める。

 上空で、レヴァリアが警戒の咆哮をあげた。

 古代種の竜族、ガフは地上の様子を見て、低く喉を鳴らす。

 ガフの双頭、そのひとつは、レヴァリアに噛み砕かれたのか、悲惨に潰れていた。


「俺は、エルネア君がうらやましい。君たちが、ねたましい。なぜ、俺だけが不老になったのか……。なぜ、妻は、仲間は、選ばれなかったのか……」


 ごふり、と血の塊を吐いたバルトノワールは、血溜まりに腰を落とす。

 マドリーヌ様の法術を受け続けているけど、流れる血の勢いが弱まっただけで、魂は刻一刻と刻まれ続けていた。


「ずっと昔のことさ。俺にはね、自慢の妻がいた。頼れる仲間や、信頼の置ける親友が大勢いたものさ。だが、今や俺はひとり……」

「ガフは? ルガやイステリシアたちは、仲間じゃなかったの?」

同志どうし、さ。それぞれに目的を持ち、利害関係の一致いっちつどったに過ぎないんだよ」

「そんなっ!?」


 たしかに、イステリシアもライゼンも魔剣使いもルガも、別々の方角を向いて進んでいたように思う。

 イステリシアは、生贄いけにえとしての生から逃げ出すために。

 ライゼンは、恐らくだけど快楽至上主義で、本能のままに。

 魔剣使いは、強者を求めて。

 ルガ・ドワンは、竜峰と竜人族に復讐ふくしゅうするために。

 各々おのおのの目的のためには、魔族の国が混乱に陥っていた方が都合が良い。そのためだけに彼らは集い、協力関係を持っていた。


 でも、それは仲間とは言わないの?


 僕の悲しい疑問をよそに、バルトノワールは血に濡れたくちびるから言葉を漏らす。


「妻は……。俺のであり、偉大いだいな呪術師だった。俺はあいつに多くのことを教わった。だが、どうだ。俺だけが不老として生きながらえ、あいつはあっけなく年老としおいて死んでしまったよ。……仲間たちもそうさ。俺と苦楽くらくを共にした者たちはみんな、死んじまった。それなのに……」


 なぜ、僕の家族は不老に選ばれた? と、バルトノワールは口にしなかった。

 だけど、バルトノワールの話を聞いていた者は、全員が理解していた。


「僕たちは……」

「ああ、言わなくても良いさ。わかっている」


 反論しようとした僕の言葉をさえぎる、バルトノワール。


「相対してみて、よく理解できた。エルネア君が選ばれたんじゃない。エルネア君とその家族の者たち全員が合わさったからこそ、選ばれたんだね?」

「そうだよ。僕ひとりの命じゃない。みんながいてくれての、僕なんだ」


 もしも、僕だけが不老として選ばれていたら。

 僕は躊躇ためらいなく拒否していた。


 でも、バルトノワールは違った。

 ひとりだけで選ばれて、そして、受け入れた。

 それなのに、今さら後悔こうかいするだなんて。


「最初はね。俺も他の者たちも浮かれていたのさ。超越者ちょうえつしゃの仲間入りだとね。だが……。現実の残酷ざんこくさに気づいたときには、もう遅かったのさ」


 バルトノワールは、僕を通り越してどこか遠くを見るような瞳をしていた。


「もちろん、誰もが努力をしたさ。俺がなれたんだ。妻や他の奴らも、高みを目指さないわけがない。だがね、現実は非情さ……」


 瘴気によって、世界が汚染されていく。バルトノワールの禁術が完成していく。なのに、僕はバルトノワールの独白どくはくに耳を傾け続けた。


 聞きたかった。

 聞いておきたかった。

 先達せんたつの者の、後悔の言葉。

 無念の過去。

 僕たちは、知っておかなきゃいけない。

 今、バルトノワールから聞いておかないと、きっと将来に後悔する。


「俺は、妻と共に呪術の極みを求め続けた。彼女は、本当に天才でね。俺などよりもよっぽど優れた術者であり、師でもあった」


 自分より優秀な者が目の前にいるというのに、なぜ妻は不老に選ばれないのか。

 いくつもの新たな呪術を生み出し、多くの冒険を繰り広げた。

 だけど、それでもバルトノワール以外の者は選ばれなかった。


 そして、仲間たちは寿命を迎え、次々とバルトノワールのかたわらから消えていった。

 最愛の妻もまた、とうとう不老の命を授かることなく、老衰ろうすいで亡くなった。


「それでも、俺は生きている。老いることなくね……。もちろん、その後も仲間と呼べる者や友人はできたさ。だがね……。そのたびに、失っていった。そうしているうちに、もう俺の傍には誰もいなくなってしまったのさ」


 やはり、バルトノワールの瞳には、今も戦う竜人族のルガや古代種の竜族であるガフは、仲間として映っていないようだ。


「超越者たちは、自由に生きろと言う。だがね、自由の先には、なにもりはしない……。だから、決めたのさ」


 なにを、と問い返す僕。


「この、永遠に続くむなしい世界に、最後に俺たちの生きざまを刻もうとね」

「それが、この禁術だとでも言うの?」

「ああ、そうさ……」


 にやり、とバルトノワールはひげの奥で弱々しく笑みを浮かべた。


「エルネア君、知っているかい? 始祖族しそぞくがどうやって誕生するのかを」

「それは。大きな戦乱や疫病えきびょう蔓延まんえんによってたままった瘴気が、長い歳月をかけて一点に集まって、それが凝縮ぎょうしゅくしたら……」

「そうさ。では、瘴気が長い歳月で自然に集まるのではなく、人工的に集められたらどうだろうね? しかも、かくとなる要素を意図的いとてきに準備し、思い通りの始祖族を生ませられたら……?」

「ま、まさか!?」

「その、まさかさ。妻が基礎きそを築き、俺がようやく完成させた……。これは、至高の呪術。人族のいきえた、世界の秩序ちつじょを狂わせる禁術きんじゅつさ」


 そのとき。

 空から、巨大な影が落ちてきた。


 頭部のひとつを潰された、虹竜にじりゅうのガフだ。

 ガフは翼をレヴァリアに焼かれ、瀕死ひんしの状態で地表に激突した。


「お、おのれ……!」


 血に濡れた牙をき出しにし、憎々しげに空を見上げるガフ。

 瘴気に汚染されていく空では、紅蓮色ぐれんいろに輝くレヴァリアが炎を吐きながら、勝鬨かちどきの咆哮を荒々しくあげていた。


「くそっ。……くそっ、くそがぁぁっっ!」


 竜人族のルガが、怒り狂ったように叫ぶ。

 ルガは右腕を切り落とされ、人竜化を維持するだけの竜気も切れたのか、ふらふらになりながら逃げる。


「ルガ、観念しろ! ……くっ!」


 とどめを刺そうと、ウォルがルガに斬りかかった。そこへ、地上に落ちたガフから攻撃を受けて、ウォルは大きく跳躍して回避する。


「力を……。力を、よこしやがれ!」


 およんでも力を求めるルガの瞳に、瀕死になった虹竜ガフの姿が映る。


「飛竜ごときに……。我は、役目を欲したのだ。役目を受け持ち、竜神様りゅうじんさまのために……」


 古代種の竜族は、成竜せいりゅうになると何かしらの役目を受け持つという。

 陰陽竜おんみょうりゅうのスレイグスタ老は、霊樹と竜の森を守護するという役目。黒竜のリリィは、いずれスレイグスタ老の役目を引き継ぐ。

 雪竜のニーミアだって、将来はアシェルさんからいにしえみやこを守護するという役目を引き継ぐ。


 では、そうした役目からこぼれた古代種の竜族は、どうなるんだろう?


 恐らくだけど。

 ガフは、バルトノワールに協力することによって、己の力を誇示こじしたかったんじゃないかな?

 役目をになえる実力を持っていると、世界に証明したかったんだ。


 だけど、その夢は、レヴァリアとライラによってはばまれた。


「……良かろう。このまま無様ぶざまな死を迎えるくらいであれば、バルトノワールの思惑おもわくに乗ってやろう」


 そして、虹竜のガフは、バルトノワールの思惑に気づいていたのにも関わらず、その企みに乗る。


「同族を憎悪ぞうおし、力を求める竜人族よ。受け取るがいい、我が竜宝玉りゅうほうぎょくを!」


 しまった、とウォルが動く。だけど、瀕死とはいえ、そう易々と古代種の竜族には近づけない。

 そうしている間にも、虹竜ガフが光に包まれ始めた。


「早く、よこせ!」

「ごふっ」


 そこへ、容赦なくルガが左腕を伸ばす。

 ルガの左腕が、ガフの胸元を貫く。


「わかっているだろうな? この場で、我が竜宝玉を受け取るという意味を?」

「奴らを、竜王を超える力が手に入るのであれば、バルトノワールの企みに喜んで乗ってやる!」


 ずぶり、とガフの胸元から引き抜かれたガフの左手には、虹色に輝く人の頭ほどの大きさの宝玉が握られていた。


「バルトノワールよ、我はお前のことを……」


 ルガの手にした虹色の宝玉へと、存在の全てを溶け込ませるように。何かを言いかけたガフは、しかばねを残すことなく、その巨大な身体をこの世界から消し去った。


「がああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」


 虹竜ガフがのこした想いの結晶けっしょう、竜宝玉を身体に取り込んだルガが、喉の奥底から叫ぶ。と、同時だった。

 廃墟を包むように描き出された呪術の方陣内に濃く充満していた瘴気が、ルガに吸い込まれていく。


 それだけじゃない。


九魔将きゅうましょうの呪われた武具よ、今こそめ込んだ力を解き放て!」


 すでに死に体だと思っていたバルトノワールが、最後の呪術を発動させた。


 所有者を失い、方陣内に落ちていた大罪たいざい大杖おおつえ、九魔将の全身鎧ぜんしんよろい神殺かみごろしの長剣ちょうけん大鬼たいきつめ。それらの周りにも、新たな呪術方陣が出現する。

 そして、あろうことか九魔将の武具を粉々に打ち砕いた。


 ユフィーリアとニーナの大竜術や、セフィーナさんの必殺技でさえ壊れなかった九魔将の武具は、バルトノワールの呪術によって跡形もなく消滅する。


 いや、違う!


 これこそが、九魔将の武具に秘められた、呪われた力なんだ!


 大罪の大杖に喰われた者たちの呪怨じゅおん

 大鬼の爪に込められた、憎悪ぞうお

 九魔将の全身鎧が吸い取った、所有者の魔力と魂。

 それらが、うつわを壊されたことによって世界に解き放たれた。


 世界を呪う負の力はより濃い瘴気になり、そして、竜人族のルガへとそそぎ込まれていく。


「…………っっっ!」


 瘴気の中心で、声にならない叫びをあげ続けるルガ。

 徐々に、輪郭りんかく変貌へんぼうしだす。

 身体は巨大化し始め、吸収した瘴気に変わって禍々まがまがしい気配を放ち始める。


「なぜ、矮小わいしょうな竜人族ごときに気をかけているのかと思っていましたが。こういうことだったのですね?」


 シャルロットとミストラルの戦いは、中断されていた。

 今は、そんな場合ではない。


「良いのかい? このままこの場にとどまっていたら、君たちも瘴気に飲み込まれて、誕生する始祖族の魂のかてにされてしまうよ?」


 試すように、僕に問いかけるバルトノワール。

 僕は、マドリーヌ様の法術によって命を引き延ばしているバルトノワールに向かって「愚問ぐもんだね」と言い返す。

 そして、白剣と霊樹の木刀を握り直した。

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