絶体絶命

「ミストラル!」

「こちらは大丈夫だから! エルネア、貴方は自分の使命をまっとうしなさい」


 シャルロットの容赦ようしゃない魔法を回避したミストラルは、僕に向かって微笑む。

 強がりな笑みだということは誰でもわかる。

 でも、だからこそ、僕はミストラルから視線を外して、ルガに向き直る。


 僕の使命。それは、バルトノワールの禁術を打ち砕き、世界に平穏を取り戻すこと。

 このままルガを放置して僕たちが逃げ出したら、魔族の社会だけでなく世界全体に悪影響が出てしまう。


 きっと、ここで僕たちが手を出さなくても、魔女さんや他の超越者によって、そうした脅威きょういはいずれ世界から取り除かれるんだと思う。だけど、同じ選ばれし者が起こした騒動に関わり、禁術をたりにしておきながら他人任せでいるだなんて、僕にはできない!


「ミストさんも頑張られていますし、わたくしたちも気を引き締めませんとね」

「本気を出すわ。覚悟することね」

「全力を出すわ。諦めることね」

「十分に休憩できたわ。さあ、準備はいいからしら?」

「レヴァリア様のかたきは、このライラが取ってみせますわ!」

『死んでないわっ!』

「はわわっ、違うのですわ。レヴァリア様はもう少しお休みくださいませっ」

『いらぬ世話だ。貧弱ひんじゃくなエルネアをかばってやったおかげで、無駄な傷を負った。この傷の借りを返すのは、我自身だ。竜人族ごときが、調子にのるなよ?』


 ルイセイネは、みんなが戦いやすいように浄化の法術を広範囲に展開する。

 瘴気が薄まり、結界の外でも動けるようになったユフィーリアとニーナは、竜奉剣を手にして駆け出す。

 未だに思うように動けない僕からルガの意識を奪うように、セフィーナさんが挑発する。

 スレイグスタ老の秘薬を塗ってもらったレヴァリアは、荒々しい咆哮をあげると、ライラを乗せて空に舞い戻った。


「みんな……!」


 知っている。

 みんなも、これまでの戦いで疲弊ひへいしきっていて、もう一度強敵と戦うなんて余裕はどこにもない。

 それなのに、誰も逃げようなんて言わない。それどころか、絶望の存在となったルガに対し、果敢かかんに挑もうとしている。


「ありがとう」


 自分の置かれている立場を忘れ、僕はついみんなに感謝の言葉を漏らした。


「何を今更だよね。エルネア君や奥さんたちはいつも僕に対してひどいけど、それ以上に面白い。だから、僕は君たちが大好きなんだ」

「うわっ、僕はルイララに好かれたくないなぁ?」

「ああ、やっぱりエルネア君はいつだって酷いよね」


 ルガの放った不可視の呪術を振り払えずに苦悶くもんする僕のかたわらへ、ルイララが呑気のんきに歩いてきた。そして、肩をすくめて僕をあきれたように見下ろす。


「それで、いつまでそうしている気なのかな? なんなら、僕もシャルロット様のように君に襲いかかった方がいいかい?」

「いやいや、それだけはご勘弁かんべんを!」


 ルイララなら、やりかねない。


「巨大化したルガと剣舞は舞えないよね? そうすると、竜剣舞の相手が必要じゃないかな?」


 なんて言いながら、笑顔で僕に斬りかかってくるのが、魔族のルイララだ。

 そんなことにならないように、僕は気合を入れ直す。


 ええい、この程度の術なんて、今さら僕に通用するもんか!


 内包する竜宝玉が、僕の意志に反応して荒ぶる。


『出し惜しみはなしだ、エルネアよ』


 同化したアレスさんから、反撃の意思が伝わってきた。


「はああぁぁぁっっ!!」


 気合とともに、竜脈から力を汲みあげる。

 竜脈へと加減なく意識を伸ばした僕に反応して、地表から力があふれ出す。


 禁術によって、無限に発生してはルガへと吸収されていく瘴気。

 竜脈から溢れ出した、せいの力。

 だけど、禁術による影響力の方が局所的に優っているのか、僕の意思に呼応して溢れる力は、たちまち瘴気に汚染されてにごっていく。


「そんなっ!?」

「ははは……。無駄さ。大罪の大杖に込められていた呪いは、全てを喰らい尽くす。たとえ君が生み出した清浄せいじょうの力だろうとね」

「むきぃっ、貴方は黙ってエルネア君の活躍を見届ければいいのです!」


 バルトノワールは、禁術とそれによって再誕したルガに、絶対の自信があるようだ。

 僕なんかには止められない。間違いなく、そう確信している。


雑魚ざこどもが、ぶんぶんと目障めざわりだ!」

「セフィーナさん、気をつけてください!」


 ルガが吠える。

 腕を振り、挑発するセフィーナさんへ向けて魔法を放つ。


「くうっ!」


 魔法そのものは回避できた。だけど、余波だけで、セフィーナさんが吹き飛ばされる。

 竜眼りゅうがんによるルイセイネの先読みも、魔法には反応できない。ルガの動きはわかっても、どんな魔法が放たれるかまではわからないようだ。


 吹き飛ばされたセフィーナさんへ、ルガが竜術を放つ。

 ただの、竜気の塊。でも、それがどれだけの威力を持っているのか、ルイセイネに指摘される必要もなく全員が理解していた。


「手間のかかる妹だわ」

「尻拭いが必要だわ」


 そこへ、竜奉剣を黄金色に輝かせたユフィーリアとニーナが割って入った。

 そして、二本の竜奉剣を重ね合わせ、ルガの竜術を迎え撃つ。


「ユフィと」

「ニーナの」

「「きゃああぁぁっっっっ!」」


 突然、悶絶もんぜつし始める双子の姉妹。

 顔面蒼白になり、身体をくの字に折って倒れ込む。


 ルガの呪術だ!


 セフィーナさんをかばおうとしたユフィーリアとニーナ。三姉妹を巻き込み、ルガの竜術が爆発した!


「……っ!!?」


 全身を押し潰しそうな深い呪いを振り払えず、身動きの取れない僕は、なにもできずに絶句ぜっくする。


 ユフィーリアが!

 ニーナが!

 セフィーナさんが!


 大爆発により、衝撃波が世界にどこまでも広がっていく。

 土煙が上空高くにまで立ち昇る。


「これ以上、動くことを禁じますわっ!」


 空で、ライラが叫ぶ。

 レヴァリアと共に急降下し、強襲する。


 ライラは、虹竜のガフが遺した竜宝玉を通して、ルガの動きを封じようとした。だけど、ルガは身体を動かすまでもないとばかりに、にやりと残忍な笑みを浮かべる。

 にたり、とルガの両肩に開いた真っ赤な口が動いた。

 レヴァリアとライラに向かい、血のように赤く不気味に光る口腔こうくう


 それだけで、レヴァリアが苦悶に顔をゆがませた。

 ライラの顔から生気が抜け落ち、顔面蒼白になる。

 そこへ更に、ルガから追い討ちがかかる。全身に浮かび上がる漆黒の鱗から、数え切れないほどの光線が放たれた。


『ちいぃぃっっ!』


 迫る魔法の光線から、必死に逃げるレヴァリア。だけど、無数に放たれた光線の全てからは逃げ切れない。

 何条かの光線が、レヴァリアの身体や翼を貫く。


 力を失い、落下するレヴァリア。

 口からは、炎ではなくて血を吐いていた。


「先程は、随分と小癪こしゃくな動きを見せてくれたな?」


 ルガは、落ち行くレヴァリアから地上のルイセイネへと殺意を移す。


 次の瞬間。


 竜眼でさえ反応できないほどの速度で、ルガがルイセイネの正面に移動していた。

 そして、頭上高くから凶悪な腕を振り下ろす。ルガの竜の手の先端には、禍々まがまがしく光る長い爪が!


「っ!!!」


 みんなの危機に対して何もできない僕は、自分の不甲斐なさに叫んでいた。


 みんなが!

 僕の大切な、みんなが!!


 ルガは、動けない僕にまるで見せつけるかのように、みんなを襲う。

 絶望が、怒りが、憎悪が、僕の心を侵食しんしょくしていく。

 そして、僕の生み出す負の感情もまた、ルガによって喰われていく。


 憎しみのこもった瞳で、ルガを睨む僕。


「絶対に、絶対に許さない!」


 僕は、ルガを許さない。

 みんなの危機に動けなかった僕自身を、絶対に許さない!


 竜気が暴走し始める。

 アレスさんが、霊樹が、僕の怒りに反応して荒ぶっていく。


 その時だった。


「ふう、ちょっと邪魔でございますよ?」


 土煙が晴れた先に、金色に輝く影があった。


「た、助かったわ……」

「た、助けられたわ……」

「まさか、私たちを救ってくれた?」


 そして、ほうけたように尻餅しりもちをつく三姉妹の無事な姿が。


「救ったと言いますか。たまたま、ミストさんの凶悪な攻撃を回避したわたくしが移動した先に、竜魔人からの攻撃が飛んできただけですが?」


 三人の側で、ふふふ、と微笑むのはシャルロットだった。


「やれやれ、地表でこの姿にはあまりなりたくないんだけどね?」


 別の場所では、ルガをも軽く上回る超巨大な人魚にんぎょが、落下したレヴァリアとライラを受け止めていた。

 人魚の周りには、いつのまにかいずみが生まれている。

 人魚こそはルイララの正体であり、泉はルイララの魔法だ。

 ルイララは、巨大な身体がルガのまとにならないように、レヴァリアとライラを抱きかかえたまま泉へと潜る。


「こうなってしまった以上、俺にはこれくらいしかできないようです。許してほしい」

「あらあらまあまあ、謝罪するのはわたくしの方ですよ?」


 ルイセイネも、無事だった。

 間一髪かんいっぱつ。ウォルがルイセイネを捕まえて、ルガの凶悪な爪から救ってくれた。

 ただし、余波でウォルは傷を負ったらしく、ルガから大きく距離をとったところで力なうずくまる。

 ルイセイネが急いで回復法術を唱えだした。


「エルネア」

「……ミストラル」


 そして、僕の傍には人竜化したままのミストラルが。


「大丈夫よ。わたしたちは、貴方をひとりになんかしていなくなったりはしないわ。だから、貴方は貴方らしく、自然なままで。ね?」


 優しい笑顔だった。

 負の感情に染まりかけていた心が、洗われていく。


 僕が至らないばかりに、みんなが危険な目にってしまった。

 だけど、仲間たちの手によって、救われた。

 まあ、シャルロットはちょっと違うけど。


 正直に言うと、シャルロットやルイララやウォルの動きが僕には見えていた。でも、大切な人たちの危機に自分が動けなかったという罪悪感と不甲斐なさが心を締め付けていた。

 そんなにごった僕の心なんて、ミストラルにはお見通しなのかな?

 ミストラルの微笑みはいつも通りで、だからこそ僕の心は晴れていく。


 僕は心をしずめるように、深く呼吸をする。

 瘴気が充満する世界だけど、なぜか新鮮な空気が僕の胸を満たす。

 ミストラルが傍に立ってくれているからかな?


 見渡すと、ルガに命を奪われかけたというのに、みんなの表情には微塵みじんの恐怖も後悔もなかった。

 それどころか、僕に何かを期待するような瞳を投げかけている。


 ああ、そうか。と理解する。

 バルトノワールに無くて、僕にあるもの。

 バルトノワールがうらやみ、僕が享受きょうじゅするもの。

 それは、みんなとのきずな。みんなとのつながり。みんなとの信頼と愛情。


 僕が手にすべきものは、怒りや憎しみではない。

 ミストラルの言う僕の自然体って、こんな負の産物からくるものなんかじゃない。そんなものを手に戦っていたら、勝てるものも勝てなくなっちゃうよね。


 僕は僕らしくルガを打ち破り、バルトノワールのたくらみを阻止してみせる。

 いつのまにか気負っていた余計な力が抜けていく。そうすると、なぜか全身をむしばむ呪いが軽くなったような気がした。


「さあ、いくわよ?」

「うん、任せて!」


 僕は今度こそ立ち上がると、白剣と霊樹の木刀を構え直す。

 ミストラルも、漆黒の片手棍を握る。


「みんな、もう少しだけ、頑張ろうね!」


 僕だけが頑張るんじゃない。みんなにだけ頑張ってもらうのでもない。

 僕たち全員で頑張って、前に進むんだ!


 竜剣舞を舞う。


 心を鎮め、世界に意識を溶け込ませていく。

 ルガを打ち破るために、特別なことをするわけじゃない。ただ自然に、いつものように、全身全霊をかけて竜剣舞を舞うだけだ!


 世界が色を変える。

 肉眼で見える世界に重なるように、精霊の世界が視界に広がっていく。


 こうしてると、よくわかる。

 精霊の世界もまた、ルガの存在と禁術の影響を強く受けていた。


 炎の精霊が逃げまどう。だけど、逃げているうちに真っ赤な身体は黒く染まり、最後にはすすになってルガに喰われる。

 水の精霊が、ルイララの生み出した泉に逃げ込もうとする。でも、到達する前に全身をにごらせて、ルガに吸収されてしまう。

 大地の精霊はくさり果て、風の精霊はよどんでいく。

 それだけじゃない。精霊たちが変色して喰われていくように、精霊の世界にも汚染は広がっていく。


 ルガが動くと、色鮮やかだった周囲の景色は闇の精霊よりも黒くなり、汚く塗りつぶされていく。光は届かず、幾重いくえにも重なった世界をどす黒く濁った色が侵食していく。


 精霊たちが悲鳴をあげていた。

 世界が壊されていく。自分たちも、喰われてしまう。


 そんな、逃げ惑う精霊たちに、僕は声をかけた。


「みんな、僕に協力してほしいんだ。みんなで、世界を守ろう!」

『でも、危険よ!』

『貴方だって、きっと助からないわ』

『無理だ、絶対に勝てるものか』


 精霊たちは、逃げ回りながら悲観的なことばかりを口にする。

 どうやら、精霊たちは僕たちと違って、簡単にはこの土地から移動できないみたいだ。禁領に移住した精霊たちも、耳長族の補佐ほさがあってようやく移住できたくらいだし、住んでいる場所への縛りが強いのかもしれない。


 逃げ回りながら、それでも逃げる先なんてどこにもない精霊たちに、僕はもう一度声をかける。


「大丈夫だよ。僕たちが協力し合えば、絶対に助かるから!」

『本当に?』

『嘘じゃない?』

わらわが一緒なのだ、嘘であるはずがなかろう? 臆病者おくびょうものは、絶望のまま逃げ、喰らわれればいい。だが、妾とエルネアに従えば、必ず助けてみせる』


 霊樹の精霊であるアレスさんの後押しにより、精霊たちのなかにも徐々に希望が広がり始める。


「それじゃあ、みんなで手を取り合って!」

『者ども、精霊の底力を見せてやれ」

「それじゃあ、これから僕と一緒に楽しく踊ろう!」


 精霊たちを巻き込んだ竜剣舞の一幕が、ここに開かれた。

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