人族と神殿宗教

 かりかり、とニーミアが扉を掻く。

 すると、扉の両脇に控えていた神官様がうやうやしく扉を開いてくれた。


 ええっと……


 扉が開ききると、ニーミアは躊躇ためらうことなく奥へと足を入れる。

 僕とミストラルとライラは顔を引きつらせつつも、ニーミアの後を追って廊下から建物の中へと入った。


 ライラが監禁されていた部屋を抜け出した後。次に僕たちが足を踏み入れた建物は、王城の敷地内の一画だった。

 ここは、お城を取り囲む幾つもの建物のひとつで、ここだけは衛兵ではなく神官様や巫女様が警備をしていた。

 外観は他の建物と様式が統一されて特別な感じはしないけど、入ってみれば別世界。


 この建物は、王城敷地内にある小神殿だった。


 入って最初の空間は礼拝堂。広めの空間は壁などの仕切りがなく、ある程度の人を収容できる許容がある。

 柱や床は石造りで、細かい彫刻が施されている。小神殿といっても王城の一部。控えめだけど美しい装飾や彫刻が至る所に施されていた。そして天井は吹き抜けになっていて、奥に祭壇が設けられていた。


 ここは、王城勤務の人たちが利用する神殿なのかな。なんて気を緩めて建物を観察する場面じゃない。

 小神殿に入った僕たちの前には、三人の巫女様が控えていた。


「どうぞこちらへ」


 巫女様に先導されて、礼拝堂の奥へと進む。

 なぜかニーミアが先頭で、次に三人の巫女様。その後ろを僕たちが困惑しながらついて行く。


 ええっと、何ですかこれは?

 思いもしない状況に、僕たちはお互いの顔を見やって首を傾げた。






 ライラと合流した後。次に双子王女様の場所へ行くかルイセイネの場所に行くか、ミストラルに問われた。


「まずはルイセイネだね」


 即答する僕。


「あら、意外。てっきりユフィとニーナのところに行って、彼女たちの権力を利用するのかと思ったけど」


 なるほど。ミストラルは双子王女様を手っ取り早く取り込み、二人のアームアード王国王女という立場を利用して切り抜ける方法を思いえがいたんだ。


 でも残念。違うんです。


「たしかに双子王女の権力は魅力的だけど、実はもっと良い方法があるんだ」

「良い方法? それがルイセイネと先に合流する理由なの?」


 ミストラルは首を傾げた。


 竜人族のミストラルには、ちょっと想像がつかないような方法かな。ミストラルも、ルイセイネから色々と人族の風習などを教わっているけど、人族と同じような思考は無理だよね。それは仕方がない。そして、だからこそ思いつけなかった。


「ルイセイネは巫女様なんだ」


 正確には戦巫女だけど、こういう場合は、一般的には戦巫女も普通の巫女もひっくるめて「巫女」と言う。


「人族には、権力よりも信仰の方が影響力がある場合があるんだよ」


 僕の微笑みに、ミストラルはそれでもわからないと首を傾げて、質問するような視線を向けた。


「学校で真っ先に習うことがあるんだ。それは、何か問題に巻き込まれたら神殿を頼りなさい、ということ」


 座学を一緒に受けていた巫女のキーリ、イネア、ルイセイネは苦笑していたけど、教師の言葉に僕たち生徒は大きく頷いた。


 大きな問題、小さな問題。生きていればいろんな問題に直面する。場合によっては脅されたり、権力を振りかざされたり、理不尽な問題に巻き込まれることもある。


 中庭での一件のようにね。


 そして、そういった手に負えないような問題に巻き込まれたとき。最も身近で頼りになるのが神殿と聖職者の人たちだった。


 宗教、巫女様、もしくは神官様。これは他種族が思っている以上に、人族には強い影響力を及ぼす。

 それは、時と場合によっては王様なんかよりも遥かに強く。


 聖職者の方々は、創造の女神様に仕える崇高すうこうな存在なんだ。そして僕たち人族は、女神様と同じくらい聖職者の方々をうやまう。


 よく例えで言われるのは、どんなに恐ろしい殺人鬼でも、けっして聖職者を手にかけることはない。どんなにずる賢い詐欺師も、神殿を欺くようなことはしない。そう表現される。


 そして、何か問題に巻き込まれた場合。これほど絶大的に敬われている聖職者を間に挟めば、相手もまともに対応せざるを得なくなる。ということから、何かあれば神殿へ。という教えになっていた。


 ちなみに、神殿側にそういった問題を取り扱う部門があるわけではないので、あくまでも神殿側の好意という扱いになるらしい。


「だけど、中庭ではルイセイネの言葉は軽んじられたわ」

「そうだね。それどころか双子王女の言葉も影響力を及ぼさなかったね」


 あの状況は仕方ないと思う。


 グレイヴ王子も宰相様も、僕たちを捕まえることに固執こしつしていたように思える。野次馬は多くいたけど、誰もが場の雰囲気に飲まれて、こちら側の言葉に耳を傾ける様子はなかった。彼らにとっては、何者か得体の知れない僕たちよりも、王子や宰相の言葉の方が正しいと信じて疑わない雰囲気だった。巫女の言葉も王女の言葉も届かない状況では、もうなにも通じない。そんな状況で、あの場で話し合いなんて到底無理だと判断したからこそ、一旦捕まって様子を見ることにしたんだ。


 もちろん、捕まる際にはみんなの身の安全を考えて、唯一不安だったライラにはニーミアという保険をかけていたんだよ。


 まぁ、捕まっても尋問なんてなくて、無為に捕らえられているだけと後からわかったから、抜け出してきたんだけど。


「中庭では、たしかにルイセイネの影響はなかったね。だけど、いまなら少しは違うと思うよ」

「と言うと?」

「もう一度言うけど、ルイセイネは巫女様なんだ。巫女、聖職者は例え王様でもおろそかにすることはできないし、裁くことは絶対にできないんだよ」


 聖職者を国が裁くことはできない。何かしらで聖職者が問題を起こした場合、それを裁けるのは同じ聖職者だけ。


 ありえないように感じるけど、常日頃から清廉潔白せいれんけっぱくであり、人族から敬われる存在だからこそ認められた特殊な立場と権利なんだ。


「それで、僕たちはさっき捕まったけど、ルイセイネは巫女様だったから牢屋には囚われなかったんだよね」


 それじゃあ、どこに? というミストラルの質問に答えた。


「巫女のルイセイネは、衛兵が捕らえることはできない。だとしたら、同じ聖職者によって捕まっている、もしくは保護されているはずなんだ」


 聖職者は聖職者のもとへ。そしてここが王城なら、それなりの立場の聖職者が詰めているはず。ルイセイネは必ずそこに居る。


 中庭では騒動の渦中で黙殺されたルイセイネの言葉だけど、一旦騒ぎが収まり、この国のそれなりの立場の聖職者と合わせた言葉なら、さすがのお偉い様も耳を傾けるしかないに違いない。

 ルイセイネと次に合流することを選んだのは、つまり仲介役に神殿を取り込もうという僕の思惑からだった。


 神殿の仲裁のもとに双子王女様への嫌疑と指名手配を撤回してもらう。そして、疑いの晴れた状態で王様への面会などを申し出る計画だった。


「そう。それなら、どうにかして神殿の人をこちらの味方に引き込まないといけないわね」

「うん。それは僕の役目だと思ってるから、頑張るよ」






 ということで、ニーミアの先導のもと小神殿へとやって来たんですが。


 なぜでしょう。ここまで来る間は気配を消し、ニーミアの術で衛兵の巡回や王城に勤めている人の目をあざむいて来たというのに。


 小神殿に着くや否や、ニーミアは堂々と扉を掻くし、警備の神官様や礼拝堂の巫女様は僕たちを認識して導いています。


 どういうこと?


 もしかして、聖職者にはニーミアの術が効かない? でもそれなら、友好的に導かれずに、騒ぎになっていそうなんだけど。


 あまりにも堂々と先頭を歩くニーミアに釣られて、僕たちは続く。そして礼拝堂脇の扉を潜り、案内されたのはおごそかな両開きの扉の前だった。


 かりかり。


 ニーミアが相変わらず扉を掻く。

 すると、同行していた三人の巫女様が扉を外側へと開いてくれた。


 優しい花の香りに満たされたお部屋。

 四方を石壁に囲まれていて閉鎖的な感じがするけど、棚や暖炉、そして机などに飾られた色鮮やかな生花が、無機質な部屋に生命の美しさを感じさせている。


 そして部屋の奥。壁沿いに置かれた長椅子には、ルイセイネとひとりの女性が腰かけていた。


「んんっと、おかえりっ」


 扉を潜り、部屋に入った直後。プリシアちゃんが飛びついてきた。というか空間跳躍で飛んで来た!


 んなっ!?


 僕の胸に飛び込んできたプリシアちゃんの口周りはお菓子で汚れていて、それを擦り付けるように僕の胸の中に顔を埋める。服が汚れちゃう。という心配事は些細なものです。


 よほど嬉しいのか、プリシアちゃんは垂れた長い耳をひくひくと動かして愛らしく喜びを表す。


 なななっ!?


 プリシアちゃんの動きと姿に、僕だけじゃなくてミストラルとライラも息を呑んだ。


 プリシアちゃんが耳長族というのは、秘密なはずなのに!


「お帰りなさい、ではないですね。エルネア君がここへ来てくれるのを待っていました」


 部屋に入ってきた僕たちの動揺なんて御構いなしに、ルイセイネが長椅子から立ち上がって微笑む。


「ルイセイネ、これはどういうことかしら?」


 ミストラルがプリシアちゃんを見ながら、少し問い詰める口調で言う。

 だけどルイセイネは微笑んだまま返す。


「ニーミアちゃんを動かしている時点で、エルネア君はいずれここへ来てくれるだろうなと思っていました。来てくれなかったら、こちらから伺うところでしたけど」

「ルイセイネ、答えになっていないわ」

「あらあらまあまあ、ごめんなさい」


 ふふふ、と尚も微笑むルイセイネ。


「エルネア君は、なぜここへ来てくれたのでしょう?」

「それはもちろん、ルイセイネと合流するためだよ」

「合流するだけですか?」

「ううん。合流して、一緒に居るだろうこの国の聖職者の方を味方に取り込むためかな」

「ふふふ、やっぱり。学校で習いましたものね、何か問題に巻き込まれたら、神殿を頼りなさいと」

「うん。ルイセイネも覚えていたんだね」

「はい、もちろん」


 僕とルイセイネが会話をしていると、彼女の傍に座っていた女性が立ち上がった。


 若い。とは言っても、僕よりも年上かな。ミストラルよりも上、だけど双子王女様よりかは下かな。

 黒絹のような長く美しい髪。整った顔立ちは少女の幼さが抜け、成熟した女性へと変化している途中の不思議で魅惑的な雰囲気がある。身長は隣に立つルイセイネよりも少し低いくらい。美人さんです。


 ちらり、と立ち上がった女性に視線を向けた。


「エルネア君なら学校で習ったことを素直に実行すると確信していました」

「よくおわかりで」

「それで。それならエルネア君を待つよりも、わたくしが動いた方が早いと思いまして」


 言ってルイセイネは、立ち上がった女性を紹介してくれた。


「こちらは、ヨルテニトス王国大神殿の巫女頭みこがしら様です」

「巫女頭のマドリーヌです。竜王エルネア様、竜姫のミストラル様。そしてライラ様、お初にお目にかかります」

「えええぇぇっっ!」


 巫女らしい礼儀作法でお辞儀をしたマドリーヌ様に、僕は盛大に驚いてしまう。


「な、ななな、なんで巫女頭様がここに!?」


 巫女頭様といえば、その国で一番偉い巫女様ですよ!


 なんで巫女頭様がここに居るんですか。そしてなぜ、僕やミストラルの名前だけでなく称号も知っているんですか。


 驚愕する僕をよそに、ルイセイネは話を続ける。


「エルネア君は神殿を味方につけたかった。でしたら、それをわたくしが代行することは何の問題でもないですよね。そして、味方に引き込むのであれば、隠し事はしない方が良いと判断したので」

「むしろ同じ聖職者から依頼された方が、こちらとしては思う存分に干渉できますから。おほほほ」


 ……気のせいでしょうか、巫女頭様とは思えない発言を聞いたような。


 確かに、いま抱えている問題の仲裁に神殿を挟もうとは目論んでいたけどね。

 神殿側は、仲裁や立会いといった形で問題に干渉する場合は、あくまでも中立を保とうとする。

 だけど、やる気満々の巫女頭様の笑みに、僕は今度は顔を引きつらせた。


「つまり、完全な味方に引き込むために、わたしたちの正体を教えて、プリシアやニーミアのことも伝えたのね?」

「はい、駄目だったでしょうか」


 ミストラルの質問に、ここでようやく不安な顔になるルイセイネ。


「ううん、むしろ感謝しているよ。ありがとうね、ルイセイネ」

「ふふふ、どういたしまして」


 どうやら僕たちが来る前に、すでにルイセイネが神殿側を完全に味方につけていたみたい。だから神官様や巫女様は僕たちを躊躇いもなく通してくれたんだね。


 んん、待てよ。


 来た時点でニーミアは術を解き、僕たちは認識されていた。見張りの神官様や巫女様と視線が合ったからね。


 ということは、ニーミアはここへ来る前に、すでにルイセイネが神殿側を取り込んでいることを知っていたんだね!


「にぁあ」


 ニーミアはご褒美とばかりに机の上のお菓子に舌鼓を打っていた。

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