封鎖網の先に

 最初に動いたのは、アルフさんだった。


『神速をたっとぶ』


 力ある言葉を吐くと、帝尊府の女性へ向けて一直線に突撃する。そして、真正面から鋭い斬撃を放つ。


「未熟ね!」


 女性は、アルフさんの正攻法な攻撃を余裕な反応で受け止める。だけど、視界いっぱいに肉薄したアルフさんの顔を見て、違和感に眉根を寄せた。

 にやり、とアルフさんが悪い笑みを浮かべていた。

 直後。女性の背後に神速で回り込んだのは、アミラさん。


 アルフさんが放つの神術は、いかなる時もアミラさんのためだ。

 アルフさんは、自身へではなくアミラさんへ身体強化の神術を施すと、自分はおとりとなって女性へ突っ込んだ。そして視線を奪い、アミラさんの動きを補佐したんだ!

 アミラさんも、何も言われなくても兄の考えと動きを正確に読み取って動く。


 アミラさんは気合いの発声もなく、残像も残さないほどの剣戟けんげきを無音で横薙ぎに繰り出す。


「君がおとりで、こっちが本命の攻撃ってわけね!」


 だけど、女性も素早く反応を示す。振り向くことなく身体を深く沈め、アミラさんの攻撃をかわす。更に、遅れて上半身をひねると、次手を繰り出そうとしていたアミラさんへ牽制の一撃を放つ。


 いや、正確には、放とうとした。


「あら、人族だと思って私たちは頭数に入っていなかったのかしら?」


 横合いから、間髪置かずに繰り出される蹴撃しゅうげき


げ!』


 第三者の不意打ちに、それでも女性は的確な反応を示す。力ある言葉を短く発すると、横合いからの不意打ちを逸らそうとした。

 だけど、神術は蹴りを逸らすことはできず、蹴り飛ばされる女性。


「っ!?」


 自分の神術が人族にまったく通用しなかったことに、驚愕の表情を見せる女性。それに対し、襲撃を放った人物、すなわちセフィーナさんは格好良く笑みを浮かべてみせた。


「この程度の術なら、意外と簡単に操作できるわね?」

「貴女、何者?」

「私のことなどよりも、自身の心配をした方が良いのじゃないかしら?」


 セフィーナさんにかかれば、放たれた神術を操って効果を逸らすなんて、お手のものだ。しかも、それが咄嗟に放たれた威力の弱いものだったら、尚更だよね。

 そして、セフィーナさんが忠告したように、女性の敵は三人だけではない。


 女性の足もとに、円形の影が落ちる。片側のふちだけが、三日月型に光っていた。


「くっ。巫女の術ね!」


 影に気付き、跳躍で回避しようとした女性。だけど、もう遅い。

 三日月の影に囚われた女性は、身動きひとつとれなくなった。


「終わりですわ!」

「な、なんですって!?」


 そこへ、ライラの渾身こんしんの竜術が叩き込まれる。

 女性の頭上に巨大な竜の爪を模した術が具現化する。竜の爪はそのまま女性へ振り下ろされると、盛大に爆発した。


「ラ、ライラ。やり過ぎじゃない?」

「はわわっ。神族のお方ということで、手加減を考慮していませんでしたわ」


 爆風が吹き荒れ、周囲の樹々まで薙ぎ倒される。粉塵と無数の葉っぱが乱れ飛ぶなか、ライラが慌てたように右往左往していた。


「出番がなかったわ」

「活躍できなかったわ」

「いやいや、ユフィとニーナが暴れていたら、今の倍の被害は出ていたからね?」


 と、軽口を叩いている余裕はなかったようだ。


「エルネア君」


 マドリーヌ様の声に、全員の気が引き締まった。


「……そ、そんな!?」


 そして、異変に気付く。

 今しがた、ライラの渾身の竜術で吹き飛ばしたはずの女性の気配が、森の奥にあった。


「今の一瞬で、瞬間移動した!?」


 いや、そんなはずはない。女性は、人族に遅れを取ったことに少なからず動揺していた。その中での、ライラの竜術だった。あの状況下で、女性が咄嗟に回避の神術を口にできたとは思えない。

 そう確信めいた考えがぎる一方で、違和感も覚えていた。

 つい先ほど前のことが頭を過ぎる。逃げていた僕たちとかなりの距離があったはずの女性が、一瞬でこちらの前方に移動してきた現象が未だにわからない。あの時と同じように、女性が瞬間移動できるのだとしたら……


 ともかく、僕たちは女性の気配が移動した森の奥へと意識を向け直す。

 アルフさんとアミラさんは神剣を構え、僕たちはいつでも動けるように身構えた。

 だけど、それは罠だった!


 ぞわり、と背中に寒気が走る。

 僕は条件反射的に背後を振り返り、そして驚愕した。

 前方の森の奥に感じる女性の気配。だけど、背後の土煙を突き破って強襲してきたのは、その女性だった!

 女性は神速でこちらとの間合いを詰めると、反応が遅れたアルフさんへ鋭い斬撃を放つ。

 間一髪、アミラさんが女性の剣を弾くけど、体勢を崩す。そこへ、女性の更なる斬撃が振り下ろされる!


「ええい、こうなったら!」


 動いたのは、僕。空間跳躍でアルフさんとアミラさんの傍へ飛ぶと、次の瞬間には二人を連れて別の場所へ空間跳躍する。


「っ!?」


 一瞬前まで眼前に居たはずの二人が消失し、離れた場所に移動したことに、女性は困惑する。それでも直ぐに僕の仕業だと見抜いたのか、軽く舌打ちをすると後退して、未だに立ち昇る土煙の奥へと消えていった。


「うげぇっ」


 空間跳躍に慣れていないアルフさんとアミラさんが、少し顔色を悪くする。でも、仕方がないよね。あのまま見過ごしていたら、どちらかが女性の剣戟で負傷していたかもしれない。

 それよりも気になるのが、森の奥で感じる女性の気配と、土煙の奥から突然姿を現した女性自身の存在だ。


「どういうことでしょうか?」

「はわわっ。気配は今も森の奥を移動していますわ」


 ルイセイネとライラが、困惑したように身を寄せ合う。そして、ライラは森の奥から感じる気配を追い、ルイセイネは土煙の奥を警戒していた。


「僕も、意味がわからないよ……?」


 いったい、どういうことなのか。

 もしかして、女性はユフィーリアとニーナのような瓜二つの容姿を持つ双子で、片方が気配を読ませて気を引き、もう片方が気配を殺して不意を突く?


「……いや、違う!」


 惑わされては駄目だ!

 冷静に、気配を読み解く。

 すると、女性が僕たちを騙した絡繰からくりが理解できた。


「そうか。あの人は、自分の気配そのものを遠くへと飛ばしていたんだ! 存在と気配を切り離しているから、土煙の奥に潜んだ本体の気配は感じられないんだよ!」

「くそっ。神術か!」

「そうだね。あの人は、僕たちと接敵する前から気配の分離という神術を発動させて、こちらの感覚を狂わせていたんだ」


 気配は誤魔化せても、世界に残る違和感までは消し去れていない。

 土煙の奥で身を潜める女性の存在を、僕の感覚は捉えていた。

 いくら気配を切り離しても、女性の周りで乱れる土煙や、呼吸をする度に揺れ動く空気の流れは隠しきれていない。


 さっきまで気配だけを読んでいた僕たちは、女性や他の三人の帝尊府がまだずっと遠い背後を追ってきている、と勘違いしていた。

 だけど、間違っていた。

 女性は気配だけを三人と同行させて、自分自身は先行してこちらに追いついてきたんだ。


 そして今もまた、森の奥に気配を移動させて僕たちの注意を惹きつけ、本体は土煙の奥から不意打ちしてきた。


「だけど、ライラの竜術をまともに受けたはずだわ」

「だけど、ライラの竜術がまともに命中したはずだわ」

『双子は私の忠告を聞かなかったの? 言ったじゃない。手練れだって!』

「そうだったわ」

「甘く見ていたわ」


 そうだね。

 リンリンの忠告通り、女性は手練れの戦士だ。

 もしもそれが上級魔族並みの実力者なのだとしたら、竜術の一発や二発で参るような相手ではない。


「畜生。此の期に及んで、とんだ奴が相手だな!」


 アルフさんが舌打ちをするのも無理はない。

 周囲の気配を冷静に探ったことで、感じていた。

 水の気配だ。

 もう間も無く、僕たちは湖に到着できるかもしれない。そんな時に、上級魔族並みの実力を持った女性に絡まれてしまうなんてね。

 どうしよう、と土煙の奥に潜む女性に注意しながら、アルフさんに確認を取る。

 考えあぐねる、アルフさん。

 だけど、悠長に思案を巡らせるだけの余裕は、僕たちにはなかった。


「エルネア君、他の奴らが追いついてきたわよ!」

「しまった、そっちも迫っていたんだよね」


 僕たちが女性に足止めされている間に、どうやら残りの三人が追いついてきたようだ。

 熊男が、怒涛どとうの勢いで森の奥から疾走してくる。せた男と中肉中背の男も追走してきた。


「くそうっ、こうなったら!」


 アルフさんが、叫んだ。


「野郎ども、逃げるぞ!」


 号令一下、僕たちは全力で走り出す。


「はあっ!?」


 それに驚愕の声を上げたのは、土煙の奥に潜んでいた女性だった。


「ちょっと、あなた達! 待ちなさい!!」


 と、追跡者に言われて素直に待つような者なんて、僕たちの中にはいません!

 慌てて土煙から出てきた女性や猛追してきた帝尊府の三人を残し、僕たちは脱兎だっとごとく逃げ出す。


「わっはっはっ。馬鹿め。俺たちはお前らと戦いたいんじゃないんだよ。戦闘に持ち込んでこちらの気を逸らそうっていう作戦なんかに乗ってたまるか!」


 女性はアルフさんの捨て台詞ぜりふに舌打ちをすると、全速で追いかけてきた。

 力ある言葉で身体能力を強化し、あっという間に迫ってくる。

 とはいえ、こっちだって手加減なしの全力だ。

 そして、全力で「鬼」から逃げる僕たちを捕まえられる「素人しろうと」は存在なしい。


「とうっ!」


 僕はライラとセフィーナさんに触れて、空間跳躍を発動させる。

 一瞬で、女性から離れた場所へ移動する僕たち。

 女性は、目の前から消失した僕たちの姿を追って森を見渡し、憎々しげに顔をしかめた。


「まさかとは思ったけど、やはり君が耳長族の空間跳躍を!?」


 これまでは、僕はプリシアちゃんを抱っこしていたからね。もちろん、こうして勘違いをさせるためだ。


 細身の男が、ユフィーリアとニーナ、それとライラに迫る。


「おわおっ!」


 でも、こっちにはライラに抱かれたプリシアちゃんがいる。

 こちらと同じように、ユフィーリアとニーナがライラに触れると、プリシアちゃんが空間跳躍を発動させて距離を取る。


「ならば!」


 と、中肉中背の男が巫女のルイセイネとマドリーヌ様に狙いを定めた。

 でも、残念です。

 二人は既に、法術「星渡ほしわたり」を駆使して、僕たちなんかよりも先へと進んでしまっていた。


「我ら帝尊府を、馬鹿にしやがって!」


 怒り心頭の熊男が、アミラさんとアルフさんを追いかける。

 だけど、こちらは二人とも神族だからね。しかも、闘神の末裔だ。簡単に熊男から逃げおおせてしまう。


「お前らがどれだけ強くたって、こっちに戦う意志がなきゃ相対さえ成立しないぜ? 帝尊府の威光で俺たちを従わせるなんて無理なんだよ!」


 逃げながら、アルフさんが口悪く挑発を入れる。

 更に熱くなった帝尊府の四人が、鬼の形相で追いかけてきた。


「アミラ。旅に出たらアルフの口の悪さを治した方が良いわ」

「アミラ。旅に出たらアルフの態度の悪さを治した方が良いわ」


 全くだ! と全員が頷き、アミラさんも真剣な表情で頷く。

 だいたい、ここで挑発を入れる必要なんてないよね?

 むしろ、僕たちを捕まえることはできないと諦めて退いてもらった方が有難いのに、逆に挑発して追跡させるなんて!


 だけど、アルフさんにはアルフさんの考えがあったようだ。


「いいか、聞け」


 森を全力で疾走しながら、アルフさんが今後のことを口にした。


「どうせこのまま湖まで辿り着いても、帝尊府と神軍の追跡は振り払えねえ」


 まだ気配こそ感じないけど、恐らくは神兵も僕たちを追ってきているはずだ。

 もしかしたら帝尊府に言いくるめられたのかもしれないけど、それでも僕たちは包囲網を突破したおたずね者だからね。どんなに帝尊府の行動を尊重したとしても、落とし前をつけるために僕たちを捕まえに来ると思う。

 アルフさんは、その帝尊府と神兵の今後の動きまで考えていたようだね。

 樹々の間を走り抜け、帝尊府の猛追を振り払いながら、アルフさんは続ける。


「まあ、作戦は前と似たようなもんだ。このまま天族の楽園まで走り抜けて、騒ぎに乗じて、後はモンド伯に丸投げする!」

「えええーっ!」


 全員が、アルフさんの考えに悲鳴をあげた。

 だけど、アルフさんに悪びれた様子なんてものはない。


「だいたい、俺たちに最初に面倒を押し付けたのは、モンド伯だぜ?」

「アルフさんは、モンド伯を一発殴るために来たようなものだしね?」


 モンド伯がギルディアのような悪どい男に領地を割譲かつじょうなんてしなければ、アミラさんや村の人たちは今も穏やかに暮らせていたはずだ。アルフさんは、その貸しをきっちりと払わせたいんだね。

 神軍と帝尊府という、もっとも面倒な相手を押しつけることによって!


「湖のほとりに辿り着けば、天族の楽園と陸を橋渡しする船着場がある。そこにモンド伯の別邸がある。みんな、そこまで走るぞ!」


 船着場の管理は、モンド伯の直轄ちょっかつらしい。

 有事に備えて天族の楽園を防衛するためにも、船着場はしっかりと管理しなきゃいけないからね。


 だけど、僕たちの予想していなかったことが起きた。

 いや、起きていた。


 森を走り抜けた先。

 視界が開けた場所に出た僕たちは、思わず足を止める。

 眼前に広がる、見渡す限りの巨大な湖。

 ようやく、湖まで辿り着いた。

 あとはアルフさんが言ったように、モンド伯の別邸まで走り抜ければ。そう思ったのは、異邦人いほうじんの僕たちだけだったようだ。


「そ、そんな馬鹿な……!」


 アルフさんは、別の意味で湖を見つめながら、立ち尽くしていた。


「な、なんだ……」

「どうなってやがる?」


 そして、僕たちを猛追してきたはずの帝尊府でさえ、全てを忘れたかのように足を止めて、湖を呆然ぼうぜんと見つめていた。


 いったい、湖がどうしたというのだろう?

 疑問に首を傾げながら、僕たちも湖を改めて見つめる。


 満面の水がどこまでも広がる、豊かな湖。

 視界のずっと先まで続く湖の水面みなもは静かで、異変などは見当たらない。

 それでも、アルフさんや帝尊府の人たちは呆然と湖を見つめるばかり。


「アルフさん?」


 不審に思い声をかけた僕に、アルフさんはかすれた声で言った。


「島が……。天族の島が……無くなっている」

「えっ!?」


 意味がわからず、思考が停止する。

 島がない?

 天族の島が、無くなっている?


 いったい、どういう意味?


 困惑する僕たち。

 だけど、急展開をみせる現実は、こちらの思考の再開を都合良く待ってはくれなかった。


「やれやれ。神軍が騒いでいるから何事かと思って来てみれば」


 がさり、と背後の森の茂みが揺れる。

 そして現れた男の姿に、僕たち全員が顔を顰めた。


「なんてこった。騒ぎを起こしていたのは、お前さんたちか」

「グエン!」


 僕たちを追って現れた第三者は、あの曲者グエンだった。

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