鉄壁の巫女

 アーダさんの月光矢は、怒涛どとうの勢いで放たれた。

 自分と同時に月光矢を放ったルイセイネとマドリーヌ様へ向けて。接近するライラに。竜術で水竜を操るユフィーリアとニーナに対し。そして、見上げる大きさの水竜へも。


「むきぃぃっっ」

「あらあらまあまあっ」

「はわわっ」

「危険だわっ」

「恐ろしいわっ」


 ルイセイネとマドリーヌ様の月光矢は相殺され、ライラは雨あられと降り注ぐ月光矢を両手棍で必死に墜とす。ユフィーリアとニーナは回避行動に移り、竜奉剣の重なりがなくなった。

 ただし、顕現した水竜には膨大な竜気が内包されているために、すぐには消滅しない。


 水竜は長い首をもたげ、アーダさんへと襲いかかる。

 もちろん、月光矢は水竜へ向けても放たれていた。

 しかし月明かりの矢は水竜の表面に水飛沫と波紋を発生させるだけで、効いていない。


 アーダさんはすぐさま次の動きを見せた。

 素早く右手を動かすと、新たな祝詞を奏上し出す。


 幾本かの月光矢が消失し、代わりに小さな三日月が幾つも発生した。

 水竜へと向かい、次々と放たれる三日月の光。

 水竜の首や顔に直撃する。月光矢とは違い、三日月の光は抵抗もなく水竜に刺さった。


「くっ」

「うっ」


 うなるユフィーリアとニーナ。

 なにが起きたのかと水竜を確認する。すると、アーダさんへと迫っていた水竜の動きが呪縛に囚われて完全に停止させられていた。


「呪縛法術、かけつきじん!?」


 驚きの表情を見せるマドリーヌ様。雨のように降り注ぐ月光矢から逃げながら、顔を引きつらせている。


「はわっ! エルネア様はわたくしだけのものですわっ」


 ようやく月光矢の雨をかいくぐったライラが、アーダさんに肉薄する。

 ユフィーリアとニーナも、動きを封印された水竜を見限り、自分たちも大剣を掲げて斬り込む。

 アーダさんは圧倒的な法力を駆使して遠距離の相手に対応しながら、接近する脅威にも油断なく反応する。


 ライラの両手棍を払い、ユフィーリアとニーナの絶対的な連携を見極める。

 だけど、さすがに五人を相手にしているせいか、アーダさんは徐々に押され始めた。


 ルイセイネとマドリーヌ様が法術を放つ。アーダさんも法術で応戦する。

 その隙に、ライラの特大の一撃や双子王女様の巧みな連携が襲いかかった。

 更に、竜眼の存在が露見したルイセイネが、いかんなく能力を発動させ始めた。

 アーダさんの法術以外の動きを読み取り、全員に指示や警告を発する。そうしながら、自分も攻撃の手を緩めない。


 じりじりと追い詰められていくアーダさん。


「ねえ、ミストラルとセフィーナさんはあれに参加しないの?」


 僕は熾烈しれつな戦いから目を逸らすことなく、観戦を決め込んでいる様子の二人に聞いてみる。

 すると、ミストラルは「貴方も見ているだけじゃない?」と笑いながら聞き返された。


「僕は、今回に関しては見ているだけで良いかな。観戦だけで色々と学べているし」

「私も、エルネア君と同じね。こうして客観的に他人の戦いを観ることによって得られるものもあるわ。それに、お姉様方の邪魔をしたらこちらに刃が向きそうで……」

「なるほど!」


 実の妹らしい悩みだね。

 セフィーナさんの意見に、深く頷く僕とミストラル。


「それで、ミストラルは?」

「そうねぇ……」


 ミストラルは、じっと戦いを見つめていた。

 アーダさんの動きを油断なく観察し、力を図っている。


「アーダは間違いなく巫女なのよね?」

「そうだと思うよ。なにせルイセイネたちと同じかそれ以上の法術をさっきから連発しているし」


 右手をあごに当てて思案するミストラルだけど、左手は無意識のうちに腰の片手棍を触っていた。

 本心は戦いたいのかな?


「面白そうではあるけれど。でも、手合わせしたいかと問われると、どうかしら。……所見を言わせて貰えば、あの子もやはり人族、というところかしら?」

「ほうほう?」

「法術は、ルイセイネやマドリーヌがかすむほどの威力ね。動きも良い。でも、人族」

「それってつまり、竜人族から見れば強くないってこと?」


 たしかに、僕はアーダさんの動きをしっかりと捉えられている。

 異形の薙刀や多重に展開する法術に目を奪われがちだけど、冷静に観察すると、圧倒的だったり特筆するような強さは見受けられない。

 そもそも、最初から重そうな薙刀に苦慮くりょしているような感じで、これなら素手のときの方が強かったんじゃない? と思えるほどだ。


「竜人族というか、たぶん魔族よりも力自体はないのじゃないかしら。良く言えば人族の範疇はんちゅうで強者。悪く言えば、他の種族から見れば所詮しょせん人族。きっと戦闘に関して言えば、エルネアの方が彼女より強いかもしれない。……でも、そうね。やっぱりわたしは戦いたくないわ」

「そうなの?」


 予想外の答えだ。

 ミストラルもけっこう負けん気が強い。その彼女が、種族の域を出ていない格下だと判断した相手と戦いたくないだなんて。


「おそらくだけど……。もしもわたしがあそこに加わっても、勝てないと思うのよ」

「えっ。アーダさんの方が弱いはずなのに勝てない?」

「そう。彼女は、そういう戦い方をしているわ」


 五人に攻め立てられるアーダさん。

 だけど、さっきから全然勝負がつかない。それどころか、たまにアーダさんから反撃されると、五人のうちの誰かが遅れを見せる。アーダさんは追撃を見せないんだけど、たぶん仕留めようと思ったら、そこで誰かが負けて脱落しているに違いない。


「わたしやエルネア。それだけじゃなくてセフィーナやみんなもそう。わたしたちは、勝つための戦い方をするわ」

「それゃあ、勝たなきゃ負けちゃうからね」


 どんな勝負でも、敗者と勝者が生まれなきゃ終わらない。そんな戦いを僕たちは続けてきた。けっして相打ちは望まなかったし、引き分けで退いてくれるような敵もいなかった。

 だから、戦うときは勝つことを目指す。それって、普通のことじゃないのかな?


 僕の疑問に、ミストラルは言う。


「そう。普通は勝つことを念頭に戦うわ。でも、アーダは違う。彼女は、負けないように戦っているのだと思うわ」


 どんなに素早い連携にも、どんな不意打ちにも瞬時に反応し、最善の動きで対処するアーダさん。

 たしかに、どれだけ攻められてもアーダさんは危機的状況には陥っていない。見ているこちらが安心して観戦できるくらいにね。


「彼女はおそらく、これまでに何度となく格上の相手と戦い続けてきたのでしょうね」

「もしも、人族の域を超えない力しかないのに、対立する相手が魔族や神族だったとしたらそうだよね」


 竜人族のミストラルだから、人族のアーダさんを格下と見ることができる。だけど、同じ人族のなかだけで言えば、アーダさんは間違いなく最強だと思う。そんな彼女の格上というのは、やはり他の種族になるんだろうね。


「僕たちって、格上の相手には負けちゃうんだよね。魔王とか、剣聖様とか」

「アイリーにもね」

「うっ……」

「でも、エルネアの言う通りよ。わたしたちは勝つために戦うから、格下や同格相手には対抗できる。だけど、格上になると手も足も出なくなってしまう」

「では、あのアーダさんはそうした格上にも負けないと?」


 セフィーナさんの疑問に、ミストラルは頷く。


「彼女の戦い方は、けっして負けないこと。耐えて耐えて、負けずに挑み続けて、僅かな勝機が訪れるのを忍耐強く待ち続ける。……アーダは、どれだけのものを背負っているというのかしら。多くの命、多くの想いをひとりで背負い、戦い続けてきたのだと思うわ」

「たとえ魔王が相手でも負けるわけにはいかない、という絶対の覚悟で身につけた戦い方なのかな?」


 自分は絶対に敗北するわけにはいかない。それがたとえ遥かに格上の相手であろうと、多勢に無勢な戦いであろうと。

 そう思って改めてアーダさんの戦い方を見ると、少し悲しい戦いに映った。

 アーダさんには、背中を任せられる仲間はいなかったのかな?

 信頼できる人や、協力してくれる者はいなかったのかな?


 ……いいや、違う。僕の考えは浅いんだ。

 アーダさんは、愛する人や信頼する仲間、大切な人たちさえも護りたいと願っている。

 まるで、女神様が慈愛で世界を優しく包み込むように、全てを内包していつくしむ。けっして、指の隙間から護りたいものをこぼしたりはしない。


 それはまるで……


「聖女様みたいだね」


 ぽつりと呟くと、プリシアちゃんの頭の上で寛いでいたニーミアが僕を仰ぎ見た。


「それは、どうかしら。ルイセイネに聞いた話では、聖女は女神の強大な力をその身に宿す巫女なのよね? アーダの法力は凄まじいと思うけれど、女神の力の片鱗へんりんだとまでは言えないと思うわ。それに、聖女は必ず悪にちるのでしょう?」

「そう言えば、そうだったよね」

「聖女かどうかはともかく、ミストが戦いに参加しても勝てない相手、ということね?」


 セフィーナさんの質問に、ミストラルは頷いて肯定こうていした。


「たぶん、勝てないわね。全力を出しても。負けもしないとは思うけれど」

「なら、この勝負は長く続きそうだね」


 僕たちが見守る先で、試合は続いている。

 アーダさんは、押されつつも絶体絶命には陥らない。むしろ反撃を繰り出す場面も多い。


 アーダさんの激烈げきれつな横薙ぎを受け、ライラが吹き飛ぶ。受け身を失敗して尻餅しりもちをついた。

 たぶん、アーダさんがその気なら、ここでライラは仕留められて終わり。だけど、決定的な最後の一撃は絶対に放たない。

 だから、いつまでたっても勝負は終わらない。

 終わるときは、全員が精も根も尽きて芝生の上に寝そべるときだね。


 では、この長く続く試合で、みんなはどんな成果を手に入れることができるんだろう。

 ルイセイネとマドリーヌ様は、アーダさんと手合わせをすることで大切なものを掴むことができるかな?


 僕は……

 じっと、アーダさんの戦い方を見つめる。


 勝つ戦いをする僕たちとは違い、絶対に負けない戦い方を身につけたアーダさん。

 僕たちの課題は、ミストラルが言うように格上には負けてしまう、ということ。これが手合わせなんかだと問題ないけど、もしも真剣勝負だったとしたら死を意味する。それだけじゃなくて、大切な者を護れずに失うかもしれない。


 負けない戦いか。


 剣聖ファルナ様と手合わせをしたときから、この大きな課題には気づいていた。

 だけどアーダさんは既に、この課題への答えを見つけ出しているらしい。

 どうやら、アーダさんが見せる技術が、これからの僕たちに絶対必要になる手本になるのだと確信する。


 ルイセイネとマドリーヌ様だけじゃない。僕も、彼女たちの試合から僅かであろうと手掛かりを掴まなきゃいけない。

 アーダさんの一挙手一投足を見過ごさないように、真剣に試合を観戦した。






 太陽は、西に見える霊山の先へと沈んでしまった。

 暗くなった中庭には、へこたれる五人の影が。芝生の絨毯じゅうたんに、女性らしからぬだらしない姿で横になっている。荒い息は、もうしばらくは治りそうにない。

 そんな五人の近くで、異形の槍を手にして佇むもうひとりの影。夜にもえる美しい黒髪を流すその人物は、もちろんアーダさん。


 長期戦になった手合わせだけど、結局は誰もアーダさんを追い詰められなかった。

 しかも、アーダさんはまだまだ体力が残っていそう。

 いったい、あの細い身体のどこに、これだけの体力を蓄えているんだろうね。


 歌のような旋律せんりつを小声で口にするアーダさん。すると、レザノールホルンは輝きと共に輪郭を小さくしていき、アーダさんの右耳へと戻った。


「お疲れ様でした。ありがとうね」


 手拭てぬぐいを渡しながら、みんなの相手をしてくれたことにお礼をする。アーダさんは優しく微笑むと、手拭いで汗を拭う。


「いいえ、こちらこそありがとう。最近はあまりこうした鍛錬をしていなかったので、わたしも助かった」

「それなら良かった。今度は、僕とも手合わせしてね?」

「機会があれば、ぜひ」


 ミストラルとセフィーナさんは、試合が終わると同時に夕食の準備でお屋敷のなかへと戻っている。

 プリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアは、霊山の山頂に放置していたオズを迎えに行っている。

 そしてユンユンとリンリンがお風呂を沸かしてくれているはずだから、ゆっくりと浸かって疲れをいやしてね、と話していると、乱れた巫女装束を正したルイセイネとマドリーヌ様がやってきた。


「アーダさん。滞在中だけで構いません。どうか、これからもご指導をお願いできないでしょうか」

「己の未熟さを痛感しました。このマドリーヌ。今一度初心に戻って、アーダ様のもとで修行をしたく思います」


 二人の真剣な眼差しに、真摯しんしに向き合うアーダさん。


「弟子にしてほしい、というのなら断っていた。わたしにはその資格がないから。だが、指導というのなら力添ちからぞえはできると思う」


 アーダさんは優しい。

 こちらがなにかを望めば、できるだけ期待に応えようとしてくれる。

 たぶん、立場的に弟子は取れないんだろうね。だけど、同じ巫女として協力できる部分はしみなく協力してくれる。


 アーダさんのこころよい承諾に、ルイセイネとマドリーヌ様は心底喜びを見せた。






 翌朝。

 本当は、昨日のうちにメドゥリアさんのところへ向かいたかったんだけど。鬼ごっこ大会や手合わせなどで予定がずれちゃった。

 そんなわけで、今日は朝から早速動くことにする。


「それじゃあ、ルイセイネとマドリーヌ様はここに残るんだね?」

「はい。少しでも長く、アーダさんから学びたいので」

「この機会を逃したら、次はない気がします」

「それじゃあ、アーダさん。二人をよろしくお願いします」


 最初は、アーダさんもメドゥリアさんのところに行きますか、と誘ったんだけど。いつ魔女さんの迎えが来るかわからないということで、同行を断られちゃった。そして、アーダさんから多くのことを学びたいルイセイネとマドリーヌ様も、どうやら禁領に残るらしい。

 まあ、メドゥリアさんのところへはぎ石を貰いに行くだけで、すぐに帰って来るからね。居残り組がいても問題はない。


「では、少し散歩をしようか」


 アーダさんは、巫女の二人をともなって禁領の森へと姿を消す。

 きっと、巫女だけで話したり修行したりしたいのかも。

 アーダさんは、もしかしたら僕以上に特殊な立場の人かもしれない。だから、ルイセイネとマドリーヌ様に教えを授けるにしても、余計な目や耳は排除したいんだろうね。

 僕たちは今から禁領を離れるけど、たぶんこちらが戻ってきたあとも人目を避けたいと思っているから、最初にこうして示しているんだと思う。


 つまり、僕たちは巫女様の修行を見ることができません!

 いや、水行で濡れた肢体したいを見たいだとか、どんな話をするのか興味本位で聞いてみたい、なんて不徳な心は持ち合わせていませんよ?


「にゃあ」


 背後で、大きくなって待機しているニーミアが、僕を見下ろしていた。


『我らは禁領を見て回る』

『精霊たちの移住に向けて、視察して来るわね』


 そうそう。禁領に来たついでです。

 ユンユンとリンリンも僕たちから離れて、禁領の自然を調べたり、現住の精霊たちと接触してもらう。


 僕たちよりも先に活動を始めた五人を見送ると、こちらもいよいよ出発です。

 ニーミアに乗って、お屋敷をあとにする。

 オズがいつものおがみの格好で見送るなか、僕たちは一路、死霊都市へと進路を定めた。


「お土産待ってまーす」

「はぁいっ!」


 遠くから響いてきたテルルちゃんに返事を返すと、霊山の麓にある巣から巨大な脚を振ってお見送りしてくれた。

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