皆は一人の為に
アームアード王国の王都。その完成間近の王城会議室では、緊急の重大会議が開かれていた。
竜の森の守護竜が、関所先の麓に突然飛来したあの日。小山のような巨大な竜から告げられた衝撃的な話。伝説に語られる魔物「金剛の霧雨」が竜峰の山間部に出現し、竜の森と王都を目指して移動し始めているという。そして、かの魔物は、竜の森の守護竜であっても撃退できるか定かではなく、最悪の場合は全てが金剛の霧雨に呑まれるという。
エルネアであれば。その時、誰もが思った。
幾度も、竜峰とアームアード王国を救ってきた、偉大なる救世主。彼らの願いが届いたのか、遠く遠征に出ていたというエルネアとその家族は、白桃の毛並みが美しい翼竜の背に乗って戻ってきた。
これで、この難局も乗り越えられる。人々はそう思った。
守護竜と共に、金剛の霧雨を討伐すべく飛び立ったエルネアたち。
人々は、固唾を呑んで吉報を待った。
しかし、結果は誰も予想だにしていなかったものだった。
あの、妖魔の王さえ討ち倒した八大竜王エルネアが、倒せなかった。それどころか、渾身の一撃でさえ傷を与えられなかったという。
本人から直接報告を受けたという勇者リステアの話に、アームアード王国の住民だけでなく、結果を待っていた耳長族や獣人族、それに竜族たちは息を呑んだ。
そして王や側近たちもまた、由々しき事態に表情を曇らせ、会議室に集まっていた。
「いったい、どうすれば……」
武官のひとりが、重いため息を吐く。
「エルネア殿でも無理なのであれば……」
と、会議の席に並ぶ勇者に視線が集まるが、リステアは申し訳なさそうに首を横に振る。
「エルネアは、私など及ぶべくもないほどの男です。エルネアの力が通用しなかった以上、私の聖剣であっても、極めて難しいかと」
無駄な自尊心などこの場では不要だと、リステアははっきり自分とエルネアの力の差を示す。
「ですが、エルネア殿が無理でも、竜の森の守護竜様は?」
「そうだ。彼の方こそ、エルネア様を鍛え上げた師匠なのでしょう?」
八大竜王エルネアの物語は、吟遊詩人によって広く伝わっている。
竜の森に導かれ、
その、エルネアが師事する守護竜が、竜の森から姿を現してくれたのだ。であれば、まだ希望は残されているのでは。と文官が期待を込めて口にした。
しかし、重い沈黙で返される。
誰もが気付いていた。
本来であらば竜の森の奥深くに身を置く守護竜が、わざわざ人々の前に姿を現し、直接警告してきたのだ。
おそらく、今回ばかりは守護竜にも手に負えない事態なのではないのか。
「残念ではあるが、人族たる我らに打つ手はない……」
ただの魔物や妖魔にさえ手を焼く人族では、伝説として語られるほどの魔物を相手にすることなどできはしない。
できることと言えば、魔物に呑み込まれていく故郷を無力に見つめるか、故郷と共に喰われるかだけだ。
「では、やはり……?」
王たちには、重い決断が迫られていた。
国民の命を最優先に、王都を放棄する。
王は、何度も何度も深く深呼吸を繰り返し、最後にゆっくりと口を開く。
その時だった。
「お、お待ちください、双子王女様!」
「なりません。皆様は今、大切な会議中なのです!」
会議室の先。扉の向こうが
「そこを退くと良いわ。大切な会議なら、私たちも参加させていただくわ」
「その扉を開くと良いわ。大切な会議だから、私たちは参加するわ」
と言う瓜二つの声が聞こえた瞬間。会議室の扉が爆散した。
「姉様たち!?」
困惑するセフィーナ王女の声を無視するかのように、全く同じ容貌の二人の女性が会議室に乱入してきた。
「ユフィと」
「ニーナの」
「ば、馬鹿者。お前たち、何をしている!?」
「「
会議室前で警備を担っていた近衛騎士や王の制止を振り切ったユフィーリアとニーナは、問答無用で竜術を放った。
「……?」
だが、いつものような滅茶苦茶な破壊は起きない。
『この声は、アームアード王国の王都に響いているわ』
『この声は、王都に住む者たちに届いているわ』
会議室を占拠したユフィーリアとニーナの声が響く。
遠く、王城の外からも二人の声が響いてきて、会議室にいた者たちは驚愕した。
ユフィーリアとニーナは、そんな会議室に
双子王女の唯ならぬ怒気に、全員が息を呑んでいた。
『貴方たちは、大馬鹿者だわ!』
そこに、ユフィーリアの
『今大切なのは、会議なんかじゃないわ。国を治める者たちがしなきゃいけないことは、エルネア君を誰よりも信じることよ!』
ニーナが言う。
『伝説の魔物に怯えて、逃げる算段をしていたのかしら? でもそれは大間違いで、エルネア君を
何を言う、と声を上げた王の声も拡散されて、王都中に響いた。
今や、会議室内の声は、全て拡散される状態になっていた。
ユフィーリアとニーナの怒りの声は続く。
『エルネア君は、これまでに何度も国を救ってくれたわ』
『エルネア君がいなければ、アームアード王国とヨルテニトス王国は魔族の侵略でとっくの昔に滅びていたわ』
国軍だけでは、魔族に立ち向かえなかった。勇者であっても、魔将軍を退けることはできなかった。エルネアが竜峰から竜人族と竜族を引き連れて応戦したからこそ、アームアード王国とヨルテニトス王国は亡国の危機を乗り越えられた。
国民全てが知っていた。
今、自分たちが人族の国で平穏に暮らせているのは、エルネアのおかげなのだと。エルネア無しでは、この平和はなかったのだと。
国王とて、それは重々に承知していた。
それでも、今回の危機には及び腰にならざるを得なかった。
あのエルネアが、太刀打ちできなかったのだ。たとえ竜の森の守護竜がいたとしても、果たして人族の都まで護ってもらえるかはわからない。そう考えれば、今から最悪の事態に備えて手を打っておかなければ、取り返しのつかない事態に陥ってしまう。
『我らとて、苦肉の策を選択せねばならぬ時があるのだ。王女である其方ら二人にも、それはわかるだろう?』
という声が王都中に響いた直後。
『王様の大馬鹿者!』
『お父様の大馬鹿者!』
ユフィーリアとニーナの罵声が重なった。
『だから、それが大間違いなのだと言っているわ!』
『だから、それが大きな過ちだと言っているわ!』
『エルネア君が、たった一度失敗しただけで、もう悲観的?』
『人は誰だって、失敗くらいするわ。エルネア君だって、人だもの。時には小石に足を取られて
『でも、そのたった一度の失敗だけで、陛下は全てを諦めるの?』
『
『違うわ!』
『間違っているわ!』
『誰だって、生きていれば何度となく難題にぶつかり、時には失敗したり後戻りしたりするわ』
『それでも、目指すべき目標があるのなら、前に進むわ』
だったら、とユフィーリアとニーナは声を揃えて、王や家臣、国民に語りかける。
『今、本当に必要な対策は、どうすればエルネア君を支援することができるかという相談だけだわ』
『今、本当に必要な想いは、エルネア君であれば必ず復活して、魔物なんて倒すと信じることだわ』
『なのに』
『それなのに!』
『『国を救われ、エルネア君に最も感謝しなきゃいけない国王が、エルネア君を信じずに、真っ先に王都の放棄を考えるなんて、大間違いだわ!』』
ユフィーリアとニーナの叫びに、国王は何も言い返せなかった。
国民のため。国のため。恐ろしい魔物に対し、最悪の場合は王都を放棄しなければならない。今まさに、そう決断しようとしていた。
だが、双子の王女の言葉に過ちを気付かされてしまった。
『国王である、私の過ち……。それは、アームアード王国の国民のひとりであり、偉大な救世主であるエルネア・イースを信じきれなかったことなのだな?』
そうだわ、と揃って頷く双子王女を見て、王は決意を固めた。
会議室内の声が王都中に響いていることを確認すると、王は宣言する。
『アームアード王国の民よ。王都の者たちよ。私は大間違いをしていたようだ。だが、間違っていたとしても、失敗したとしても、我々は何度であってもやり直せる。そして、幾度となく挑戦し続けた先には、必ず希望が存在することを知っている。今、私が間違いから道を正し、先に進み始めたように、八大竜王たるエルネアであれば必ず再起し、この地を救ってくれるだろう。私は、疑うことなく信じよう。よって、王と臣下は王都に残り、これより起こるエルネアの新たな奇跡を見届けようと思う』
だが、国民に
『人には様々な事情があり、目指すべき未来も違う。よって、私は国民ひとりひとりの意志を尊重しよう。王都を離れるも良し。留まるも良し。だが、皆の者よ。私と同じ考え。エルネアを最後まで信じる者は、どうか最後まで王都に残り、彼の奇跡を祈ってはくれぬだろうか』
信じ、祈る。そうすれば、必ず奇跡は起きるのだと、人族は知っていた。
国王の言葉に、竜言拡散ではない王都中から響く国民の声が会議室まで届く。
「我らの運命は、八大竜王エルネア・イースと共にあり!」
「今こそ信じよう、エルネアを!」
人々の歓喜は王都を震わせ、竜峰の空へと流れていった。
「うわっ! 僕が寝ている間に、そういうことがあったんだね」
セフィーナさんの話に、僕は恥ずかしくなって布団の中へ潜り込みそうになってしまったよ!
ユフィーリアとニーナに
王都から避難をする者は、たしかに存在した。だけどそれ以上に、噂を耳にした周辺の村や町、副都から人々が逆に王都に押し寄せて、僕が起こす奇跡を待ち望んでいるらしい。
「大変なことになっちゃってる!?」
僕が驚いていると、ミストラルが「まだ甘いわね」なんて不穏なことを口にした。
「ミストラル?」
僕が顔を引き
ミストラルは、この難局を乗り越えるための手掛かりがないか、エルネアの為になるものはないかと、竜峰に入った。
まず向かった先は、故郷の村。するとそこには、何故か全ての竜王とジルド、それにラーザまでもが揃っていた。
「あなた達?」
どうしたのかと問うミストラルに、ザンがため息交じりに言う。
「お前こそどうした?」
「わたしは……」
「言うな。わかっている。平地での話は、もう俺たちの耳に入っている」
ユフィーリアとニーナが王城の会議室に乗り込み、王を罵声したり国民を鼓舞した話は、竜人族の間にも広まっていた。
「水くせえじゃねえか、竜姫」
竜王を代表して苦言を口にしたのは、イドだった。
「俺たちは誓ったぜ? 妖魔の王討伐戦の時によ。もう、俺たちは誰かを犠牲にするような戦いはしねえ。誰かに責任を押し付けるような戦いはしねえってよ」
長らく行方不明だった八大竜王ラーザの帰還に際し、イドは自分たちの過ちを
だが、またしても今回、八大竜王エルネアだけに金剛の霧雨の討伐を押し付けてしまったと悔いるイド。
「あいつは人族だが、俺たち竜人族の全てが認める八大竜王だ。なら、今回の問題は竜峰に住む竜人族全員で取り組むべきだろうよ?」
「全竜人族って」
と苦笑するミストラルだったが、竜王たちは至って真面目だった。
「ミストラル。竜姫でありながら、お前が一番行動が遅くてどうするよ? 俺たちはもう、竜峰全域に召集をかけているぜ?」
でも、とミストラルは困る。
人族の王が言ったように、人にはそれぞれの事情があり、たとえ竜人族といえども、老若男女全てが戦えるわけではない。イドや他の竜王たちも、それは理解していた。だが、それでも竜人族の誇りをかけて集え、と号令を出した。
「金剛の霧雨が平地に向かっているなら、このまま見逃せば竜峰に被害が出ないから良い? 違う! 竜人族に被害は出ていないから、関わる必要はない? 断じて違う!! これがエルネアやお前たちの問題であるのなら、それは即ち、仲間である俺たち竜人族の問題だ!!」
それによ、とイドは続ける。
「元を
悔しそうに歯を食いしばるイド。
「だけど、猩猩には誰も勝てないのだと、翁に言われたでしょう? だから、あれは仕方なかったのよ」
「そうさ。俺たちには、どう
違うだろうがよ!!
竜峰の空を震わせるように、イドは叫んだ。
「そうじゃねえ! 今回こそは、間違わねえ! 勝てねえ相手だ? 違う、勝つんだよ!! エルネアひとりに責任を押し付けるんじゃなくてよ。全員で挑むんだよ! それでも勝てなかったら、全員の責任だ。だが、そんな情けねえ結末なんて迎えさせねえ。竜人族の誇りに賭けてな! だから、集結させるんだよ。誰かの問題じゃねえ。他種族の話じゃねえ。竜峰とその周辺に住む者たち全員の問題として全員が手を取り合い、誰かを犠牲にすることなく、全員が責任を負って挑むべきなんだ。そうだろう、竜姫?」
イドは、師匠であるラーザに犠牲を敷いたオルタとの戦いを悔いていた。だから、同じ
「でもよ。今はまだ、俺たちの独りよがりで動いているだけだ。力不足の俺たちが勝手に考えて、勝手に行動し始めただけなんだよ」
だからよ、とミストラルを見るイド。
ミストラルは、イドや集った竜王たちの意図を察する。
くすり、と苦笑混じりの笑みを浮かべて、ミストラルは全員を見渡して言った。
「わかったわ。では、言わせてもらいます。竜峰同盟の盟主エルネア・イースの妻であるわたし、ミストラル・イースが
ミストラルの依頼に、竜王たちは「おう!!」と勇ましく返事を送り、次の行動に掛かり始めた。
「わわわっ! 竜峰でも凄いことになっているんだね。ミストラル、ありがとう」
「どういたしまして、と言っても良いのかしら?」
「もちろんだよ。僕も、目が覚めたらみんなの力を借りようと思っていたんだ」
と、ようやくここで、僕は衰弱中の夢の話を口にした。
そして、全員に大きくため息を吐かれる。
なぜ?
「貴方って人は、まったく……。衰弱している時くらい、ゆっくりできないのかしら?」
「身体はゆっくりしていたよ?」
「心もよ」
「心も、ゆっくりできたんだよ。考えをまとめる時間ができたことで、悩みが晴れていったからね」
そして今、僕の心には負の感情なんてなくて、前しか向いていない。
夢の中で考えていたことと、僕が眠っている間にみんなが動いてくれていたことの意思が合致していたことが嬉しい。僕たちだけでなく、大勢の者たちが手を取り合い、一致団結していることが、何よりも頼もしい。
もう、失敗は許されない。
だけど、これはもう失敗のしようがないね!
「さあ、エルネア。わたしたちとの話もまだあるでしょうけれど、先にもうひとつ、解決しておかなきゃいけない話があるでしょう? そちらを先に済ませてきなさい」
「おじいちゃんの件だね?」
ご飯を食べさせてもらってお腹いっぱいになった僕は、着替えの準備を始める。
「急いで、衰弱から目が覚めたことを知らせなきゃ。それと、今後の計画もね!」
「そうね。道中、気をつけていってらっしゃい」
「うん、行ってきます。……って、ちょっと待って。道中気をつけて? ミストラル、いつもはそんなこと言わないよね?」
「そうかしら? きっと気のせいよ」
「ううん、絶対に違うと思う。何かいやな予感がしてきたんだけど?」
「それこそ、気のせいよ。さあ、早く翁のところに行ってきなさい。わたしたちも、後から向かうわ」
「行くなら、一緒で良いのでは?」
僕の疑問に、なぜかみんなが視線を逸らす。
「わたしたちは、まだ準備が残っているから。エルネア、先に行ってなさい」
怪しい!
絶対に何か隠し事があるよね?
僕の疑いは、実家の敷地を出た瞬間に確信へと変わるのだった。
「な、なんじゃこりゃー!?」
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