お寝坊さん

 夢見の巫女様にお願い事をしたあとは、アレスちゃんと一緒に真っ白な世界で過ごした。

 僕が間違えていたもの。足りなかったもの。何をすべきか。僕の成せる事とは何か。そして、みんなと力を合わせた先にある道。

 身体は衰弱して昏倒こんとうしているというのに、精神は夢見の巫女様のおかげでしっかりと覚醒かくせいできている。それを利用して、僕はじっくりと次への準備を進めていく。


 そうしていると、徐々に眠気が襲ってきた。

 夢の中なのに眠くなるって、不思議な感覚だね。

 僕はアレスさんに見守られながら、真っ白な世界の中でゆっくりと眠りに落ちていく。






「……はっ!」


 急に、覚醒した。

 がばり、と上半身を起こす。

 すると、大きな寝室の風景が視界いっぱいに飛び込んできた。

 柔らかい寝台。蚊帳かやの先には立派な家具が並び、窓辺にははちに植えられた小さな植物が並ぶ。お庭に続く扉は開け放たれていて、夏らしい日差しが遠くに見える芝生の景色を輝かせていた。


 間違いなく、ここは僕の実家の寝室だね。

 まあ、小さい頃から住んでいた貧しい家ではなくて、これまでの功績を讃えられて王様から贈られた、とても広大で立派な実家ではあるけれど。どちらにしても、僕の実家であることには代わりない。


「おはようございます」


 声を掛けられて振り返ると、実家の筆頭使用人であるカレンさんが、寝台傍の椅子いすに座って、僕に微笑み掛けていた。


「おはようございます、カレンさん」

「どうぞ、お水をお飲みください」


 器に注がれたお水を口に含んでいると、カレンさんが立ち上がった。


「それでは、奥様のどなたかをお呼びしてきますね」


 そして、部屋から出ていくカレンさん。

 僕は、喉の奥に流れていく水の感触を確認しながら、ゆっくりと何度か深呼吸をして、身体の状態を確かめる。

 手は、不自由なく動く。足にも違和感はない。

 どうやら、衰弱状態は回復したみたいだね。

 代わりに、お腹がぐうぐうと鳴り始めた。

 何日間も寝たきりで、何も食べていないからね。と空腹を主張する自分のお腹を撫でていると、遠くから良い匂いが漂ってきた。


「おはよう、エルネア」


 ご飯を持って最初に寝室へ来てくれたのは、ミストラル。


「ミストラル、おはよう」


 僕が笑い掛けると、ミストラルは苦笑で返す。

 なぜ? と首を傾げる僕に、ミストラルは衝撃的なことを口にした。


「もう、貴方は本当にお寝坊さんなんだから。強い衰弱だったからって、七日間も眠り続けるなんて」

「え?」


 ミストラルは、なんて言った?

 七日間も寝続けた?

 スレイグスタ老が示した期限は、十日間。その内の半分以上を、僕は衰弱の回復に使っちゃった……?


「えええぇぇっっ!?」


 あまりにも衝撃的な話に、僕は寝台の上で飛び跳ねてしまう。


「ミ、ミストラル! 大変だよ、もう時間がない!」


 金剛の霧雨を迎え撃つためには、万全の態勢でなければならない。だというのに、僕は寝過ぎてしまった!

 慌てる僕を、ミストラルが押さえる。


「落ち着きなさい、エルネア」

「でも! こうしている間にも、金剛の霧雨は……」

「ええ。監視を担ってくれている竜族たちの報告では、真っ直ぐにこちらへ向かってきているそうよ」

「それじゃあ、やっぱり……」

「だから、落ち着きなさい。ほら、お腹が空いているのでしょう? さっきから、お腹の虫が鳴いているわよ?」

「ご飯なんて、食べている暇はないよ!」


 少しでも早く、準備を進めないと。

 じゃないと、今度こそ本当に取り返しがつかない事態になってしまう。

 だけど、慌てふためく僕を、ミストラルは強引に座らせた。そして、持ってきたご飯を強制的に手渡す。


「エルネア、落ち着きなさい。それとも、妻であるわたしたちを信用できないのかしら?」

「うっ。そういうわけじゃないよ?」


 ミストラルたちには、全幅の信頼を寄せている。今だって、目覚めた僕がきっとお腹を空かせているだろうと、きちんとご飯を準備して来てくれた。

 でも、本当に時間がないんだ。僕がそう主張しても、ミストラルは首を縦に振ってはくれない。


「先ずは、お腹に何か入れなさい。そうしたら、きっと冷静になれるわ」


 それにね、とミストラルは僕の口にご飯を運びながら言う。


「わたしたちは、貴方の回復を待つだけの力ない者ではないのよ?」


 強制的にご飯を食べさせられながら、僕はミストラルの話に耳を傾けた。


「もちろん、貴方の気持ちはわかっているわ。わたしたちだって、翁や貴方の故郷、竜の森やそこに住む者たちを失いたくないと思っているわ。そして、わたしたちは貴方の妻よ? 貴方の伴侶はんりょらしく、この七日間、きちんと準備をしてきたわ。貴方が貴方らしく成せることを成せるようにね?」


 僕の焦りを吹き飛ばすように、ふふふ、といつものように優しく微笑むミストラル。

 その時、だだだっ、と廊下の方から二重に重なった駆け足音が響いてきた。


「ユフィ、ニーナ、廊下は走らない!」

「ミストに怒られたわ」

「ミストに叱られたわ」


 なんて言いつつも駆け足を止めずに、ユフィーリアとニーナが僕の傍へやってきた。そして、ミストラルから素早くはしを奪うと、僕にご飯を食べさせようとしてくる。


「待って待って。まだ前のが食べきれていないから」


 もぐもぐ、と口を動かしている間に、寝室はさらに賑やかになっていく。


「むきぃ、巫女頭みこがしらである私が節操せっそうなく走れないことを良いことに、ユフィとニーナは抜け駆けなんて許せないです! そう思いませんか、ルイセイネ?」

「まあまあ、マドリーヌ様。エルネア君は逃げて行きませんから、ちゃんと巫女らしくお願い致しますね?」

「姉様たちはどうせ、ミストに怒られて引き剥がされるでしょうから」

「はわわっ。その時が狙い目ですわ」


 どうやら、妻たちが勢揃いしてきたみたいだ。

 騒がしいこと、とミストラルは苦笑しているけど、いつものように怒ったりはしない。僕の傍で、ユフィーリアとニーナが交互に介抱してくれる様子を見ながら、全員の到着を待つ。

 僕も、どうやら素直にご飯を食べて、みんなが揃うまでは動けないようだと悟り、ユフィーリアとニーナが口に運んでくれるご飯を食べて待った。

 そして、妻たちが廊下の先から現れて、寝室に全員が揃うと、一層賑やかしくなる。


「エルネア君、体調の方はどうでしょうか?」

「うん。七日間も寝ちゃったからね……お腹が空いているだけで、元気だよ?」


 とルイセイネの問診を受けていると、横でユフィーリアとニーナとマドリーヌ様とセフィーナさんが争い始める。次に誰が僕にご飯を食べさせるかとせめぎ合う隙を突いて、ライラが柔らかく煮込まれたお肉を食べさせてくれた。


「美味しいね。でも、僕はこんなにゆっくりしていても良いのかな?」


 みんなのいつもの様子を見ていると、衰弱で意識を失う前の、あの重苦しい空気は感じられない。

 だけど、現実は変わっていないんだよね。

 金剛の霧雨は今も王都と竜の森を目指して進んできているし、スレイグスタ老は期限までに力を蓄えて備えているはずだ。

 だから、僕も本当は悠長になんてしていられない。十日の猶予ゆうよのうち、もう七日間も消費してしまったんだから。


「みんな、急いで対策を打たなきゃ」


 僕の焦りの消えない表情を見て、ミストラルが頭を撫でてくれた。


「エルネア」

「ん?」


 騒がしかったみんなも落ち着き、全員が真剣な表情で僕を見つめる。

 一転して張り詰めた空気になった気配に、僕も身構えた。


「エルネア、わたしたちは貴方の妻であり、仲間であり、戦友よ」


 うん、と頷く僕。

 さっきもミストラルに言われたし、僕もみんなのことを大切な家族だと心から思っている。


「わたくしたちは、エルネア君におんぶに抱っこの状態で暮らしているわけではありません」


 とルイセイネが続けると、ライラが言う。


「助けられることの方が多いですわ。でも、私たちもエルネア様を助けたいですわ」


 ユフィーリアとニーナが手を取り合って、ライラの言葉を肯定こうていする。


「だとしたら、エルネア君が寝ているのなら私たちが動けばいいわ」

「だとしたら、エルネア君が弱っている時には私たちが支えれば良いわ」


 セフィーナさんとマドリーヌ様が、妻たちの言葉を受けて真剣な眼差しで口を開いた。


「私はまだ、エルネア君と結婚はしていないけれど。まだ、みんなのような立ち位置にはなれていないけれど。それでも、私たちのことをミストたちと同じ家族として扱ってくれるエルネア君を、私たちも姉様たちと同じように支えたい」

「女神様より与えられた試練はとても困難な道のりです。ですが、私もエルネア君の伴侶として、共に歩んでいく覚悟と信念を持っているのです」

「マドリーヌは、まだエルネア君の伴侶ではないわ」

「マドリーヌは、まだエルネア君の妻にはなっていないわ」

「むきぃ、真剣に話をしている時に、横槍を入れないでくださいませっ」


 妻たちの言葉が心の奥に染み込んでいく。

 そして、ありがとう、と感謝の言葉が湧いてくる。

 僕が夢の中で、ひとりではない、と思いを巡らせていたように、妻たちも僕と一緒に悩み、考えてくれていたんだ。


「だからね」


 とミストラルが騒がしい三人を黙らせつつ、僕に微笑む。


「貴方が寝ている間に、わたしたちもできる限りのことをしてきたのよ」

「そうですよ、エルネア君。わたくしたちはエルネア君がいつ起きても良いように、しっかりと行動してきました」

「はわわっ。ですので、慌てる必要は全然ないですわ」


 ですので、今はご飯を食べましょうですわ、とライラがまたご飯を口もとに運んでくれる。

 僕は、みんなの優しさと行動力に思わず涙を浮かべながら、優しい味付けの温野菜を噛み締めた。


「みんな、ありがとう」


 ミシェイラちゃんや夢見の巫女様に選ばれたのは、僕だけではない。ミストラルだけでも、他の妻だけでもない。家族全員で選ばれた。それが意味する事とは何か。

 僕たちは、誰かひとりだけが突出した能力や思考を持っているわけではなく、全員がそれぞれに家族やみんなのことを想い、支え合い、力を合わせて困難に立ち向かっていける。そういう姿が評価されたからこそ「誰かひとり」ではなく「家族全員」が選ばれた。

 だから、僕だけが前に進んでいるわけじゃない。僕の隣には必ず妻たちが並び、全員が一丸となって目的へと進んでいける。

 これこそが、イース家のイース家たる所以ゆえんなんだ。


「貴方ひとりに苦労を背負わせたりはしないわ。わたしたちだって、大切な者たちを護るために戦えるもの」


 僕は、焦る必要なんてなかったんだね。

 僕が寝ていて動けないのなら、妻たちが動いてくれる。

 僕の考えなんて、ミストラルたちには丸っとお見通しなんだよね。だから、僕が望む未来へ向けて、既に動き出し始めてくれていたんだ。


「ですので、今は沢山ご飯を食べてくださいね? でないと、これからが大変ですよ?」


 今度はルイセイネが僕にご飯を食べさせてくれる。


「そうよ、エルネア君!」


 と、セフィーナさんがルイセイネから箸を奪おうとして、華麗にかわされた。

 セフィーナさんは、まだわかっていないようです。身体に微弱でも竜気を宿していたら、いつまで経ってもルイセイネの竜眼から勝利を奪うことはできませんよ?


「むきぃ。ルイセイネ、巫女頭の私にその箸をお渡しなさい」

「マドリーヌ様、それは職権濫用というものです。巫女頭であるのなら、もっと清く正しくあってくださいね?」


 勝ち誇ったようにルイセイネが次のお肉を箸で掴んで、僕の口に添える。しかし、そのお肉はユフィーリアの口へと吸い込まれた。


「エルネア君、口移しで食べさせてあげるわ」

「エルネア君、ユフィ姉様の次は私だわ」

「こらっ、貴女たち。はしたないわよ!」


 これは流石にミストラルに怒られた。

 やれやれ、と妻たちの賑やかさに癒されていると、ルイセイネに一本取られたセフィーナさんがため息を吐きながら、僕が寝ている間の報告をまず最初にしてくれた。


「はぁ。姉様たちは相変わらずね。この手を付けられない状態のまま、ユフィ姉様とニーナ姉様は王城に乗り込んで行ったのよ」

「えっ! 王城に!?」


 気のせいでしょうか。楽しい雰囲気が一瞬で飛んでいき、嫌な予感がひしひしと漂い始めたよ?

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