死を求める者

 さかのぼること、少し前。


 僕たちは、セフィーナさんの案内で禁領の北部を目指した。

 すると程なくして、ニーミアが見つけた。


「動物の死体がいっぱいあるにゃん」


 小さな湖のほとり。深い森の隙間に見えたのは、獣の死骸しがいを積み上げた異様な光景だった。


「ニーミア、慎重に降りてね」

「にゃん」


 高度を下げると、周囲の異変にも気付く。

 鬱蒼うっそうとした森の部分部分が、不自然に禿げていた。よく見てみると、樹々が薙ぎ倒され、地面に荒らされた跡が見て取れた。


「かなり凶暴かつ残忍な魔獣みたいだね」

「気をつけていきましょう」


 ニーミアは、獣の死体の山の近くに降りてくれた。

 早速、僕とセフィーナさんは獣の死体が山積みになった場所を調査し始める。


「どの死骸も、鋭利な牙か爪のようなもので切り裂かれているね。だけど、獣に捕食された形跡はない。明らかに、殺すことが目的だったみたいだ」

「その割には、綺麗に積まれているわね。ほら、エルネア君、見て。獣の頭の向きが揃えられているわ」

「言われてみると、全部の死骸が同じ方向に並べられているね」


 種族を問わず、大小様々な獣が犠牲になってしまっていた。

 なかには、僕の三倍はありそうな巨大熊の死骸まである。そして、その全ての死骸が、同じ方向に向けられて山積みされていた。


惨殺ざんさつしておきながら、綺麗に山積みにした?」

「何かの習慣か、儀式かしら?」

「でも、魔獣が人のように儀式をするなんて話は、聞いたことがいなよ? どうなの、オズ?」


 魔獣のオズに意見を求めようと振り返る僕とセフィーナさん。すると、オズは小さくなったニーミアの側にぴったりと寄り添っていた。


 怖いのかっ!


「わ、儂に助言をもらおうなど、百年早いわっ」

「なるほど、知らないんだね?」

「にゃんも聞いたことがないにゃん」

「ふむふむ。ニーミアも知らないとなると、これは難しい問題だ」


 なぜ、魔獣は獣を惨殺して回ったのか。そして、死骸の向きを揃えて山積みにした意味は何なのか。

 僕とセフィーナさんがもう少し手がかりを探そうと、死骸のひとつを降ろして確認しようとした時だった。


 がさり、と背後の茂みが揺れた。


「誰だ!」


 咄嗟とっさに振り返り、身構える僕たち。

 だけど、物音がしただけで、何の気配も姿もない。


 そもそも、危険地帯に降り立ったわけだから、僕を含む全員が周囲の警戒はおこたっていなかった。だから、不審者が潜んでいたとしても、そう易々やすやすとは近づけないはずだ。

 とはいえ、油断は禁物だ。

 慎重に、周囲の気配を探ってみる。

 だけど、魔獣どころか、獣や鳥の気配さえ読み取れない。念のために竜脈を探ってもみたけど、やはり不審な気配はなかった。


「……風だったのかな?」

「いいえ、不自然じゃなかったかしら?」

「にゃんも違和感があったにゃん」


 頼りになるセフィーナさんとニーミアが揃って言うのだから、間違いはないんだと思う。

 では、やはり魔獣が潜んでいるのかな?

 慎重に、音がした茂みへ近づこうとした時だった。


 がさり、と今度は別の茂みが揺れる。


「そこかっ!」


 セフィーナさんが素早く跳躍して、茂みに突っ込む。

 だけど、すぐに戻ってくる。


「気のせいだったみたい。何も潜んでいなかったわ」

「変だね? セフィーナさんはすぐに反応したし、何かが動いたような気配はなかった。なのに、魔獣もなにも潜んでいなかった? それじゃあ、不自然に茂みが鳴った理由はなんだろう」


 死骸の山を調べていた僕たちの気配を察知して、魔獣が戻ってきた?

 だとしたら、魔獣はこの周囲に潜んでいるはずだ。それなのに、どれだけ探っても気配は読めない。

 その反面、茂みは音を出す。


「いや、違う」


 何が、と問い返すセフィーナさんに、僕は周囲を警戒しながら言う。


「だって、そうじゃない? 僕たちが読み取れないほど巧みに気配を消しておきながら、音を鳴らすなんて初歩的な間違いは犯さないと思うんだ」

「言われてみると、その通りね」


 潜んでいるはずの魔獣の気配を僕たちが読み取れない、ということは認める。

 だけど、それだけ狡猾こうかつな魔獣が、不用意な動きを見せるはずがない。

 なら、なぜ不自然に茂みを鳴らしたのか。


「僕たちの技量を計っている?」


 だとしたら、思っていた以上に恐ろしく狡猾だ。

 こちらには、子竜とはいえ古代種の竜族のニーミアだっているんだ。それなのに、挑発をして様子を伺っている。


「ニーミア、念のために結界をお願い。あと、場合によっては一時撤退も視野に入れておこう。ミストラルと、ユンユンとリンリンも呼んだ方が良いかもしれないね」

「そうね」


 さすがのセフィーナさんも、今回は慎重だ。

 なにせ、僕はまともには戦えない状態だ。白剣も霊樹の木刀も手もとにないからね。


 深く静かに息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 心を落ち着かせて周囲の気配を探る僕たち。

 深い森の奥に、獣の死臭ししゅうを乗せた不快感のある風が流れた。

 不自然ではない、自然な感じで、樹々が揺れる。


「やっぱり、なんの気配もないわね。どうする?」

「むむむ。やっぱり、ここは撤退して応援を呼ぶべきかな?」


 ミストラルであれば、十分な戦力になる。それに、ユンユンとリンリンが居てくれたら、姿を消したまま周囲の様子を探ってもらえるからね。


「いや、待てよ? 精霊なら、魔獣に気付かれることなく探れるよね?」

「よんだよんだ?」


 僕が期待したからなのか、ぽこんっ、とアレスちゃんが顕現してきた。

 だけど、この時点で僕は違和感を覚える。


「あれ? アレスちゃん?」


 大人の姿のアレスさんではなくて?

 僕たちがこんなに警戒しているのに、幼女の姿のまま?

 そもそも、この状況で僕に呼ばれるまでアレスちゃんが干渉してこなかったこと自体が奇妙だ。


「ねえ、アレスちゃん」


 と、違和感の正体を確認しようとした時だった。


「くくくっ。よもや、精霊まで同伴どうはんさせているとは」

「何者だ!」


 声のした方角に、素早く振り返る僕たち。

 そして、見た。

 巨大な獣の死骸を引きりながら、森の奥から現れた化け物を。


 灰色の表皮に、体毛はない。ごつごつとした皮は、見るからに分厚そう。

 のしり、のしり、と歩く姿は鈍重どんじゅうだ。

 だけど、体長は全然大きくない。僕よりも小さい?

 でも、体重は何倍もありそうだ。歩くたびに、地面に深い足跡を残す。

 それに、と異様な容姿を見た。

 化け物の頭部は体に似合わず巨大で、下手をすると体長の半分くらいを占めているような気がする。

 その灰色の頭部には、鼻先と眉間近くに、二本の太いつのが生えていた。


 だけど、その独特な容姿よりも、その存在の在り方に僕たちは驚愕きょうがくしていた。


「武器を……?」

「そ、そんなまさかっ!? 魔獣が武器を扱うだなんて話、聞いたことがないよ!」


 化け物は、二本足で歩く。

 そして、片手で巨大な獣の死骸を引き摺り、もう片手に巨大な戦鎚せんついを握りしめていた。


「くくくっ。人族のわっぱ二人と、小さな魔獣。それと、小竜。精霊。次は何を呼び寄せる?」


 表情のうかがえない、灰色の巨大な顔。喉の奥から響くような低い声。

 姿こそ小さいけれど、竜族以上の迫力と気配をただよわせる化け物は、のしり、と足を前へ踏み出す。僕たちを恐れることなく。


「セフィーナさん……」

「ええ、わかっているわ」


 ここは、ひとまず撤退した方が良いかもしれない。態勢を整えて、不足している情報を補ってから、改めてこの化け物と向き合うべきだ。


 セフィーナさんが、小さく頷く。そして、躊躇ためらいなく地面を蹴って突進した!


「なっ!?」


 違うよ、セフィーナさん!

 意思疎通ができなかった!


 セフィーナさんは、残像を残すほどの速さで化け物の懐に飛び込むと、鋭く拳を放つ。

 鈍く重い衝撃音が森に響く。


「くっ」


 だけど、退いたのはセフィーナさんの方だった。

 拳を引き、突進と同じくらいの速さで僕の傍まで後退する。


「セフィーナさん!?」

「大丈夫よ。今のは小手調べだから」

「いやいや、もっと慎重に!」


 と言ってる側から、セフィーナさんが動く。

 今度は、残像さえ残さない速度で跳躍すると、化け物に迫る。

 蹴撃しゅうげきを放つセフィーナさん。

 鋭利なかまの斬撃を思わせる回し蹴りが、化け物の横っ面に叩き込まれた!


「っ!」


 でも、やはり今回も後退したのは、セフィーナさんの方だった。

 僕の横に並んだセフィーナさんは、いぶかしそうに化け物を睨む。


「困ったわね……。まったくと言っていいほど、手応えがないわ」

「全力で攻撃したのに?」

「ええ。手加減しなかったわよ。でも、あの化け物は避けることもせずに私の攻撃を受けて、何事もなかったかのように平気みたい」


 化け物は、一歩前へ踏み出した姿勢のまま、動いていなかった。腹部にセフィーナさんの拳を受け、頭部に回し蹴りを受けたというのにだ。


「気絶した、わけではなさそうね」


 セフィーナさんの攻撃が止んだことを確認したのか、化け物がもう一歩足を動かした。


「まさか、全然効いていないなんて!」


 竜族をも倒すセフィーナさんの格闘術は、ただの打撃ではない。

 己の竜術と相手の気の流れを巧みに操り、最大限に効果を発揮するように繰り出されている。それなのに、化け物は傷を負うどころか、何事もなかったかのように歩を進めてきた。


「くくくっ。面白い術を使うようだが、我には通用せぬぞ。さあ、次はどうする? 小僧が参戦するか。それとも、小竜に頼るか?」


 さあ、次は何を見せる。と不敵な気配を放つ化け物に、僕たちは思わず後退あとじさりする。

 まさか、こんな場所で恐ろしい強敵と遭遇するとは。

 こうなったら、どうにかして隙を作って、逃げるしかない。


 でも、どうすれば……と、視線を巡らせる。そして、視界に入った情景を確認して、ようやく違和感の正体に気付く。


「向きを揃えられた、獣の死骸の山。化け物が手に持つ獣の死骸。戦鎚……。あっ!」


 僕たちは、勘違いをしていたのかもしれない。


「エルネア君、隙は私が作るわ」

「セフィーナさん、待って! あの化け物は、魔獣なんかじゃない!」


 そうだ。最初から間違えていた。


「この森には凶悪な魔獣が潜んでいる、という先入観から思い込んでしまっていたけど。でも、違うんだ」


 禁領には、僕たち以外の人は住み着いていない、という大前提ともあいまって、考えが及んでいなかった。

 だけど、そうじゃない。

 住んでいるのは僕たちだけだったとしても、訪れることができる者は少数だけど存在する。

 そして、二足歩行で片手に武器を持ち、人の言葉を話すなら……!


「あれは、人だ!」


 何族かはわからない。子供か大人かもわからない。でも、確実に言えることは。


「あの人は、魔獣なんかじゃない。そして、獣を惨殺して回った犯人でもないよ!」


 そうだ。化け物のように見える容姿をしているけど、今回の事件の犯行者ではない。なぜなら、僕たちと対峙する謎の人物が手にする武器は、相手を殴り倒すための巨大な戦鎚。一方、山積みにされた獣の死骸は、どれもが鋭利な傷を受けて死んでいた。

 武器と傷痕が照合しない。


「セフィーナさん、拳を収めて。戦鎚を持った貴方も、どうか気を収めてください」


 戦ってはいけない。そんな気がした。

 だけど、僕の想いとは裏腹に、状況は収集の目処めどがつかなくなっていた。


「くくくっ。断るぞ、小僧。我を止めたければ、力尽くでこい。止められなければ、貴様らの死骸が山積みの一部になるだけだ」

「……エルネア君。私も初撃で気付いていたわ。懐に飛び込んだ時に、見たもの。あの不気味な獣の頭部の奥に、毛むくじゃらの人の顔を。そして、その瞳を覆う、死の気配を」

「えっ!?」


 どういうこと? と聞き返す僕に、セフィーナさんは前方を警戒しながら言う。


「あの瞳は、死に支配された瞳だったわ。沢山の冒険をして、多くの冒険者を見てきた私にはわかる。あれは、生を求める者の瞳ではなくて、死に場所を求めている者の瞳よ」


 未知の探求。お宝を探し、富と名声を求めるために、冒険者は各地で活躍している。だけど、なかにはいるんだ。自分の実力を思い知り、先へ進めなくなった冒険者が。そして、そんな冒険者の中から、まれに現れるという。


 死に場所を求める者が。


 冒険者として、もう将来は望めない。だからといって、今さら刺激のない普通の生活には戻れない。そんな冒険者が最後にたどり着く悲劇。

 達成できなくても良い。いや、達成できないとわかっていて、難しい冒険に出る。そこで、思い残すことなく冒険し、最後に死を求めるという。

 冒険の果てに死んだ、という名誉のために。

 セフィーナさんは、正面に立つ謎の人物が、それと同じ瞳をしていた、と断言した。


「だから、何を言ってもあの化け物は止まらないわ。自分が殺されるまでは」

「そ、そんな……!」


 そんな最期だなんて、認められないよ!

 何があって死を求めるに至ったのかは知らない。だけど、自分から死のうだなんて、絶対に間違っている!


「セフィーナさん、それでもやっぱり駄目だ。死にたがっているからといって、殺して良いわけじゃないよ」


 かつて。ライラと最初に出逢った時がそうだった。

 ライラも、死地を求めていた。自分の運命を呪い、もがき苦しんだ果てに、死のうとしていた。ミストラルや竜人族の人たちは、そんなライラに死を与えようとしていた。

 だけど、僕はライラを助けた。

 あの時、ミストラルたちと敵対してでもライラを助けたからこそ、今がある。なら、この人にも死という最期ではない未来が必ずあるはずなんだ。


「……だけど、エルネア君。どうするの? 少し前の貴方であれば、こんな相手でもどうにかできたと思うけど。今は武器を持っていないのよ?」

「そ、それは……」


 力を追い求める道とは違う選択肢を手に入れたい。そう思ったから、大切な白剣を一時的にでも手放したんだ。

 だから、僕は暴力ではない解決策を模索しなければいけない。

 だけど、僕の思いを他所よそに、謎の男は言う。


「ぐるる。愚か者どもめ。我の前に、無手で立ち向かおうとするとは。貴様らを廃し、この地を我が物にしてくれる」

「くっ! エルネア君、退がって。ここは私が食い止めるわ」

「駄目だ! セフィーナさんだけをここに残して行くわけにはいかない!」

「ええいっ、何を悠長なことをっ。ここは撤退すべきだっ」

「オズ、それだけは駄目だ!」


 セフィーナさんだけを残していくだなんて、絶対にない。だって、セフィーナさんは無理をしてでもこの男を止めようとするだろうから。そうしたら、セフィーナさんの身が危ない。

 それに、と対峙する謎の男が未だに手にする獣の死骸を見た。

 他の獣の死骸よりも大きく、凶暴そうな獣の死骸。見たことのない獣だ。その獣は、鈍器で殴られて死んでいた。

 山積みになった獣たちとは違う死因。そして唯一、鋭利でない傷痕を持つ。


「セフィーナさん、オズ。ここは撤退もないし、戦って解決する、という選択肢も取っちゃ駄目だよ」


 なぜ、と首を傾げるセフィーナさんに、僕は確信を持って言う。


「あの人は、わざと悪ぶって僕たちを挑発しているけど。でも、この森で暴れていた魔獣を倒してくれたのはあの人だし、無惨に殺された獣をとむらってくれようとしていた、い人だから」


 謎の男が片手に持つ獣の死骸こそ、魔獣のそれだ。

 いち早く僕たちよりも森に入り、魔獣を倒してくれたんだ。しかも、各所で惨殺されていた獣の死骸を集めてくれていた。

 きっと、これから死骸を弔おうとしてくれていたんだよね。

 そんな人を、死にたがっているから、という理由だけで戦ったり、殺したりしてはいけない。


 僕は、セフィーナさんと謎の男の間に割って入った。

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