死地へと

「エルネア君には、心より感謝いたします」

「いいえ、僕たちの方が感謝していますよ。レストリア様のおかげでルイセイネの瞳の暴走が押さえられましたし、そもそもカルナー様の話がなかったら、僕たちはイシス様と正しく巡り逢えていなかったように思います」


 霊樹ちゃんへ会いに行く前に。僕たちは、苔の広場へと向かった。そこで、一連の騒動をスレイグスタ老に報告しようと思ったんだ。そうしたら、運良くカルナー様が戻ってきたところだったので、イシス様やネレイラーシャ様のこともしっかりと報告した。

 すると、僕たちの話を聞いたカルナー様に、少しびれた様子で頭を下げられちゃった。


「実は、イシスのことはエルネア君たちよりも前に見つけていたのです。ですが、どう接触すれば良いのかと手を出しあぐねていました」

「世界のどこか、じゃなくて、意外と近くにいましたからね」


 さあ、探すぞ。となったら、そりゃあ近場から探っていくよね。そして、イシス様たちは運良くヨルテニトス王国の山岳地帯に居た。

 だけど、イシス様は雲竜ネレイラーシャ様の生み出した深い雲の奥に隠れていて、接触することも困難だった。


「とはいえ、カルナー様だったら僕たちみたいに争いになる前に、ネレイラーシャ様を上手く説得できていたと思いますよ?」


 なにせ、カルナー様とレストリア様は、竜人族と竜族の間に伝説として伝わる方々、と「同姓同名同種族」だからね!

 僕がそう言うと、カルナー様とレストリア様は可笑しそうに笑ってくれた。


「それでは、私たちはイシスが戻ってくるまで、静かに待たせていただきましょう」

「くるる。ネレイラーシャもお迎えしましょうね、カルナー様」

「ええ、もちろんです」

「はっ! そうしたら、楽園の守護者をまた探さなきゃいけなくなるのか!?」

「楽園の者たちで選抜試験をするにゃん?」

「ニーミア、そんなことをしたら、大騒動になるのは目に見えているからね!」


 僕たちの報告を受けて、スレイグスタ老も満足そうに頷いてくれていた。






「……と、いう冒険だったんだよ」

『わぁ、楽しかったね。忙しかったね』

「ふふふんっ。儂がらずとも、その程度はこなしてみせるとわかりきっていたがな」

「オズ、それじゃあ今度は、僕とアシェルさんと一緒に冒険してみる?」

「ぴぎゃーっ」


 僕たちは、苔の広場での報告を終えると、禁領へ戻ってきた。そして、こうして霊樹ちゃんの根もとで、ここ数日間の濃密な冒険譚ぼうけんたんを披露していたわけです。

 僕たちがいない間、守護者、のつもりで霊樹ちゃんと遊んでくれていたオズは、アシェルさんの名前を出した途端に逃げ去っていった。

 どうやら、相当に苦手意識を植えられてしまったようだ。

 可哀想に。


 ちなみに、カルナー様とレストリア様は、僕たちの報告を聞くと、御子みこ様のもとへと帰っていった。

 御子様の次の旅は、いつになるのかな?


『それでそれで? 次の大騒ぎはいつなの?』

「もうすぐもうすぐ」

「にゃん」

「いいえ、大騒ぎなんて起こしませんっ」


 霊樹ちゃんの太い根に背中を預けて、膝の上にアレスちゃんを乗せ、頭の上にニーミアを乗せた僕は、心穏やかにお休みしたいのです。だから、騒動なんて御免だよ?

 第一、こんなに穏やかな禁領の雲の下で、騒動なんて起きるわけがない。


「エルネア君、事件よ! 北の方で魔獣が騒動を起こしているらしいわ」

「一瞬で騒動に巻き込まれちゃった!」


 僕の平穏を見るも無惨に打ち砕いたのは、物凄い速さで霊樹ちゃんの根もとまで走ってきたセフィーナさんだ。


 なんてこった。瞑想しながら、アレスちゃんと霊樹ちゃんにご飯を与えようと思った矢先に、これですよ?

 しかも、僕が騒動を巻き起こしたんじゃなくて、セフィーナさんに巻き込まれた形です。

 霊山の山頂まで全力で走ってきたのか、息を切らせて苦しそうなセフィーナさん。だけど、なぜか嬉しそうな顔をしています。

 絶対に「ほら、騒動が起きた」と思っているに違いない。


「しくしく。騒動には足を突っ込まないって、心に誓ったのに」

「あら、残念ね。だけど、これはユーリィお婆様からの依頼よ? それを断るのかしら?」

「くっ。それは断れません」


 竜王の森で暮らしているユーリィお婆ちゃんには、色々とお世話になっているからね。


「それで、具体的な内容は?」


 セフィーナさんから話を聞いている間だけでも、ご飯をあげなきゃね。ということで、座った姿勢を崩さずに聞き返す僕。

 セフィーナさんはお水を飲んで喉をうるおわせると、いつものように格好良い仕草で禁領の北側を指さした。


「なんでも、北側にある湖近くの森で、見たこともないような魔獣の影を見たそうよ」

「ユーリィおばあちゃんが?」

「いいえ、プリシアちゃんのお父さんが」

「ふむふむ?」

「だけど、プリシアちゃんのお父さんでも、影を一瞬見ただけで、追いきれなかったみたい」

「ほほう?」


 ユーリィおばあちゃん以外にも、プリシアちゃんのご両親やカーリーさんたちが禁領の竜王の森へ移住してくれていた。

 そして、プリシアちゃんのお父さんといえば、元々は竜の森に住む耳長族の戦士たちを纏める、警備隊の隊長だった人だ。そんな人が、いくら不慣れな森だったからといっても、魔獣を追い損ねるとは。


「でも、それだけじゃあ、その魔獣が危険かどうかわからないよね?」

「それが、プリシアちゃんのお父さんの話によればね……」


 禁領には、僕たちが知らなかったり未到の地がまだまだ多く広がっている。

 千年以上も人の手が入らなかった自然深い禁領は、竜峰北部の西端に面した形で、縦長に存在する。その北のはしは海に突き当たるんだよね。

 他にも、千の湖と言われるくらい多くの湖や泉が点在していたり、森や湿地や草原が広がっていたりと、表情豊かな土地だ。


 そこで、プリシアちゃんのお父さんは、暇を見つけては禁領の各地に出向いて、色々なことを調べてくれたりしていた。

 今回も、妖魔の王の討伐から帰ってきたプリシアちゃんのお父さんは、北側へと探索に出たらしい。


 ……けっして、プリシアちゃんのお母さんと喧嘩して、ひとりになりたかったからではありません。


 なにはともあれ、プリシアちゃんのお父さんは禁領の北側へ足を向けた。そして、見たという。


「森に住む獣が無惨に殺されていたり、樹々が手荒に薙ぎ倒されていたらしいわ」

「むむむ。それは放ってはおけないかもね?」


 僕たちだって、必要であれば木を切り倒すし、生きるために獣を狩ることはある。だけど、無駄な殺生や自然破壊に繋がるような行為は厳禁だ。

 特に、森とそこに住む者たちを大切にする耳長族であれば、尚更だ。


「プリシアちゃんのお父さんは、犯人を見つけ出そうとしたみたい」

「それで、魔獣の影を見つけたんだね?」

「ええ、そういうことね。でも、あまりにも速く、しかも狡猾こうかつみたいで、手に負えなかったらしいわ」


 手強てごわそうだね、と僕が呟くと、セフィーナさんが不敵な笑みを浮かべた。

 はい。騒がしくなりそうな予感しかありません。


「ふふふ。面白いじゃない。耳長族の屈強な戦士でも追いきれなかった魔獣を追いかけて討伐する。腕が鳴るわね」

「僕は、最近思うんだ。セフィーナさんって、戦闘狂だよね?」

「あら、違うわよ? ユフィ姉様とニーナ姉様の妹よ」

「そっちの方がしっくりくるのは何故でしょう!?」


 こうして、僕たちは禁領に帰ってきたばかりだというのに、休む暇もなく働くことが決定した。


「はっ。これで、僕はミストラルとセフィーナさんに好きにされちゃう運命なのか!?」

「変態にゃん」

「ほうこくほうこく」

『いってらっしゃーい』


 霊樹ちゃんが、緑に茂った枝葉を揺らして、僕たちを見送ってくれる。


「それじゃあ、エルネア君。競争をしましょうか。どちらが先に、現地へ到着するか」

「いやいや、セフィーナさん。そんなことをしていたら、何日も掛かっちゃうからね!?」


 禁領を甘く見てはいけません。

 魔族の支配者が直接支配する「領地」なんて考えは甘い。

 なにせ、竜峰の北部に沿って、海まで続く土地だよ?

 はっきり言って、アームアード王国なんかより土地は広いと思うよ?

 その広大な土地の北側って、実は凄く遠い場所なんです。

 プリシアちゃんのお父さんだって、何日も掛けて出かけて、何日も掛けて戻ってきたはずだ。それなのに、片手間に競争しながらなんてやっていたら、ヨルテニトス王国に置いてきたみんなを長く待たせることになっちゃう。


「それに、僕は具体的な場所を知らないからね?」


 禁領の北部。……遠くて広い場所の、どこの森で事件が起きたのか。それは、詳しい事情を聞いたはずのセフィーナさんしか知らないことだ。

 僕の反論を受けて、セフィーナさんが残念そうに肩をすくめた。


「エルネア君を上手いこと言いくるめて、何日も独占しようと思ったんだけど。詰めが甘かったわね」

「この人、ライラみたいな独占欲を持ってる!」


 ともかく、競争しながら現地へ向かう案は却下です。

 ということで、いつものようにニーミアにお願いする。


「ミストお姉ちゃんも連れて行くにゃん?」

「いいえ、ニーミアちゃん。あとでおやつをあげるから、この事は内緒よ?」

「にゃん」

「セフィーナさん。帰ってきてから、どうなっても知らないよ?」


 僕は苦笑しながら、大きくなったニーミアの背中に乗る。

 すると、当然のようにオズが飛び乗ってきた。


「オズ?」

「ええいっ。禁領の事件なのだ。儂が行かずして、どうするのだっ」

「危なくなったら、自分の身は自分で守らなきゃいけないよ?」

「えっ?」

「耳長族の元守備隊長が手こずる相手かぁ。きっと、恐ろしく強いんだろうね」

「ひっ」

「大丈夫じゃないかしら? ほら、オズは伝説の魔獣なんだし」

「そうだね。オズなら大丈夫か」

「ぴーっ」


 お股に二股の尻尾を挟んで、うるうると瞳を潤ませ始めたオズを見て、笑ってしまう僕たち。


「ごめんごめん。ちゃんと護ってあげるし、連れて行くからね?」


 たまには、オズにも冒険させてあげなきゃね。

 オズを含めた僕たちを乗せて、ニーミアが空に舞い上がる。

 霊山の山頂で大きく枝葉を揺らす霊樹ちゃんに見送られながら、僕たちは禁領の北部を目指した。


 だけど、僕たちはまだ知らなかった。

 思いがけない強敵と対峙する運命に。

 そして、痛感する。

 なぜ、僕たちは禁領の守護者たるテルルちゃんに相談しなかったのかと。

 なぜ、そのテルルちゃんは、禁領を荒らす者を見過ごしていたのかを。






「ぐるる。愚か者どもめ。我の前に、無手で立ち向かおうとするとは。貴様らをはいし、この地を我が物にしてくれる」

「くっ! エルネア君、退がって。ここは私が食い止めるわ」

「駄目だ! セフィーナさんだけをここに残して行くわけにはいかない!」

「ええいっ、何を悠長なことをっ。ここは撤退すべきだっ」

「オズ、それだけは駄目だ!」


 禁領の北部に広がる森の奥。

 山積みになった獣の死体の側で、僕たちは窮地きゅうちに立たされていた。

 僕たちの前には、見たこともないような容姿の化け物が身を低くして構え、今にも突進してきそうな気配を見せる。


 竜族の鱗に匹敵しそうな分厚く頑丈な表皮に覆われた、頭につのを持つ灰色の化け物。その化け物が、二本足で立ち、自身の体重の三倍はありそうな重い戦鎚せんついを振り上げて、不気味に笑っていた。

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