旅の報告

 気づけばお昼。

 プリシアちゃんのお腹も鳴ったことだし、昼食を取ろうというミストラルの提案に、ルイセイネも頷く。

 でも僕はちょっと待って、と引き留めた。


 僕にはまだ報告しなきゃいけないことがあるんだよ。


 黒飛竜と竜騎士と同じ位に、重要なことだと思うんだ。


 今朝方。この村に来る途中で見た、猩猩しょうじょうの事。

 紅蓮の炎がとぐろを巻き、竜峰の一画を地獄に変えていた魔獣。暴君は、猩猩は竜峰の全竜族竜人族が束になっても、僅かが逃げのびれるだけと言っていた。

 恐ろしい最上位の魔獣。この事を僕は早く報告しなきゃいけない。

 時系列で旅の事を話したから竜騎士オルタの部分で時間を食ったけど、一刻も早く猩猩の事も言わないといけないと思った。


「どうしたの?」


 不思議そうに僕を見るミストラルに「もう少しだけ」と言って席に戻ってもらう。

 そして竜騎士に襲われたところから一部を省略し、僕は猩猩のことを報告した。


「猩猩が……」


 案の定、ミストラルは絶句した。

 ルイセイネは猩猩が何なのかを知らなかったらしく、僕に質問してくる。なので僕はコーアさんと暴君から教わったことをそのまま、ルイセイネに伝えた。


「そ、そんな魔獣がいるなんて!」


 ルイセイネも猩猩の計り知れない恐ろしさを知って、息を呑む。

 ミストラルはしばし目を伏せて、物思いに耽る。


「エルネア」


 そしてゆっくりと視線をあげ、僕を見つめた。


「猩猩の事は最初の村の人たちにも伝えたのよね?」

「うん。暴君の言葉を通訳して、ちゃんと伝えたよ」

「それで、縄張りは確かに移動していなかったのね?」

「それも間違いないよ。ここに来る途中、暴君に乗って縄張りをこの目で見てきたからね」


 猩猩の煉獄の縄張りは見ただけで恐ろしかったけど、確かに移動はしていなかった。


「そう……」


 言ってミストラルは、席を立った。


「なら、今わたしたちが心配することじゃないわ」

「えっ!?」


 黒飛竜と竜騎士の報告の時とは打って変わって呆気ない態度のミストラルに、僕は驚く。

 僕はてっきり、深刻な事態になって村じゅうどころか竜峰全体を巻き込んだ騒ぎになると思ったんだけど。


「報告をありがとう。でも、わたしたちに出来ることは何もないわ」


 ミストラルは苦笑する。


「上位魔獣には関わるな。それが全てなのよ」

「どういうことなのでしょう?」


 ルイセイネもミストラルの淡白な対応に疑問を持っているみたいだね。

 何でそんなに軽い対応なのか、と表情が物語っているよ。


「これは、さっきエルネアがルイセイネに説明した通りなのよ」


 ミストラルは疑問符を頭の上に浮かべる僕たちを見て、悲しそうな表情になる。


「今回は猩猩だったけど。それ以外でも、上位魔獣が現れた際は傍観するしかないの。だって、太刀打ちしようにも、手を出せばわたしたちの方が滅んでしまうのだもの」


 竜姫のミストラルにそう言わせる存在に、僕とルイセイネは鳥肌を立てた。


「縄張りが動いていないのなら、被害はそれ以上は広がらないわ。近くの隊商の村には報告を入れたのでしょう。なら、後は猩猩が縄張りの全てを焼き尽くし、喰らい尽くしてまた何処か別の場所に移動するのを待つしかないの。投げやりな対応に聞こえるかもしれないけれど、わたしたちにも無理なことはあるから」


 言ってミストラルは、悲しく微笑んだ。


 これが現実的な対応なんだ。

 暴君が、逃げるのがやっとだと言った。ミストラルも傍観するしかないと言う。人族よりも遥かに優れた種族である竜族と竜人族でも、無理なことはある。


 僕やルイセイネは、彼らをどこか神格化した存在に見ていたんだね。

 だから、僕たちにできないことも竜族や竜人族であれば何でも出来ると思い込んでいた。

 だけど、ミストラルたちは自分たちの事をきちんと現実的に見ていて、出来る事、出来ない事を正しく把握しているんだ。


 最東端の村の人たちが慌てふためいていた。暴君も縄張りにはあまり近づこうとしなかった。ミストラルは傍観するしかない、と簡単に結論を出した。

 でも僕は心のどこかで、それでも竜姫のミストラルなら、という思いを持っていた。

 現実を受け入れられていない勝手な思い込み。都合のいい期待。

 僕はミストラルを身近に感じつつ、やっぱり人族とは違う種族なのだ、と特殊な目で見ていたのかもしれない。


 なんて僕は愚かなんだろう。

 ミストラルが好きだ、結婚したいと思いつつ、彼女を特殊な存在として見ていただなんて。


「ごめんなさい」


 うな垂れた僕に、ミストラルは心配そうに首を傾げる。


「何を謝るの? 貴方はちゃんと大切な事を報告してくれたじゃない」

「ううん、そうじゃないんだ」


 落ち込む僕に、ルイセイネが心配そうに寄り添う。


 あああ。僕は竜峰に入ってからというもの、自分の馬鹿さ、愚かさ、阿呆さを痛感してばかりだよ。

 ミストラルとルイセイネが心配してくれているのに、更に落ち込んでいく僕。


「んんっと、お腹が減ったら心が暗くなるんだよ?」


 プリシアちゃんが、僕に抱きついてきた。


「にゃあ。エルネアお兄ちゃんは考えすぎにゃん」


 ニーミアが僕の頭に乗ってきた。


「まったく。急に何を落ち込み始めたのかはわからないけれど、ニーミアの言う通りよ。しっかりしなさい」

「エルネア君は笑顔が似合うんですよ。お腹いっぱいになれば、きっと気分も晴れますよ」


 そして僕は、みんなに引っ張られて部屋を連れ出された。

 出入り口から出ると、すぐに美味しそうないい匂いがしてくる。

 村の広場には、手に手にお皿を持って、思い思いの場所に座り込んで食事をしている人たちで溢れていた。


「さあ、早くしないとみなさんに全部食べられてしまいますよ」


 ぐいぐいと僕の右手を引っ張るルイセイネ。

 プリシアちゃんがニーミアと一緒に、長屋の別の一画に走って行った。


「急がないと、食いしん坊に全部食べられるわよ」


 ミストラルが僕の左手を引っ張って、プリシアちゃんたちが向かった場所へと連れて行く。


「うわっ、これって炊き出し?」


 村と泉を隔てる長い建物の一部は、大きな厨房になっていた。幾つもの釜が並び、広い調理台がある。

 壁や天井からは乾物が吊り下げられ、新鮮な野菜が山積みされている。


「ミストさんの村では、みんなで食事を作って、みんなで食べるんですよ」

「と言っても、男衆は調理なんてしないのだけどね」


 ルイセイネとミストラルの説明に、僕は驚く。

 村人全員で共同生活をしているんだね。


 そう言えば、ずっと前。副都にお使いに行った帰りに苔の広場に泊まった時。夕食を作ってくれた時に、ルイセイネがミストラルの料理の腕前に唸っていたよね。

 それは、いつも村で調理をしていて手馴れていたからなんだ。


 長屋の共同厨房前には机が置かれ、そこにいろんな種類の料理が並べられていた。

 見たこともないような料理が沢山。

 美味しそうな匂いと賑やかな広場の雰囲気に、僕の心の闇はいつの間にか晴れてた。


 うん。ひとりで落ち込んでいても仕方ないよね。

 前向きに行こう。

 旅の失敗談はもうミストラルたちに話したんだ。

 情けない、と思われたかもしれない。でもしょうがないよ。これが僕の今の姿だもの。


 これから名誉回復ですよ。


 とりあえずは、ミストラルの村に着いたんだ。

 僕の、竜峰での生活は今からです!


 ザンさんのように、頼りになって格好良い竜人族の人は周りに沢山いる。でも僕はそんな人たちを払いのけて、必ずミストラルをお嫁さんにしてみせる!

 その為には、うじうじと暗く落ち込んでいる場合じゃないよね。


 僕は気合を入れ直すと、料理を取るために列に並んだ。

 ミストラルたちと一緒に列に並んだ僕に、珍しいものでも見るような視線を村の人たちが向けてくる。

 だけど、敵意や疎ましそうな気配は全くなく、むしろどうやって僕に話しかけようか、といったひそひそ話で盛り上がりを見せていた。


 なんだか、予想外です。


 僕は、暴君に乗ってこの村に来たんだ。だから警戒されているかも、と思っていたよ。

 それに、ミストラルの婚約者という立場はどうやら知れ渡っているみたいで、男性陣から嫉妬の視線は向けられるけど、敵意のようなものは全くなかった。


 ザンさんがうまく説明してくれたのかな?


「さあ、好きな物を取るといいわ」


 周りを見渡しながら待っていると、僕たちの順番が来た。

 ミストラルに促され、僕たちは思い思いの料理を手渡されたお皿に盛っていく。

 好きなだけ料理は取って良いらしいんだけど、一度で盛れる量はお皿分だけみたい。

 お代わりが欲しい人は、最初に盛ったものを全部食べ終わってから、もう一度取りに来なきゃいけないらしい。


 僕は見たことのない料理を中心に、少量ずつ取っていく。

 ミストラルもルイセイネも、楽しそうに料理を選ぶ。

 そんな中、プリシアちゃんはお皿に乗せきれないくらいのお肉を盛って、満面の笑みを見せていた。


 こら! 絶対そんなに食べきれないでしょ。


 僕が呆れて見ていると、プリシアちゃんはミストラルに見つかって怒られた。


「ニーミアと一緒に食べるから、大丈夫だもん」


 せっかく盛ったお皿の肉を戻されるプリシアちゃんは、なんとも悲しそうな表情だよ。

 ニーミアも、お皿の上から減っていくお肉を悲しそうに見ていた。


 君たちはどんだけ肉好きなんですか。


 プリシアちゃんの子供らしい様子に、村の人たちから笑いが漏れる。

 プリシアちゃんはここでも人気者なんだね。


 僕たち全員が好きな物を好きなだけお皿に盛ると、全員で固まって食事になる。

 標高が少し高いせいなのかな。

 王都を出た時よりも少しまだ肌寒かったけど、日差しの下で温かい料理を食べていると、気にはならない。


「すごく注目されていますね」

「それはもう、暴君の背中に乗ってやって来た人なんて、前代未聞だから」

「プリシアたちが来た時よりも、視線がいっぱいだよ」

「みんな興味津々にゃ」


 僕たちは広場の端に陣取って食事をしているんだけど、他の人たちの視線は相変わらず。

 中には、僕たちの側に座って食事をしながら、聞き耳を立てているようなおばちゃんたちもいるよ。

 奇異の目で見られるんだろうな、と思ってはいたけど、まさかこんなに注目されるとは。


「やっぱり暴君に送ってもらったのは失敗だったかな」


 せめて村の近くで降ろしてもらえば良かったよ。


「そういえば、どうして暴君に送ってもらうような状況になったのかしら? 貴方はさっき、オルタと思われる竜騎士に襲われた後から猩猩の話になった時に、途中を飛ばしたでしょう?」


 そう言えばそうでした。

 竜騎士の後の話は、具体的な部分を話してなかったんだよね。


「食事をしながらお話ししていただけませんか」


 ルイセイネの提案に、何故か周りで聞き耳を立てていたおばちゃんたちが頷く。


「そうだね。残りの部分は少ないしね」


 そして僕は、竜騎士から逃れ、暴君によってふりだしに戻され、最東端の村に再度到着した時までの旅をミストラルたちに話した。

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