第一関門

 通行証。

 そんな物が必要だなんて、僕は知らなかった。

 竜峰を目指すと宣言した僕に、教えてくれる人もいなかった。


 もしかしたら、誰も竜峰に行こうとさえ思わなかったから、西の砦を抜けるためには通行証が必要だなんて事を知っている人自体が居なかったのかもね。


 だけど、僕はこの砦を抜けなくちゃいけないんだ。

 それには通行証が必要みたい。


 どうしよう。


 最初でつまずいちゃったよ。


 通行証はどこで貰えるのかな?

 簡単に手に入るのかな?

 竜峰に入るだけの実力があるか、試験があったりするのかな?


 どうしよう。


「どうやら、その様子だと通行証は持っていないみたいだな」


 兵士さんはなぐさめるように僕の肩を叩く。


「通行証がなきゃ、たとえ勇者でも通すわけにはいかないんだ。だから諦めな、坊や」


 兵士さんは優しく諭すように言ってくれてるけど、僕は諦めるわけにはいかないんだ。


「通行証はどこで手に入るんですか?」


 僕の質問に、兵士さんはにやりと笑う。


「その情報を手に入れるのも冒険者の腕だ。それさえ分からないようなひよっ子が竜峰に入っても、無駄死にするだけだよ」


 僕は冒険者じゃないんだけどね。


「僕はどうしても竜峰に入らなくちゃいけないんです。じゃないと……」


 ミストラルに認めてもらえない。竜人族の人たちに認めてもらえない。

 そうしたら、僕はミストラルをお嫁さんになんて出来ないよ。


「ううん、困ったな。駄々をねられても、駄目なものは駄目なんだ」


 困ったように頭を掻く兵士さん。

 僕も困ってしまい、肩を落とす。


 通行証を発行してくれる場所さえ知らない僕。

 今からそこを探し当てて、それで無事に発行して貰えるのかな?

 こういうものは冒険者組合が発行していそうだけど、組合発行なら冒険者にしか出してくれないよね。

 そして、冒険者登録をしていない僕が今から組合に加入しようとしても、入組試験で最低でも数日を潰すことになっちゃうよ。

 それに、冒険者になりたての僕なんかに、すぐに通行証を発行してくれるのかな?

 竜峰は腕利きの冒険者でも行こうとはしない場所なんだ。


 困った。


 兵士さんは諦めるように僕を説得しようとしてるけど、絶対に諦めるわけにはいかないんだよね。

 こうなったら、一度南の竜の森に入って、そこから竜峰を目指すべきかな。

 南には砦は無いし、竜の森に入ればそこから西に向かうと障害もなく竜峰には入れる。

 だけど、ミストラルから貰った地図は役に立たなくなっちゃうね。


 僕が悩んでいると、背後から誰か人が来る気配がした。

 兵士さんの顔が引きつるのを僕は見た。


「ニーナ、やっぱりここで立ち往生してたわ」

「ユフィ姉様、やっぱりここで困っていたわ」


 聞き覚えのある名前と瓜二つの声に、僕は振り返る。

 そして、見覚えのある全く同じ姿の二人を見て、僕は驚いた。


「ユフィーリア様、ニーナ様。どうしてここに?」

「あら、私たちのことを覚えていてくれたのね」

「嬉しいわ」


 言って双子王女様は、僕を抱きしめた。


「ぐふっ」


 柔らかく大きなお胸様に、僕の顔は埋まる。


「きっと貴方のことだから、ここで困ると思ったわ」

「セリースから貴方のことを聞いて、ここで困ると思ったわ」


 どうやら、セリース様に僕が竜峰を目指すことを聞いていたみたい。


「でもまさか、こんなに丁度良く会えるとは思わなかったわ」

「丁度良すぎだわ。これは運命ね」


 ぎゅうぎゅうと両側からお胸様を押し付けてくる双子王女様に、僕はしどろもどろになる。


「く、苦しいです」


 息をしようと思えばできるんだよ。

 でも息を吸うと、双子王女様の甘い香りが鼻一杯に広がるし、息をお胸様に吐きかけるのは躊躇ためらわれるよね。


 というわけで、僕は窒息しそうになる。


 とても嬉しい状況なんですけど、勘弁してください。

 解放してください、という意思を込めて僕は双子王女様を叩く。


「ニーナ、またお尻を触られたわ」

「エルネアは大胆だわ」


 あわわ、違うんです。そんなつもりじゃないんです。

 慌てふためく僕。


「王女殿下、どうしてこちらに?」


 躊躇いがちに聞いてきたのは、僕に丁寧な対応をしてくれていた兵士さんだ。

 今はお胸様で姿が見えないけど、兵士さんからも目の前の状況に困惑している様子が伝わってくる。


「そうだわ。忘れていたわ」

「楽しくてすっかり忘れていたわ」


 このお二人、僕をもてあそんで楽しんでいるんですね。


 双子王女様はようやく僕を解放すると、手荷物から何やら取り出した。


木簡もっかん?」


 小さな木の板を取り出す双子王女様の片割れ様。

 はい。今の見た目では、どちらがユフィーリア様でどちらがニーナ様か見分けがつきません。


「これを貴方に渡しにきたわ」

「これがないと砦は越えられないわ」


 と言って、双子王女様は二人で取り出した木簡を僕に渡してくれた。

 僕は受け取った木簡を注意深く見る。


 これはなんだろう。


 表面には、文字が書かれてあった。


「これを所持する者の砦の通行を許可する」


 大仰な字体で書かれているよ。


 そして木簡を裏返してみて、僕は驚いた。


 木簡の裏には、アームアード国王陛下の御名御璽おんめいぎょじが朱色で記されていたんだ。


「西の砦の通行証よ」

「お父様に貰ってきたのよ」


 にこやかに微笑む双子王女様に、僕だけじゃなくて兵士さんも驚いていた。


「これが通行証……」


 まさか、王様の許可が必要だったなんて。

 これじゃあ、もしも双子王女様が気を利かせて通行証を持ってきてくれなかったら、僕は絶対に砦を通過することはできなかったよね。


「ありがとうございます」


 僕は木簡を握りしめ、深くお辞儀をした。


「取引をして手に入れたのよ」

「だから無駄にしちゃ駄目よ」

「えっ? 取引?」


 双子王女様はこの木簡を王様に出して貰う代わりに、何か取引をしたのかな?


「王子様の子守りを押し付けられたわ」

「ヨルテニトス王国の王子様よ」

「えええっ、それってもしかして、グレイヴ様ですか!?」


 僕はこの木簡の代わりに、双子王女様をあの嫌味なヨルテニトス第一王子に差し出してしまったのか。


「ふふふ、違うわ」

「ふふふ、間違えよ」


 だけど、双子王女様は笑って首を横に振る。


「第四王子のフィレルよ」

「エルネア君のひとつ下。エルネア君よりかは可愛くないし、面白くないわ」


 むむむ。僕は思い出す。

 ヨルテニトス王国には確か、グレイヴ様の下には他にも三人の王子様が居るんだよね。

 そして、僕のひとつ下の第四王子様ってことは、一番末の殿下だね。


「第四王子様がこの国に来てるんですか?」

「そうよ。飛竜狩りに来てるわ」

「でもきっと無理。弱いわ」

「弱い……んですか」


 双子王女様の率直な意見に、僕と兵士さんは苦笑する。

 隣国の王子様をそんなに簡単に弱いとか人前で言っちゃっても良いのかな。


「じゃあ、なんでそんな王子様が飛竜狩りなんですか?」


 飛竜狩りは、今年の夏に行われることが決定していた。

 今は、その準備で王都にはヨルテニトスとアームアード国内から選りすぐりの兵士が集まり、それ以外にも腕に自信のある者、竜騎士になって一旗あげようとする人たちで賑わっているんだよね。

 だけど、そこにわざわざ王子様を連れてくることはないと思うんだ。

 しかも弱いらしいし。


 王族なら、命の危険を冒してまで飛竜を捕まえる必要はないんじゃないかな。

 飛竜を捕まえようとしている人たちは、あくまでも新規で竜騎士になりたい人だよね。

 王族なら、乗り手がいなくなった在籍中の竜を回して貰えば良いと思うんだけど。


「向こうの国の考えはわからないわ」

「でもフィレルは弱いから試練を与えられたみたい」


 なるほど。と納得して良いものかは疑問だけど、なんとなくわかったよ。

 僕がスレイグスタ老に試練を授けられたように、フィレル様も飛竜を自ら捕まえて力を示せ、というような試練を受けたんだろうね。


「それじゃあ、御二方も飛竜狩りに参加するんですか?」

「しないわよ。危険だもの」

「夏までのお守りだけよ」

「あ、わかりました。御二方が王子様の指南役をするわけですね」

「正解よ」

「エルネアは賢いわ」


 いやいや。今までの話の流れで、それくらいはわかりますよ。


「本当は貴方と一緒に竜峰に行きたかったわ」

「本当は貴方と一緒に冒険がしたかったわ」

「すみません」


 これは素直に謝るしかないね。

 僕のために通行証を準備してくれた代償に、王様から命令されちゃったんだからね。


「いいわ、帰ってきたら遊びましょ」

「いいわ、帰ってきたら良いことしましょ」


 双子王女様の優しい微笑みに、僕はもう一度頭を下げた。


「ありがとうございます。このご恩は必ずお返ししますので」

「楽しみに待ってるわ」

「忘れちゃ駄目よ」


 僕は双子王女様と握手と抱擁を交わす。

 そして通行証を兵士さんに見せた。


「これが通行証ですよね?」

「そうだな、間違いないだろう」


 なにせ、双子王女様がわざわざ自ら持ってきた物なんだ。確認するまでもなく本物だよね。

 僕は兵士さんの先導で砦へと足を向けた。

 砦門とりでもんは、兵士さんの合図で人ひとり分の隙間だけ開く。


「気をつけるのよ」

「無茶は駄目よ」


 双子王女様の気遣いに手を振って応え、僕は砦の中へと入る。

 兵士さんも一緒についてきて、ぼそりと言った。


「まさか坊やがあの双子王女様と知り合いだったとはな」

「はい、先日ちょっとした縁がありまして」

「そうか。あの御二方に気に入られるとは、坊やは見かけによらず凄腕なのかな?」

「凄腕じゃないとは思うんですけど」

「はっはっはっ、若いのに謙遜けんそんだな。まあ、無茶だけはするなよ。特にあの御二方に関わると、とんでもない問題に巻き込まれるからな」

「はい、気をつけます」


 無茶するなって、竜峰の事じゃないんですね。双子王女様の関わりについてなんですね。


 僕は複雑な表情をしたまま、案内してくれた兵士さんと別れた。

 そして、そのまま砦内を移動する。

 砦の中まで道幅の変わらない通りが続いていた。

 だけど、通りの両脇は高い石壁で、とても圧迫感がある。

 これで道幅がなかったら、恐怖を感じるんじゃないのかな。


 壁の上、脇道の先、壁の隙間窓。至る所から兵士の視線と気配を感じる。

 通行証を見せて正規の手続きで砦内に入っている筈なのに、視線からは警戒の色が読み取れて居心地が悪い。

 西の要所を守護る軍隊の兵士だから、常時警戒をおこたっていないんだろうね。


 圧迫される雰囲気に、僕は早足になる。


 早く抜け出したい。


 そそくさと進む僕の先に、また門扉が現れた。

 内側から門を見ると、何本ものかんぬきで厳重に封がしてあるのがわかるね。


 僕は門の近くに居た兵士さんに通行証を見せる。

 兵士さんは露骨に僕を訝しんでいたけど、通行証が本物だと確認すると周りの兵士に閂を外すように指示を出す。

 そして閂が外され、低い地響きのような音をとどろかせなから、入り口のように人ひとり分が通れる隙間を作ってくれた。


「お前のように、止むに止まれぬ何かの理由で竜峰に入る者は居る。しかし、無事に事を成して戻ってきた者はほんの僅かだ。無理だと思ったらすぐに引き返せ。己の力量を正確に捉え、時に引き返す選択を選ぶことも勇気のひとつだと覚えておくんだ」


 兵士さんの忠告に、僕は真摯しんしに頷き返す。


 過酷な場所だということは承知の上だね。

 でも、僕は進むんだ。


 僕は躊躇うことなく門の隙間をすり抜け、外に出た。


 いよいよ、今からが本番だよ。


 僕の背後にはアームアード王国の最西端、西の砦がある。

 目の前には、一本の道と、その先には不気味な森。

 そして更に先には、まだ頂上に雪が残る竜峰が広がっていた。

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