呪われた魔物たち

「エルネア、わかっているわね?」

「うん。非常事態になったら……」


 いよいよ、地下の巨大な都市遺跡に踏み入った僕たち。

 ミストラルに念を押されて、僕は冥獄の門をくぐる前に確認したことを思い出す。

 僕の判断で、危険だと感じたら全力で即時撤退する。

 帝尊府の目的とか、グエンの企みとか、そういった他人事よりも、僕は何より家族の安全を第一優先にしなきゃいけない。

 だから、手に負えないような事態になったら、僕は迷わず撤退を選択する。

 もちろん、そうなった時に妖精魔王クシャリラとの約束を反故ほごにしてしまうわけだから、囚われているルイララやトリス君を救い出すことができなくなるわけだけど。でも、それはまた別の手を考えれば良いわけだからね。

 ともかく、これから先は何が起きても良いように、心を構えておかなきゃいけない。


 そして、僕たちとはまた違った気の張り詰め方をしながら先行するのが、帝尊府の人たちだった。

 綺麗に整備された全てが石造りの大通りに沿って、地下都市遺跡を前進する。

 全員が武器や盾を構え、なるべく広範囲になるように光の神術を放って周囲を警戒していた。


 結局、偵察に出た人は帰ってこなかった。

 地下都市の奥で、何が起きたのか。単なる迷子なのか、それとも不測の事態が起きて帰ってこられないのか。

 僕たちには、それを知ることはできない。


「周囲、異常なし」

「よし、前進だ」


 エスニードは、一区画移動するごとに部隊を停止させて、周囲を偵察させていた。

 進むのは大通りだけど、両脇に並ぶ小店の間の枝道や裏通りを細かく調べ、行方不明になった者の手掛かりがないかを調べさせる。それと同時に、不審な点がないかを逐次ちくじ報告させる。そして、何もなかった場合は、また一区画分だけ前進する。

 随分と鈍足どんそくな移動ではあるけど、何が起きるかわからない今の時点では、仕方のない選択だ。


 そうしてゆっくりと、それでも着実に地下都市遺跡の深部へと進んでいく。

 僕たちも、周囲を警戒しながら帝尊府の後をついて行った。


「この先、もうひとつ大きな通りとの交差路になっております」


 何区画分、進んだだろう。

 小さな街くらいなら横断し終えているくらい前進した時。先の様子を見てきた神族が、そうエスニードに報告を入れた。


「交差路の先は?」

「この大通りはそのまま続いております。交差する通りは、調べませんとなんとも言えません」

「わかった。全員、交差路まで移動だ」

「おうっ!」


 まさに軍隊の動きで、帝尊府が進む。すると報告の通りに、先では二つの大通りが十字に交差していた。


「ここで、一度休憩だ。誰か、足のつ者はいるか」

「はい。神術を駆使すれば、私は誰よりも早く走れます!」


 エスニードの問いに前へ出たのは、若い神族の男だった。

 そこは、空間跳躍ができるグエンの出番じゃない? と密かに思ったけど、僕たちは静かに帝尊府の動きを見守る。


「よし。では、貴様に任せよう。光を灯しながら、この先を走ってこい。そして、適当な距離まで行って代わり映えがないようだったら、すぐに戻れ。もちろん、異常を少しでも感じた時も、躊躇わずに引き返すのだ。貴様の役目は大通りの先を見てくること。それと、必ず生還して我に報告をもたらすことだ」

「畏まりました!」


 エスニードは、交差する大通りの先を指差す。

 方角的には、北側かな? 太陽も星の輝きもない地下だから正確な方角は測れないけど。

 僕たちは天上山脈を横断する地下遺跡を東から西へと進んでいるはずだから、進行方向を前にして交差した右手側なら、北だと思おう。

 指名された神族の男は、まず最初に光の神術を口にする。そして、俊足しゅんそくの術を唱えると、交差する大通りを北へと走り出す。


 男の言葉通り、光が高速で遠ざかっていく。

 エスニードは離れていく光を目で追いながら、他の者たちに休憩を言い渡した。

 帝尊府の人たちは、手荷物から水筒を取り出して水を飲んだり、大通りの真ん中に腰を下ろして、遠ざかっていく光を見つめていた。


 北に伸びる大通りは、少し登り坂になっているみたいだ。

 光の軌跡が、徐々に高くなっていく。それでも光の移動速度、つまり神族の男の走る速さはおとろえることなく、先へと進んで行く。


 もしもこの先、、大通りが幾つも交差していたとしたら。この地下都市は、とてつもなく巨大だということを意味する。

 大通りとは、すなわち都市の根幹だ。人や物は大通りを主な移動場所としながら、目的地付近になると枝道や裏通りへ移動する。

 その大通りが何本もあるということは、それだけ都市は広く、人通りが多かったことを意味するからね。


 幽冥族は、地下にこれほど繁栄した都市を築き、有翼族や多くの種族と平和に交流していた。

 だけど、あるとき呪いから生まれた化け物に襲われて、地下都市ごと化け物を封印するという手段で絶滅してしまった。

 この地下都市には、石造りの巨大で立派な街並み以外にも、その化け物が潜んでいるかもしれない。

 いや。今も尚、その化け物はこの地下のどこかで息を潜め、侵入者を待ち構えているんだと思う。

 そうじゃなきゃ、数万の魔族軍が全滅するような事態にはならないはずだ。


 では、その化け物はいったいどこに隠れているのか。

 どれだけ気配を探っても、不審な存在は感知できなかった。

 それどころか、と僕は遠くなっていく光を目で追いながら、これまでのことを振り返る。


 冥獄の門を潜ってすぐに現れた、魔物の大群。

 その後も散発的に襲撃してきた、同じ黒い岩肌の魔物。

 考えてみれば、あの魔物たちも現れる直前まで気配を読み取れなかった。

 魔物は、唐突とうとつに出現するものだ。それでも、目にする直前まで気配を読めないなんて、今までに殆ど経験したことのないことだった。


 僕は、世界の違和感を読み取ることで、相手の気配を感知する感覚を身に付けた。

 だから、本来であれば世界にとっての異物である魔物の存在は、誰よりも敏感に読み取れるはずなんだよね。それなのに、この地下に入って、その感覚がにぶっているように感じる。

 いったい、この感覚の低下は何が原因なんだろう?


 と、既に遥か先まで進んだ光を追いながら思案している時だった。

 不意に、光が揺れた。

 そして、唐突に消失する。


「なんだっ!?」


 僕と同じように休憩しながら光を目で追っていた者が、困惑の声を上げた。

 偵察に走った男は、エスニードから何かあればすぐに引き返すように命令されていた。そうじゃなくても、ある程度まで走って街並みに変化がないようであれば、戻ってくるようにとも言われていた。

 その男が灯していた光が、忽然こつぜんと消失した。


 神術の効果切れではない。光の神術は、効果時間が迫ると発光力が弱まりだして、薄らと消えていく。だから、急に光そのものが消えてしまうなんてことはないはずだ。

 それなのに、男は交差点に戻ってくることもなく、北へ伸びる大通りの遥か先で光を消失させた。


「者ども、休憩は終わりだ! 我らはすぐに北へ進路を取り、偵察に走らせた者の安否を確かめるぞ!」


 エスニードの号令を受け、帝尊府の人たちが慌ただしく荷物を纏める。そして、すぐに軍隊のような隊列を組むと、駆け足で交差点を北へと向かう。


「僕たちも行こう!」


 何かが起きたことは確かだ。それが危険なことなのか、非常事態なのかは判別できない。

 手に負えないような事態なら、即時撤退を視野に入れてはいるものの、視線の先で消息を絶った者を見て見ぬふりなんてできないからね!


 みんなも素早く荷物を纏めると、神族の後を追う。


 この時、僕たちは見逃していた。

 みんなの背後で、顔面蒼白になっていたスラスタールの表情を。






 神術を口にしたのか、神族は並ならぬ速さで走る。

 僕たちも、全力で後を追う。


「エルネア君!」


 法術「星渡ほしわたり」で僕の横を追走するルイセイネが、怪訝けげんそうに周囲に視線を流す。

 僕も釣られて、走りながら地下の巨大都市遺跡に視線と気配を向けた。


「……うん。嫌な感じだね」


 最も敏感に異変を察知したのは、巫女のルイセイネとマドリーヌ様だった。


 瘴気しょうきだ。

 極薄い瘴気が、ひとつの場所に溜まるわけでなく、都市全体に広がり始めていた。

 先行する神族たちは、まだその瘴気の気配に気付いていない。


 知らせるべきか、そう迷う暇もなく、次の事態が発生した。


「魔物の群だ!」


 前方の神族たちから、緊張の声が上がる。

 まるで、薄く広がり始めた瘴気に誘われるかのようにして、黒い岩肌の魔物たちが街角からわらわらと現れ始める。


「そんなっ! さっきまで、気配さえなかったのに!?」


 僕だけじゃなく、みんなも驚愕していた。

 大通りに面した脇道や並ぶ小店の奥から、数えきれないほどの魔物が湧き出す。その魔物が潜んでいる気配を、姿が確認できるまで気づかなかっただなんて!


「走れ! 先ずは、偵察にいった者が消息を絶った位置まで足を止めるな!」


 エスニードがげきを飛ばす。

 神族たちは言われるまでもなく、押し寄せる魔物の群を無視して全力疾走する。

 僕たちも、無意識に止まりそうになっていた足に力を入れ直して、走る。

 高速で登り坂を駆け上がる僕たちに、のろのろとした動きの魔物は取り残される。だけど、過ぎる横道や建物の奥から魔物は無限に湧き出し、うめくような声を発しながら、ゆっくりとこちらの後を追ってくる。


 このままでは、偵察に出てくれた人が消息を絶った場所に辿り着いたとしても、魔物の大群に包囲されて逃げ出せなくなってしまうんじゃないかな!?

 まさか、偵察に出た人も、この魔物の群に追われて……?


「おい、見ろ!」


 前方で、またもや声が上がる。

 もうそろそろ、偵察者が光を消した場所だ。

 ということは、と全員が勘付かんづく。ただし、先頭を走る神族が指差す先を見て、僕たちはとうとう驚きに足を止めてしまった。


「そ、そんな……!」


 絶句ぜっくする帝尊府の人々。

 無理もない。

 街道の真ん中に、ひとりの若い男が横たわっていた。

 身体の大半を、黒い岩肌に侵食された状態で。


 顔の半分以上を既に黒岩へと変貌させた男の顔に、見覚えがあった。

 エスニードに命じられて、偵察に走った神族の男だ。


「ま、まさか!?」


 ぎょっとして、僕は背後から追ってくる魔物の群を振り返る。


「あの、魔物の群は……!」


 僕の推察が正しければ、これは大変なことを意味する。


 徐々に、全身を黒い岩の肌に侵食されていく男。

 苦悶を漏らす口の奥が、溶岩のように赤くたぎっていた。

 関節や身体の節々ふしぶしまでもか、赤く染まり始めている。

 まるで、黒い岩肌の魔物のように。


 そして、僕たちは確信を得る。

 この地下遺跡で何度も遭遇した魔物の正体を。


 黒い岩肌をした魔物は、元を辿れば僕たちと同じ人だったんじゃないかな!?


 そういえば、と今更ながらに思い出す。

 遺跡に入る前に、スラスタールがこの地の歴史について話してくれた。その時に、幽冥族を長く深くむしばむ病について聞いていたじゃないか。

 幽冥族は、有翼族と交流を持つ前から、身体が岩になる不治ふじやまいかかっていたと。


「ルイセイネ、マドリーヌ様!」


 僕が声をかけるよりも前に、二人は既に横たわる男のもとへと駆け寄っていた。

 そして診察するように全身を隈なく診て回り。最後に、悲しい表情でこちらを振り返って、首を横に振った。


「見たことも聞いたこともない症状です」

「このような症状を癒す法術は、私も知り得ません」


 二人の腕の中で、もう全身の殆どを黒い岩肌に変貌させた男が呻いていた。


 ルイセイネとマドリーヌ様でさえも、助けられない。

 そもそも、助ける方法があったなら、過去に治療方法が確立されていて、幽冥族は救われていたはずだ。

 だから、二人の力不足ではない。


 エスニードも、それはわかっていた。

 退け、とルイセイネとマドリーヌ様を退がらせる。

 そして腰の神剣を抜くと、石畳の上に横たわる男の傍に立った。


「貴様の勇気と功績を、我らは忘れない。帝の御為おんために、よくぞここまで尽くしてくれた。今、楽にしてやろう」


 言って、エスニードは神剣を真下へと振り下ろす。


「っ!」


 横たわり、苦悶くもんを漏らしていた男の頭が、胴体と斬り離された。

 ごろり、と転がった男の頭部が最後に見つめたのは、見送るエスニードだった。

 ほろり、と侵食されずに残った片方の瞳から涙が零れる。

 赤い、溶岩のような涙だった。


 エスニードも帝尊府も、静かに男の最期を看取る。

 僕たちやスラスタール、セオールも同様だった。


 たとえ邪魔な存在の神族であっても、こうして無惨な最後を迎える瞬間を看取るのは悲しいね。

 背後から迫る魔物の大群の存在を忘れたかのように、僕たちは静かに男を見つめていた。

 すると、男の遺骸に変化が現れた。


 切り離された頭部と、殆ど全てを黒い岩肌に変化させた首から下の身体が、徐々に崩れ始める。

 岩が風化と共に砂に変わっていくように。


「ねえ、ミストラル」


 僕は、改めて背後を振り返る。

 ゆっくりと坂道を登って近づいてくる魔物の大群。それだけでなく、周囲の道や建物からもわらわらと湧き出し、僕たちを包囲するように集まってきていた。


「あの黒い岩肌の魔物は、本当は魔物じゃなかったんだね」

「そうね。だから魔晶石が残らなかったのね」


 魔物の正体を悟り、これまでの疑問がようやく晴れる。

 ただし、代わりに新たな問題が浮かび上がってきた。


「ということはさ。あの魔物は、これまでこの地下遺跡で呪いを受けた者たちってことになるよね?」


 僕が言わんとしていることに気づいたのか、帝尊府がぎょっとしたようにお互いの顔を見合わせた。


「小僧。つまり、こう言いたいわけだな。あの魔物の総数は、かつてこの地下で暮らしていた幽冥族と、この地で全滅した魔族の数になるのではないかと」


 数百、数千という数ではない。

 最低でも、魔族の軍勢の数万。それと、この都市の規模から考えて、幽冥族はもっと多かったはずだ。


「ふははははっ!」


 だけど、僕の推察を言い当てながらもなお、エスニードは豪快に笑った。


「面白いではないか! これが、この遺跡の本当の罠というわけだな。なるほど、恐ろしい数の魔物。それだけでなく、こちらをも侵食して数を増やす。魔族どもが打ち滅ぼされたわけだ」


 だか! とエスニードは叫ぶ。


「その苦難を我らは乗り越えてみせる。そして無事にこの地下遺跡を抜け、山脈の西へと出て見せようぞ! それでこその神族! 我ら帝尊府が、帝の威光をこの地でも知らしめようぞ!!」


 おう!! と気合の声を上げると、帝尊府は一斉に武器を抜き放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る