取り引き

「グエン、大丈夫?」


 僕はレヴァリアの側に行くと、踏み潰されて衰弱しきっているグエンに声を掛けた。

 グエンは顔だけをこちらに向けると、心底疲弊したような笑みを浮かべた。


「お前さんには、これが無事な姿に見えるのかい?」

「そうだね。レヴァリアに襲われて生きているという時点で、僕たちから見れば無事だという認識なんだけどね?」


 レヴァリアは、竜峰の空の支配者だ。敵や逆らう者には容赦ようしゃなんてしない。暴君と呼ばれることはなくなったけど、それでも竜峰に関わる人や竜や他の生き物全てが、レヴァリアの恐ろしさと強さを知っている。

 そのレヴァリアが敵に手心を加えて命を奪わなかったというだけで、十分に慈悲を与えられていると言っても過言ではないよね。


 武神の部下であり、色々と諜報活動を続けてきたグエンも、少しばかりはレヴァリアのことを知っているのかもしれない。自分を踏み潰しているレヴァリアを視線だけで見上げると、深いため息だけを吐いて、それ以上は言葉を発さなかった。

 グエン自身も、命拾いをしたと深く感じているんだろうね。

 それに、今の状態でレヴァリアか僕の機嫌を損ねてしまうと、あとは容赦なく踏み潰されて殺されるだけだから、こちらに従うしかないと諦めているのかもしれない。


「グエン、回復法術はいる? もちろん、色々とお話が終わってからになるけどね?」


 僕としても、グエンとジーナをこの場で殺して、有翼族の国から神族を排除しようなんて思っていない。有翼族の国で神族が全滅しただなんて噂が広まってしまうと、後々に困るのは有翼族だからね。

 同族の仇だ、なんて言い分で神族が有翼族の国へ攻め入ってきたら大問題だし、その時に僕たちはこの地域に居ないだろうから、本当に迷惑だけ残す結果にしかならないよね。

 だから、グエンにはきちんと手土産を持って本国に帰ってもらい、こちらに都合の良い結果報告をしてもらわなきゃいけないんだ。

 ということで、お話が終わったら負傷を癒すよ、と提案したんだけど。グエンは、小さく首を横に振った。


「いや。神族にとって、精神干渉を受けやすい体質になるというのは、無力になったことを意味する。遠慮しておこう」

「へええ。強い回復法術の代償を知っているんだね?」

「ベリサリア帝国内においても、神殿と聖職者は保護されている。それに、神族も巫女達に世話になることがあるからな」


 聖職者は、種族を問わずに困っている人を助けるからね。

 神族の中にも大怪我を負って回復法術の恩恵を受けた者はいるし、回復の効果とその反動も知っているらしい。


 大きな回復法術は、傷を癒す代わりに他者からの干渉力に弱くなってしまうという欠点がある。

 ライラもかつて強い回復法術を受けたことがあるけど、その代償として今も守護具しゅごぐ無しでは生活できないんだよね。

 武神の側近として、グエンは他者からの干渉に弱くなるのは致命的だと思っているようだ。

 森羅万象に影響を与える神術は、人の精神にも容易く影響を及ぼす。だから、大きな回復法術の恩恵よりも、その反動を問題視しているみたいだね。


「それじゃあ、自力で治すしかないね」


 グエンに、スレイグスタ老謹製の万能薬を使う選択肢はない。なので、法術での回復が嫌なら、自然治癒に任せるしかない。

 でも、レヴァリアに踏み潰されている身体は結構な具合で酷い状態になっていると思うんだよね。それを自然回復で癒そうとしたら、いったいどれだけの期間が必要になるんだろう?

 グエンも自分の状況を把握しているのか、困ったように苦笑すると、別の案を提示してきた。


「完全回復までの強い法術は必要ない。だが、ある程度の、反動がない分の回復法術はお願いしたい。その代わり、お前さん達の言い分を聞いてやろう」

「なるほど。グエンがそれで良いなら、僕たちも構わないよ」


 お話が終わったら、ルイセイネとマドリーヌ様にお願いをして、グエンが動ける程度に癒してもらうことが決まった。

 ただし、お話中はレヴァリアの下敷きになったままだ。

 曲者のグエンを自由にしてしまうと、衰弱していても何を仕出かすか油断ならないからね。


「それで、俺はお前さん達のどんな要求を飲めば良い?」


 グエンも、自分の処遇に不満を漏らすことなく、こちらの話を促してきた。

 もしかしたら、状態が酷くて余裕がないのかもしれない。よく見れば、額からは脂汗が玉のように流れ、顔色も非常に悪い。普通に話しているけど、本当は意識を保つことさえも厳しいほど限界が近いのかもしれないね。だから、早く話を纏めて落ち着きたいのかも。


 僕は、グエンに改めて地下都市遺跡の顛末を話す。

 グエンが裏切ってからの事をね!


 僕の力によって、始祖族の巨人が理性を取り戻したこと。

 守護者として正常に戻った巨人が神族を侵入者と見なし、一瞬で倒したこと。

 僕たちは守護者を救ったということで許されて、無事に地下から戻ってきたこと。


 もちろん、僕がどんな術を放ったのかとか、帝尊府が石像に変えられたなんて具体的な部分は言わない。

 グエンには、余計な情報を与えたくないからね。


「……つまり、今後はあの化け物が地下の守護者として君臨し、神族の侵入者には容赦しないということだな?」

「魔族の大軍を全滅させた叡智えいちと魔力を取り戻したということも忘れないでね?」

「であれば、神軍が今後に冥獄の門を潜っても、甚大じんだいな被害をもたらすだけで成果は見込めないということか」

「それ以前に、冥獄の門のことは忘れて欲しいんだけど?」

「なるほど。お前さんの言い分は、冥獄の門を潜っても意味はないのだから、冥獄の門の存在自体を忘れろ、報告するな、ということだな?」

「そういうことです!」


 スラスタールの一族が遥か昔から守り続けてきた秘密。それを、ほいほいと気安く広められたら困る。

 なので、予想される被害が大きいから冥獄の門は利用できない、という話にするのではなく、そもそも冥獄の門のことは忘れてもらって、報告しないでもらいたい。

 僕の提案に、グエンだけでなくジーナも素直に頷いてくれた。


 神族としても、冥獄の門の奥に潜む守護者と戦いたくはないんだろうね。

 余計な被害が広がるばかりで、成果は薄いのだから。

 下手をしたら魔族の二の舞になる結果は、グエンにとっても美味しい報告にはならないんだと思う。


「代わりに、僕たちはエスニードのことは感知しない。それを国に持ち帰るのは自由だよ」


 お縄に着いたジーナの傍には、布に包まれた荷物が転がされていた。

 血でどす黒く汚れた布が、すごく不気味だ。

 あの中に、エスニードの生首が入っているに違いない。

 放置していて腐らないのかな? という疑問を思考の片隅に追いやりつつ、話を進める。


「グエンの望んだ通り、暴走していた帝尊府とエスニードは討てたんだから、そちらは満足でしょ?」

「あれを持ち帰れば、俺たちの任務は終わりだ。お前さんの言う通り、この上ない結果になった。エスニードをどうやって討ったかや帝尊府をどう排除したかは、帰路の途中でおいおい考えるさ」

「そこで、僕たちや有翼族を巻き込まないでね?」

「ふっ。約束しよう」


 グエンは曲者だけど、交わした約束は守ってくれる。

 僕たちの秘密を今に至るまで周りに口外しなかったことからも、その辺だけは信頼できるよね。


「それじゃあ、纏めようか。僕たちの要求は、冥獄の門の存在を忘れてもらい、報告さえしないこと。報告の際に僕たちや有翼族を巻き込まないこと。代わりに、僕たちはグエンとジーナがこの地を立ち去ることを黙認するし、エスニードのことも見なかったことにする」


 あの土壇場の場面で裏切られたことは今でも腹立たしいけど、交渉を成立させるためには見逃すしかない。

 僕の決定に異議はないかな? と、グエンやジーナだけでなく、家族のみんなやスラスタールに確認を取る。

 家族のみんなは、僕の意見に異論はないようで、すぐに頷いてくれた。レヴァリアとアシェルさんはそもそもこちらの話に興味がないのか、お任せ状態だ。ジーナも素直に頷き、グエンも了承したというように頷く。


「君は……」


 そんな中、スラスタールだけが、神族のグエンとジーナ、竜族のレヴァリアと古代種の竜族であるアシェルさんを気にしながら、僕を見つめていた。


 はて。スラスタールには不満があるのかな?

 もちろん、僕とグエンが二人だけで決めた話だから、蚊帳かやの外に置かれて勝手に話を進められた有翼族は不満を抱いているかもしれない。

 自分たちの負担や損害ばかりが残り、グエンや僕たちは思い通りの結果を手に入れているんだからね。


「スラスタールさん、有翼族の主張が有るのなら今のうちにお願いします。今なら、グエンも言うことを聞いてくれるよ!」


 僕の無責任な発言に、グエンが足もとで苦笑する。

 今のグエンは、生殺与奪を僕とレヴァリアに完全に掌握しょうあくされているからね。嫌だろうと、要求があれば飲むしかない。

 だけど、スラスタールは有翼族の主張がしたいわけではなかったようだ。代わりに、僕を見つめたまま口を開く。いぶかしげに。


「君は、何者なのだ? 見たこともないほど巨大で恐ろしい竜族を従え、神族を微塵も恐れることがない。あまつさえ、対等以上の立場で交渉を進める君は……?」

「ううーん。最初から言っているけど、僕たちは流れ星様と一緒に旅を続ける者だよ。まあ、旅の途中で色々な者たちに出逢ってきたからね。レヴァリアとアシェルさんはその時に仲良くなった家族同然のような間柄だし、神族や魔族よりも恐ろしい者を知っているから、この程度じゃ気後れしないだけだよ」


 あくまでも、僕たちは旅人を装う。

 ここで竜王だと名乗ったり、竜峰のことを喋ってしまうと、変な風に広まった噂なんかから、地元に迷惑が降り掛かる可能性だってあるからね。

 特に、グエンの故郷であるベリサリア帝国がこの地にまで勢力を伸ばそうとしている最中に僕たちの良からぬ噂が広まってしまうと、帝や武神の意識が竜峰だけでなくアームアード王国やヨルテニトス王国に向くかもしれない。それだけは、何があっても阻止しなきゃいけないということくらいは、治世にうとい僕でもわかるよ。


 僕の言い分に思うところがあったのか、スラスタールは素直に頷いてはくれなかった。それでも、僕の口からこれ以上の情報は零れ落ちないと悟ったのか、最後には仕方ないとばかりに返事をしてくれた。


「わかった。君がそう言うのなら、救われた私たちが口を挟むようなことはない。君とグエン様で取り決めた決定事項に有翼族も従おう」

「ありがとうございます」


 ということで、有翼族の代表であるスラスタールにも了承を貰えたので、全て決定です。

 僕たちの話が纏まると、レヴァリアはグエンから足を退けて、荒々しく翼を羽ばたかせると、すぐに飛び立っていった。


『レヴァリアも、ありがとうね!』


 竜心で感謝を伝えると、空の上から咆哮が響いてきた。

 レヴァリアは、知らない者と馴れ合ったりはしないからね。空の上で僕たちを待っていてくれるみたいだ。

 それじゃあ、残りの問題を片付けましょう。と、グエンを見る。


「うわあっ! グエン、脚が辺な方向に曲がっているよ!」


 腕の関節も増えています!

 いや、折れているんだよね。

 見るだけで痛々しい姿のグエンは、レヴァリアが飛び立った後も動けずに地面に横たわっていた。そこへ、ルイセイネとマドリーヌ様が急いで駆け寄る。そして、グエンの要望通りに、応急処置程度の回復法術を掛け始めた。


 骨折部分は、骨を真っ直ぐに治す程度。あとは普通に添木そえぎをして包帯で固め、薬草などを使って傷を癒していくみたい。外からは見えない身体の内側も酷く損傷していたようで、こちらも最低限の癒しを受けた後は自然治癒に任せることになった。

 グエンは、傷が癒えて動けるようになるまでは、有翼族の国で療養するしかない。

 エスニードの首は、ジーナが先に本国へ持ち帰ることになった。


「エスニードとの戦いで俺が瀕死になって療養している。と報告すれば、艶武神様も信じてくださるだろうさ。何せ、本当に瀕死だからな」


 と、グエンは治療を受けながらジーナにそう指示を出していた。


「スラスタールさん、グエンのことはお願いしますね。グエンの傷が完治するまで僕たちがこの地に滞在できるわけではないので」

「責任を持って、グエン様の面倒は見させていただく。私も一応は中立派であるから、あまり神族に肩入れはできないが、今回は特別だろう。有翼族の危機を救ってくれた君からの依頼なのだからな」


 スラスタールの言葉を肯定こうていするように、ダールバッハも頷いていた。


「さて。それじゃあ、僕たちの問題もある程度は片付いたとこだし」


 僕は、ようやくアシェルさんに向き直る。

 辛抱強く僕たちの話が纏まるのを見守っていたアシェルさんは、楽しそうに飛び回るニーミアからこちらへ視線を向けた。

 そして、容赦のない声で言う。


「用事が済んだのなら、さっさと私の背中にお乗り」

「えっ!?」

「ほら、ぐずぐずしているんじゃないよ。それとも、私に喰われたいのかい?」


 ぎらり、とアシェルさんが長い牙を見せると、僕たちではなく有翼族の人たちまでもが悲鳴をあげて逃げ惑う。


「アシェルさん、余程の急な用事なんですね?」

「そうじゃなかったら、こんな地まで飛んできていないわ」

「確かに!」


 どうやら、僕たちにはゆっくりと休んでいる暇はないようです。

 半分命令気味のアシェルさんの言葉に従い、僕たちはスラスタールやグエンに別れの挨拶をしながら、急いでアシェルさんの背中に乗る。

 アシェルさんは、僕たちが背中に乗るとすぐに空へ舞い上がった。


「アシェルさん、急ぎすぎじゃないかな!?」


 予想以上の急展開に、僕たちは目を白黒させて困惑していた。

 アシェルさんは雲よりも高くまで上がり、空で待機していたレヴァリアを伴って、物凄い速さで東へ向かって飛び始める。

 僕は、慌てて残りの用事をアシェルさんに伝えた。


「アシェルさん、少し待って。僕たちはまだ一番大切な要件が残っているんですよ」


 そう。僕たちだって、このんで有翼族が支配する地域でグエンたちと騒ぎを起こしていたわけじゃない。

 全ては、妖精魔王クシャリラに囚われているルイララやトリス君を救出するためだ。

 だけど、僕の説明にアシェルさんは飛行の速度を緩めはしなかった。

 迷いなく東の彼方かなたへ向かって飛ぶアシェルさん。

 僕たちは、遠ざかっていく天上山脈とその東麓に広がる山岳地帯を無力に見下ろすことしかできない。


 いったい、アシェルさんは何をそんなに慌てているんだろう?

 アシェルさんの言葉通り、大切な急用がなければ、こんな場所まで僕たちを迎えには来ていないんだろうけどさ。


 すると、僕の心を読んだアシェルさんが、東の空に視線を向けたまま、重い声で言った。


「其方たちなら、じいさんの暴走を止められるかもしれない。もう、時間がないんだよ」

「えっ!!」


 アシェルさんの言葉に、僕たちは息を呑む。

 スレイグスタ老が、暴走している!?

 そして、時間がない?


 いったい、何が起きているんだろう。

 アシェルさんの背中の上で、僕たちはこの上ない程に不安を膨らませ始めていた。

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