計略者の笑み

 地下都市遺跡での騒動を収め、僕たちは長い坑道を通って、ようやく冥獄の門を潜り抜けた。

 すると、門の先では予想外の光景が広がっていた。


「アシェルさん!?」

「お母さんにゃん!」


 僕の頭の上で寛いでいたニーミアが、はたはたと翼を羽ばたかせて、母竜のもとへと飛んでいく。それ自体は、母娘の微笑ましい風景なんだけど……


 冥獄の門の前は、周囲から見ると窪地になっていて、底には古い遺跡跡が遺されている。今そこに、巨大な竜族が二体も降りてきていた。

 アシェルさんと、レヴァリアだ。


 でも、その程度で僕たちは驚いたりはしない。

 僕たちが驚いた理由。それは、二体の竜が其々それぞれに、神族を拘束していることだった。


「ライラ、上手くいったんだね?」

「はいですわ! レヴァリア様とアシェル様がご協力してくださいましたわ」


 と手で示すライラの先。レヴァリアの後脚の下では、グエンが苦しそうに顔を歪ませて潰されていた。

 一方のアシェルさん側では、縄で拘束されたジーナが前脚の前に座らされていた。

 ニーミアは、母親の足もとで神妙にお縄に着くジーナには目もくれずに、嬉しそうに飛び回っている。


「ええっと、それで。何が起きたか説明をもらえるかな? グエンは死んでいないよね?」


 明らかに容赦なく踏み潰されているグエンを見ながら、僕はライラに地上での出来事を聞く。


 ライラは、グエンとジーナが地下都市遺跡から離れた際に、気配を消して二人を追ってくれていた。

 何も言っていなかったのに、今後を見据えて動いてくれたライラの大手柄だね!

 ライラは、嬉しそうに僕たちへ状況を説明してくれた。


「ふむふむ。グエンはレヴァリアに襲われたんだね。ご愁傷様です」


 竜峰の空を支配していたレヴァリアが、神族に遅れを取るわけがない。グエンも地上に出て油断していたんだろうね。

 その結果が、今の惨状だ。

 グエンは死んではいないけど、ああして僕たちが戻ってくるまでレヴァリアの下敷きにされ続けていたようで、随分と衰弱してしまっている。命に別状はないらしいけど、踏み潰されている身体は何箇所も骨折とかしているだろうね。

 でも、仕方がない。曲者のグエンを自由にしてしまうと、何を仕出かすかわからないからね。


「レヴァリア、ありがとうね」

『ふんっ。貴様のためにやったわけではない』

「それでも、僕は嬉しいよ」


 ジーナは、雲の上から降臨したというアシェルさんの圧倒的な力に、素直に降参したらしい。

 上司のグエンが瀕死で拘束されていることも気になったんじゃないかな?

 それに、命の補償はあると見て、大人しく投降したんだと思う。

 神族に縄の拘束なんてほとんど意味はないけど、ジーナはアシェルさんの前脚の前で大人しくしていた。


「でも、どうしてアシェルさんがこんな場所に?」


 苔の広場や禁領のお屋敷に飛来するならわかるけど、有翼族の支配する地域まで飛んできた理由はなんだろう?

 僕の心を読んだアシェルさんがニーミアから視線を移すと、面倒そうに息を吐いた。


「それは、後で教えてやるわ。でもその前に、自分たちの面倒事を片付けておしまい」

「はい。僕たちに何か用事があるんですね?」


 アシェルさんも家出してきた、というわけではないらしい。僕たちに用事があって、ニーミアの気配を頼りに飛んできたみたいだね。

 では、お言葉に甘えて自分たちの話を進めさせてもらおう。


「それで、ライラ。あの有翼族たちは?」


 レヴァリアに潰されているグエン。アシェルさんの前でお縄に着いているジーナ。それとは別に、遺跡を取り囲むように広がる窪地の上では、有翼族たちが恐る恐る下を覗いて様子を窺っていた。


「あの方々は、アシェル様が追い払ったのですわ」

「全員がおすだからだね!」


 アシェルさんは、同族だろうと他種族だろうと、雄は嫌いなのです。だから、不用意に近づくと大変なことになります。

 それはわかるんだけど。


「でも、あの人たちって、僕たちが冥獄の門を潜る前に去って行った人たちだよね?」


 見覚えのある顔が半数以上確認できた。中には、有翼族の戦士たちを纏めていた屈強な有翼族の男の姿もある。

 確か、彼はスラスタールに「地上で待機している」と言っていたけど。でも、スラスタールがこうしてまた冥獄の門を潜って戻ってくるなんて確証はなかったはずだ。

 だから、待機する場所としては地下遺跡の先の出口が正解だったんじゃないの?

 僕の疑問は、既にライラによって解き明かされていた。


「天上山脈の反対側の出口の方にも、有翼族の方々が行っているそうですわ」

「つまり、彼らはスラスタールがこっちに戻ってきた時のために残っていたんだね?」


 有翼族だけなら、天上山脈を越えられる。

 東の魔術師であるモモちゃんが見逃しているからね。

 つまり、有翼族は入り口と出口に人を派遣しておいて、どちらからスラスタールが出てきても対応できるように動いていたらしい。


「でも、なんだか物々しいよね?」


 レヴアリアとアシェルさんという竜族の存在におそれをなして身を縮めているけど、有翼族は誰もが武装していて、人数も多い。

 ざっと見ただけでも、見送ってくれた時以上の戦士たちが揃っているんじゃないのかな?



「エルネア殿、少し良いだろうか」


 すると、背後から申し訳なさそうな声でスラスタールが声を掛けてきた。

 スラスタールの横には、帰路の途中で意識を取り戻したセオールも立っている。


 いやあ、セオールが目を覚ました時は大変だったよ。

 地下都市遺跡での顛末てんまつを、意識を失っていて見届けていなかったセオールは、僕に担がれて坑道を進んでいる途中で目を覚ました。

 ちなみに、坑道は大きくなったニーミアでは狭すぎたので、僕が背負っていたんだよ。

 そのセオールは、目を覚ますと同時に「人族の小僧に背負われているとは」とか神族の様子とか魔物や化け物とかはどうなったのかと、僕たちに命令口調で迫ったんだよね。

 それをミストラルが殺気の篭った睨みで黙らせつつ、必要最低限の説明だけはしたんだけど。


 僕たちの活躍を目の当たりにしたスラスタールは、僕たちが人族だと見下すようなことはしなくなった。元々彼は、僕たちにもなるべく紳士的な対応を取ってくれていたけど、今では僕を「殿」付けで読んだり、女性陣には「様」を付けているくらいだ。

 だけど、僕たちの説明を受けても、セオールの態度は下位の種族を見下すままだった。

 まあ、セオールのことなんて僕たちは気にしないし、見下されて怒るような狭量きょうりょうの持ち主は家族内にいないから問題はないんだけど。


 そのセオールは、出迎えの有翼族が大勢居ることに機嫌を良くしたようだ。

 眼前のレヴァリアやアシェルさんが目に映っていないのか、それとも僕たちと親しげにしている様子を見たからなのか、無警戒に窪地の上の有翼族に手を振っていた。


「失礼なこととは思うが、少しだけ私に時間を与えてくれないだろうか」


 セオールとは違って、レヴァリアとアシェルさんに畏れを抱きながら、僕へと願い出るスラスタール。

 僕は特に気にせずに、許可を出す。

 スラスタールは僕の許可を得たことで、一歩前に出た。


「それでは、お言葉に甘えて」


 と、スラスタールが片手を上げて合図を送る。

 スラスタールの合図を受けた屈強な有翼族の男が、レヴァリアとアシェルさんを避けるように、遠回りに部下たちを連れて降下してきた。


 いったい、何をする気かな? と様子を見守る先で、それは起きた。


「お、お前たち!?」


 セオールが悲鳴を上げた。

 無言で降下してきた有翼族の戦士たちは、そのままセオールを縄で拘束してしまった。

 両手両足を後手に縛り、翼も縄で締めあげる。

 突然のことに、なす術なく拘束されてしまったセオールと同じように、僕たちも困惑してしまう。


 縄で雁字搦がんじがらめにされたセオールは、無様な姿でスラスタールの前に転がされた。


「スラスタール、この者たちの無礼をいましめなさい。いったい、これはどういうことなんだい!?」


 つい一瞬前まで、無事に地上へ戻ってこられたと喜んでいたセオールの表情は、今や困惑と激怒に真っ赤になっていた。

 僕たちも、事情を求めてスラスタールを見る。

 僕たちやセオールに視線を向けられたスラスタールは、冷たい瞳を足もとに転がるセオールに向けていた。


「無礼? どうやら、貴方は自分の立場が未だに理解できていないようだ」


 スラスタールは、僕たちにではなくセオールに向けて話す。


「まず、誤解されているようなので言っておきましょう。彼らは、私の家来ではない」


 スラスタールに示された屈強な有翼族の男や、それに従う他の者たちを見て、セオールだけでなく僕たちも驚く。

 屈強な男やその部下たちは、いつもスラスタールの傍にいて、彼を護衛していた。なのに、彼らは家来じゃなかった!?

 僕たちと同じ疑問を浮かべたセオールが「では、彼らは何者なのだい?」と問うと、スラスタールではなく屈強な男が名乗った。


「我らは、中央の評議員選考院所属の公正部会の者だ」


 屈強な男の言葉に、セオールの顔が赤から真っ青に一瞬で変わる。

 ただし、僕たちは意味がわからずに首を傾げた。

 スラスタールは、そんな僕たちに補足してくれる。


「評議員選考院とは、中立派、神族派、魔族派の評議員を選定する独立機関になる。そして彼らは、その中でも評議員が己の立場で正しく仕事をしているか、監視する部局になる」


 あっ、と声を漏らす僕。

 屈強な男が、スラスタールの話した立場で行動していたということは……


「彼らは、セオールの汚職を調べていた!?」


 と同時に、議員を選定する機関だというのなら、スラスタールを次期候補として調査していたということじゃないかな?

 僕の言葉に、屈強な男はセオールを拘束したまま頷いた。


「スラスタール殿の告発により、我らはセオール評議長の内偵を進めていた。また、スラスタール殿が次期評議員として相応しいお方かどうかの内定も行っていた」

「スラスタールは最初から全てを理解した上で動いていた!?」

「もちろん。セオールを告発したのは私だからね。ただし、セオールの汚職が立証されて評議員を降りたとしても、次期評議員の候補は私以外にもいる。だから、私も慎重に動かざるを得なかったのだが」


 と、セオールを見下ろしたスラスタールの顔に、計略者の笑みが浮かんだ。


「慎重に行動して良かった。何せ、評議長の貴方の口から直接、選考院の者たちの前で私を後継者とするという言葉を貰えたのだからね」

「ス、スラスタール!?」


 息子同然と可愛がっていたスラスタールの裏切りを目の当たりにしたセオールが、愕然がくぜんとした表情をしていた。


「ダールバッハよ。セオールは今こうして拘束されているわけだが、彼の過去の言質げんちまで取り消されることはないだろう?」

「確かに、スラスタール殿の仰る通り。今は罪によって捕らえていますが、あの当時は間違いなく評議員の議長という立場に基づいた発言でした。よって、我らは次期評議員にスラスタール殿を正式な選定者として認めます」


 セオールがスラスタールに「自分の後継者」と発言したのは、確かエスニードたち神族を交えた夕食会が開かれた時だったよね。確かに、選考院の屈強な男たちはその部屋に居て、セオールの発言を聞いていた。


 うわあ、と僕は舌を巻く。

 これってつまり、最初から最後までスラスタールが画策した筋書き通りってことじゃないかな。

 スラスタールが自らセオールの汚職を告発し、同時にセオールが捕まった後の評議員の席を手中に収める。

 ダールバッハも、スラスタールの陰謀に一枚噛んでいることは間違いない。スラスタールの家来の振りをしてセオールの油断を誘い、汚職の証拠やスラスタールを推す言質を取っていたんだ。


 やはり、スラスタールは思慮深くて計算高い男だったみたいだね。

 地下では自分の手に負えない出来事が連発して浮き足立つ場面が多かったけど、こうして自分の将来のために色々と画策できるなんてね。

 でも、と少しだけ疑問が湧く。


「ひとつ、質問をして良いかな? スラスタールのセオールを見る視線には、権力を欲する者以外にも憎しみが感じられるんだけど?」


 セオールの汚職を告発し、自分が新たな評議員となる。そういう野望を持ってスラスタールが動いていたということはわかる。でも、縄で縛られて地面に転がされたセオールを見下ろすスラスタールの瞳には、権力を求める者以外の憎しみに満ちた光が宿っていた。

 僕の質問に、スラスタールは冷たい視線をセオールに向けたまま、吐き捨てるように言った。


「この男こそが、私の両親のかたきだからです」

「っ!!」


 スラスタールの言葉に、僕たちだけでなくセオール自身も目を見開いて驚愕する。


「知らないとでも思ったのか。貴方が私の両親を罠にめ、冥獄の門の情報を奪って魔族へ売ったことは、既に調べ上げている」

「そ、それは誤解なのだ!」


 何か弁明しようとしたセオールだったが、スラスタールは聞く耳を持たなかった。


「ダールバッハ。この男を連れて行け。取り調べは任せた」

「かしこまりました」


 ダールバッハも、この場でセオールの相手をするつもりはないのか、部下にセオールを担がせると、降りてきた時と同じようにアシェルさんとレヴァリアを避けながら、窪地の上へと飛んでいった。


「食えない男ね」


 静かに様子を見守っていたミストラルが、最後にそう言葉を漏らすと、スラスタールはこれまでの冷めた表情を崩し、苦笑した。


「有翼族の野暮やぼに付き合わせてしまい、申し訳ない。だが、有翼族の将来にとって、これは避けては通れないことだったのです」

「セオールを排除することが?」


 と僕が聞くと、スラスタールはしっかりと頷いた。


「あの男が魔族や神族に有翼族の情報を売り渡していなければ、もっとやりようはあったのです。これから、あの男がしでかした軽率な行動の反動が否が応にも有翼族には降り掛かってくる。私はそれを少しでも小さな被害で収め、有翼族の未来を切り開いていかなければならない」


 スラスタールは、単に権力を欲しただけではなかったようだね。有翼族の未来をうれいているからこそ、権力を手に入れて種族を守りたいと行動していたんだ。

 スラスタールの意気込みを感じたのか、ミストラルはそれ以上何も言わなかった。


「それじゃあ、スラスタールの用事は終わったみたいなので。次は、僕たちが自分のことを処理しようかな?」


 僕はスラスタールから視線を外すと、レヴァリアに踏み潰されているグエンへと向き直った。

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