炎と嵐
どうして、という言葉さえ口から漏れないほど驚き、戸惑う。
自分で言うのもなんだけど、僕はザンをお兄ちゃんのように
なにかあったときには頼れる存在。
いつでも僕の前を歩いてくれる強い人。
口数は少ないけど、ずっと僕やみんなを見守ってくれていて、行動で優しさを示してくれる。
どんなときでもザンは僕たちの味方であり、頼れる仲間だと思っていた。
昨年の春。僕がミストラルの村にやって来たとき。
竜人族たちの人気者で、しかも竜姫。そして幼馴染みだというミストラルと、頼りなさそうなひ弱な人族の僕が結婚する、と知っていて。それでも最初から僕に優しかったザン。
そのザンが、いよいよ結婚の儀式を挙げようかという僕へと、挑戦状を叩きつけてきた。
もしも僕がザンに負ければ、ミストラルを諦めなきゃいけない。
無口なザンは、問答は不要だという雰囲気でこちらを睨んでいた。
僕の眼前に突き出された拳には、絶対に引かないという意志が乗っている。
「ザン……っ!」
「おまえは引っ込んでいろ。これは、俺とエルネアの勝負だ」
ミストラルが仲介しようとしたけど、彼女の手出しも許さない。
なぜ僕が今さらザンと、ミストラルを賭けて戦わなくちゃいけないんだ……
困惑する僕に、ザンは容赦なく言い放った。
「お前がやる気を見せずとも、俺はお前との勝負を進める。勝負から逃げれば、その時点でミストラルを諦めたと判断する」
「そんな……」
ザンは、本気だ。
彼がなにを想って勝負を挑んできたのかはわからない。だけど、ここで逃げ出せば、本当にザンはミストラルを僕から引き離すだろう。
「このような一方的な勝負は無効だと思います」
「そうですわ。エルネア様、無視して構いませんわ」
「エルネア君ばかり損をする勝負だわ」
「ザンは損をしない賭けだわ」
みんなは、この突然の勝負は無効だと言う。
僕も、理不尽に挑まれる勝負なんて願い下げだ。
だけど……
「わかったよ。この勝負、受けて立つ!」
混乱を消し、動揺を抑え。
僕は、白剣と霊樹の木刀を抜き放つ。
レヴァリアや広場にいた人たちは、どよめきながらも場所を空ける。
ルイセイネたちは尚もなにかを言おうとしていたけれど、賭けの対象であるミストラル自身によって遮られた。
僕は武器を構え、ザンと距離を取る。
ザンは突然攻撃を仕掛けたりするような
「全力勝負だね?」
「ああ、そうだ」
「知っているとは思うけど、白剣は竜殺し属性だよ」
「お前の全力は、白剣を持ってこそだろう」
「真剣勝負だから、寸止めをする余裕なんてないよ?」
「くだらない心配だな。俺は肉体が武器だ。寸止めなんぞしていたらお前に攻撃できん」
「じゃあ……」
「お互いに、殺す気で構わない。それが、全力勝負だ」
「わかったよ」
もう、僕とザンの間に言葉は必要ない。
ザンがなにを想い、勝負を挑んできたのか。
あとは、ザンの拳が語るだろう。
僕はなにがあっても、ミストラルを失うわけにはいかない。ならば、全身全霊を持って、ザンに想いをぶつけよう。
僕とザンの勝負に、意義を唱える者も野次を飛ばす者もいない。
レヴァリアさえも広場の片隅で静かに勝負の行方を見守っている。
間合いを取った僕は、竜剣舞の開始を前に、竜宝玉を全開で解放する。アレスちゃんと融合する。
嵐のように荒ぶる竜気とは真逆に、心を静かに落としていく。
竜脈と精神が繋がると、世界を感じ取ることができた。
ザンは、静かに腰を落とす。
突き出していた右拳を腰に構え、左の拳は間合いを図るように軽く眼前に構えられている。そして、深く呼吸を吐く。
激しい動作や余計な気合いの叫びなどはなく、静かに人竜化するザン。銀に近い金色の鱗が肌に浮かぶ。背中に翼と尻尾が生えた。
だけど、ザンは無駄な動きはしない。
翼は
静かだ。
ザンから、強い竜気を感じ取る。
だけど、荒ぶる僕の竜気とは違い、静かに静かに、ザンの内側で燃えている。
銀炎のザン、と呼ばれるようになった男は、全ての無駄を省く。
全身から溢れ漏れる竜気を抑え込む。銀色に燃える炎でさえ、ザンの内側へと収束していく。
銀炎の代わりに、瞳が銀色に輝いた。
僕は油断なくザンとの間合いを図る。
ザンは、一撃必殺。
不要な動きを省き、徹底的に無駄を削ぎ落とし、極められた一瞬で勝負を決める。
不用意に近づけば、それで終わってしまう。
初撃必勝のザンとは違い、僕の竜剣舞は手数が命だ。
舞うように連撃を繰り出し、反撃のいとまも与えず相手を
だけど、ザンは動かないだろうね。
僕がどれだけ舞おうと、ザンは必殺の一撃だけに狙いを定める。
腕を落とされようが、胴を裂かれようが、微動だにしない。逆に、研ぎ澄まされた精神が、こちらの攻撃の一瞬の隙を突く。
ザンを倒すためには、首を落とすか、こちらも一撃必殺を狙うしかないのだろうか。
ううん、ザンはそれこそを待っている。
勝負を決めにきた先手を見極め、後の先を取るだろう。
では、無闇に近づかず、遠隔から攻撃をすべきか。
駄目だ。
ザンにそんな小手先の攻撃は通用しない。
僕がザンの手の内を知っているように、ザンも僕の戦い方を熟知している。
微動だにしないザン。
どう仕掛けるべきか、間合いを計りながら慎重に様子を伺う。
ザンを誘うように弧を描きながら、側面、背後に回り込む。
だけど、ザンは最初の姿勢を崩さない。
ただ静かに僕の初手を待ち構え、腰を低く落としている。
視界の外に僕が移動しても、視線さえ動かさないザン。最初に僕が立っていた場所を一点に見据えたまま。
今のザンにとっては、視界さえも不要なものだ。僕の気配を読み、どこからの攻撃にも素早く反応する。いちいち、相手の動きに合わせて自分も動く、という無駄は最初から削ぎ落とされている。
これが、次の竜王だと言われる戦士の、極められた戦い方だ。
いったい、どう戦えばザンに勝てるのか。
全力勝負と言った。
いつもの僕なら、みんなの力を借りることも全力の一部だよ、と言うだろうね。
だけど、この勝負では言えない。
ザンはきっと、そういう戦い方も認めるだろうね。
だけど、僕が認めない。
ザンとの真剣勝負には、僕自身の力だけで勝たなきゃいけない気がする。
はぁ……
僕はいったい、なにをしているんだろうね。
なにを考えているんだろう。
自分の思考の愚かしさにようやく気づき、深くため息を吐いた。
そのまま何度か、深呼吸をする。
ザンの周囲を一周したあと。
最初に立っていた場所に戻ると、竜剣舞を舞い始めた。
ザンの動きを見極める。僕はどう戦えばいいのか。そんなくだらないことなんて、それこそ無駄でしかない。
僕は僕の戦い方をするだけだ。
相手に合わせるんじゃない。相手を巻き込む。それが竜剣舞であり、僕の戦い方じゃないか!
どれだけ舞おうと、届かない
竜剣舞に合わせ、嵐が巻き起こり始めた。
暴風が吹き、竜気が渦を巻く。
ザンの短い髪が激しく揺れる。だけど、彼自身は全く動かない。竜化した鋭い足の爪が大地を
こちらへ引き寄せようとするけど、ザンは尻尾の先さえ動かさない。
あまりの強風に、周りで見守っている人たちが建物や木に
駄目だ。このままでは、周りに余計な被害が出ちゃう。
派手な攻撃は、ザンには意味がない。惑わしは通用しない。こちらの誘いには絶対に乗ってこない。
それでも、僕は竜剣舞を舞う。
ザンだけが相手だ。
ザンだけに集中する。
広がる嵐は必要ない。
引き寄せる渦も必要ない。
届かない竜剣舞を激しく舞う必要はない。
僕はゆっくりと丁寧に竜剣舞を舞う。
竜気の嵐は無駄を削ぎ落とし、細く密度を増して、空の一点へと螺旋を描きながら収束していった。
それでも、微動だにしないザン。
突然、吹き荒れていた嵐が止んだ。
周りで固唾をのんで見守っていたみんなは、なにが起きたんだ、と一瞬だけ困惑していた。
同じように、これまでにない異変に、ザンはより一層こちらを探るような警戒を見せた。
この瞬間を狙っていた。
僕は狙いを定め、竜剣舞を舞いながらザンに斬りかかる!
ぞわり、と悪寒が走る。ザンの内側から、僕の接近を待ち構えていたかのような、強烈な熱波の腕が僕に伸びたような気がした。
咄嗟に足を止め、身体を引く。
一瞬遅れて、ザンの右の拳が放たれた。
「ザンッ!!」
「っ!」
僕の目には映らなかった。
仰け反る僕の顔面。拳三つ分くらいの空間を空けて、銀炎に包まれたザンの拳が止まっていた。
ザンの拳を包む銀炎の先がちりちりと、僕の鼻先を焼いていた。
「気が早ったか。俺の意志に反応して先走った熱波のせいで、お前は身を引いたんだな。……だが、そのおかげで俺もお前も死なずに済んだか」
「相討ちだね?」
「……いいや、お前の勝ちだ」
ザンの頬が斬れていた。
肩口から胴、そして
天高く昇った僕の竜気と収束した嵐の竜術は、全てを裂く烈風の
あと一歩、ザンが踏み込んでいたら。
ザンは縦に真っ二つになっていたかもしれない。
届かなかった拳。
届いた嵐。
どちらも致命の一撃にはならなかったけど、ザンは自分が負けたのだと認めた。
「ありがとう、ザン」
「なにも、お礼を言われるようなことはしていない」
「ううん、違うんだ。ザンは僕に覚悟を問いたんだよね? どんなときでも、なにが起きても、誰が立ちはだかったとしてもミストラルを護れるのか、という覚悟を」
「考えすぎだ」
「僕は、ミストラルを絶対に離さないよ。たとえなにがあっても、ミストラルを、家族を護るとザンに誓うよ」
僕の決意を聞いて、ザンは口の端を少しだけ上げた。
僕は家族を大切にする。
とっくの昔から決めていた覚悟だけど、ザンはそれを見極めたかったんだ。
ザンにとって、ミストラルは妹のような存在。
ミストラルは竜姫で自分よりも格上の戦士だけど、ザンにとってはいつまでも護ってやりたい可愛い家族なのかもしれない。
その大切な身内を僕がきちんと護れるのか。
結婚すれば、ザンの役目を引き継ぐのは夫の僕だ。だからザンはもう一度、自身の命を懸けてまで僕の覚悟を見極めたかった。
ミストラルを託す。ザンと僕には必要な通過儀式だったんだね。
「まったくもう、貴方たちは」
勝負がついて、ミストラルが呆れた様子でこちらへとやって来た。ザンに鼻水万能薬の入った小壺を手渡し、僕を小突く。
「エルネア。立派な覚悟だけど、そういうことはザンに言うのではなくて、うちの両親に言うものじゃなくて?」
「はっ!」
ミストラルの両親のアスクレスさんとコーネリアさんは遠くで肩を寄せ合い、楽しそうに笑っていた。
僕は鼻先の火傷にミストラルから薬を塗ってもらいながら、ご迷惑をおかけしました、とみんなに頭を下げる。
ザンは知らんぷりだったけど、ミストラルに拳骨をされて、渋々と
「それにしても、知らない技だったな」
「
「あれは、そんなに生易しいものではないだろう」
「そうね。一瞬、嵐が収束したように思えたあとの一撃には鳥肌が立ったわ」
「お前のことだ。恐ろしいなにかがあるのだろう、と警戒したところを突かれた」
「ううーん。あれは思いつきだったんだよ」
天空から振り下ろされた大気の大鎌は、咄嗟に編み出した技だった。
ザンの、無駄を極限まで削ぎ落とした戦い方。それと、テルルちゃんの頭上から振り下ろされる千手の手足。ふたつを合わせた感じで竜術として形にしてみたんだけど。
でもまさか、あれほどの切れ味を示すとは予想外でした。
大鎌が振り下ろされた地面には、鋭く細い亀裂が深々と開いていた。
切っ先の到達点は、暗闇の奥で確認できない。
「お互いに手の内を知っているからね。そこに知らないなにかを見せれば、ザンは警戒して攻撃よりも防御に傾くと思ったんだ」
「お前の思惑に乗せられたな。そのあと突っ込んできたから、つい気が先んじてしまった。どうやら、俺はまだまだのようだ」
僕たちが勝負の感想を述べあっていると、竜廟に用事があって来訪していた人たちが顔を引きつらせていた。
「あ、あれでまだまだなのか……」
「ザンは、まだ竜王じゃないんだよな……?」
どうやらザンは、一部の竜人族の人たちに深い心の傷を負わせたらしい。
今回の勝負の犠牲者は彼らだね。
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