愚者の舞

 アルフさんは、末妹まつまいのアミラさんのことになると熱くなる。

 言葉を封印されたアミラさんの代わりに、ギルディアやマグルドへ立ち向かうアルフさん。

 だけど、このままでは取り返しのつかない事態になってしまうかもしれない。


 帝尊府ていそんふの前で暴挙に及んでしまうと、兄であるアレクスさんや村の人たちにまで危害が及ぶ可能性だってある。

 だから、アルフさんの怒りをこのまま見過ごすわけにはいかない。

 アミラさんは心底嫌そうに顔をしかめていて、気持ち悪く巻きつくギルディアの腕から逃げようともがいている。

 それに、アルフさんの激しい怒りが村全体に広まれば、アルフさんたちよりも先に村の人たちが拳を振り上げてしまう恐れだってある。


 でも、どうすればこの場の争いを収めて、アミラさんを救い出せるんだろう。

 僕だって、迂闊うかつな行動は取れない。

 アルフさんたち以上に、人族の僕は帝尊府の目につきやすい。

 僕が浅慮せんりょに暴れてしまった結果、帝国内の帝尊府から目をつけられて、竜峰や人族の国々にまで危害が及んでしまうことは避けなければいけない。


 だけど、このままでは……!


 納屋の物陰で、頭を抱えて悩む僕。

 そこへ、果敢に救いの手を差し伸べる者が現れた。


「もう、およしになってはいかがでしょうか」


 と言って、アミラさんの身体に絡みつくギルディアの腕を引き剥がしたのは、これまで静観していたマドリーヌ様だった。

 貴様、とギルディアがマドリーヌ様を睨む。だけど、握りしめた拳を振り上げようとして、躊躇ためらいを見せた。


 そうか。ギルディアはマドリーヌ様の巫女装束を見て、手を止めたんだね。

 神族の国でも、聖職者は庇護されている。

 神殿宗教の巫女や神官に手を挙げると、奴隷の人族が反乱を起こすかもしれないからね。

 だから、余程のことがない限りは、神族の国でも聖職者がひどい扱いを受けることはない。

 そして、ギルディアも一応は貴族だ。そういった最低限の常識は持ち合わせていたみたいだね。


 マドリーヌ様はギルディアに睨まれながらも、アミラさんを自分の背中に回して庇護する。


「人族如きが、出しゃばる真似をするな!」


 だけど、そこへマグルドが容赦なく殴りかかってきた。

 マドリーヌ様が、マグルドに殴られて倒れ込む。

 僕は咄嗟とっさに納屋の物陰から飛び出しそうになった。


『駄目よ。いま貴方が出て行ったら、マドリーヌの行為が無駄になるじゃない!』


 リンリンに制止されていなければ、僕はマグルドを殴り返していたかもしれない。

 僕は怒りで荒ぶる息をなんとか整えながら、また様子を伺う。

 マドリーヌ様は殴り倒されても、すぐに立ち上がった。そして、変わらずアミラさんを庇う。


「巫女として、困っている方を見過ごすわけにはいきません。それが不愉快というのなら、どうぞ私をお殴りください」


 言われずとも、と拳を振り上げるマグルドに、マドリーヌ様は臆した表情を微塵も見せずに、逆に見据みすえて言い放つ。


「ですが、よろしいのでしょうか。ご主人である領主様が手を出さなかった私に家来の貴方が手を出すということは、つまり、ご主人様の意に反する行為をしていると思うのですが? 貴方がつい今しがた仰ったではありませんか。領主様の意に反する行為は、すなわち帝様の威光に叛意はんいを示すことだと。貴方のその拳は、私にではなく帝様の威光に振り下ろされることを意味するのだと思いますが?」

「き、貴様……!」


 マグルドの表情が引きった。

 振り上げた拳が震えてる。


 上手い!


 帝尊府であるマグルドの立場を逆に利用した、最高の切り返しだ。


 領主であるギルディアは、マドリーヌ様に手を挙げることを躊躇った。それなのに、家来のマグルドは殴ってしまった。

 その時点で、マグルドは自分で口にした帝の威光云々いこううんぬんを自ら破ってしまったことになる。それに加えて、さらにマドリーヌ様を殴るというのならば、完全に帝への反意を示すことになるよね。


 帝尊府として、何よりも帝を崇拝するマグルド。そのマグルドにとって、帝の威光を少しでも傷つける行為は絶対にできない。

 マドリーヌ様の言葉に身動きが取れなくなったマグルドの代わりに、今度はギルディアがまた前へ出る。


小癪こしゃくな人族の巫女め。だが、貴様へ手を出さないこととアミラの話は別だ。その女は、おれのめかけになると決まっている。だから、さっさとアミラをこちらに渡せ」

「ふざけんなよ!! 兄様は承諾してねえし、アミラだって嫌がってんだ。貴様が勝手に話を進めるな!」


 背中でアミラさんを庇うマドリーヌ様。更にその前に、アルフさんが割り込む。そして、怒気をそのままギルディアやマグルドへぶつけた。

 マドリーヌ様も「困っている方を見過ごすことは巫女としてできません」と、動かない。


 二人のかたくなな反抗心に、周囲の神兵たちも身構える。

 緊迫した状況。だけど逆に、にやりと笑みを浮かべるマグルド。


「いいだろう。その威勢をどこまで通せるか、試してやる」


 マグルドは、今度こそ拳を硬く固める。


「巫女には手を出すまい。だが、お前は別だ。帝の威光に影を生む者を、見過ごすわけにはいかないからな」


 腰の剣は抜かない。マグルドは、最初からアルフさんをじっくりとなぶる気満々だった。

 にやにやと嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべて、これ見よがしにアルフさんへ向かって拳を振り上げるマグルド。

 相手が抵抗できないと知っていて、だからわざとらしくゆっくりと、間合いを詰める。

 そしてマグルドは、マドリーヌ様とアミラさんを庇うアルフさんの前に立ち、振り上げた拳を容赦なく振り下ろす!


 アルフさんは歯を食いしばる。それでも、迫る理不尽な拳から逃げることはなかった。


「!!」


 ……


 だけど、マグルドの拳がアルフさんの顔面に当たることはなかった。

 それどころか、つい一瞬前まで拳を振り上げていたマグルドが、地面に転がっていた。

 唐突な状況に、場の全員が目を点にする。

 当のマグルドも、自分に何が起きたのか理解できずに、転倒したまま硬直していた。


「……は?」


 まず最初に冷静さを取り戻したのは、硬く身構えていたアルフさんだった。

 急に転倒したマグルドを見下ろし、馬鹿にしたように鼻で笑う。


 次に、笑われたマグルドが自我に帰った。


「き、貴様っ!」


 そして、何を思ったのか、怒り心頭で立ち上がるとアルフさんの胸ぐらを掴む。……いいや、違う。掴もうとして、また転倒した。

 自分から。


「……っ!?」


 なぜ自分は転倒したのか訳がわからずに、困惑した表情を見せるマグルド。

 逆にアルフさんは、目の前で勝手に転倒するマグルドを見て笑う。

 マグルドは、抵抗できない者だと思っていた相手に笑われて、顔を真っ赤にして怒る。


「貴様だな? 貴様が、神術で……」

「お前、何を言っているんだ?」


 マグルドは、自分が転倒した理由はアルフさんの神術によるものだと思ったようだ。

 だけど、アルフさんはそれを鼻で笑って見下す。


「今、お前が言おうとしたことは、こういうことだ。もしも俺が神術を使っていたとして。つまり、お前は俺の神術が見抜けないほど雑魚な護衛者であると自分から白状したいのかよ?」


 アルフさんの言葉に、声を詰まらせるマグルド。

 まさに、その通りだよね。

 自分はアルフさんの神術を見抜けませんでした、とマグルド自身が言おうとしたんだ。

 でも、それじゃあギルディアの護衛としては失格でしかない。


 自分の失態に気付き、更に顔を赤くするマグルド。

 怒りで荒ぶる息を隠すことなく、マグルドは立ち上がろうとする。だけど、また転倒した。

 なぜだっ、とついに叫んでしまうマグルド。

 何をしようとしても、誰も何もしていないのに転倒してしまう。

 勝手に何度も転ぶマグルドを見て、アルフさんは愉快そうに笑っていた。


「ええい、マグルド。何をしている!」


 その状況にごうやしたのが、主人であるギルディアだった。


「さっさと立ち上がれ。もういい、興醒きょうざめだ。帰るぞ!」


 無能な護衛に言葉を吐き捨てると、ギルディアはマグルドが立ち上がるのを待たずに歩き始める。


「し、しかし……」


 マグルド的には、馬鹿にされたままで引き下がることはできない。だけど、ご主人様の命令には逆らえない。

 悔しそうにアルフさんやマドリーヌ様を睨むマグルド。


「いいか、お前ら。調子に乗るなよ? 次に刃向かうようなことがあれば、容赦しないからな!」


 と捨て台詞ぜりふを吐いて、震える拳を握りしめたまま立ち上がったマグルドは、先を行くギルディアを追って立ち去る。

 そして、また転ける。

 アルフさんは最後まで愉快そうに笑っていた。






「……さて。エルネア君?」


 ギルディアたちの姿が見えなくなった後。

 マドリーヌ様が何かを探すように周囲を見回しながら、声を掛けた。

 納屋の物陰に隠れていた僕は、それでようやく姿を現す。


「あれれ? マドリーヌ様、いつから気付いていました?」


 気配は消していたつもりなんだけどな?

 現に、アルフさんとアミラさんは、僕が出てくるまで気付いていなかったよ?

 僕の疑問に、ふふふ、と笑みを浮かべるマドリーヌ様。


「いいえ、私もエルネア君の気配には気付いていませんでしたよ? それでも、きっとエルネア君はどこかでこちらを見ているのだとわかっていました」


 なぜなら、と言って、何もない周囲の空間をもう一度だけ見回すマドリーヌ様。

 すると、リンリンが顕現してきた。


「あら、私も気配を消していたつもりだけど?」

「はい。気配はわかりませんでしたよ。ですが、状況で理解しました」

「なるほどね」


 さすがはマドリーヌ様だ。

 伊達に、僕たちと長く暮らしていないね。


「……つまり、さっきマグルドの野郎が勝手にすっ転んでいたのは?」

「私が転ばしていたからに決まっているじゃない」


 ふふんっ、と自慢げに鼻を鳴らすリンリンに、アミラさんが苦笑する。


「もう、見てらんなかったから。感謝しなさいよね?」

「おう、ありがとうな!」


 まあ、そういうわけです。

 アルフさんや僕が手を出せなかった状況で大活躍してくれたのは、姿と気配を消したリンリンでした。

 僕の傍から離れてひっそりとマグルドに近づき、精霊術を使って転倒させていたリンリン。

 ギルディアやマグルドは、リンリンの存在どころか精霊術の気配さえ感じ取れていなかった。だから、マグルドは自分に何が起きたのかを最後まで理解できなかったし、ギルディアや神兵たちも困惑したんだ。


「奴が狼狽うろたえるさまは、見ていて痛快だった。なあ、アミラ?」


 アルフさんに問われて、苦笑しながらだけどアミラさんが頷く。

 アミラさんも少しだけ気分が晴れたみたいだね。


「だけど、こういう手は何度もは使えないよ?」

「ああ、わかっている。グエンなら、リンさんの気配までは読み取れなくても、何かをしたらすぐに気付くはずだ」


 今度は、僕が頷く。


「マグルドや神兵たちは、そこまでの手練れではないことはわかったけど。やっぱり、もうひとりの護衛のグエンが曲者くせものだね?」

「あの人は、武神であった頃のウェンダー様と一緒に何度かこの村にも来たことがあるし、実力も知っている。くそうっ! なんであの人が味方ではなくて敵なんだ!」


 グエンは、本当に喰えない男のようだ。アレクスさんや村の人たちのことを知っていながら、敵であるギルディアの護衛に付くなんてね。

 きっとグエンの存在のせいで、アレクスさんたちは余計に身動きが取り難くなっているんだと思う。


「ともかく、俺もアミラも助かった。感謝する」

「お安い御用よ。だけど、本当に気をつけなさいよ?」


 と言って、リンリンは姿を消す。

 あまり長く顕現していて、誰かに見られでもしたら大変だからね。

 特に、森に潜む者には、まだリンリンの正体を見せたくない。

 それに、僕自身もこの場に長居は無用だ。それこそギルディアの配下に見つかりでもしたら、余計に怪しまれちゃうからね。


「それじゃあ僕も、どこかに行くね。マドリーヌ様、アミラさんのことをお願いします」

「はい、お任せください。この身に変えても護ってみせます」

「いやいや、マドリーヌ様も自分の身を大切にしてくださいね? 僕はもうすぐでマグルドに飛びかかりそうでしたよ?」

『私が制止していなきゃ、絶対に飛び出していたわよね?』


 不幸中の幸いか、マドリーヌ様に大きな怪我はない。

 本当は、身を挺してアミラさんを庇ってくれたマドリーヌ様にもっとお礼を尽くしたいところなんだけど、やはり長居はできないからね。


「よし、マドリーヌ様への感謝とアミラさんの心労を癒すために、僕は森で獲物を獲ってくるよ。それで、今夜は盛り上がろう!」

「それは良いな。なら俺たちはエルネアの収穫を見越して準備しておくさ」

「エルネア君、帰りをお待ちしています」

「はい。期待して待っていてくださいね」


 潜伏者が惑わしの術を張り巡らせている場所を避けて、もう一度森に入ろう。そして、他に怪しい者が潜んでいないか確認しながら、獲物を狩る。

 僕は空間跳躍を発動させると、森に向かった。

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