既に試練は始まっている?

 出発の準備は、すみやかに行われた。

 竜の墓所には、既に雪が降り始めている。

 これから更に雪量は増して、本格的な厳しい冬になっていく。

 その前に、僕たちは竜奉剣の影打を手に入れなければならない。

 アイリーさんも、その辺は考慮してくれたみたいで、行き帰りの手段としてニーミアの同行を許可してくれた。


「いいわね? 無理はしないこと。騒動を起こさないこと。老竜たちに余計な刺激を与えないこと。雪が激しくなってきたら、途中でもちゃんと諦めること。いま無理をする必要はないのよ?」


 まるでお母さんみたいに、僕たちに入念な注意を入れるミストラル。

 ただし、僕は真剣に聞いているのに、ユフィーリアとニーナは上の空です。


「まったくもう。不安だわ」


 なんてミストラルはため息を吐くけど、だからといってユフィーリアとニーナの妨害をしたり文句を言ったりはしない。むしろ、僕たちに何が起きてもいいように、色々と気を回してくれているんだよね。

 手の込んだお料理や防寒着の予備などを、あれやこれやと準備してくれて、アレスちゃんに渡してくれる。


「んんっと、プリシアも行きたいよ?」


 僕たちが出発の準備を進めていたら、案の定プリシアちゃんが不満を口にしてきた。


「プリシアちゃん、今回はここで遊んでいましょうね? いっぱい温泉に入って、いっぱいお菓子を作りましょう。エルネア君たちが戻ってきたら、冒険のお話を披露してもらいましょうね?」

「むうむう」


 ニーミアだけずるい、なんて頬を膨らませて抗議していたけど、ルイセイネが上手くあやしてくれたおかげで、プリシアちゃんのわがままが暴走することはなかった。


「姉様たち、問題を起こさないでちょうだいね?」

「ユフィ、ニーナ、エルネア君、問題を起こさないと女神様に誓ってくださいね?」


 セフィーナとマドリーヌは未だに僕たちのことを心配していたけど、それは僕たち三人の身の安全ではなくて、騒動を起こさないかという不安からくるものだった。


「ニーミアちゃん、いざという時はレヴァリア様を呼んでくださいですわ。きっとわたくしとレヴァリア様がお助けに駆けつけますわ」

「そっちの方が大騒動になるにゃん?」


 ライラらしい提案に、ニーミアも笑っていた。


「さあ、準備が整ったら行ってらっしゃいな。吹雪になる前に目的を達しないと、この課題は春以降に持ち越しになっちゃうわよ? まあ、わたし的には七十年後までに準備できればそれで良いのだけれどね?」

「七十年後!?」


 アイリーさんが竜奉剣を手にして竜剣舞を舞い、竜の墓所に溜まりに溜まった竜族の想いを祓うのは、確かに七十年に一度くらいの周期だよね。

 でも、竜奉剣の代わりの宝物を準備するのに七十年も掛かっていたら、その間に竜人族は竜の祭壇を訪れることもできないし、奉納品も届けられませんよ?


「エルネアお兄ちゃんが毎年秋の収穫を届ければいいにゃん?」

「その時は、ニーミアに運搬を手伝ってもらうんだからね?」

「んにゃっ!?」


 寒くないようにと、防寒着を着込む僕たち。

 だけど、ふわふわの長毛に包まれたニーミアは寒さに強いので、いつも通りです。

 必要な荷物を準備して、僕とユフィーリアとニーナは、大きな姿に戻ったニーミアの背中に乗せてもらう。そして、ふわふわで暖かい体毛に隠れるように身を縮めて、地上で見送るみんなに手を振った。


「影打を手に入れて帰ってくるから、みんなは待っていてね!」

「んんっと、お土産ね?」

「お土産かぁ。何かあるかな?」

「エルネア君がプリシアちゃんのお土産を手に入れるために騒動を起こしそうな気配だわ」

「エルネア君がプリシアちゃんのわがままを聞くために暴走しそうな気配だわ」

「気のせいだよ?」

「全員が余計な騒動を起こさないこと。それじゃあ、行ってらしゃい」

「みんな、行ってきます!」


 これまたいつも通りのやり取りを交わすと、僕たちを乗せたニーミアは翼を羽ばたかせて空に舞い上がった。


 雪は、昨日から小康状態となっていた。

 僕たちが奉納の舞を披露した後に大雪になったけど、それは冬の訪れを知らせる竜峰の先触れのようなもので、大雪後の数日はひらひらと雪が舞う天気は続いていても、大荒れにはなっていない。

 それでも、いつ荒天に変わるかわからないので、なるべく急いだ方がいい。

 じゃないと、アイリーさんが言ったように、本当に春以降の課題になっちゃうからね。


 ニーミアはぐんぐんと上昇すると、分厚い雪雲の上に出た。

 本来だと、竜の祭壇がある死火山の火口跡は雲が浮かぶ高度よりもうんと高い位置にあるんだけど、鉛色の雪雲は死火山の中腹から山頂をすっぽりと覆うくらいの厚さになって、死火山を雪色に染め上げている。

 ニーミアは視界を遮る雪雲を抜けて、晴れ渡った高度まで上昇すると、一路北に進路を取った。


「わあっ、すごいね! 下は真っ白な雪雲の絨毯じゅうたんで、頭上は綺麗な青空が何処までも続いているよ!」

「綺麗だわ」

「美しいわ」

「にゃん」


 みんなで、空の絶景に見惚れる。

 雪雲を下から見上げると鉛色の暗い雲で、場合によっては不気味に見えちゃうこともあるんだけど。でも、雲の上から見下ろす雪雲は何処までも純白で、とても美しかった。


「ニーミア、位置はわかる?」

「細かい場所は雲の下じゃないとわからないにゃん。でも、近くまでは上を飛んでいくにゃん」

「さすがは雪竜のニーミア! 雲の上を飛べる竜は特別な存在だよね!」

おだてても何も出ないにゃん?」

「純粋な褒め言葉だよ?」

「それをレヴァちゃんが聞いたら、嫉妬で暴れ出すわ」

「それをレヴァちゃんが聞いたら、嫉妬で襲われるわ」

「わわわっ。今の会話は内緒だよ?」

「いいわ、秘密にする代わりにエルネア君から代償を貰うわ」

「いいわ、黙秘する代わりにエルネア君からご褒美を貰うわ」

「罠だった!」

「自分で仕掛けた罠にゃん?」

「ぐぬぬぬ」


 雲の上で談笑をしている間にも、ニーミアは翼を羽ばたかせて北へと進む。

 眼下を埋め尽くす真っ白な雪雲の絨毯が、海原の波のように流れていく。

 そして、僕たちはあっという間に目的地付近へと辿り着いた。


「降下するにゃん」


 ニーミアが分厚い雪雲を突き破って、雲の下に出た。

 そこは、荒々しい自然が雪に埋もれた、銀世界。

 更に北へと視線を向けると、遥か遠くには荒れ模様の北の海が見える。


「アイリーさんからの情報だと、この辺に活火山があるらしいけど……」


 と、一面の銀世界に変貌した竜峰の山嶺を見渡す僕たち。

 すると、あっさり目的の活火山が見つかった。


「あの雪のない山が目的地だわ」

「あの煙を吹いている山が目的地だわ」

「それじゃあ、あの火山の山腹に横穴の洞窟どうくつがないか調べてみよう」

「にゃーん」


 火山は、遠くに海が見えるような、竜峰の最北端に在った。

 山全体が熱を持っているのか、竜峰を白く染めた雪も活火山の周りだけは見当たらない。

 麓から山頂まで、岩剥き出しの急斜面で形成された火山は、山頂から噴煙を上げていた。

 ニーミアは火山へと近づくと、アイリーさんの情報をもとに洞窟を探す。


「洞窟の奥に、竜奉剣の影打があるんだよね?」

「でも、その前には竜がいて通れないらしいわ」

「でも、その奥は溶岩の川が流れていて進めないらしいわ」

「怖い竜にゃん?」

「どうだろうね?」


 アイリーさんは、影打を護る竜の詳細だけは教えてくれなかった。

 きっと、試練の一部として僕たちに挑ませたいのかもしれないね?

 普段なら、まずは竜心で交渉して、相手とこちらの相性が悪ければ最悪の場合は戦闘も辞さないんだけど。でも、現在の僕たちは竜気の使用を禁止されている。

 もちろん、修行なんて二の次にしてしまって、目的の物を全力で取りにいくという選択肢もあるんだけど。

 でも、できるなら限界まで挑戦したい。

 竜気を封じられた僕たちが、いったいどれだけの成果を出せるのか。

 影打を守護する竜と、どう対峙すべきなのか。


「アイリーさんも、きっとこれをひとつの課題だと捉えているから、えて竜気の使用禁止という制約を僕たちに課したんだよね?」

「本当に危険なら、そう伝えてくれているはずだわ」

「本当に困難なら、竜気禁止なんて言っていないと思うわ」

「にゃんは戦わないにゃん」

「大丈夫だよ。ニーミアはユフィかニーナのお胸様の中に隠れていてね?」

「にゃん!」


 ぴょんっ、と空中で嬉しそうに跳ねるニーミア。

 ニーミアもユフィーリアとニーナのお胸様は大好きなんですね!


「あったにゃん」


 すると、ニーミアが目的の洞窟らしき横穴を見つける。

 アイリーさんの情報通りに、岩場剥き出しの荒々しい斜面に、ぽっかりと洞窟の入り口が見えた。


「洞窟の手前に降りられるかな? 空間跳躍も使えないから、ニーミアが降りられる場所があると良いんだけど?」


 ニーミアは慎重に、火山の中腹にある洞窟の入り口へと近づいていく。

 もしも影打を守護する竜族が荒々しい性格だったら、近づいた瞬間に攻撃される可能性があるからね。

 一直線には入り口に向かわずに、ゆっくりと迂回しながら高度を下げて火山の山腹に近づいていくニーミア。


「竜族の気配はある?」

「にゃーん?」

「むむむ。さては自分で読み取れってことだね?」


 ここに来て、ニーミアの反応が悪くなっちゃった。

 古代種の竜族であるニーミアが、周辺に潜む者の気配を読み取れないわけがない。


「もしかして、こっそりアイリーさんから手助け禁止って言われているのかな?」

「おやつで釣られていたわ」

「仮装服で釣られていたわ」

「買収済みかっ」


 ちゃっかり者のニーミアに、僕たち三人は笑う。

 そして、ニーミアに頼らずに気配を読む。

 意識を世界に溶け込ませて、周囲の空や火山の斜面、そして洞窟の奥を探る。

 だけど、守護竜の気配どころか、火山周辺では竜族の気配をなぜか全く感じなかった。


「むむむ? もしかして場所が違うのかな? でも、周囲を見渡しても他に火山は見当たらないしなぁ?」

「もしかしたら、竜神様の御遣いの舞を見ようと持ち場を離れて、まだ帰ってきていないかもしれないわ」

「もしかしたら、奉納の舞を見るために出かけて、まだ帰り着いていないのかもしれないわ」

「なるほど?」


 スレイグスタ老なら絶対にそんな過ちは犯さないだろうけど。でも、影打を守護する竜族も同じくらい責任感が強いとは限らないしね?

 リリィみたいに横着な竜族が守護しているかもしれない?


「取り敢えず、慎重に降りてみよう!」


 残念ながら、ニーミアが降りられるような大きな広場は見当たらなかった。

 仕方なく、ニーミアは急斜面に爪を立てて着地する。

 僕たちは滑落しないように気をつけながら、ニーミアから降りた。


「地面が暖かいわ」

「岩が熱を持っているわ」

「火山活動が活発なのかな? 溶岩が近いのかもしれないね」


 僕たちを下ろして小さくなったニーミアは、ユフィーリアのお胸様の谷間に潜り込んだ。


「快適にゃん」

「ニーミアだけはね?」

「あら、エルネア君も遠慮することはないわ」

「あら、エルネア君も顔を埋めて良いわ」

「いやいや、今は遠慮しておくよ。この試練を乗り越えたら、思う存分に堪能たんのうします!」


 えへへ、と鼻の下を伸ばして笑ったら、ユフィーリアとニーナが爆笑した。


「さあ、冗談はさておき。洞窟に進もうか」


 火山の山腹に空いた横穴は、とても大きかった。

 まさに、竜族が出入りできるくらい。

 きっと、本来であればこの洞窟の奥か入り口付近に、守護の竜がいたんだろうね。

 いったい、守護竜は何処に行ったのかな?


 油断することなく周囲の気配を読みながら、僕たちはいよいよ洞窟の奥へと足を踏み入れた。

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