長く短い夜
「先にお風呂をどうぞ」
家に入ると、ミストラルはそう促してきた。
「ううん、家主を置いて先になんて、入れないよ」
ミストラルのご両親、アスクレスさんとコーネリアさんは、まだ帰ってきていない。
「いいのよ。あの二人は飲んでいたから、きっと遅くなるわ」
「じゃあ、ミストラルから……」
「ふふふ、男の子からどうぞ」
どうやら、遠慮しすぎて墓穴を掘ったみたい。ミストラルが少し照れたような仕草を見せたので、気づけた。どうやら、自分の後に入られるのは恥ずかしいみたいだね。
女の子への気遣いは難しいな。竜剣舞の修行も大切だけど、こういったところもきちんと勉強しないと、失望されちゃうのかな。
「それじゃあ、遠慮なく」
僕はミストラルに案内されて、風呂場へと向かう。
「着替えは持ってきておくから、入っててね」
「うん、ありがとうね」
ミストラルの村は、村外からの来訪者が多くやってくる。それは竜廟の竜宝玉目的だったり、今では竜峰同盟のことについての使者だったり。そのため、村は外から来た人との打ち解けを目的に、色々なものが村全体での共同だった。
食事をみんなで造り、みんなで食べる、というのが最もな部分。そしてお風呂ももちろん、共同のものがある。長屋の端に男女別のお風呂があり、村の多くの住民も利用していた。僕たちも、普段はそこでお風呂に入る。
だけど、個人個人の家にも、ちゃんとお風呂はあるんだよね。ミストラルの実家みたいに。
今夜は共同風呂ではなくて、ミストラルの家のお風呂を使わせてもらうことになった。
服を脱ぎ、浴室へ。湯気に満たされた浴室は、むわっとするほど暖かい。もう夏といっていい時季だし、個人的には冷たい水風呂でも良いんだけど、どうも竜人族の人たちは熱い風呂が好きみたい。
湯温を確かめて、特別熱くないことを確認してから、先ずは体を洗い、浴槽へ。ひりひりと肌が痛む熱さだけど、いつもの共同風呂よりは随分と良いかも。
ゆっくりと全身を沈めていき、首元まで沈む。それでほうっ、と胸にためた息を吐き出した。
手や足の先から、じりじりと痺れるような熱さを感じる。冬場なら気持ち良い感覚なんだろうけど、きっと今の時季じゃあ、お風呂から上がったら汗びっしょりになるね。
その状態で夜風に当たるのも気持ちは良いんだけど、また外に出て、みんなからの冷やかしを受けるのは恥ずかしい。
ここは、ささっと上がってしまおう。そう思い、浴槽から出ようとした時。
何やら、浴槽の外で物音が。
最初は、ミストラルが着替えを持ってきてくれたのかと思った。だから、今から外に出て、裸のままミストラルと鉢合わせをするのはまずい。
僕の動きが止まる。
僕は耳をそばだてて、浴室の外の気配を探る。すると、外から
ええっ!?
もしかして、お風呂に入ってこようとしている!?
予想外のことに、僕の全身は熱いお湯のせいではなく、真っ赤になっていく。
どどど、どうしよう!
先にお風呂に入って、というのは、こういうことですか!?
緊張で身体が固まった僕の視線の先。浴室の扉が、ゆっくりと開いていく。
濃い湯気の先に浮かび上がる、裸体の輪郭。
僕の胸は、弾け散りそうなくらいに高鳴っていた。
「やあ、婿殿。一緒に入っても良いかな」
しかし。姿を現したのは、全裸のアスクレスさんだった!!
僕は拍子抜けしてしまい、ぐぶぶぶと泡を立てて浴槽に沈んだ。
「いやあ、久々に楽しい風呂だったよ」
居間で寛ぐアスクレスさん。
「父さん、手加減してあげて。エルネアは竜人族じゃないのよ」
「いやあ、すまないね。つい、楽しくて」
ミストラルの睨みにも動じず、アスクレスさんは柔かな表情を崩さない。
そして僕は今、ミストラルに膝枕をしてもらいながら、横になっていた。
はい、のぼせました。
お風呂に入ってきたアスクレスさんの勢いに呑まれ、僕は長湯をしてしまったのです。
アスクレスさんは僕と裸の付き合いをしたかったみたい。僕もアスクレスさんと打ち解けたくて、頑張ってお湯に浸かり続けたんだけど、どうもその判断は間違えだったみたいだね。
上機嫌に娘自慢をするアスクレスさん。話は途切れることなく、僕はお風呂から出る時機を逸してしまい、倒れてしまいました。
「ごめんなさい、エルネア。父さんを許してあげてね」
「うん、僕は大丈夫だよ。お風呂も楽しかったし」
ミストラルの幼少期の話を聞けたりしたので、楽しかったのは本当だよ。そして今は、ミストラルの膝枕で、僕はとても幸せな気分なんです。
水で冷やした布をおでこに当てがい、上半身裸で横になる僕の身体からは、ほくほくと湯気が出ている。
全身が真っ赤だったり、頭がまだぼうっとするのは、ミストラルの太ももの感触が気持ち良いからなのか、まだのぼせているからなのかは、自分でもよくわからない。
「さあ、ミストラル。貴女もお風呂に入ってきなさい。エルネアちゃんは、わたしが診といてあげるから」
水を持ってきてくれたのは、コーネリアさん。僕は起き上がり、コーネリアさんから水を受け取って、ゆっくりと飲む。
「うん。母さん、あとはよろしく」
僕の頭の重みから解放されたミストラルは、一度僕の顔を覗き込む。ミストラルは少し心配した表情を浮かべていたけど、それでもお風呂へと向かっていった。
「もう少し、横になっていた方が良いかしら」
コーネリアさんも続いて僕の顔を覗き込む。そして横になるように促してきたので、僕も躊躇いなく、また横になった。
「うわっ」
頭を下ろした場所に柔らかい感触を感じて、僕は驚く。
「あら、ミストラルの膝枕じゃなきゃ、嫌だったかしら?」
「い、いえ。そうじゃなくて」
まさか、コーネリアさんが膝枕をしてくれるだなんて予想していなかったから、驚いただけです。
「羨ましいなぁ」
照れながら横になる僕と、その頭を優しく撫でてくれるコーネリアさんを見て、アスクレスさんが微笑む。
「僕には、ちっともそんなことしてくれないんだよ」
「何言ってるの。耳かきしてあげる時は、いつもわたしの膝の上でしょう」
「そうなんだけど、そこに優しさはないじゃないか」
「言ってくれるわね」
膝枕で耳かきをしてもらえるなんて、僕だったら楽園じゃないかと思えるんだけど。二人の間には、耳かきに関して何かはあるのかな。
アクスレスさんとコーネリアさんは、やんやと言い合いだしたけど、そこには
この二人は、とても仲が良いんだろうね。僕もこんな暖かみのある家庭を築きたいな、と思いつつ、コーネリアさんの膝枕のまま横になっていると、ミストラルがお風呂から上がってきた。
僕はコーネリアさんにお礼を言い、ミストラルと一緒に居間を後にする。
「もう大丈夫?」
「うん、平気」
ミストラルの部屋に入り、寛ぐ僕。ミストラルは椅子に座り、髪を乾かす。湯気立つ艶やかな肌と、濡れた髪を拭くミストラルの仕草に、僕はどきりとしてしまう。
色っぽいミストラルの、普段は全く見せない姿に、僕は釘付けになる。
「ふふ、どうしたの?」
僕の視線を感じたのか、ミストラルが振り返って、はにかむ。
「ううん、なんでもないよ」
慌てて視線を逸らす僕。
「顔がまだ真っ赤よ。まだ気分が悪いんじゃない?」
「ち、違うんだ。緊張してるだけ」
「あら、何に緊張しているのかしらね」
視線を逸らした僕の顔を覗き込むミストラルの表情は、意地悪している顔だった。
「ぐうう、なんか、ミストラルに弄ばれてる気がする」
「それはきっと、気のせいよ」
「本当に?」
「あら、わたしを疑うの?」
「ううん、疑ってません」
「なら、よろしい」
ミストラルは満足そうに頷くと、髪を乾かす作業に戻る。そして僕はまた、その姿に
その後、髪を乾かし終えたミストラルと少し寛ぐ。そしてどちらからともなく、そろそろ寝ようか、という雰囲気になった。
「先に布団に入ってて。わたしは明かりを消すから」
「うん」
なんとなく、男女の立場が逆なような気もするけど。ここはミストラルの部屋なんだし、明かりが消えて暗くなった部屋の中じゃあ、僕はまともに動けなくなるから仕方がないよね、と自分自身に言い訳をしつつ、先に布団の中に潜り込む。
枕からはミストラルと同じ香りがして、僕の緊張を一気に押し上げた。
今までは、あえて考えないようにしてきたんだけど。
今夜、僕とミストラルは二人っきりの夜を過ごすんだよね。同じ家にはアスクレスさんとコーネリアさんも居るけど、二人の寝室は離れた場所にある。
女の人と二人だけの夜なんて、もちろん今まで経験したことのない僕。やましい気持ち以前に、どうすればいいんだろう、という不安が心を満たす。
僕の心理を知ってか知らずか、ミストラルは躊躇いなく
一瞬で真っ暗になる部屋。
ミストラルはしっかりとした足取りで僕が潜り込んだ寝台へと近づき。そして布団の中に入ってきた。
「二人で寝るには、少し狭いわね」
「うん」
「
「ううん、僕は大丈夫だよ。ミストラルは?」
「わたしも平気」
真っ暗になった部屋の中。ひとつの寝台で肌を寄せ合い、横になった僕とミストラル。
僕は緊張して身体を
ミストラルも同じように天井を見ているのが、触れ合う肩の気配でわかった。
「ふふふ、緊張してる?」
「うん、正直に言うと」
「わたしも少しだけ、緊張してるわ」
ミストラルも緊張しているんだね。暗くなった部屋で、逆に目が覚めだす僕と同じように、ミストラルも眠気なんて吹っ飛んじゃっているのかな。
「今日は、おつかれさま」
「そう言えば、お昼に狒々退治をしたんだよね」
「そうよ。もう忘れたの?」
「ううん、なんだか随分と前の出来事のような気がして」
僕の頭の中は、ミストラルと二人っきり、という出来事で埋め尽くされていて、昼間のことなんてもうすっかり過去の出来事で、頭の隅にも残っていなかったよ。
「明日からもたくさん修行しなきゃね」
「がんばるよ」
「ほどほどにね」
「ほどほどじゃあ、いつまでたってもミストラルには追いつけないよ」
「それでも良いのよ。力の上下関係なんて、些細なことだわ。わたしたちは、可愛い貴方のままでも良いのよ」
「ぐうう。僕は強くなりたいんだ。男として、やっぱり頼られる存在になりたいよ」
「あら、もう十分、頼りになっているわよ」
「本当に?」
「ほんとうほんとう」
「うわっ、嘘っぽい」
「嘘じゃないわよ。貴方は自分が思っている以上に、みんなから評価されているわ」
「本当?」
「本当だってば」
くすくすと笑うミストラル。
「疑り深い男は、嫌われるわよ」
「そうだよね。そんな女々しい男は駄目だよね」
「女々しいって言うのかしら?」
「男は、どどーんと構えてなきゃ。」
「踏ん反り返る男は嫌いよ」
「うっ、気をつけます」
「ふふふ、そういう素直なところが、可愛いわ」
「ぐうう、格好良くなりたいのに」
「貴方に格好良さは似合わないわ」
「そんなぁ」
「だけど、これからじゃないかしら。頑張ってその格好良いエルネアになって、惚れさせてね」
「あれ、まだ惚れてなかったの!?」
「ん? どうかしらねぇ」
「えええっ、そんなぁ」
「あら、何か自信があったのかしら」
「だって、結婚の挨拶もしたし、ミストラルは花嫁修行をしてきたんでしょう?」
「花嫁修行と言えるかは微妙だけれど……でもそうね。外堀は埋まったわね」
「内側は?」
「どうかしらねぇ」
「ひどい、そこを隠すなんてっ」
「ふふふ、だって、安心されて手を抜かれたら嫌だもの」
「それはもう、好きだって暗に言っているようなものだよ」
「言ってないわよ?」
「言ってるよ」
「んもうっ、馬鹿っ」
「痛てててっ」
ミストラルに手の甲をつままれた。
「それで、貴方はわたしのことが好き?」
「もちろんだよ!」
「本当に?」
「本当に本当だよ」
「それじゃあ、証拠を見せて欲しいわ」
「証拠?」
「そう。好きだという証拠」
むむむ。困った。どうしよう。
「ミストラル」
「ん?」
僕の呼びかけに、ミストラルがこちらを向く気配がする。
「ん……」
僕は躊躇わずに、振り向いたミストラルの唇に自分の唇を重ねた。柔らかい感触は、これまで経験したことのないほどの幸福感を、僕に与えた。
「今のは、ちょっとずるいわ」
「僕は、誰とでもはこんなことしないからね」
ちょっとだけ長い時間、唇を重ね、僕は言う。
部屋が真っ暗でよかったよ。きっと今の僕は、顔を真っ赤にしているに違いない。
「僕はミストラルのことが好きだよ」
「ふふふ、ありがとう。でも、これは証拠にはならないわ」
「ぐぬぬ」
布団の中で、腕を絡ませてくるミストラル。僕がミストラルの腕を引き寄せると、ミストラルは抵抗することなく密着してきた。
「もう少し話す?」
「うん、眠気なんて吹き飛んだしね」
「あらあらまあまあ」
「うわっ、ルイセイネの真似だっ」
「ふふふ」
僕とミストラルは、とりとめのない話を続け、夜更かしした。
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