二人の夜
「それでは、また明日」
「みんな、またね」
満足した表情のミストラルと、
「また明日、お会いしましょう」
「エルネア様、ミストラル様、また明日ですわ」
「明日も遊ぼうね?」
「にゃん」
これから耳長族の村で生活する面々と手を振りあう中、まばゆい光に視界が奪われる。一度目を閉じ、そして開くと、僕とミストラルは竜廟の中心に立っていた。
「さあ、帰ってきたのだし、背筋を伸ばして」
ミストラルに促され、気を取り直す僕。
そうだね。みんなに言葉責めされたとか、プリシアちゃんにおもちゃにされたなんてことは、終わったことだ。過去の事なんだ。忘れてしまおう!
僕はミストラルと並んで、竜廟から外に出る。
山脈に囲まれたミストラルの村の西には、まだ太陽が残っていた。
ルイセイネたちが陽のあるうちに耳長族の村にたどり着けるように、早めに解散したんだよね。きっと彼女たちは、
「あの子たちは大丈夫かしら」
「心配?」
「いいえ、信頼しているから。ただ、ルイセイネも、わたしたちなしで村に行くのは初めてでしょう。緊張していないかと思って」
「きっと大丈夫だよ。ルイセイネはああ見えて、心が強いからね。礼儀作法もしっかりしてるし、ルイセイネがいれば大抵のことは無難に出来るよ。さすがは戦巫女なのかな」
「ふうん。随分とルイセイネを高く買っているのね」
「変な意味でじゃないけどね。僕たち人族にとっては、やっぱり戦巫女や聖職者って、すごい神聖で素晴らしい人って感覚なんだよ」
「なるほどね」
「そういえば、ミストラルはルイセイネから僕たち人族の宗教について勉強したんだよね」
「そうね。随分と興味深い話だったわ」
「ミストラルは女神様って信じる?」
「どうなのかしら。超越した存在というのは確かにあるのかもしれないけれど。でも貴方たちのように、無条件で心から信じ込む、ということにはならなさそう」
「ははは、そうだよね。僕たちは産まれた時から刷り込まれてるから信じきっているけど、他の種族からしたら、まゆつば物なのかも」
宗教というものは、人族特有のものらしい。魔族も竜人族も、その他多くの種族も、人族のように何かを一身に信じ、
「ちなみに、貴方たちが女神様と言っている存在は、神族とは別物なのよね?」
「うん、その辺はよく他種族に勘違いされる部分だって聞いたことがあるよ」
僕とミストラルは水竜に乗り、泉を渡りながら話を続ける。
「神族は、なんで神族って言うのかな? それは疑問なんだけど、女神様と神族は全くの別なんだ。女神様は世界の創造主。神族も、結局は女神様が創り出した種族のひとつなんだよ」
「ふうん、何か複雑な話よね」
「うん、宗教については、話し出すときりがないよ」
「わかるわ。ルイセイネも、語り出したら止まらなかったから」
「あはは、その場面は想像できる」
水竜から降りて、お礼を言う。水竜はどういたしまして、と鳴くと、泉の奥へと潜っていった。
そして長屋を通り抜け、村の広場に出た僕とミストラル。僕がそのままいつもの部屋へ向かおうとしたら、ミストラルに
「どこに行くの」
「どこって、寝泊りしている長屋のお部屋だよ?」
「お馬鹿さん」
ミストラルはそれだけ言うと、僕を引っ張って歩き出す。
どこへ行くのか。
引っ張られ気味で歩く僕と、袖を引っ張って先導するミストラルの向かう先。それはミストラルの実家だった。
「いっとき二人だけなのだし、わざわざ長屋に泊まることはないわ。わたしの部屋で寝泊りすれば良いじゃない」
「えええっ!?」
思わぬ申し出に、僕は仰天する。
ミストラルと二人っきりで寝泊り!?
ミストラルの部屋でってことは、寝台はひとつだよね。自分の部屋に寝台を二つ置くような人なんて、いないもんね。二人でひとつの部屋のひとつの寝台で寝泊り。
ごくり。
急に喉の渇きを覚えてきました。
僕は、緊張した足取りでミストラルに着いて行く。そして、誘われるがままに、家の中へ。
「あら、おかえりなさい」
「やあ、婿殿。いらっしゃい」
家の中では、ミストラルのお父さんのアスクレスさんと、母親のコーネリアさんが寛いでいた。
「ただいま」
「お、お邪魔します!」
胸の高鳴りが、一瞬止まる。ミストラルと二人っきりを想像していたけど、そうだよね。ここはミストラルの実家なんだから、両親はそりゃあ居ますよね。
ミストラルの両親が居ることを知って落胆した、まではいかないけど、少しだけなぜか気落ちしたのは内緒です。
だけど、ミストラルの部屋で一緒に寝泊りするのは変わりないことなんだし。そう思うと、僕の胸はまた高鳴り出した。
「父さん母さん、今日からいっとき、わたしたちはこっちに泊まるから」
「あらまあ」
「おや、他のお嫁さんたちはどうしたんだい」
「ええっと、それはですね」
と、ライラたちのことは僕から説明を入れる。
「ほほう、支配の能力か。これは珍しい。過去の竜姫の中には、その能力を持っていた女性も居ると云うよ。これはライラちゃんの努力次第では、二人目の竜姫誕生になるのかな」
「そうなると、初代と一緒になるわね」
「初代?」
コーネリアさんの言葉を聞き返す僕。
「そうよ。初代の竜姫は、二人いたのよ」
「そうなんですね」
初耳です。竜姫という称号はスレイグスタ老が昔に創ったということは聞いていたけど、まさか竜姫が二人も居ただなんて。
スレイグスタ老は、そんなこと一言も言ってなかったよ。
「まあ、竜姫になるのは大変だけどね」
「でも貴方、ミストラルが側にいるし、翁の庭にも行っているのだから、可能性はあるわ」
「そうだね。我が娘の夫が竜姫を二人も嫁にするなんて、自慢できるな」
「それって、わたしは自慢にならないって暗に語っているんですか」
「あ、いや。そうじゃないよ、コーネリア……」
どうやら、コーネリアさんとアスクレスさんの関係は、僕たちに似ているらしい。
言い寄られるアスクレスさんがたじろぐ姿を横目に見ながら、僕はミストラルに案内されて、家の奥へと導かれる。
廊下の先。ひとつの扉を潜ると、そこは女の子の部屋だった。
ミストラルの実家も他と変わらず木造なんだけど、木でできた建物特有の柔らかく落ち着ける香りとは違う、少しだけ甘い匂いが
ここがミストラルの部屋なんだ、と一歩部屋に入り、見渡す。
入って右側の木壁には、刺繍された飾り布がいくつかかけられ、小さな机には小さな花瓶に飾られた可憐な花と、読みかけの本。左の壁には
そして部屋の奥、小さな窓辺に、涼やかな模様の入った布団が敷かれた寝台があった。
「なんだか、男の子を自分の部屋に入れるのは、緊張するわね」
僕の背後で、ミストラルが少しだけ照れたようにはにかんでいた。
「もしかして、ザンも入ったことがない?」
ザンは幼馴染だというし、彼なら無造作にミストラルの部屋に入ってきそうな気がした。
「そうね。小さい頃なら、何度かわたしの部屋でも遊んだことはあるけど。大きくなって、家が新築されてからは、一度もないわ」
そういえば、ミストラルの村は昔、オルタに破壊されたんだよね。長屋やミストラルの実家、それに多くの家々はまだ真新しさの残る、艶やかな
「じゃあ、男でこの部屋に入るのは、僕が初めて?」
「ふふふ、そうね。父さんも入ったことはないのよ」
「おお!」
特別な感じがします!
ミストラルとザンは幼馴染ということで、僕の知らないことをたまに話したり、息がぴったりで嫉妬心がないと言えば嘘になる。でもこうして、僕もミストラルと二人だけの世界を共有できることに、特別感と嬉しさを覚えた。
「そういえば、貴方の着替えや荷物は持ってきておかないと不便ね」
「言われてみれば」
「後で持ってきましょう。一緒の箪笥……はさすがに使えないから、母さんに小さい衣装入れを借りるわ」
僕とミストラルは一旦、部屋から出る。ミストラルは夕食の準備があるし、僕は荷物を移動させなきゃいけない。
アスクレスさんとコーネリアさんにもう一度挨拶を済ませると、ミストラルと一緒に家を出た。
そして荷物を移動させ、夕食を村のみんなで摂り。
おやすみなさい、と広場のみんなに夜の別れを告げて僕とミストラルが二人で家に向かう状況になって、ようやく男性陣は状況が掴めたみたい。
「あああああああぁぁぁぁっっ!!」
「エルネア、貴様、何をしているっ」
「待てっ、お前は俺たちに更なる地獄を見せつけようというのか!?」
「ミストラルよ、早まるなっ。そいつじゃない、俺を呼んでくれ!」
「
騒ぐ男性陣を、ザンが一瞬で沈めた。
「うるさい奴らだ。夜は静かにしろ」
言ってザンは、騒ぐ残りの男性陣を睨みで黙り込ませ、僕たちの方へやって来る。そして僕を捕まえ、ミストラルから引き離す。
「少し借りる」
「えっ!?」
ミストラルと僕の了承も得ず、ザンは一方的に言い放つと、僕の首根っこを捕まえて村の外れの闇へと連れ込んだ。
「お前、この状況がどういうものか、理解しているのだろうな?」
「ええっと、と言うと?」
ザンの冷たい視線を上から浴び、僕は冷や汗を流す。ちょっと、ザンの気配が怖いです。
「ミストラルを今でも狙っている男は大勢いる」
「うん、知ってるよ。もしかして、ザンも狙っていたりする?」
気まずい空気を打開しようと、軽い口調で聞き返してみたけど、冷たい視線が返ってきました。
「ミストラルが選んだ相手だ、俺がとやかく言う問題じゃない。だがな、奴の幼馴染として、これだけは言わせてもらう」
ザンはぐいっと僕の首に腕を巻きつかせ。
「もしもミストラルを不幸にするようなことがあったら、許さんぞ」
ザンの冷たい視線。その奥に、
僕は一度喉を鳴らして唾を飲み込み、大きく頷いた。
「うん。ミストラルを不幸になんてしないよ。竜王エルネアの名にかけて」
ザンの真面目な雰囲気に、僕も真摯に誓う。するとザンは満足してくれたのか、口の片方を上げて、にやりと笑う。
「お前みたいなへなちょこじゃあ、まだまだミストラルは幸せになれん。さっさと強くなれ」
言って首から腕を解き、僕の背中を力一杯押す。
僕はもんどりうって、村外れの闇から飛び出た。
「何をしているの?」
家の前では、ミストラルが呆れたように、こちらを見つめていた。
僕は一度振り返り、闇を見る。でも暗くて、ザンの姿は見えなかった。しかたなく闇からミストラルに視線を戻すと、急いで駆け戻る。
「貴方たちは、兄弟みたいに仲が良いわね」
「そうかな?」
僕も確かに、ザンはお兄ちゃん的な存在に感じてはいるんだけど、周りからもそう見られているのかな?
男性陣の悲鳴は消えたけど、今度は女性陣の黄色い歓声を背中に浴びつつ、僕とミストラルは家の中に入っていった。
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