耳長族の禁忌
胸の奥から全てを吐き出しそうなくらい荒く息をし、苦しそうに地面に
蹲っている姿勢さえも辛いのか、身体を支える腕や脚は激しく震えている。振り乱れた髪は、深く
ユグラ様の攻撃をものともしない、実体を持たない炎の巨人。そのなかから現れた女性に、僕たちは驚いていた。
ユン様?
それってライラから聞いていた、東の大森林から逃げてきた耳長族の人たちの代表者の?
でも、なぜそんな人が砦を襲撃してきたのかな!?
混乱する僕たちの視線の先で、尖塔から身を乗り出していたゴルガルさんが動く。
空間跳躍で砦を越えると、外壁の外で蹲る女性に駆け寄ろうとした。
「止まりなさい!」
だけど、その動きを止めたのは、風の精霊さんだった。
プリシアちゃんが使役する精霊のひとり。
砦の外へと空間跳躍してきたゴリガルさんの喉元に
「妙な動きは
炎の巨人が姿を変えた残り火から現れた小柄な女性の側にも、
未だに両手を地面につけて、荒く息を切らす小柄な女性。全身汗だくで、顔色も悪い。そこへ容赦無く槍の
見れば、尖塔の上ではプリシアちゃんを抱きかかえて警戒する光の精霊さんもいる。
どうやら、緊張はまだ解いてはいけないみたいだ。
状況を飲み込めていない人や竜たち。逆に、なにか核心を得たかのように警戒感を露わにする精霊さんたち。
僕に同化しているアレスさんも、未だに気配を緩めようとはしていない。
小柄な女性は、土の精霊さんに槍を向けられた状態で、地面に蹲っている。
荒く乱れた息切れは、収まりそうな感じがない。見ているこっちが息苦しくなりそう。
人が種火となり、炎が巨人の姿を形取るという不思議な精霊術は、まさにアレスさんが言った通り、自身を蝕む術だったのかもしれない。
今にも倒れて意識を失いそうな女性。だけど精霊さんたちは、そんな衰弱しきった相手に容赦のない警戒を見せていた。
ミストラルは、精霊さんたちの気配に眉根を寄せながらも、僕を地上に降ろしてくれた。
なにが起きてもいいように、漆黒の片手棍を抜き放つ。
僕もミストラルの腰から手を離すと、白剣と霊樹の木刀に手を伸ばした。
「其方らは手を出すな」
すると、アレスさんが僕から離れて顕現してきた。
いつもであれば、
「其方、禁忌を犯したな?」
僕たちと会話をするときのような人らしい感情なんてない、冷たい声音。
アレスさんの冷徹な声に、蹲る女性は苦しそうにしながらも視線を上げる。そして、アレスさんの放つ圧倒的な気配に息を飲む。反動で、
咳き込んで揺れた喉にアレスさんの持つ緑の剣の切っ先が触れる。皮膚が薄く斬れたようで、血が流れ出た。
「其方、精霊を
次いでアレスさんが口にした言葉に、僕たちは絶句した。
「まさか……!」
「な、なんてことを……」
空間跳躍をしたゴルガルさんを追ってきたカーリーさんや、尖塔の上で様子を窺っていたケイトさん。そしてエリオンさんが口を震わせて、アレスさんと蹲る女性を見る。
「大長老様に聞いたことがあるわ。耳長族の禁忌。精霊を喰い、その力を身に宿す嫌悪の術……」
ケイトさんは、驚きから怒りに感情を変える。ケイトさんの言葉を聞いて、カーリーさんとエリオンさんも険しい表情になった。
「精霊を手にかけただけでなく、それを喰うとは……」
「なんという
「ま、待ってくれ! ユン様はなにも悪くないのだ。儂らが……儂らが悪いのだ!」
顔面蒼白になって、蹲る女性に駆け寄ろうとするゴリガルさん。だけど、風の精霊さんの両手鎌は微動だにせず喉元に突きつけられたままで、ゴリガルさんの動きを封じる。
「若いもんが、勘違いしたのだ。あんたらが耳長族を連れて地下に来た時に、森から追って来た者と勘違いをして、ユン様に救援の精霊を送ってしまったんだ。それで……」
「そんな話は聞いていない。あの女が禁忌を犯した、それが重要な問題なのだ!」
カーリーさんの言う通り。
なぜ、あの女性が砦を襲撃してきたのか。ゴリガルさんの説明が正しければ、この女性、ユンさんは仲間を救出しようと砦に襲いかかったに違いない。でも、今はそんな話はしていない。
アレスさんが言った。ユンさんは精霊を食べて、精霊の能力を身に宿したのだと。
そして、話はそれだけでは済まない。
なぜなら……
「炎と風と光……。最低でも三つの強い属性をその女から感じたぞ!」
カーリーさんが珍しく、他者を厳しく非難するような視線でユンさんを見ていた。
「いや、三属性だけではない。其方、いったいどれだけの精霊を喰った?」
「まさか……! なんとおぞましいことか!」
言葉を失うとは、まさにこのことだ。
精霊を食べる、という行為自体が耳長族にとっての禁忌だというのに、ひとつの属性だけでなく、複数の精霊を食べたというのかな!?
アレスさんや精霊さんたちが、ユンさんに対して警戒心を解かないはずだ。
ケイトさんとエリオンさんはあまりの衝撃的な事実に絶句し、硬直してしまっている。
「違う、違うのだ! ユン様はなにも悪くないのだ!」
そして、涙を流しながら訴えてきたのは、ゴリガルさんだった。
「貴女様は、偉大な属性の精霊様とお見受けいたします。どうか、どうかユン様をお救いください。儂らの話に、どうか耳を傾けてください」
もしかして、ゴリガルさんはアレスさんの属性がなんなのかわからないのかな?
精霊とは認識しているみたいだけど、見知らぬ属性に戸惑っている気配を感じる。それでも、このなかでアレスさんが一番高位の精霊だと気付いたのか、ゴリガルさんはアレスさんに向かって
「ユン様は、儂らをお救いくださるために……。耳長族と森、精霊を守るために……」
「貴様は、なにかを守るためならば禁を犯しても良い、とは言わないだろうな?」
しかし、ゴリガルさんの悲痛な訴えを容赦なく遮ったのは、砦の外に出てきたグレイヴ様だった。
グレイヴ様は鋭い視線で、風の精霊さんに刃を向けられているゴリガルさんと、荒く息切れをするユンさんを睨む。
「耳長族の風習は知らん。精霊との関係もわからない。ただし、これだけは言える。我ら人族は法を守り、秩序を重んじる。事情は知らんが、なにかを成すためならば禁忌であれなんであれ手段を選ばぬ、という
「ま、待っていただきたい。事情を……」
「説明は必要ない。……エルネア、来てもらって申し訳ないが、そういうことだ。苦労をかけたな」
「ええっと……」
僕は、どうすればいいんだろう?
ゴリガルさんは、なにか弁明したいらしい。だけど、砦が損壊する被害の出た騒動に発展したことで、グレイヴ様は怒っている。
怒っているのは、グレイヴ様だけじゃない。カーリーさんたち竜の森の耳長族は、険しい瞳でユンさんやゴリガルさんたちを睨んでいる。
アレスさんたちも、ユンさんに強い警戒心を見せていた。
「はぁはぁ……。我のことは……好きにするが良い。だが……他の者たちは……我が所業には関係ない。女子供も……いるのだ。……僅かな慈悲を……」
すると、荒い息で途切れ途切れながら、ユンさんがようやく顔を上げて声を発した。
小柄な体型には似つかわしくない、しゃがれたおばあちゃんのような声だった。
「あぁ、ユン様! どうか、無理はなさらずに」
「無理も……しよう……。ここで……人族にも見捨てられようものならば……我らに……向かうべき場所は……ないのだ」
土の精霊さんに槍の鋒を。アレスさんにも剣の刃を向けられながら、ユンさんは気丈にも立ち上がろうとした。だけど、体力の限界だったらしい。衰弱した震える手足では小柄な体重でさえも支えきれず、地面に崩れ落ちる。
「はぁはぁ……。偉大なる精霊よ。喰った……。我は……精霊を、喰った。罪を背負いし……この身……。しかし、他の者は……。どうか、耳長族に……慈悲を……」
「ユン様、それは違います! あれは、あの状況では仕方のなかったこと。それなのに、罪をユン様ひとりに背負わせたのは、儂らの罪だ。慈悲と言うのなら、どうかユン様へ。儂らは全員、どうなっても良いと覚悟している。だから、どうかユン様だけは……!」
「あの女も、お前たちも、
「ゴリガル爺さんや。さすがに、擁護できんぞい」
「禁忌か。初めて聞いたが、俺も精霊を喰うような者に手を差し伸べることはできん」
「そうね。あろうことか、耳長族が精霊を手にかけるなんてさ」
「ま、待ってくれ! エリオン爺さん、どうか儂らの話を聞いてくれっ」
話の流れは、決まったような気がする。
ヨルテニトス王国側の代表者であるグレイヴ様は、砦の外壁を壊されたことを不問にする代わりに、もう耳長族とは関わらないと決めたみたい。
カーリーさんたちも、耳長族の禁忌を犯したユンさんには嫌悪感を持っていて、協力してくれるような気配は一切ない。
ゴリガルさんは必死に弁明しようとしているけど、グレイヴ様もカーリーさんたちも聞く耳を持たなかった。
「それで、エルネアはどうするのかしら?」
黙って様子を伺っていた僕に、ミストラルが声をかけた。
砦から家族のみんなが出て来て、僕の周りに集まる。
「エルネア君、どうします?」
ルイセイネが僕を見た。いや、彼女だけじゃない。ユフィーリアとニーナ、ライラとプリシアちゃんも僕を見ていた。
『騒がしい人どもだ』
レヴァリアは砦のなかで姿は見えないけど、ため息混じりの竜心が届く。
僕はみんなの視線と問いかけの言葉を受けて、改めて周りを見渡す。
グレイヴ様は部下の人たちに、地下に捕らえている残りの耳長族の人たちを連れ出すように指示している。
カーリーさんは、傍の風の精霊の少女が気を緩めたら、すぐにでも弓矢を構えそうな気配。ケイトさんは、油断なくユンさんを睨んでいる。エリオンさんはゴリガルさんに同情の瞳を向けていたけど、残念ながら助成しようとする気配はない。
そしてアレスさんは、相変わらず油断も躊躇いもない気配で、ユンさんに剣先を突きつけていた。
この状況で、みんなと違う選択肢なんて、普通に考えてありえないよね。
僕は苦笑する。そして、みんなに聞こえるように、声を発した。
「ええっとね」
僕の言葉に、指示を出していたグレイヴ様や兵士の人たちが動きを止めて振り返った。
「ずっと前のお話なんだけど。そう、約二年前のお話」
お前はなにを言い出したんだ、とグレイヴ様が
「僕は、旅立ちの一年で竜峰に入ったんだ」
僕は、グレイヴ様や兵士の人たちの視線を受けながら、話を進めた。
「竜峰では長い間、暴君と呼ばれる凶暴な飛竜が人や竜たちを怯えさせていたんだ。多くの人が暴君の犠牲になり、竜族だってたくさん殺されてた」
ぐるぐる、とレヴァリアの喉鳴りが聞こえてきそう。
「僕はね。竜峰で暴君と対峙したんだ。暴君は僕の目の前で
砦の外壁の先、レヴァリアが丸まって休憩しているはずの方角を見る。
「暴君はいっぱい悪いことをしたし、竜峰のみんなに恐れられたり憎まれたりしていたんだ。でも、僕は暴君の命を奪うようなことはしなかった。死んで終わり、命で償う、なんて卑怯だと思うんだよね。だって、悪いことをした者はいなくなっても、恐怖の日々は忘れられない。憎しみの心は晴れないから。だから、僕は暴君と約束をしたんだ。これからは全身全霊をもって、罪を
僕と暴君の話に、ゴリガルさんだけでなくユンさんもこちらを見つめていた。
「誰が罪を犯したのか。誰のせいなのか。誰が償うべきなのか。どう
場に相応しくないくらいにっこりと笑って言うと、グレイヴ様が肩を落として深いため息を吐いた。兵士の人たちも、やれやれ、と僕を見て苦笑している。
ミストラルたちは、やっぱりね、といった感じで僕を見ていた。
家族のみんなは、僕に問題を丸投げしたわけじゃない。僕がこういう結論を出すということを知っていて、それならはっきりと主張しなさい、と背中を押してくれていたんだ。
アレスさんは僕の話を聞いて、緑光色の剣を納めた。そしてユンさんの傍から離れると、こちらへと戻ってくる。土の精霊さんは地面に消え、風の精霊さんは微風に溶けて消えた。
「ユン様!」
喉元に当てられていた風の精霊さんの両手鎌が消えると、ゴリガルさんは跳んでユンさんのもとへ。
僕のとる行動は、精霊さんたちにはお見通しだったみたいだね。
そもそも、禁忌を犯したというユンさんを本気で断罪しようとしていたのなら、最初から首を
「ともかく、まずは落ち着きましょう。そして、お互いにじっくりと話し合いましょうね?」
「やはり、お前は……」
僕の話に異議を唱えてくると思ったグレイヴ様だったけど、素直に受け入れられて、こちらの方が驚く。
『汝らしい判断だ』
「エルネア君、さすがです!」
上空で旋回しながら様子を伺っていたユグラ様が、フィレルとお付きの三人を乗せて降下してきた。
「少年の言葉で、こうも情勢が一転するのか……」
僕の唐突な話から、一気に流れが変わった。
ゴリガルさんはユンさんに寄り添いながら、僕を驚いたように見ていた。
ユンさんも、僕とアレスさんを不思議な眼差しで見つめていた。
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