熱い季節の始まり

 黒く不気味な瘴気しょうきを身にまとった、呪われた飛竜。秋色に染まり始めている竜峰の景色に黒い染みを作りながら舞い上がり、身の毛のよだつ咆哮をあげた。


『ふんっ、呪いにちた軟弱者どもめ!』


 レヴァリアも負けじと大気を震わせ叫ぶ。大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせて、鋭く並んだ牙をむき出しにして黒飛竜のむれを挑発した。


「レヴァリア、黒飛竜の黒い霧には気をつけて。呪われちゃうからね!」

「制空権を取ろうと上昇してきます、気をつけてください」

『人ごときが我に指示を出すなっ』


 僕とルイセイネの言葉に、レヴァリアは高度を一気にあげて、黒飛竜たちの上に出る。

 こちらを目指して上昇してくる黒飛竜の群に、特大の火炎を放つ。


 業火ごうか息吹いぶきは大気を焼き払う。陽炎かげろうのように揺れる視界の先で、黒飛竜たちが回避するように散る。だけど、熱波は一体の黒飛竜の鱗を容赦なく溶かし、肉を燃え上がらせた。

 断末魔をあげて地表に落ちていく黒飛竜。


 まずは一体。


「レヴァリア様、右に回り込んだ飛竜はおとりです。左下方からの呪いの息吹に注意してください!」


 息をつく暇もなく、ルイセイネの注意が飛ぶ。

 ルイセイネの忠告を無視して旋回しようとしたレヴァリアの左側に、黒い霧が広がった。


『どういうことだ!?』


 レヴァリアは慌てて急上昇。危ういところで呪いの霧の上に逃げる。


「下方注意、霧に紛れて竜術がきますっ」

『ちっ』


 ルイセイネの更なる忠告に、レヴァリアは急旋回をする。直後、呪いの霧のなかから、無数の黒い矢が上空へと上がっていった。


『なぜ飛竜の動きがわかる?』


 ぎろり、と自分の背中に乗るルイセイネを睨むレヴァリア。


竜眼りゅうがんだよ。詳しい説明はあとで。今は黒飛竜の群に集中して!」

『うわんっ、すごい!』


 すぐ側で、フィオリーナが驚いたようにルイセイネを見た。

 レヴァリアは不満そうに鼻を鳴らしたけど、追及はせずにルイセイネから視線を逸らす。


「はわわっ。わたくしたちにも何かできることはありませんですか?」

『貴様らは大人しく我の背中に乗っていろ。あの程度の雑魚なんぞ、容易く蹴散らしてくれるわ! 落ちぬように精々気をつけることだなっ』


 ライラにそう言うと、レヴァリアはいつも以上に荒々しく飛び始めた。


「きゃああぁっ」


 ニーナが急上昇や急下降に悲鳴をあげる。だけど、怖がっていないよね? 絶叫しながらも楽しそうに瞳が輝いています!

 ユフィーリアは、お胸様の前で両手を握りしめて、きゅっと瞳を閉じて小さくなっていた。

 おや? ここにきて、二人に明確な違いが出てき始めたのかな?


「後方から追ってくる飛竜は罠です。下方の霧の下からもう二体が急上昇してきます!」


 レヴァリアは四枚の大小の翼を大きく広げると、僅かに上昇しながら上空で急制動をかけた。高速で背後から迫ってきていた二体の飛竜はレヴァリアの素早く細かい動きに対応できず、通り過ぎてしまう。そこへ、黒い霧のなかに隠れていたもう二体の飛竜が姿を現した。


 喉を灼熱色しゃくねついろに輝かせるレヴァリア。ぐっと息を溜めるように胸を張った直後。大きく開かれた口から、前方の空を染めあげる煉獄れんごくの炎が放たれた。

 レヴァリアの咆哮なのか、とどろく空気の振動なのか、重低音の響きが僕たちを揺さぶる。


 眼前でレヴァリアを見失っていた四体の黒飛竜は消し炭になり、落ちていった。


 レヴァリアは顛末てんまつを見届けることなく旋回すると、残った黒飛竜に向き直る。

 短い攻防で、黒飛竜の群は半減していた。


「呪いの霧を無差別に吐き始めたわ。厄介ね」


 ミストラルの言葉通り。無闇に接近するのは危険だと判断したのか、残った黒飛竜は空に黒い霧の領域を作り始めていた。


 触れると呪われる、黒い霧は厄介だね。あれは吐き終わったあとも空を汚染し続け、なかなか消えない。黒い霧が広がれば、レヴァリアが安全に飛べる場所が減らされる。

 レヴァリアの機動力を封じる作戦だ。早めに決着をつけなきゃ!


 レヴァリアは炎を吐き、黒い霧を払おうとする。だけど霧をかき回すだけで、消失する気配はない。


 徐々に広がり始めた黒い霧の先の、黒飛竜を見つめる。すると、一体にだけ背中に騎乗する者の姿が見えた。


「あれだ!」


 司令塔を見つけた。


 呪われた飛竜は、黒の竜騎士に使役されている場合がほとんどだ。ならば、司令塔である、あの黒竜騎士を排除できれば!

 僕が指差す黒飛竜と黒竜騎士を、ルイセイネが阻んだ。


「駄目です、エルネア君。レヴァリア様も、あの一体は最後でお願いします」

「どうして?」

「エルネア君の予想通り、あの竜騎士が指令を飛ばしています。ですが司令塔を失った飛竜は暴走します」


 なんてこった!

 指揮を失った黒飛竜は呪いに耐えられずに、暴れてしまう。統率のなくなった黒飛竜は、もしかすると戦線を離れて竜峰を暴れまわるかもしれない。そうなると、被害が無差別に広がっちゃう。


『ちっ。面倒な』


 レヴァリアもルイセイネの意図を読んだのか、露骨に舌打ちをした。


「レヴァリア様、一体に上を取られていますよ。黒炎が来ます!」

『くっ』

「二体が後方から追ってきています。竜術で加速しているようです」


 頭上から伸びた黒炎が、右から左に薙ぎ払われた。緊急回避をしようと降下したレヴァリアを追って、背後から迫る黒飛竜。レヴァリアも加速し、急降下。一気に地表の山肌が迫って来た。


「危険です! 森の方に竜騎士の指示が飛びました。あっ! 森のなかにも呪われた地竜が隠形おんぎょうしています!!」


 ルイセイネの切羽詰まった悲鳴と、レヴァリアの強引な転進に、僕たちの視界が揺れる。

 直後、黒い光の柱が天と地を貫き、爆散した。

 レヴァリアは衝撃波に吹き飛ばされる。空で揉みくちゃになりながら飛ばされながらも、翼と尻尾を荒々しく動かし、体勢を取り戻す。

 一瞬滞空したレヴァリアに向かって、黒飛竜が黒炎を放つ。地表からは岩石や竜術が無数に飛来し、レヴァリアを狙う。

 レヴァリアは怒りの咆哮をあげながら、素早い動きで回避行動をとった。


 レヴァリアのすぐ側を、僕たちよりも巨大な岩の塊が高速で通り過ぎる。レヴァリアの紅蓮の鱗が、紙一重で回避した黒い炎を映し反射した。


 レヴァリアの荒々しく激しい飛行に、ニーナではないけど、僕たち全員が悲鳴をあげる。だけど幸い、レヴァリアの背中から振り落とされることはなかった。

 僕たちは全員、ライラの竜術で張り付いていた。


「地表、呪われた地竜十体です!」


 ルイセイネの言葉に、絶句する僕たち。


 この空中戦で圧倒的な性能を見せつけたルイセイネの竜眼。竜族や竜人族相手なら、竜気を練った瞬間に動きを全て読み取られてしまう。

 ルイセイネは、黒く不気味に広がる霧で視界をいちじるししく奪われていくレヴァリアの目になり、全てを見通していた。

 だけど、ここにきて更に地竜が十体だなんて……!


 地上と空からの挟み撃ち状態になり、さすがのレヴァリアも低く喉を鳴らす。


「霧が広がります。レヴァリア様、前方を回避してください。回り込まれています」


 ルイセイネの指示に従い、急旋回をするレヴァリア。だけど、空の広範囲をすでに黒い霧が支配していて、レヴァリアの飛行経路は限られつつあった。


 なんとかしなきゃ!

 レヴァリアは不満に思うかもしれないけど、このままではどんどん苦境に陥ってしまう。

 だけど、僕たちには空での有効な手段を持っていない。

 空を飛ぶことはできない。かといって、レヴァリアの背中から遠隔攻撃の竜術を放っても、容易く回避されてしまう。そもそもレヴァリアの荒々しい飛行だと、狙いなんて定めてられない。

 だけど、何もしないのが最悪の選択かな。目眩めくらましくらいにはなるはず。僕が竜気を練り始めると、傍のミストラルもこちらの意図を察したのか、竜気を解放し始めた。


「切羽詰まっているときこそ、私たちの出番だわ」

「切羽詰まっているときこそ、私たちの活躍だわ」


 さっきまで楽しそうに悲鳴をあげていたニーナが僕の肩に手を当てて、竜気の錬成を待つように言ってきた。同じように、先ほどまで小さく固まっていたユフィーリアが、ミストラルの肩に手を当てていた。


「レヴァリア、地竜に向かって飛んでね」

「レヴァリア、地竜の頭上を一度だけ通過してね」


 双子王女様の言葉に、レヴァリアだけではなくて僕たちも訝しげな視線を向ける。だけど、ルイセイネだけは全てを見透かしているかのように、深く頷いた。


「レヴァリア様、お願いします!」


 レヴァリアは不満そうに喉を鳴らしたけど、呪われた地竜が潜む一画へと向かい荒々しく羽ばたく。


 呪われた地竜は、復旧途中だった吊り橋の近くの森に隠形している。深い渓谷の近く。


 空からは黒飛竜の黒炎。地表からの無数の竜術を回避しながら、レヴァリアは高度を一気に下げていく。そして一瞬、隠形していると思われる呪われた地竜の頭上を通過した。


 ニーナが地表に向かってなにかを投下した。


 太陽の光を反射して、きらきらとまたたく小さななにか。

 森のなかへと落ちる直前に、虹色に光ったような気がした。


 あれは……!


 そこで、思考は停止した。視界がまばゆい光に包まれ、空が激しく揺れた。

 耳が張り裂けるような爆音が轟き、先程とは比べようもないほど激しい衝撃波が竜峰を包み込む。


『ぐがああぁぁっっ』


 レヴァリアが悲鳴をあげ、爆風に吹き飛ばされる。僕たちは振り落とされないように、必死にレヴァリアの背中に張り付いた。


 視界を奪った閃光せんこうは一瞬だった。その代わり、ニーナがなにかを投下した渓谷付近からは、天に向かって巨大な煙の柱が上がっていた。

 渓谷の崖は深くえぐられ、崩壊している。衝撃で木々は薙ぎ倒され、爆心地付近は焼け野原になっていた。


「あ、貴女たち。なにをしたの!?」


 珍しく、ミストラルが狼狽うろたえたように地表と双子王女様を交互に見ていた。


「予想外だわ」

「危険だわ」


 どうやら、双子王女様の思惑の斜め上を行ったらしい。二人の表情も引きつっていた。


「ユフィさんが霊樹の宝玉に、密かに竜気を貯めていたのは知っていましたが……」

「『あああああぁぁぁっっっっ!!』」


 ルイセイネの言葉に、僕たちはそろって悲鳴をあげた。


 そういうことだったのか!

 苔の広場でなにかを拾い集めていると思っていたけど、あれは精霊の少女が食べた後の、霊樹の宝玉を集めていたんだね。そしてさっきの、ニーナとユフィーリアの違い。てっきり二人の個性が分かれたと思っていたけど、違ったんだ。ユフィーリアは密かに手のなかで宝玉に竜気を送り貯めていて、ニーナは密かな作戦に歓喜していたんだ。


 だまされた!


 なんて今は騒いでいる場合じゃない。

 どうやら、隠形していた呪われた地竜は、今の一撃で全滅したみたい。上空の黒飛竜の群も、恐ろしい破壊力を目の当たりにして混乱している。


 レヴァリアは素早く立ち直ると、好機を逃すことなく攻勢に転じた。


 動きの鈍っている二体を業火の炎で焼き払う。そして荒々しい咆哮をあげると、紅蓮の鱗を輝かせた。


 レヴァリアの全身が炎に包まれる。

 炎の塊となった状態で、残りの黒飛竜に突っ込む。

 レヴァリアの突進に慌てて回避行動をとろうとした黒飛竜たちは、近づいた瞬間に炎に包まれて悲鳴をあげた。


 レヴァリアは、周囲で悲鳴をあげながら燃える黒飛竜には目もくれず、黒竜騎士を乗せた黒飛竜を目指して高速で迫った。


「っ!」


 一瞬だけ、黒竜騎士とレヴァリアの視線がぶつかった。だけどその直後。黒竜騎士はレヴァリアの鋭い爪の餌食となり、握り潰されて肉塊へと変わる。

 レヴァリアはもう片方の爪を黒飛竜の身体に食い込ませ、凶悪な牙を喉元へと突き刺す。

 そのまま、激しい勢いで渓谷の斜面に黒飛竜を叩きつけた。


 レヴァリアは黒飛竜の首を半ばから喰い千切るように振り払う。そして勝ち誇ったように、空に向かい咆哮を放った。

 肉片と血に染まったレヴァリアの獰猛どうもうな姿は、まさに暴君そのものだった。


「こらっ。呪われた飛竜に触れちゃいけないんだよ!」


 触れただけでも呪われるのに、なんてことをするんですか。


『貴様はそんな忠告はしていないだろう』

「あっ!」


 言われてみると、そうでした。

 ごめんなさい。


『ふふん。まぁ、それくらいは予測していた。それに、先程の双子の小娘の小細工を見てわかった。あの宝玉は威力を大幅に跳ね上げるのだろう。ならば、古代種の竜族が力を込めたという霊樹の宝玉を持っているのなら、この程度の呪いは防ぐだろう』

「なるほど」


 暴君の説明に、みんなで頷く。


 それにしても……

 呪われた黒飛竜と地竜は掃討できたみたいだけど……


 自然と、全員の視線が双子王女様に集まっていた。


「二人とも、気をつけなさい」


 ミストラルは疲れたようにため息を吐いたけど、残りを没収することはなかった。

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