竜峰の秋

 最初に、竜人族の不穏な気配に気づいたのは、ルイセイネと初めてのお使いに出た時だった。偽竜人族と偽勇者。そして聖剣そっくりな魔剣の出所を探ったミストラルたちが、竜峰北部の竜人族と魔族の内通を探り当てた。

 ただし、物的な証拠がなく、同種族間での騒動に二の足を踏んだミストラルたちは、北部の竜人族の監視と懐柔かいじゅうに動いていた。


 結果から見れば、それは失敗に終わったんだね。


 この一年間、竜峰中部以南の竜人族たちは、問題の収束に向けて奔走ほんそうしていた。だけど、事態は悪化をたどるばかり。

 北部竜人族だけの暗躍だと思っていたところに、過去の悪夢であるオルタの影が見え隠れし始め、魔族との繋がりも色濃く見えてきた。


 夏頃からは、北部竜人族との衝突は避けられない流れにはなっていた。

 僕たちは、竜人族同士の結束を強め、竜族と同盟を結んで、来る時に備えていた。


 そしてとうとう、その時が来たんだ。


 竜峰の冬は、平地に住んでいた僕たち人族には想像もつかないほど厳しいものになるという。特に、北部は冬の間はずっと吹雪ふぶき続け、年によっては多くの凍死者を出す場合もあるのだとか。


 極寒の冬を迎える前に、北部竜人族は決起したんだ。


「わたしが竜峰を離れた機会を好機と思って動いたのね」


 ミストラルが険しい表情でコーネリアさんを見る。


「貴女のせいではないわ。これはきたるべくして来てしまった騒動よ。遅かれ早かれ、北部の者は攻めてきていたわ」


 ミストラルは抑止力の一角を担っていた。竜姫とは、竜人族のなかでもっとも強い者の称号。その彼女が竜峰に居るだけで、北部の竜人族は決起に躊躇ためらいをみせていたのかも。

 だけど、僕がミストラルやみんなを巻き込んで、ヨルテニトス王国へまで遠征したから……


「というわけで、竜峰はいま騒がしいから、貴女たちはもう少し遊んでらっしゃい」


 にこやかに、世間話でもするように言うコーネリアさん。だけど僕やミストラルは、呑気のんきに「はい、そうしますね」なんて頷けない。


「母さん。わたしは竜姫よ。竜峰の一大事に無関与なんてできないわ」

「コーネリアさん、僕にもなにかお手伝いできることはありませんか?」


 コーネリアさんは、無責任な人じゃない。人族の僕たちを、竜人族の問題に巻き込むわけにはいかないと思っているんだよね。そして、ミストラルだけを呼び寄せても、僕たちが心配すると配慮している。だからミストラル共々、僕たちをこの騒動から遠ざけようとしているんだ。


 もしかして、アシェルさんが試練が終わるまで戻ってくるなと言ったり、予想以上に早く戻ってきてしまって、まいった表情をしていたのは、こうなることを知っていたからなのかな。


 だけど。

 コーネリアさんの気持ちや、竜人族の気遣いはわかるけど。


「僕は竜人族の試練を乗り越えて、戦士として認められたんですよね? なら、竜峰に関わるひとりの戦士として、ミストラルの伴侶はんりょとして、この騒動に身を置きたいと思います」


 僕の言葉に、コーネリアさんは柔和にゅうわな表情を一転させ、鋭い視線を向ける。それは、ミストラルの母親としてではなく、ひとりの竜人族の戦士としての視線だった。


「覚悟はあるのかしら?」


 コーネリアさんの視線を真正面から受け止める。


「竜人族と竜人族の血で血を洗う争いになるわ。そこへ人族の貴方が入り、竜人族をあやめれば、必ず恨まれる。敵だけでなく、味方からも怨念おんねんを持たれるわよ?」


 竜人族は人族よりも優れた種族。それは今までにも嫌というほど実感し、体感してきた。そこへ、他種族であり、劣っているはずの人族が踏み入り、敵とはいっても竜人族を殺したら。


 僕の知り合い、顔見知りの竜人族の人たちは、みんない人たちばかりだ。だけどやっぱり、なかには人族を見下す竜人族だっているかもしれない。そういう人から見れば、同種族間の争いに土足で踏み入った僕をこころよく思わない人も出てくる、というのは理解できる。


 だけど……


「覚悟の上です。僕はミストラルと結婚したいと思ったときから、竜人族の人たちと種族を越えて近づきたいと思っていました。だけど争いから目を逸らし、綺麗事ばかりで身を固めて親睦を深めようなんて、薄っぺらなことはしたくないです。深く関わるのなら、善も悪も全てを受け止めて呑み込んで、悲しみも喜びも全てを分かち合いたいです。そのための一歩に必要であるのなら、僕は自分の行いから生まれた恨みも受け止めます。僕を快く思わない人とも理解を深めあい、うらみや誤解を取り除いていくことは僕の試練だと思っていますから。そこから逃げていては、僕は本当に竜人族の人たちと心からは結ばれないと思っています」


 結局は、竜人族と人族という埋められない溝が今でも深く存在するから、味方であるはずの竜人族にも恨まれる。コーネリアさんに心配されて、気を使わせてしまう。

 でもそれって、僕はいまだに竜人族の人たちに心からは認められていないって証拠だよね。

 それなら、僕はもっと深い信頼を得るため、竜王として認めてもらうために行動するまでだよ。


「竜人族の問題は、僕の問題でありたい。竜人族の輪に入れてくれるというのなら、都合の悪いことには関与しない、なんて嫌だ。目を逸らすだなんてしたくない。だから、僕を参加させてください!」


 僕の言葉は伝わっただろうか。意志は届いただろうか。真摯な眼差しでコーネリアさんを見つめ返し、想いを口にした。


 安っぽい正義感だと笑われるかな。人族は出しゃばるな、と叱られるかな。僕なんかが行ってなんの役に立つ、と軽くあしらわれるかな。


 でも、それでも。できることは全力でやりたい。僅かでも竜峰と竜人族の力になれるというのなら、出し惜しみなくこの力を使いたい。


 鋭い視線を向けていたコーネリアさんの表情が、ふっといつもの柔和な気配に戻った。


「貴方の覚悟を確かに聞きました。それでは竜王よ、どうかそのお力をお貸しください」


 そして、深く僕に頭を垂れるコーネリアさん。


「エルネア君が行くのなら、わたくしも行きます」

「エルネア様と共にですわ!」

「エルネア君の行く場所が、私の行く場所だわ」

「エルネア君の行く場所が、私の進む場所だわ」

「んんっと、お出かけ? プリシアも行きたい!」

「えええっ、みんなも行くの!?」


 僕とミストラルだけが竜人族の騒動に関与して、みんなには安全なところにいてほしかったのに!


「ふふふ。ミストラル、素敵な家族を持ったわね」


 息巻くみんなを見て、コーネリアさんは優しい笑みを浮かべた。ミストラルは困ったわね、とため息を吐きつつも、目尻が下がっていた。


「慌ただしい人どもだわね。戻って来たと思ったらもう出て行く。ほら、これを渡すから、無理はするんじゃないわよ。ニーミアを怪我させるようなことがあったら、地の果てまでも追って噛み殺してやるからね」


 アシェルさんはそう言って神々こうごうしい咆哮をあげると、僕たちに向かってなにかを投げて寄越よこした。


 なんだろう、と苔の絨毯の上に落ちた物体を拾いに行く僕たち。


「これは……!」


 無造作に投げられた物体は、見たことのある大きさの玉だった。だけど、記憶のなかの玉は真珠のような淡く白い輝きで、目の前の玉は七色に輝いていた。まるで、竜宝玉のように。

 大きさは葡萄の実ほどで、それが十一個、苔の上に無雑作に転がっていた。


「昨日言ったでしょう。試練の褒美よ」

「これって、霊樹の宝玉なんですか?」


 僕たちは、虹色に輝く小さな玉を手にとって、まじまじと見つめる。


 ルイセイネたちは、宝石のようだとか、美しい輝きだとか言って騒いでいるけど、僕とミストラルは息を呑んで掌の上の霊樹の宝玉を見た。


「霊樹の宝玉には、竜気を閉じ込めることができる。それはわたしの竜気が込められている。大切にするのね」

「ふむ。小さな竜宝玉と思って構わぬ。見るからに、防御の力が施されておるな。肌身離さず持ち、大切にすることだ」


 スレイグスタ老の補足に、きゃっきゃと騒いでいたルイセイネたちは動きを止めて、僕のように手のなかの霊樹の宝玉を見る。

 若干、顔が引きつっています。


「そんな凄いものを、わたくしたちが貰っても良いのでしょうか?」

「何度も言わせるな、巫女よ。それは先日の報酬。それとニーミアを預けるのだから、人ごときのひ弱な防御力では心配なのさ」


 ふんっ、とレヴァリアのように鼻を鳴らして、そっぽを向くアシェルさん。


 つまり、僕たちを守るということは、愛娘のニーミアから危険を遠ざけることになる。ニーミアを守るために出来る限りの協力をしてくれたってことだね。そしてそれは、ニーミアを連れていって良いということも意味する。


「んにゃん、がんばるにゃん」

「プリシアもがんばるよっ」


 僕としては、危険な場所にプリシアちゃんを連れて行きたくない。耳長族の人たちから預かっている大切な子供だし、血生臭いものを見せても良いような年齢じゃないと思うんだよね。


「それは過保護ね。除け者にされれば、その子は道を踏み外すだろうね」


 超過保護のアシェルさんの言葉でした。


「仕方ない。ニーミア、プリシアちゃんを守ってね?」

「にゃん」

「まもるまもる」


 ニーミアだけじゃなくて、霊樹の精霊のアレスちゃんも守ってくれるということで、ミストラルとコーネリアさんも了承してくれた。


「良いことを思いついたわ」

「ユフィ姉様、名案だわ」


 と言って、苔の広場を駆け回り出した双子王女様をよそに、苔の上に落ちた残り四つの霊樹の宝玉を拾い上げる。そしてニーミア、レヴァリア、フィオリーナとリームに渡していく。


『フィオは住処の巣に戻せ』

「ああ、そうだね。竜の盟主をいつまでも連れ回すわけにはいかないもんね」


 レヴァリアの言葉に頷く僕。すると、フィオリーナが激しく頭をお腹に擦りつけてきた。


 痛いっ。角が刺さって痛いよっ!


『うわんっ、仲間外れはいやっ。わたしだけ帰らせちゃうと、道を踏み外しちゃうよっ』

「なな、なんてことを言うんだい!」

『リームも連れて行かないと、道を踏み外すよぉ』

「……アシェルさんのせいですからね」


 僕はつい、アシェルさんをじと目で見てしまう。


「みんな、協力をありがとう。それじゃあ、準備ができ次第、出発しましょうか」


 ミストラルはひとりひとりの顔を見て、頭を下げた。


「僕たちは家族だからね。何かをするときは、みんなで一緒にだよ!」


 手慣れた動きで素早く身支度を整えて、レヴァリアの背中に移動する。


「アレスちゃん、わたくしの両手棍は使えますか?」

「うんうん」


 アレスちゃんは謎空間から霊樹製の両手棍を取り出すと、ライラに手渡す。ヨルテニトス王国のときには弱々しかった気配が、いまは瑞々みずみずしい力に満たされてた。


「翁、道を開いてください」

「よかろう」

「レヴァリア、竜峰に向かってまっすぐに飛んでちょうだい」


 ミストラルの指示で、レヴァリアが荒々しく羽ばたき、飛翔する。猛々たけだけしい咆哮をあげると、西に向かい一気に加速する。

 僕たちは、苔の広場のスレイグスタ老とアシェルさんとコーネリアさんに手を振った。


「先ずはどこへ行けば良いのでしょうか?」


 ルイセイネが首を傾げる。


「北におもむく前に、できれば吊り橋の復旧現場に向かってほしいな。結局、お手伝いができなかったんだよね。だからお詫びがしたいんだ」


 竜峰で騒動が起きているのなら、もしかすると建設工事は中断しているかもしれない。だけど、これを後回しにしてはいけない気がした。


 レヴァリアは僕の意思を汲み、竜峰を目指す。

 スレイグスタ老の迷いの術は僕たちを捕らえることなく、ぐんぐんと竜峰が近づいてきた。そしてあっという間に、眼下は森の緑から山の緑へと変わる。


 レヴァリアは連なる峰々からすぐさま目標地点を見つけ出し、渓谷に沿って翼を羽ばたかせた。


 ニーミアほどじゃないけど、他の飛竜なんて相手にならないほどの速度で景色が流れていく。

 秋らしく、山のいただきから順番に紅葉が広がり始めていた。


 そしてあっという間に、僕たちは吊り橋を掛け直している現場へと到着した。


「なんだこれ……」


 だけど、僕たちの眼下に広がる風景は、ヨルテニトス王国へと向かう前に立ち寄ったときとは大きく様変わりをしていた。


 両岸に掛け渡されていた極太の縄は焼け落ち、資材が真っ黒なすみに変わっていた。白い煙が未だに立ち上り、上空まで焦げ臭い匂いが届く。

 縄や資材、作業にたずさわる人たちが休憩や寝泊りに使用していたはずの小屋もことごとく焼け焦げ、大地にまで傷跡を残している。


「いったい何があったんだろう……」


 息を呑み、唖然あぜんと下方を見つめる僕たち。


「気をつけてください。邪悪な竜気を感じます!」


 ルイセイネの突然の警告に、レヴァリアは急上昇をする。つい今しがたレヴァリアが飛んでいた空を、黒炎がなぎ払った。


 レヴァリアが怒りの咆哮をあげる。

 そして、鋭く睨む前方の茂みの先から、十体近い不気味で真っ黒な飛竜が舞い上がってきた。


「呪われた飛竜だ!!」

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