帰り支度は嵐の後で

 脱衣所の先は、浴室。

 僕が脱衣所に入ると、お風呂では既にプリシアちゃんとアレスちゃんが、きゃっきゃと騒いでいる様子が伺えた。


 うむむ。アレスちゃんであることを願おう。アレスさんだと、いろいろと面倒なことになりそうです。


 意を決し、服を脱いで、いざ浴室へ。


 浴室は程よい湯気で包まれていた。


 お風呂は、火の魔晶石で沸かしている。ミストラルが気を利かせて、僕の帰還前に準備していてくれたらしい。

 やっぱりミストラルは完璧ですね。


 少しだけ甘く、清潔感のある香りの湯気を胸いっぱいに含んで、僕は浴室へと足を踏み入れた。


「んんっと、背中流してあげるね」

「わたしもわたしも」


 よかった。アレスちゃんでした。


 幼女二人の言葉に甘え、僕は背中をお任せすることにした。

 一度お湯を頭からかぶり、自分は頭を洗う。思っていたよりも泥を受けていたのか、手触りがざらりとしていた。

 背後では、プリシアちゃんとアレスちゃんが騒ぎながら、石鹸を泡立てている気配がする。


 アレスさんでなければ、少しの騒ぎは許容範囲です。そう思いつつ、幼女二人にやりたいようにさせていたら、それが失敗でした。


 ぴたり、とプリシアちゃんが背中の右側に張り付いてきた。続けて、アレスちゃんが左側に。そして、二人は僕の背中を、自分たちの身体を擦り付けて洗い出した。


「ななな!? 何をしているの、二人とも?」


 思わぬ感触に、うひっと声が漏れる。


「んんっと、こうすると楽しいよ?」

「ユフィがいってた」

「ニーナに教えてもらったの」

「「ねー!」」


 双子王女様は、幼女に何を教えているんですか! というか、女性陣は普段、どんなお風呂の入り方をしているんですか。


 たしかに、泡立ったぬるぬるな感触は気持ち良いんですけど、お風呂にそんな感覚は要りません!


 僕は頭洗いを中断して、二人を捕まえる。そして泡だらけになった二人を洗い流してあげて、お風呂の中へと入れた。


 そういえば、ニーミアはどうした。と思ったら、湯船で楽しそうに泳いでました。


「アレスさんて何にゃん?」


 うっ。ニーミア、その心を読んでは駄目です。だけど、遅かった。


「みたいみたい?」


 アレスちゃんはニーミアを捕まえて、愛らしく微笑む。

 ニーミアとプリシアちゃんは、意味がわからない、と小首を傾げたけど、僕は自分の顔が引きつるのがわかった。


「へんしんへんしん」


 お湯の中でアレスちゃんはプリシアちゃんも捕まえて。そして、ふふふと僕を見た。


 あああ、どうしよう。僕は咄嗟に浴槽の方から視線を逸らす。


「おわおっ。アレスちゃんすごいっ」

「んにゃ。驚いたにゃ」


 背後から、プリシアちゃんとニーミアの驚きの声と、はしゃぐ様子が伝わってくる。


「ふふふ。なんだ、エルネアは照れているか」


 僕の首もとに、なまめかしく腕が巻かれる。そして、腕は僕を柔らかく引き寄せると、そのまま浴槽へと引っ張り込む。


 なんということでしょう。力を入れられている気配はないのに、僕は抵抗できないまま、お湯の中に引き寄せられた。


「うわあっ。まだ身体を洗っている途中だったのに」


 背中と頭に泡が残ったまま湯船に浸かってしまったために、浴槽も泡まみれ。


「おわおっ、泡のお風呂だっ」


 プリシアちゃんは、アレスさんの腕の中で、湯面に浮いた泡を楽しそうに引き寄せて遊ぶ。


「これは危険にゃん」


 ニーミアは、未だに驚いた様子でアレスさんを見つめながら、僕の頭の上によじ登ってきた。


「怖くない。さあ、エルネアもニーミアも逃げずに、こっちへおいで」


 ニーミアはただ驚いているだけだと思う。たけど、僕は本当に恐怖しています。変な意味で!


 同じお湯に浸かり、対面で顔をあわせる僕とアレスさん。間にプリシアちゃんが入っているのと、湯面に泡が浮いているのとで、色々と視界は遮られているけど……


「さあさあ」


 アレスさんがもう一度僕の首に腕を伸ばし、引き寄せる。


 きゃー。


 乙女じゃないけど、僕は顔を真っ赤にして、騒いでしまう。プリシアちゃんも何を勘違いしたのか、きゃっきゃと騒ぎ出して、広くはない浴槽は、お湯が跳ね上がる大騒ぎになった。


「アレスちゃん、すごいよっ」

「プリシアのおかげだ」

「おっきいアレスちゃんは、綺麗だね」

「ふふ、其方にそう言ってもらえると嬉しい。さあ、エルネアも遠慮せずに」


 プリシアちゃん、どこを揉んでいるんですか、うらやましい! ではなくて、この二人を止めないと、僕は誤った道へ進んでしまいそうです。

 プリシアちゃんを奪還しようと手を伸ばしたら、アレスさんに捕まる。離してぇっ、と慌てる僕。


 気づけば、湯面に浮いていた泡は溶けて消え去り、お湯の中まで丸見え。

 きゃあ、と少女のように、僕は反射的に股間を隠してしまう。それを見たアレスちゃんが、にやりと妖艶に微笑んだ。


「ふふふ、照れ屋さんだな。妾はいつもエルネアの側に居たのだ。其方の全てを、ミストラルよりもたくさん知っている」


 ぶくぶく、と僕は鼻先までお湯に浸かって、赤面してしまう。


 去年。不可抗力でルイセイネとミストラルのあられもない姿を見てしまった。ミストラルは平気そうだったけど、ルイセイネは全身を真っ赤にして恥ずかしがっていたね。

 僕は今、あのときのルイセイネの気持ちが痛いほどよくわかった。






「エルネア君、お風呂ではしゃぎすぎですよ?」

「ふふふ。楽しそうな声が漏れていたわ」

「ふふふ。次は、私たちと一緒に入りましょ」

「エルネア様、背中を流すときは遠慮なく言ってくださいですわ」


 ミストラルが着替えを持って来てくれるまで、僕たちのお風呂大騒乱は続いた。それなのに、アレスさんはお風呂から上がると幼女に戻って、何食わぬ顔でプリシアちゃんと二人でお風呂場から飛び出して行ってしまった。

 ニーミアは途中から僕を裏切り、アレスさんに懐柔かいじゅうされて僕をからかい続けていたので、もちろんプリシアちゃんたちと一緒にお風呂場から飛び出して行きました。


 きれいさっぱりするはずが、身も心も疲れきった僕が着替えて部屋に戻ると、フィレルも来ていた。

 まだあんまり寝ていないから、眠いんじゃないのかな。と思ったけど。どうも僕が不在で周り全員が女の子、という状況に、少し緊張した様子が伺えて、僕はついにやけてしまう。


 他者を無意識下に見下していたことを改善し始めた途端、女性というものを強く意識し始めてしまったのかな。


 なんか可愛い。


「エルネア。まだ髪が濡れているわ」


 そう言って、ミストラルが髪を拭いてくれる。双子王女様は幼女を拭き上げながら「ずるい!」と口を尖らせる。ライラは「私も」と言って寄ろうとして、ルイセイネに捕まった。

 ルイセイネは、朝食の準備をしていた。

 とは言っても、みんなは食べ終わっているみたいで、僕と寝起きのフィレルの分の準備なんだけど。


 髪を拭き上げてもらった後。僕はフィレルと仲良く朝食にする。途中からプリシアちゃんとアレスちゃんがつまみ食いをし出したので、一緒に食べる。


 アレスちゃんの様子を僕は伺ったけど、どうも大人化はしないみたい。

 僕の竜気を気にしてくれているのか、みんなには未だ秘密なのか。僕は朝から疲れているし、アレスちゃんが大人化しないなら、今はこのままで良いか。プリシアちゃんも、アレスちゃんのことは口にする気配がないみたいだしね。

 まあ、彼女の場合は、目先最優先。目の前に美味しそうな食べ物があれば、さっきまでのことは忘れて、全力で食べに走るから、アレスさんのことはすでに頭から離れているんだろうね。


 そして食事をしながら、今後のことを話し合う。


 フィレルはもう少しここに滞在して、ユグラ様と竜人族の人たちから色んなことを学ぶみたい。昨夜の夕食の際に、自ら足を動かして、竜人族の人たちにお願いに回っていたのを見た。


 僕たちは、雨が収まったら戻る予定になった。ここを訪れた目的は完遂しているので、気兼ねなく戻れる。

 戻ったら、新しい術やアレスちゃんのことを、スレイグスタ老に報告相談しなきゃね。


 でも、全ては嵐が収まってから。


 どうも僕が巻き起こしてしまった嵐は、弱いながらもなくなる気配がなく、仕方なくこの日は、みんなでのんびりと過ごすことにした。


 途中、フィオリーナが乱入してきた。そして、僕たちがフィレルを置いて帰ることを知って、大慌て。

 なにせ、彼女はユグラ様の目の届く範囲に居なきゃいけない。つまり、せっかく翼竜の巣から出てきたのに、フィレルとユグラ様が残るということは、僕たちと離れてしまうんだ。


 さて、フィオリーナはどうなるんだろう。幼女連合はみんな一緒にいるの、と一致団結を見せて、ユグラ様の下へと交渉に向かった。


 弱いとはいえ、外は嵐。幼女だけでは危険だと、双子王女様が付き添う。

 双子王女様が来てから、プリシアちゃんたちの面倒を一番見ているのは彼女たちかもしれない。子供好きみたいで、自分たちから率先して相手をしてくれている。


『これくらいの雨なら、お任せよっ』

「にゃん」


 幼くても竜の盟主のフィオリーナと、実は計り知れない存在のニーミアだ。弱い嵐程度はものともしないらしい。だけど、念のため、と双子王女様はついて行った。


「頑張って、立派な竜騎士になってくださいですわ」

「はい。見ていてください。僕はエルネア君のように、みんなに認められるような男になってみせます!」


 ライラとフィレルは、仲睦まじく談笑している。また離れ離れになっちゃうし、今は二人だけにしておこう。


「それで。色々と聞かせてもらえるかしら。新術のこととか、暴君と何をしてきたのかとか」


 ミストラルが飲み物を注いでくれながら、右隣に座る。


「エルネア君。随分と疲れているみたいですが、大丈夫ですか」


 後片付けをしてくれたルイセイネが、左隣に座る。


 ああ、幸せ。アレスさんの妖艶な、大人の魅力も素敵だけど、やっぱりミストラルやルイセイネのような、同年代の女の子の方が落ち着くよね。


 考えてみれば、去年の学校入学当初までは、絶対に想像できなかった日常を、僕は過ごしているんだ。

 日々、成長できている実感。多くの人たちに認められ、美人なお嫁さんがいっぱい。王子様と親友になるどころか、竜族にまで知り合いの輪が広がっている。


 今の僕を知ったら、母さんと父さんはどんな反応を示してくれるかな。来年の立春後、王都に戻る時が楽しみだね。


 ところで、リステアたちは順調に旅をしているのかな?


 魔剣と偽聖剣の事件から派生した問題を追って、東へ東へと進んでいる。とたまに報告を聞く。勇者様ご一行に同行している、竜王のイドからもたらされる情報だと、黒の竜騎士がリステアたちの追う事件に関わりあっているらしい。


 黒の竜騎士とは、呪われた飛竜と、それに騎乗する魔剣使いのことで、竜峰ではそう呼称していた。


 黒の竜騎士が、東で何をしているのかが気になるけど、これはリステアたちに任せておけば、きっと解決してくれるに違いない。


 竜峰の方でも、慎重に調べていた北の調査が進んでいる。そろそろ、何か大きな動きがあるかもしれない。


 秋から冬にかけて、竜峰と平地は慌ただしくなりそうだね。


「エルネア、自分の世界に浸り込まないの」

「そうですよ。女の子が両隣に居るんですから、ちゃんと相手をしてください」

「ごめんなさい」


 僕は苦笑して、ミストラルとルイセイネを相手に、その後は楽しく会話を弾ませた。

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