妖魔の声

『アアあア……ああアアアア』


 妖魔の声なのか、うなりなのか。

 頭の中に直接響く奇怪きかいな「音」が心をむしばみ、精神が侵食されて激痛を覚える。

 僕たちは頭を抱え、ラーヤアリィン様の背中の上に倒れこんだ。


『……アアアあアア。あアアアァァ……死……アアアアアぁあアア……。滅』


 苦悶くもんする僕たちを、ニーミアが不安そうに見つめる。

 ラーヤアリィン様もこちらの異変に気付いて、長い首を回し、鞍の上で苦しむ僕たちを青い瞳に捉えた。


「あなた達は、万物ばんぶつの声が聞こえるのですね。ですが、あの妖魔の声に意識を向けてはなりません。あの妖魔が発する『音』そのものが呪いになっています」

「そ、そんな……! でも……」


 なぜか、ラーヤアリィン様に見つめられただけで、蝕まれていた心が癒されていく。


「そうか……。ラーヤ様の瞳は、癒しの魔眼でしたね」


 それでも、最初に受けた精神の傷が深すぎたのか、僕たちはなかなか起き上がれない。


「レティ」

「はい、スー様」


 苦しがる僕たちに、巫女のレティ様が法術を唱える。

 優しい声で祝詞のりとが流れると、僕たちの心はようやく平静さを取り戻し始めた。


『アあアアアァァあ……』


 だけど、頭の中には未だに妖魔が発する「音」が鳴り続けていた。


「ラーヤ様、万物の声が聞こえる者にしか、妖魔の『音』は届かないんでしょうか?」


 苦悶したのは、僕を含む家族のみんな。それに、モモちゃんくらい。

 僕たちと一緒にラーヤアリィン様の鞍に乗っていたニーミアやルイララ、それにスー様やレティ様は苦しんでいなかった。


「僕は、万物の声なんて聞こえないからね」


 僕の質問を肯定こうていするように、ルイララが頷く。

 でも、スー様とレティ様は困ったように首を横に振った。


「僕たちの頭の中にも、あの『音』は聞こえていたよ」

「ですが、わたしやスー様は、精神的な攻撃には強い耐性を持っていますから」

「そういうことですか……」


 万物の声は聞こえない、と明言したルイララ以外の全員に、妖魔の「音」は届いていた。

 だけど、ニーミアたちは強い精神力で妖魔からの負の干渉を弾いていたんだね。

 僕なんかは、スレイグスタ老やニーミアに簡単に心を読まれちゃうくらい、心に穴がある。

 だから、妖魔からの干渉を強く受けてしまったんだ。


「ラーヤ様、レティ様、ありがとうございます」


 ラーヤアリィン様の癒しの魔眼で精神の傷を癒してもらい、レティ様の法術で心を護る加護をもらった。それでようやく、僕たちは起きあがることができた。


「地上のみんなは、大丈夫かな!?」


 妖魔の「音」にさいなまれて、地上でも大変なことになっているのでは。心配して地上を見下ろしたけど、僕の思うような混乱は発生していなかった。

 そもそも、万物の声を聞ける者は限られているからね。


 だけど、違う問題が各所で生まれ始めていた。


「な、なんてことだ!」


 地上を見下ろした全員が驚愕する。


 僕が最初に見た妖魔。可視化した瘴気の塊を胴体とし、無数の蛇を束ねた首に鰐亀わにがめの頭、猿の腕をした妖魔が、地上に溢れかえっていた。


 妖魔は、他の種族のように近しい存在ごとに共通した外見を持つ、ということはない。全てが独特の外見を持ち、同じ見た目、同じ能力の妖魔は存在しない。そして、普通なら妖魔は群れをなしたり共栄圏を作ったりはしない。


 だというのに……


 地上の各所で瘴気から同時多発的に生まれた妖魔は、どれもが僕が最初に見た鰐亀の頭部をした妖魔と全く同じ姿をしていた。


「いったい、何が起きているのかしら?」


 僕と同じように地上を見下ろすセフィーナさんが、眉根に深いしわを刻む。


「それを見極めるためにも、あなた達はここから地上の様子をじっくりと観察するのですよ」


 ラーヤアリィン様が言う。

 僕も、同感だ。

 異常事態だからといって僕たちが局所的に介入しても、広い戦場に点在する異変がまとめて解決するとは思えない。

 それなら、今はまだ地上のみんなに戦況をゆだねて、僕たちは異変の根幹を探る方が良い。


 僕の期待に応えるかのように、地上では異常な状況にも臆することなく有志たちが戦っていた。






「俺の盾の後ろに回れ! 俺が突破口を開く!」


 対妖魔用の大盾を構えた獅子種しししゅの戦士フォルガンヌが、鰐亀の頭部を持つ妖魔に、一歩一歩ゆっくりと近づいていく。

 妖魔が、猿の腕を振り回す。

 フォルガンヌは、屈強な肉体で妖魔の剛腕を正面から受けとめる。

 大盾に拳を止められた妖魔の動きが止まった。


「おらあっ!」


 フォルガンヌの背後に控えていたスラットンが、呪力剣の刃を青く光らせて飛び出す。そして、クリーシオの呪力によって倍以上に刃が伸びた呪力剣を、振り下ろした!


「瘴気の奥で脈動するかくが弱点だろうがよ!」


 狙いすました剣戟けんげきが、見事に妖魔の核を両断した。


「スラットン、後は任せろ!」


 続いて、間合いの外からリステアが聖剣を振るう。

 聖なる炎が聖剣から放たれ、妖魔の全身を瞬く間に覆い尽くす。

 鰐亀の口を大きく開き、苦しむ妖魔。


『イイイィぃィィいいイイイ……ッ』


 妖魔の悲鳴が頭の中に響く。

 だけど、レティ様の加護のおかげで、心は蝕まれない。


 聖剣の炎に包まれた妖魔は、頭部や腕といった実体部分を燃えあがらせ、可視化した瘴気でできた胴体といった非実態部分を浄化させられていく。

 そして、最後には瘴気もろとも消し飛んだ。


「……なにっ!?」


 だけど、異変は直後に訪れた。


 妖魔を消滅させて、聖剣の炎も消える。

 すると、妖魔が消滅したはずの場所に、またもや空間の揺らぎが生まれた。

 揺らぎからは瘴気が発生し、見る間に世界を侵食していく。そして、可視化した濃い瘴気から、猿の腕が生え、鰐亀の顔と蛇を束ねた首が伸びる。


「そ、そんな馬鹿な!」


 勇者のリステアも、あまりの異常さに顔を引きつらせた。


 他の場所でも、似たような状況に陥り始めていた。


重鈍じゅうどんな動きだ。それで我に立ち向かおうとするか!』


 違う区画で、地竜がえた。

 大地がえぐれるほどの竜術を放ち、鰐亀の頭部をした妖魔を瞬殺する。

 だけど、抉れた地面に空間の揺らぎが発生すると、消し飛ばしたと思ったはずの妖魔が最出現した。


 鰐亀の頭部をした妖魔は、何事もなかったかのように地竜へ向かって腕を伸ばす。

 地竜は舌打ちしながらも、もう一度、竜術を放つ。

 最初と同じように、中庭の地面ごと消し飛ぶ妖魔。

 でも、土煙の奥で空間が揺らぐと、またもや妖魔は出現した。

 これには地竜も不気味さを感じたのか、四肢ししを後退させる。


 鰐亀の頭部をした妖魔には、猿の腕はあっても、足はない。それでも、のしり、のしり、と猿の腕を使って前に進む。

 胴体である可視化した濃い瘴気は、猿の腕に引きずられるようにして地上を移動していく。


「散れ! 奴は、近場の集団に向かって襲いかかってくるぞ!」


 鰐亀の頭部をした妖魔に、知能が有るのか、無いのか。それはわからない。だけど、確かなことは、竜人族の戦士が発した言葉通りだ。

 妖魔は、出現した場所から最も近くで集団を作っている者たちを狙い、攻撃しているように見えた。


「瘴気に当てられた者は、集団から離れて退避しろ!」

「妖魔用の武器だけ持っていても、意味がないぞっ」

「瘴気を防げる防具がない者は、城塞内に避難しろ!」


 鰐亀の頭部をした妖魔は、各所で同じように出現し、同じように暴れていた。

 それを、みんなが一致団結して討伐しようと奮戦している。

 だけど、思うような戦果はどこにもあがっていなかった。


「駄目だね。倒しても倒しても、同じ場所に同じ妖魔が再出現しているよ」


 ルイララが軽い口調で言う。でも、言葉とは裏腹に、珍しく緊張感が感じられた。


「変ですわ。核を潰しても倒せていませんわ」


 倒しても、同じ妖魔がすぐに再出現すると言うルイララ。

 ライラは逆に、倒せていないのだと言う。

 二人の意見のうち、いったいどちらが正しいのか。


「各地に同じ妖魔が同時に出現している、ということを考慮するなら、倒しても次から次に湧き出している、という方が正しいように思えるけど……」


 でも、安易に答えを出すべきじゃない。直感が、そう告げていた。


『あアアァぁァアアああ……』


 妖魔が、猿の腕を振るう。

 瘴気をはらんだ突風が巻き起こり、対峙していた戦士たちが次々と苦悶しながら倒れこむ。


 瘴気は、耐性の無い者が受けると、精神を蝕まれる。それに、最悪の場合は死に至る。

 魔王が生む瘴気は、屈強な竜人族の戦士たちでさえ苦しむほどだ。


 だから、妖魔の攻撃は猿の腕を振り回すだけ、と油断しない方がいい。

 胴体である瘴気の塊そのものが恐ろしい凶器だし、ああして振り回す腕から瘴気を放ち、間合いの外にも影響を与える。


 精神力の低い者たちが、妖魔に近づくことさえできずに後退していく。


「くそっ。妖魔用の武器のおかげで、攻撃さえ与えられれば倒せるってのによっ!」


 人族の冒険者が、妖魔を睨んで憎々しげに呟く。


「だが、一度倒しても、また湧いて出てきやがる。切りがねえぞ!」


 獣人族の戦士が、苛立ちを隠すことなく吠える。

 すると、そこに現れた第三者が、鼻で笑いながら見下してきた。


所詮しょせん、猫公爵様の武具を得ても、貴様らはその程度だ。退いていろ、邪魔だ」


 吐き捨てるように言ったのは、上級魔族。

 上級魔族は、人族や獣人族を押し退けて前線に立つと、特大の魔法を放った!

 大地を震わせ、衝撃波を撒き散らせながら、魔法が炸裂する。


 周囲に出現していた三体の鰐亀の頭部の妖魔を、一瞬にして消しとばす。


 恐ろしい威力の魔法をたりにした人族や獣人族が、悲鳴をあげて腰を抜かしていた。


 他愛もない、そう呟き、きびすを返そうとした上級魔族。

 だけど、険しい瞳で、土煙が立ち昇る爆心地を睨む。


「そ、そんな……馬鹿な……」


 尻餅をついて倒れ込んでいた者たちが、顔を青ざめさせる。

 上空から一部始終を目撃していた僕たちも、戦慄せんりつを覚えていた。


 三体同時に消滅した妖魔。

 これまで通りなら、消滅した地点に空間の揺らぎが発生し、そこからまた同じ妖魔が出現する、という流れだったけど。


 今度は、違った。


 三体の妖魔がいた、三箇所の中心。そこに、これまでの三倍近い空間の揺らぎが発生する。


「まさか!?」


 空間の揺らぎからは瘴気が生まれ、可視化するほど濃くなる。そして、猿の腕が生え、蛇の首が伸び、鰐亀の頭部が出現した。

 これまでの、三倍近い大きさで。


「あの妖魔は……!」


 城塞の各所や飛竜の狩場のあちらこちらに同じ妖魔が出現したことを切っ掛けとして、至る所で混乱が発生し始めていた。

 本来であれば、一個体ごとであれば、対妖魔用の強力な武具を手に入れた者たちが苦境に立つほどの敵ではない。

 だけど、倒しても倒しても無限に再出現する異常な状態に、竜族さえも困惑していた。


 それに加え、数カ所で奇妙な現象が起き始めていた。

 特に、大城砦から離れた場所、すなわち、竜族が思う存分に暴れられる飛竜の狩場で。


 強力な術で、鰐亀の頭部をした妖魔を、複数体同時に消しとばす竜族たち。

 すると、消し飛ばされた妖魔たちは個別に再出現するのではなく、一箇所に纏まり、しかもその分は巨大化して、再出現していた。


 僕は、それを見てひとつの仮説を立てる。


 巨人の魔王は、飛竜の狩場に呪いを分散して堕とした。

 魔物や妖魔は、その呪いから出現する。

 それは即ち、世界の部分部分を汚してできた穴を通して、魔物や妖魔はこの地に出現していると言える。


 でも……


「もしも、呪いでできた穴が小さ過ぎて身体の一部しかこちらに出ていないのだとしたら……。もしも、妖魔が穴の向こうで全部繋がっていたら……?」


 妖魔は、同じ見た目の個体は存在しない。

 少なくとも、僕は知らない。

 そう考えた時。

 地上に同時多発的に出現した妖魔は、実は複数の個体ではなく、呪いの先で繋がっていて、ひとつの個体だったとしたら。


「た、大変だっ。あの妖魔を同時に倒しちゃうと、周囲の呪いが干渉しあって、分割されていた妖魔が合体して出現しちゃう!」


 今はまだ、それほど苦戦はしていない。

 でも、同時に倒すことによって鰐亀の頭部をした妖魔が合体していけば、いずれは恐ろしい存在になる。


 僕の指摘に、誰もが目を見開いて地上を見下ろした。

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