魔王の帰還

「エルネア君。ねぇ、エルネア君、起きて」

「う、ううん……」


 優しく揺すり起こされて、瞼をこすって眠りから目覚める。


「ぎゃあっ」


 そして、悲鳴をあげて布団のなかに潜り込んだ。


 なんでルイララが僕を起こしに来ているんですか!

 何かの間違いに違いない。そう思って布団の隙間から部屋のなかを伺う。だけど部屋には、僕を起こしに来たルイララだけしか居ない。


 ……みんなに裏切られた!?


 みんなと同じ部屋で寝ていたはずなのに、起きたら取り残されたあとって、どういうことさ。


「エルネア君は寝坊助だね」

「ええい、うるさい」

「早く起きないと、みんなが出発しちゃうよ?」

「なななな、なんだってぇっ!」


 ルイララの衝撃発言に、僕は飛び上がる。

 慌てて布団から抜け出して、急いで着替える。そして寝癖も直さないまま、部屋を飛び出した。


 寝坊しちゃった!

 みんなが裏切ったんじゃなくて、僕が寝過ごしちゃったんだ。

 みんなはきっと、僕を起こしてくれようとしたに違いない。でも起きない僕。仕方なく、ルイララが起こしに来たのかも。

 ああ、こんなときに寝坊をしちゃうなんて、僕ってなんて情けないんだ。


 慌てて部屋から抜け出し、外へと飛び出す。


「あら、おはよう。もう起きてきたの?」

「エルネア君、おはようございます。今日は随分と早いお目覚めですね」

「エルネア様、頭がぼさぼさですわ」

「……あれ?」


 だけど、外に出た僕は、いつも通りののどかな風景を目にして、思考が停止してしまう。

 ミストラルとルイセイネを中心に、朝食の準備を進める竜人族の主婦の人たち。ライラもお手伝いをしている。

 東の空には、まだ完全には姿を現していない太陽が微かに見える。


 早朝も早朝。まだ少しだけ薄暗い朝の景色に、頭がついて来ていない。

 どういうこと?

 もう出発をするんじゃなかったの?


 困惑する僕の後ろで、ルイララが笑っていた。


「も、もしかして」


 僕は後ろを振り向き、恨みのこもった視線をルイララに向けた。


「いやあ、陛下のお許しが出てね。ようやく自由になれたと外を歩いていたら、君が寝泊まりをしている建物から全員が出て行くのが見えたからさ」

「騙したんだね!」

「心外だなぁ。ひとりで惰眠だみんむさぼっている君を、優しく起こしてあげただけじゃないか」

「ええい、君になんて優しくても荒々しくても起こされたくないよっ」

「僕は君を起こしてあげたいよ」

「気持ち悪いっ。こらっ、近づくな!」


 ルイララがわざとらしく僕に抱きつこうとしてきたので、荒々しく振り払う。


「酷いなあ。僕は君にご執心しゅうしんなのにさ」

「自分でご執心とか言わないで。それに、君が興味を持っているのは、僕の竜剣舞だよね!」

「竜剣舞を使う君に興味があるんだよ」

「どっちにしても、魔族になんて興味を持たれたくないよ」

「恥ずかしがり屋なんだね」

「ちがうよっ、なんでそうなるのさ」


 僕とルイララがやんやと騒いでいると、朝の準備をしていた主婦の人たちが、こちらを見て笑っていた。


「朝から騒がしいわね」

「仲良しですね」

「魔族と親しくなるなんて、さすがはエルネア様ですわ」

「いや、違うよ……」


 ミストラルたちも手を止めて笑っている。


「エルネアがなぜ早起きしてきたのかは、今のやり取りでわかったわ。ライラ、エルネアの髪を解いてあげて」

「はいですわ」

「僕が解いてあげようか?」

「いやだ。お断り!」


 なおも僕をからかおうとするルイララを外に残し、僕はライラと建物のなかに戻る。


「それでは、座ってくださいませ」


 小さな鏡台きょうだいの前。ちょこんとした小さな椅子に腰掛けると、ライラがくしで僕の寝癖を直し始めた。


 寝癖くらいは自分で直せるんだけど、みんながなぜか順番で僕の髪を触りたがるんだよね。今日は、ライラの順番。

 僕としても、髪を触られて嫌な気分はしないので、いつもお願いしちゃっている。


 まぁ、甘えていると言っても過言ではありません!


「ところで、双子王女様たちは?」


 プリシアちゃんとニーミアの姿も見あたらなかったように思う。


「朝のお散歩ですわ。今日中にはここから出発しますので、最後のお出かけらしいですわ」

「そうなんだね」


 双子王女様とプリシアちゃん。ある意味最強の問題児たちのような気もするけど、こんなところでわざわざ騒動を起こすようなことはしないはず……だよね?


 昨夜のお風呂事件は別として。


 昨夜の恥ずかしい出来事を思い出し、少しだけ赤面してしまう。


「エルネア様、顔が赤いですわ?」

「ううん、なんでもないよ。それよりも。ルイララが許しを貰ったってことは、もう魔王が戻って来ているの?」

「はい。朝早くに、戻って来たみたいですわ。朝食も、魔王様が持って来た食材で、栄養満点ですわ」

「今日から大移動だからね。ご飯をいっぱい食べて、元気をつけておかなきゃね」

「いよいよですわね」

「うん。気合を入れなきゃね」


 僕たちは、のほほんと巨人の魔王の帰りを待っていたわけじゃない。

 お散歩をしたり、みんなで遊んだりと息抜きはしたけど、それ以外の時間をたくさん使って、これからのことを話し合ってきた。

 一番は、オルタのことだね。


 オルタをどう倒すのか。


 きっと、厳しい戦いになる。竜峰中を巻き込む、大きな騒動になる。でも、僕たちには他に有効な作戦を思いつくことができなかった。

 なら、やるしかない。最善ではないかもしれないけど、できることをみんなで全力を出してやり遂げるしかない。

 竜峰に戻ったら、僕たちはオルタとの戦いに向けて動きだす。

 だから、この都市を出発したら、僕たちの安息の日々は終わり。


 双子王女様もそれがわかっているから、プリシアちゃんと最後に楽しいひとときを過ごしているんだろうね。


「クシャリラの軍勢はどうするのだ」


 ライラが僕の髪を解いていると、部屋に入ってきた人がいた。振り向かないでもわかる。巨人の魔王だ。


「おはようございます。それと、物資をありがとございます」


 とはいえ、久々に会った人に顔を向けないのは失礼になるよね。一度振り返り、魔王に頭を下げる。ライラも僕にならう。


「魔族の軍勢は、竜人族の人たちにお任せします」


 というのも、魔族の軍勢が竜峰に入って、もう随分と経つ。すでに戦端は開かれているはずだ。そこに、詳しい戦況を知らない僕たちが乱入しても、竜人族の人たちの迷惑にしかならない。

 さらに、相手は万単位の魔族軍。それにひきかえ、レヴァリアたちがいるとはいっても、僕たちはごく少数人。

 僅かばかりの戦力を無駄に投入するよりも、僕たちはそれなら、もうひとつの問題であるオルタに注力した方が良い、という判断です。


 竜人族の戦士は魔族よりも強いというし、きっと別々に動いても大丈夫だと、ミストラルも言っていた。


「竜峰に入られてしまっては、私らは安易に手を貸せぬぞ」

「はい。竜峰のことは、自分たちでどうにかします。囚われていた人たちを救出することに手を貸してもらっただけで、有り難いですよ」

「まぁ、クシャリラの足取りやこの国からの追加軍勢の足止めくらいはしてやる」

「ありがとうございます」


 巨人の魔王まで竜峰に入ってきちゃったら、竜人族の尊厳そんげんに関わってくる可能性もあるからね。魔王の目に見えない配慮に、感謝です。


「対オルタ戦の作戦を読ませてもらった」

「むむむ。いつのまに」


 さっき僕が頭の中に浮かべた、オルタへの対抗手段を読み取られちゃったんだね。


「無理はするなよ」

「大丈夫です!」

「いざとなれば、手を貸してやろう」

「違う部分で、手を借りるかもしれません。でも、手を借りると僕は魔王になっちゃうんですよね?」


 魔王が力を貸すと言っているのは、一緒に戦うという意味じゃない。触れる者全てを死に導く、魂霊こんれいを貸すという意味だ。


「ふふふ。そうだな。私がオルタのことで介入したときには、有無を言わさず其方を魔王に仕立てあげる」

「絶対にお断りです!」

「魔王位は楽しいぞ。魔族を好きなように扱える。国を動かせるし、酒池肉林思うがままだが?」

「国の王にもなりたくないし、魔族を支配するだなんて、真っ平ご免です。酒池肉林もいりません!」

「昨夜は随分と双子に興奮していたようだが?」

「きゃー! 変なところを読まないでくださいっ」

「エ、エルネア様。ずるいですわ」

「なにがずるいの?」

「私も、エルネア様と一緒にお風呂に入りたいですわ!」

「そこかっ」

「くくく。良いではないか。今から入ってきてはどうだ。なんなら、私が自ら風呂を沸かしてやろう」

「遠慮しておきます!」

「一緒に入ってやってもよいぞ」

「ぐぬぬ、二人で僕をからかっているんだね」

「エルネア様、私は本気ですわ」


 ライラは顔を真っ赤にしながら、そう言う。

 恥ずかしいんですね。でも勇気を出して、言ってくれたんですね。


「うん……。今度、一緒に入ろうね」

「は、はい」

「やれやれ。見ていられぬわ」


 魔王は、顔を赤らめて見つめ合う僕とライラを見て、笑いながら部屋から出て行った。


「早く騒動が収まって欲しいですわ」

「そうだね。そのためにも、僕たちは頑張らなきゃね」

「はいですわ!」


 魔王が出て行くと、ライラはまた僕の髪を解き始めた。

 僕も、頭皮を優しくなぞる櫛の感触に身を委ねる。


 そして寝癖が直ると、二人で建物から出た。

 すでに朝食の準備が整ったのか、遅れて目覚めた竜人族の人たちが徐々に建物から出てき始めていた。


「おはよう」


 丁度よく散歩から帰ってきたプリシアちゃんが、僕に抱きついてきた。プリシアちゃんと、後ろから仲良く歩いてくる双子王女様と朝の挨拶を交わし、みんなでご飯を貰う列に並ぶ。


「竜人族の食べ物か。興味あるね」

「いや、君は魔族だから、列に並ばないでもらえるかな」


 当たり前のように僕たちの後ろに並んできたルイララに、あっちに行けと視線を向ける。


「僕にそんなことを言って良いのかな? 魔族だから、なんて言っていると、先に並んでいる陛下に不敬だよ?」

「えっ?」


 ルイララの視線を追って、列の先を見る僕たち。

 僕たちが並んでいるもう少し先には、ごく自然に巨人の魔王が並んでいた。


 ……ううん、ごく自然ではありませんでした。列の前後の竜人族の人たちが顔を引きつらせて、こちらへと助けの視線を向けています。


「魔王、なにをしているんですか」

「朝食を貰うために、並んでいるが?」

「いや、それは見てわかるんですけどね」


 ルイララも魔王も、やっぱり魔族だ。

 周りの人たちのことなんて気にしない。

 迷惑? なにそれ美味しいの? という無茶苦茶な思考をしているに違いない。


「魔王の分は僕が持ってきますから、列から抜けてください。みんなが困っています」

「そうか、気にするな」

「気にしますよっ」

「じゃあ、僕の分も持ってきてもらえるかな。ずっと直立不動で、なにも食べてなかったんだよね。大盛りでお願い」

「嫌だね。君は食事抜きだ。よし、魔王にそう命令してもらおう」

「酷いなぁ」

「私は食べて良いのか?」

「だって、食材を提供してくれているのは魔王ですし」

「それもそうだな」


 僕と魔王とルイララがやり取りをしていたら、いつの間にかみんながどん引きしていた。


 なんで?


「エルネア君は、見かけによらず恐ろしい竜王だな」

「魔王と普通に会話をしているぞ」

「あのルイララという魔族も、噂の上級魔族だろう」

「あれらと対等に会話をする少年竜王か。恐れ入った」

「くっ、これが竜姫の夫か……負けた」

禿げ……てもらって宜しいですか?」


 なんだか変な会話が微かに聞こえたような気がしたけど、今はそれどころではない。


「とにかく。魔王は列から抜けてください」

「仕方ないな」


 魔王は、やれやれと肩をすぼめ、ようやく列から出てくれた。


「よし、小娘。朝食が届くのを待っている間、遊んでやろう」

「んんっと、やったー」

「あっ」


 僕たちが静止するよりも早く。

 プリシアちゃんは空間跳躍をして、魔王の胸のなかに飛び込んだ。

 魔王はそれを優しく抱きとめる。

 きゃっきゃと、魔王の腕のなかで無邪気にはしゃぐプリシアちゃん。それを見た列の皆さんが、更に引いていく。


「魔王を恐れずに遊ぶ耳長族の子供……」

「うちの子には、あんな勇気はないわ」

「母ちゃん、僕には無理だよ……」

「竜姫の家族は、なんと恐ろしい者たちなのだ」

「わたしらは、こんな人たちがいる以南の者と争おうとしていたのね」

「儂ら北部の者は、なんと愚かだったのだ」


 もう、無視無視。

 なんか、僕たちへの評価が恐ろしげなものになっていくのは、気のせいです。

 僕以外でも、ライラや双子王女様も周りの声を聞かないように、列に並んでいた。


「こらっ、貴女たちは手伝いなさい!」

「そうですよ。なにを当たり前のように並んでいるのですか。手伝ってください」

「み、見つかってしまいましたわ」

「ルイセイネは鬼ね」

「ミストラルは悪魔ね」


 ……三人はどうやら、お手伝いから逃げていただけのようでした。


 ミストラルとルイセイネに引っ張られていく双子王女様とライラの姿に、列に並んでいる人や周りの人たちにようやく笑顔が戻ってきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る