平穏な夜を求める者

「おわおっ。お兄ちゃん、大っきいよ!」

「よし、プリシアちゃん。糸が近づいてきたら、網を投げるんだよ!」

「わかったよ!」

「おさかなおかさな」

「くううっ、あと少しだ!」


 ぐぐぐっ、と僕の太い竿さおが限界の悲鳴をあげる。


「とりゃあっ!」


 吐き出された僕の熱い気合いと共に、湖面に白い泡が弾けた。


「むう、もっと頑張って。網が届かないよ?」

「たりないたりない」

「……いやいや、僕も釣竿も、もう限界だよ!?」






 ここは、お屋敷に囲まれた湖のひとつ。

 独りぼっちで過ごした夜の間に、僕は釣り竿を見つけていた。

 それで、朝からプリシアちゃんとアレスちゃんとニーミアを連れて、お魚釣りをしていたわけです。


 どうやら、湖には大物が住んでいるみたい。

 僕が手にしていた太い釣り竿は半ばほどから折れてしまい、針にかかっていた大物にはまんまと逃げられちゃった。


 いやあ、残念です。


「んんっと、ニーミアが潜って捕まえてくる?」

「んにゃん。もう水が冷たいにゃん」

「プリシアちゃん、お魚釣りは駆け引きが楽しいんだよ。だから潜って捕まえちゃったら、面白さが半減しちゃうよ」


 折れた竿と切れた糸を残念そうに見つめるプリシアちゃんは、お魚が食べたい、と不満を口にしつつもニーミアへの拷問は取り下げてくれた。


「拷問だったにゃん?」

「んんっと、ごうもんってなに?」

「ほら、僕がよくミストラルたちから受けている仕打ちのことだよ」

「しうちってなに?」

「ぐぬぬ……」

「ミストに聞いてみる?」

「きくきく」

「ああっ、それだけは禁止だよっ」


 無邪気な好奇心を示すプリシアちゃん。

 なんて恐ろしい子でしょう。

 慌ててプリシアちゃんを抱きとめると、アレスちゃんも便乗してきて僕に抱きついた。


「あら、楽しそうね」

「うひっ」


 幼女たちと湖畔こはんたわむれていると、背後からミストラルに声をかけられた。


「ええっと、いつからいたのでしょうか?」

「竿が折れる前からかしら?」

「あははは……」

「あのね、ごうもんってなに? しうちってなに?」

「それはあとで、エルネアを使って教えてあげるわね」

「お、お許しくださいっ!」


 プリシアちゃんたちは最初から背後にミストラルがいることを知っていたから、質問の答えを聞こうとしていたんだね。

 僕は大物との格闘に夢中で、気付きませんでした。


「さあ、遊びはそこまでよ。朝ごはんができたから、食べましょう。今日も忙しいのよ」

「はぁい!」


 ミストラルは苦笑を見せただけで、これ以上の突っ込みはしなかった。僕はほっと胸を撫で下ろすと、プリシアちゃんとアレスちゃんと手を繋いでお屋敷へと足を向ける。


 改めて見るけど、このお屋敷は無駄に大きいし豪華だよね。

  ひと部屋ひと部屋が、昔の実家の敷地よりも広い。それだけでも驚いちゃうのに、全ての部屋には寝具や椅子や机といった家具が完備されている。さらには絵画が壁にかけられていたり、大理石や絨毯の床だったり。もう、これでもか、というくらいの豪華さで、下手をすると今の実家どころか仮の王宮などよりも贅沢な造りになっていた。


「エルネア様、見てくださいですわ」

「うわっ、綺麗だね。似合っているよ」


 ライラが、自前では持っていないはずの綺麗な衣装を着て、お屋敷から駆けてきた。


 そうそう。昨夜に独りでお屋敷中を探検していたときに、もうひとつ気付かされたことがある。

 このお屋敷には、家具や調度品だけでなく、衣類や遊具、生活必需品なども完備されているんだ。

 女性物の衣装なんて、素朴なものから豪奢ごうしゃなものまで、数え切れないくらいそろえられている。衣装箪笥いしょうだんすではなく、衣装部屋が幾つもあるくらいにね。

 さっきまで使っていた釣り道具もお屋敷のなかで見つけたものだったし、いったいこのお屋敷はどうなっているんだろうね。

 建ててくれただけでもありがたいのに、最初から全てが揃っているだなんて。


 総額でどれくらいの金額がかかっているのやら、と見つめたお屋敷は途切れることなく視界の端から端に延び、ぐるりと視線を巡らせると二つの湖の遥か先にたどり着く。そのまま視線を一周させてもやっぱり切れ目は存在しない。


「改めて見ても、あきれる大きさね」

「そうだね。あとで請求されたりしないよね?」

「そうなったら、エルネアが責任をとってちょうだいね」

「が、頑張って働くよ!」


 ミストラルも、お屋敷を見つめてため息を吐いていた。彼女は質素を好む竜人族だからね。僕の実家で少しは豪華な暮らしに慣れてきているとはいっても、さすがに度が過ぎます。

 とはいえ、これだけの建築物を建て直してとも言えないし、僕たちはこれからここに住むんだろうね。


 慣れるしかないのかな、なんて話しながらお屋敷に入ると、いい匂いがしてきた。


「天気も良いですし、せっかくなので湖が見える場所でお食事しましょう」


 中庭とは呼べない規模の、屋敷に囲まれて存在する二つの湖。これはもう「内庭」と言った方がいいのかな?

 その内庭が一望できる縁側えんがわに並べられた料理は、豪華なお屋敷とは真逆の、いつも通りのつつましい朝ごはんだった。


「食材は無かったわ」

「お酒はあったわ」


 どうやら、なんでも揃っているわけじゃないらしい。

 お肉や野菜はどこを探しても見つからなかったらしく、アレスちゃんが謎の空間に備蓄していたもので昨日の夕ご飯と今日の朝食はまかなっていた。


 でも、お酒はあるんだね……


 お酒のような保存の効く物は準備されているけど、食べ物とか消費に期限のある物はない?

 まあ、僕たちがいつこのお屋敷を訪れて、いつから利用するなんて、さすがの伝説の大工さんでもわからないだろうからね。

 そう考えると、食べ物がないのは頷ける。


 それはともかくとして。

 朝っぱらから巨人の魔王と飲酒をするユフィーリアとニーナを、ミストラルがひと睨み。


「酔わないこと。このあとも仕事があるんですからね」


 ミストラルの言う通り。

 僕たちには、これからもうひと仕事が待っているんだ。


 昨日は、テルルちゃんの帰巣に便乗して禁領へと下見に来たわけだけど。宴会場には、各地から連れて来た水竜たちが残されている。

 東はヨルテニトス王国、西は竜峰。シューラネル大河や他の河川からも連れて来ているんだけど、放置はできません。

 というわけで、今日からは水竜たちが帰るお手伝いです。


「ごはんごはん」

「お兄ちゃんが釣れていれば、食べられたのにね」

「プリシアちゃん、僕は釣れないよ!」


 釣れなかったのは湖の大物であって、僕ではありませんよ。それに、釣れていても朝食の準備には間に合ってないからね。


「私はエルネア君を食べたいわ」

「私はエルネア君に食べられたいわ」

「うひっ」

「お兄ちゃんは食べられるの?」

「こらっ、プリシア。ユフィとニーナの言葉を間に受けないの」


 双子王女様は朝っぱらからなにをしているんでしょうね。

 もしかして、もう酔っ払っているのかな?


 なにはともあれ僕たちは揃うと、みんなで朝食を囲む。

 ミストラルの村の形式で、並べられた幾つもの大皿から好きな食べ物を好きなだけ取る食べ方だ。


「あのね、プリシアもいっぱい引っ張ったんだよ」

「ほほう、それはすごい。そうなると、それを逃した竜王の罪は重いな」


 プリシアちゃんは臆することなく巨人の魔王の膝の上に座り、今朝の奮闘を話しながらご飯を食べる。

 披露宴のときもそうだったけど、プリシアちゃんは怖いもの知らずだよね。


「なにが怖いものだと?」

「な、なんでもないですよっ!」


 巨人の魔王が僕の思考を読んで睨んでくる。

 でもですね。

 やっぱり、魔王は怖いものだと思うのです。こんなところで幼女を膝に乗せてほのぼのとしている姿には、違和感しかありませんよ?


「私も寛ぐときはある。ほのぼののなにが悪い。ほれ、其方もどうだ、遠慮するな」

「エルネア、なにを思考しているのかしら?」

「なんでもないからねっ」


 怖い怖い。下手なことは思考できないね。

 僕は無心で朝食を食べる。


 かしお芋。お芋のお吸い物。お芋の揚げ物。お芋の……


「ええい、お芋しか僕は食べられないのか!」

「いもいも」

「犯人は君だね?」


 僕のお皿にお芋ばかりを乗せている犯人は、すぐ側にいました。

 僕の膝の上でお肉を頬張るアレスちゃんは、数あるおかずの中からお芋だけを選んで僕に与えていた。


「あのね。プリシアはお芋堀りに行きたいの」

「しょぶんしょぶん」


 どうやら幼女たちは、謎の保管庫に蓄えてあったお芋を放出して、新たなお芋さんを掘りに行きたいようです。


 しくしく、僕は犠牲になったようです。






 朝から騒がしくご飯を食べたあとは、いよいよ活動に入る。

 ニーミアに大きくなってもらうと、テルルちゃんの寝床へ。


「そういえば、ミストラルたちはこの亀裂に入ったことがないんだよね?」

「そうね。随分と深そうだけど」

「かなり深いよ。だって、あのテルルちゃんが隠れられるくらいだしね。僕たちも降りるときには苦労したんだ。いや、アーダさんは苦労していなかったのかな?」

「エルネア、その人についてはあとで詰問させていただきます」

「ええっ、前に話した人だよっ」

「エルネア君、そうだとしても、他の女性との思い出に浸るのは駄目ですよ」

「ごめんなさい」


 なんて話しているうちに暗闇の奥から出て来たテルルちゃんと挨拶を交わし、空間を切り裂いてもらう。


「いってらっしゃーい」

「いってきまーす」


 そして、亀裂の先へ。

 一瞬の漆黒のあと。新たに視界を支配する風景は、間違いなく飛竜の狩場だった。


「さあ、頑張ろう。僕はニーミアと一緒に竜峰方面だね」

「わたしも竜峰方面でいいのかしら?」

「私はレヴァリア様とヨルテニトス方面ですわ」

「わたくしはアームアード王国ですね」

「シューラネル大河を受け持つわ」

「シューラネル大河を担当するわ」


 平地の河川からはあまり水竜は来ていない。だけど、竜峰とシューラネル大河からは大勢に来てもらっているからね。担当者も二人体制です。

 そして、遠く離れた水源にどうやって水竜たちを連れ帰るかというと。


「はいはーい。水竜の皆さん、順番に並んでくださいね」


 迷宮と化した山の麓には、スレイグスタ老が造った人口の池がある。そこに集まった水竜たちは、わいわいと騒ぎながら言われた通りに並んで行く。

 僕たちはというと、四方に頑丈ななわくくり付けられた大きな布を、最初に池に浸す。布が十分に水を吸い込んだことを確認すると、その布で水竜を包み込む。


『いやっほう。空の旅だ!』


 さすがの竜族でも、翼のない者は空なんて飛べない。

 だけど、今回は僕たちの結婚の儀に参加してもらうということで、特別体制です。


 布の四つの角に括り付けられた縄を、お手伝いをしてくれる飛竜や翼竜が持つ。水竜一体に対し、飛竜か翼竜が二体つき、水竜を包んだ布ごと空へ。

 水竜の空輸作戦の始まりです!


 ミストラルの指揮により整然と編隊を組んだ翼竜たちが、竜峰方面へと帰る水竜たちを西の空に運んでいく。

 どこで手懐けたのか、見知らぬ青い翼竜に跨るユフィーリアとニーナも、きちんと仕事をしています。双子王女様の大号令で、シューラネル大河を住まいとする水竜たちを運ぶために何体もの翼竜や飛竜たちが動き出す。


 だけど、一部の水竜たちが悲鳴をあげて暴れ始めた。


『た、助けてっ。暴君怖いっ』

『ええい、黙れ。大人しくしていなければ焼き殺すぞ』

『暴君は相変わらずだなぁ』

『貴様らが余計なことを水竜どもに吹き込むからだ!』

「レヴァリア様は、本当はお優しい方なのですわ」


 どうやら、大宴会の間にレヴァリアの過去を聞かされたヨルテニトス方面の水竜たちが、恐れをなして逃げ回っているらしい。

 あまりに逃げ惑うので、最後にはライラが「静まりなさいですわ!」と支配の力を発揮させちゃった。

 ライラはレヴァリアの味方だからね。レヴァリアが怖がられたりするのが嫌なんだと思う。だけどレヴァリアからしてみれば、畏怖いふの存在でいる方がいいんだよね。なんて思いながら観察しているうちに、強制的に大人しくなった水竜たちがヨルテニトス方面へと運ばれていった。


「にゃんも頑張るにゃん」

「がんばった子には、ご褒美がありますからね」

「にゃんっ」

「……プリシアちゃん、そのご褒美を出す人は誰かな?」

「んんっと、お兄ちゃん?」

「やっぱりか!」


 僕たちも、いつまでも様子を見守っている場合じゃありません。

 ニーミアは他の竜族よりも大きいので、ひとりで二体の水竜を一度に運べる。両手に濡れた布と挟まれた水竜を持ち、空に舞い上がる。

 ニーミアに続け、と僕たちと一緒に行動する飛竜たちが翼を羽ばたかせた。


『おおおっ、空は良いな』

『竜王さまさまだな。こういうことがない限り、空から世界を見ることはないからな』

『くっくっくっ、貴様らの命は我らが握っているということを忘れぬことだ』

『ひええっっっ』

「悪いことしたら、お仕置きにゃん」

『うひいいぃぃっ』


 竜神様と一緒に、みんなで空のお散歩を楽しんだと思うんだけど。あれは夢のなかの出来事で、こちらは現実だから、やっぱり別物なのかな?


 水竜を包む布や持ち手の縄には、贅沢にも千手の蜘蛛の糸が少しだけ使われている。だから頑丈さは疑いようもない。

 なので水竜たちも思う存分、空の旅を満喫していた。

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