追跡者

「エルネア、そろそろ起きなさい」

「ううん、もうちょっとだけ」

「そんなことを言っていると……」


 ミストラルの優しい声と身体を軽く揺すられる感覚を、まどろみながら楽しむ。

 なんでミストラルの声がするのかとか、眠くて深く考えられないよ。

 僕はもぞもぞと暖かい枕に顔を埋める。すると、枕がごそりと動いた。

 そう思った瞬間、ぱしんっと僕は枕に弾き飛ばされた。

 小石のようにころころと苔の広場を無残に転がる僕。地面が冬でもふかふかの苔じゃなかったら、全身擦り傷だらけになるところだったよ。


「ほら、見なさい」


 離れた場所で、ミストラルの呆れた声が聞こえた。


「おはよう、ミストラル」


 枕に弾き飛ばされて、不本意だけど覚醒かくせいしてしまった。目をこすりながら起き上がり、ミストラルの方へと戻る。


「おじいちゃん、アシェルさん、レヴァリア。おはようございます」


 僕は昨日、竜峰北部に行ったり王都に行ったりと、とても忙しかった。そして苔の広場で日が暮れちゃって、ここで一晩を過ごした。

 年中緑豊かな苔の広場と古木の森。それと霊樹だけど、冬はやっぱり寒い。

 ということで、僕はアシェルさんの足先のふわふわの体毛を身体に巻いて、ぬくぬくとしたアシェルさんの体温に包まれて寝ていたわけです。


 そうです。枕じゃありませんでした。アシェルさんでした。


「いつまで寝ている気だい。踏み潰すよ?」

「そんなことをしたらおじいちゃんが怒りますからね?」

「ふむ、潰されたら鼻水漬けにしてみよう」

「そ、それだけはご勘弁かんべんです」

『朝から騒がしい』


 なんて会話を交わしながら、ミストラルのもとへと戻る。

 そして、改めて朝の挨拶を交わす。


 ミストラルはスレイグスタ老の世話役なので、騒動が終わるとまたこうして毎朝、お世話をしに苔の広場へと来ている。だから、苔の広場で早朝に彼女と会うことはけっして不思議ではない。


「みんなはまだ村にいるのかな?」

「そうね。今頃、朝食を食べ終えて後片付けをしているかしら」

「僕もお腹が空いちゃった」

「はい、これ。おきなから貴方のことは聞いていたから」


 言ってミストラルは、手荷物のなかから包みを取り出す。美味しそうな匂いが包みかられて僕の鼻孔びこうをくすぐった。

 ミストラルにお礼を言って包みを受け取り、早速朝ご飯を食べる。大き目の蒸し肉が入っていたので、昨日のお礼でレヴァリアにおすそ分け。


『全く足らん』


 なんて愚痴を言いつつも口のなかで転がして、レヴァリアにとっては本当に小さな肉片の味を楽しんでいるように見えた。


「王子とは朝方の再会を約束しておるのだろう。用事を済ませてくるのだな」

「はい、行ってきます!」


 昨日の続き。ルドリアードさんにこちらの事情と要望、そして約束を伝えないといけない。

 身支度を済ませると、僕はみんなに行ってきますの挨拶をして、苔の広場を後にした。


「あれ?」

「なにかしら?」


 当たり前のようについて来たミストラルに首を傾げる。ミストラルも同じように首を傾げた。

 仕草がミストラルらしくなくて可愛くて、ついどきりとしてしまう。


「ううん。ミストラルはおじいちゃんのお世話をしなくても良いの?」

「ふふふ、貴方を起こす前にもうほとんど終わっていたわ」

「そうだったんだ」


 そして歩みを再開させる僕とミストラル。

 お願いなんて一言もしていないんだけど、こうして一緒について来てくれるミストラルが嬉しい。


「昨日は北の古代遺跡に向かったと思ったら、今朝は苔の広場だなんて。貴方は忙しいわね」

「徒歩だったらどれくらいの日数が掛かってるんだろうね。レヴァリアには感謝だよ」


 ミストラルに昨日の出来事を話しながら、森を進む。いつの間にか古木の森を抜けて、深い竜の森へと景色は移っていた。

 スレイグスタ老が森全体に張り巡らせた術に導かれるように、ミストラルと二人で森を行く。

 竜の森のどの場所を歩いているかなんて、木々の下からじゃあわからない。でも歩いていれば、いずれは森の外に出ると信じて進んだ。


 正直に言うと、ミストラルと二人きりの森の散歩が、このままずっと続いても良いんだけど。

 ちょっとだけ勇気を振り絞ってミストラルの手を取ったら、握り返してくれた。

 緊張で手汗をかいていないかな。なんて些細ささいな不安よりも、女性の柔らかく細い手の感触、ミストラルの温もりを感じられる幸せが圧倒的に勝り、るんるんな朝の散歩になった。


 だけど、僕の楽しみを打ち砕くかのように、前方に森の終わりが見えてきた。

 ええい、ルドリアードさんとの約束なんて反故ほごにして、森の奥に引き返したい。

 森の先で幾人かの人の気配を感じ取り、ミストラルの手がするりと僕の手のひらのなかから抜けていった。

 残念。楽しい時間は終わってしまいました。


「やあ、エルネア君。おは……。なんで俺をそんなにうらめしそうに睨んでいるのかな?」

「おはようございます、ルドリアードさん。気のせいですよ?」


 竜の森の外で待っていたのは、ルドリアードさんと数人の部下の人たちだった。


「朝が早いんですね」

「ああ、どのくらいの頃合いに君が来るかわからなかったから、朝日が昇る前からここに待機だよ。とほほ」

「将軍、それは当たり前です。エルネア様を待たせるようなことはできませんからね」


 うわっ、様って言われちゃった。なんか背中がむずむずします。

 しかも、将軍様であり第二王子である人を待たせるなんて、僕は一体どういう立場の扱いになってるんだろうね。


「それで、早速だが結論から聞いても良いだろうか?」


 ルドリアードさんは僕と一緒に来たミストラルに笑顔で挨拶をしながら、昨日の続きをうながしてきた。

 僕は、竜の森の現状とスレイグスタ老の警告を伝える。そして、それが守られるのであれば、竜の森の伐採を少しだけ認めることも伝えた。


 森の入り口で話し込んでいると、背後からなにやら騒がしい人の気配がしてきた。


「ま、待ってくれ。俺たちは知らなかったんだよ。ヨルテニトスの出身で、この森で炎を使ってはいけないなんて本当に知らなかったんだ」

「ええい、うるさい。事情は詰所つめしょで聞く。さっさと歩けっ」


 僕たちが見守る前で、兵士の人たちに拘束された冒険者風の男女が森から連行されていった。


 竜の森での火の使用が禁止?

 おかしいな。僕たちなんて、苔の広場に長時間滞在する時なんかは、森で獣を捕らえて焼いて食べたりしているよ。

 ミストラルを見たら微笑まれた。


「火事になったら困るからね。普通は禁止」

「僕も知らなかった……」


 僕たちは、どうやら特別扱いだったみたい。

 危うく僕も捕まるところだったよ。昨年から竜の森に出入りしていたけど、スレイグスタ老と出逢わずに、うっかり火を使っていたら捕まっていたのかな。

 というか、木の伐採などが禁止と知っていても、火の使用禁止などは知らない人が多いんじゃないかな?

 よく考えると、竜の森のことは言い伝えやなんとなくで民間に広まっていることが多い気がする。


「ルドリアードさん、注意事項などはきちんと文章にしていた方が良いんじゃないですか?」

「そうだなぁ、文官に相談してみるか」

「他人任せなんですね」

「はっはっはっ。自慢じゃないが、内政のことにはうといぞ。その辺は兄貴の担当だ」


 どうやら、アームアード王国の王子も、ぶんで才能が分かれているらしい。


「それで、君たちはこれからどうする? 良かったら俺のところで酒でも……」

「朝から飲むなっ」


 間髪入れずに突っ込んだ兵士の人に笑ってしまう。

 相変わらず、仲の良い部下と上司みたい。だけど朝からお酒は、僕もどうかと思いますよ。


「それじゃあ、エルネアはこれから森の治安回復に動くわけね」

「うん。ミストラルも一緒に行く?」

「ふふふ、誘ってくれるのかしら?」

「もちろんだよ」

「やれやれ、朝から俺たちになにを見せつけているんだ」

「ちっ、うらやましい」

「森のなかで迷ってしまえっ」

禿げてしまえば良いんだ……」


 兵士の人たちの変な愚痴を聞きつつ、僕とミストラルはきびすを返して、竜の森へと向かう。


「そんじゃあ、妹たちをよろしく。次に会えるのは年が明けてからかな?」

「はい、また来年に戻ってきます。それじゃあ、ルドリアードさんも頑張ってくださいね」


 挨拶を交わし、森のなかへと入る。


 これで、人族は竜の森の恩恵をもう少し多く受けられるようになる。ということで、竜峰の麓の森の件は、申し訳ないけど後回しかな。

 まずは、スレイグスタ老と約束をした、竜の森に入り込んでいる狼藉者の排除が先だ。


「手分けして動いた方が早いかしら?」

「えええっ、ミストラルと一緒に行動したいな」

「やれやれ、仕方ないわね」


 ふふふ、と微笑むミストラル。

 わがままというか甘えてみたら、すんなりと受け入れられちゃった。


「それじゃあ、俺たちは邪魔をしない方が良いのだろうか」

「いいや、むしろ邪魔をさせろ」

「許さぬぞ……。俺のミストラル嬢を……」

「うわっ」


 森に入るとすぐに、どこからか聞き覚えのある声が降ってきた。

 そして突然、目の前に耳長族の戦士たちが現れる。


 全然気配を感じなかったよ。


「カーリー殿、おはようございます」

「やあ、ミストラル様。おはようございます」


 ミストラルは当たり前のように耳長族の人たちの気配にも気づいていたのか、驚いた様子もなくカーリーさんと言葉を交わす。


 というか、耳長族の人たちに監視されていると知っていて、ミストラルは平気な態度で僕に接していたのかな?

 えええっ! いつから監視されていたんだろう? もしかして、ルドリアードさんたちに会う前から見られていたんじゃあ……


 今朝の散歩を思い出して、赤面してしまう。

 見られていたらどうしよう。恥ずかしい。

 もしもずっと監視をされていたら、にやけ顏の僕を見て、耳長族の人たちはにやにやしていたに違いない。


「エルネア、朝から幸せだったな」

「きゃー」


 やっぱり見られていました!

 赤面した僕を見て、カーリーさんを含む耳長族の人たちは爆笑していた。


 ぐぬぬ、僕の平和だった時間を返してください。楽しい思い出のまま心にしまいたかったよ。


「ミストラルは気づいていたんだよね?」

「もちろんよ。貴方はまだまだ修行が足らないわね」


 ミストラルの言う通り。警戒もなにもしていなかったとはいえ、本気で隠れていた耳長族の気配に気づかなかった。そして、恥ずかしい場面を見られて気が動転してしまっている。僕はまだ未熟だね。

 それにしても、見られていても平常心のミストラルはやっぱりすごい。


「ははは、そう肩を落とさないで。俺たちも一応は戦士なんだ。そう易々やすやすと気配を読まれると、逆にこっちが反省しなきゃいけなくなる」

「そうだね。でもこっそり見るなんて、やっぱり卑怯ひきょうだよー」

「いやあ、君もやはり普通の少年なんだなと改めて思えたよ」

「ああ、常識離れした能力を多く持つが、やはり年端としはもいかぬ少年だ」

「俺たちは、君の変わらない日常を確認できて良かったよ」

「そんなことを言って。この間も村で一緒に過ごしたじゃないですか。僕は僕ですよ」

「そうだな」


 僕とミストラルは並んで。周りに耳長族の人たちを連れて、竜の森を移動する。


「さて、談笑も良いが、建設的な話をしようか。人族の王子たちのやりとりも聞かせてもらっていた。ここはお互いに協力しよう」

「こういう部分は話が早くて良いね」

「お前にとっての利点はそこだけだがな」

「ぐぬぬ」

「はいはい、話を逸らさないの。カーリー殿、進めて」

「うむ。俺たちも森に入って悪さをする者どもには困っていた。そろそろ、大長老様を通してスレイグスタ様に相談をしようとしていたところだ。エルネア君たちが動いてくれるというのなら、ここは一緒に連携して行動をしよう」

「はい、元々そのつもりでしたし。みんなで動いた方が早いよね」

「それじゃあ、ルイセイネたちも呼び寄せた方が良いかしらね」

「そうしてもらえると助かるだろうか。人手は多いに越したことはないから」

「それじゃあ、わたしは一旦苔の広場に戻らなきゃね」

「えええっ、ミストラルと別れちゃうのか」


 なんという話の展開。

 今日はミストラルと二人で楽しく過ごす、じゃなかった。二人で仲良く活動できると思っていたのに……


「ぐはははっ。エルネアが俺たちを恨めしそうに睨んでいるぞ」

「はははっ、残念だったな!」

「一矢報いることができたぜ!」


 カーリーさんたち耳長族は、僕の表情を見てまた爆笑していた。

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