竜王の神殿

 思い出したかのように、冷たい風が吹き抜けた。

 騒動が落ち着いて身体も冷え始めたのか、ぶるり、と寒さに震える。


「そういえば、まだ冬なんだよね!」

「そうよ? しかも、まだ年を越して数日しか経っていないんですからね? もしかして、エルネア君は季節感を忘れていたのかしら?」

「はははっ。植物のまゆを解体したり、盗賊団を倒していたから、身体が火照ほてっていたんだね」


 あと、セフィーナさんと密着したりとかね。


 だけど、真冬だということを思い出すと、途端に寒くなってきた。

 泉の岸辺で揺れる水面を見るだけで、心まで冷えきっちゃいそう。

 水の精霊王さまには申し訳ないんだけど、泉から少し離れて樹木の陰に身を寄せて、吹き抜ける風をしのぎたいね。


「どうぞ、遠慮なさらずに」


 精霊王さまの慈愛に満ちた微笑みは、向けられるだけで心が安らぐ。

 泉が神聖なのは、精霊王さまの清らかな心の影響を強く受けたからだろうね。


 僕とセフィーナさんは肩を寄せ合って、風が吹かない場所へと避難する。

 僕たちが泉から離れると、精霊王さまは泡に溶けて姿を消した。


「ここで、ニーミアか誰かが来てくれるのを待とう」

「ふふふ。私としては数日くらいここでエルネア君と二人っきりでも良いのだけれど?」

「数日経ったら、ミストラルたちが来ちゃうからね!」


 まあ、僕はそれでも良いんだけどね?


 運動の熱は急激におさまり、真冬を実感する。

 だけど、隣にセフィーナさんがいるせいか、それともアレスちゃんを抱っこしているせいか、底冷えするような寒さにはならない。

 僕とセフィーナさんはのんびりと寛ぎながら、救援が来るのを待った。






「んんっと、迎えに来たよ?」

『うわんっ、来たよっ』

『やっほぉーい』


 太陽が西に傾き始めて随分と経った頃。

 ニーミアとユグラ様が泉に飛来してきた。

 もちろん、ニーミアの背中にはプリシアちゃんとアリシアちゃんが乗っている。それと、今回はマドリーヌ様も騎乗していた。

 そして、ユグラ様の背中には、フィレルとフィオリーナとリームが乗っていた。


 ユグラ様がフィオリーナとリームを連れて飛んできたということは、救出されてから一旦集合場所に戻って、それからここへ来てくれたんだね。

 お付きの三人は今頃、集合場所で居残り組の護衛をしてくれているのかな?


「むきぃっ、また私をけ者にしてっ」


 ニーミアから降りて早々に、フィオリーナやリームよりも早く僕へと絡んでくるマドリーヌ様。それを、どうどう、となだめながら、こちらの状況をみんなに報告した。


「おわおっ、精霊王さまがいるの?」


 プリシアちゃんの呼び声に、姿を消していた水の精霊王さまが顕現する。

 ぶくぶくと泡立つ泉の水面に立つ、優しい雰囲気の女性。それをめがけて、容赦なく飛びかかろうとするプリシアちゃん。

 だけど、プリシアちゃんの暴走を阻止したのは、アリシアちゃんだった。


「おおっと、プリシア。さすがに精霊王さまへの粗相そそうは駄目よ?」

「んんっと、わかったよ!」


 こんなに素直なプリシアちゃんなんて、見たことがない!

 なんていうのは置いておいて。

 プリシアちゃんを抱きかかえたアリシアちゃんは、身を正して挨拶をする。


「私は竜の森に産まれ、海風薫うみかぜかおる森に住むアリシア。こちらは、私の妹のプリシアです。水の精霊王さま、お会いできたことを嬉しく思います」

「んんっと、こんにちは! プリシアは禁領ってところに住んでいるんだよ!」

「いやいや、プリシアちゃんは歴然れきぜんとした竜の森の耳長族ですからね!?」


 僕の突っ込みはさて置き。

 いつもは賑やかなアリシアちゃんが、礼儀正しく挨拶をするだなんて。やっぱり、精霊王さまって耳長族には特別な存在なんだね。

 精霊王さまは、可愛い二人の耳長族の挨拶に、優しく微笑み返す。


「こちらこそ、賢者様にお会いできて光栄です。それに、我が子らが随分とお世話になったようで」

「あのね、楽しかったよ。また遊ぼうって約束したの」

「ふふふ。それでは、またこの地へ遊びに来てくださいね?」

「わかったよ!」


 プリシアちゃんは相変わらずの陽気さだけど、精霊王さまは気分を害するどころか、愛らしい様子にさらに頬をほころばせる。


「もったいないなぁ。こんなに素敵な精霊王さまがいらっしゃるのに、この森には耳長族が住んでいないんだよね?」


 すると、アリシアちゃんが残念そうに肩をすくめた。


「そうそう。アリシアちゃんに聞きたかったんだけどさ。精霊王って、そう簡単に生まれるような存在じゃないよね? なのに、できて間もないこの楽園に水の精霊王さまが存在している理由ってなに?」


 僕の疑問に、アリシアちゃんは少しだけ不思議そうに小首を傾げる。


「それは、エルネア君の影響じゃないかしら?」

「はい!?」


 思わぬ返答に、今度は僕が首を傾げる。


「なんで、僕の影響なの?」


 さっぱり意味がわかりません。

 耳長族でもなく、精霊力もない僕の影響で精霊王が生まれた?

 いやいや、そんな奇想天外なお話は聞いたことがありませんよ!


「んんっとぉ、前に聞いた話から推察するとね。簡単に言うと、スレイグスタ様のようの竜気で浄化された場所に、エルネア君がアレスちゃんと霊樹ちゃんを通して自然に干渉したからだよ」

「えええっ、そんなことで!? というか、リステアの影響はどこへいったのかな? リステアの浄化の炎も、ここを楽園に変えた要因の一端いったんを担っていると思うんだけどな?」

「それって、呪術の炎よね? なら、不浄をはらう力にはなったと思うんだけど。でも、精霊を活性化させたのは、間違いなくエルネア君の影響よ?」


 まあ、これまでの経験から、僕の力を受け取った精霊さんたちが元気付くことは知っていた。

 でもまさか、精霊王の誕生にまで影響を及ぼしているだなんて!


 とはいえ、こういう話なら、別に水の精霊王さまが自分から口にしても良かったんじゃないかな?

 あえて賢者に投げるような話ではないように思える。

 それを伝えると、アリシアちゃんはこちらまで歩み寄ってきて、ぽんぽん、とあわれむように僕の肩を叩いた。


「禁領に帰ったら、母さんに報告しておくね。母さんからびしばしっと指導してもらいなさい!」

「えええっ、どういうこと!? 僕は悪いことをしちゃった?」

「ううん、良いことをしたんだよ。でも、もっと良くなるためには、母さんの指導が必要みたい」

「精霊王さまは、賢者に聞きなさいって言ってたよ?」

「だから、母さんに聞くんだよ。えっ? もしかしてエルネア君、知らないの? 母さんも賢者だよ?」

「僕の周りには賢者ばっかりだ!」


 禁領に帰ったら、プリシアちゃんのお母さんが待ち構えているんですね。

 そして、僕はプリシアちゃんと一緒にお勉強をさせられるわけです。

 いったい、どんなお勉強が待っているのやら……


「禁領に帰るのが怖くなってきちゃった」

「んんっと、プリシアも!」

「貴女の帰る場所は、竜の森です!」

「むう、お兄ちゃんのいじわる」


 アリシアちゃんの腕の中から、頬を膨らませて抗議するプリシアちゃん。

 フィオリーナとリームが傍で真似をしている。

 見ているだけで、可愛いさに心がほっこりと癒されちゃう。

 水の精霊王さまも、愛らしいちびっ子たちの仕草に終始頬を緩めっぱなしだ。


 でも、僕に抗議をしてくる人物は、なにもプリシアちゃんだけではなかった。


「もうっ、エルネア君。私にもかまってくださいっ」

「マドリーヌ様、落ち着いて。というか、巫女様たちはもう大丈夫なんですか?」


 マドリーヌ様とフィオリーナとリームが同行してきたということは、逃げ遅れていた聖職者の人たちも無事に森の外に出られたんだよね?

 保護者役だったレヴァリアはどうしたのかな?


「巫女たちには、休んでもらっています。レヴァリア様は、ユグラ様に後を託すと仰いまして……」


 顔色を曇らせるマドリーヌ様。


「ああ、なるほど。レヴァリアは久々に自由を満喫しているんだね?」

「はい。それで、どちらかへと飛んでいかれました」

「それで、レヴァリアじゃなくてニーミアとユグラ様が来てくれたんだね?」

「にゃん」


 子守役の交代。

 実は子煩悩こぼんのうなレヴァリアだけど、たまにはひとりで自由に空を飛び回りたいよね。

 ユグラ様も、普段はレヴァリアにお任せ状態なので、今回は素直に役目を引き継いだようだ。

 ユグラ様は、僕たちの様子を遠くから静かに見守ってくれていた。


「そうそう、ニーミア。あっちで縛り上げている盗賊の中に、竜人族が紛れ込んでいたんだ。連れ帰るときは気をつけてね?」

「お任せにゃん」


 盗賊団に竜人族が紛れ込んでいたことに、マドリーヌ様は目を丸くして驚いていた。


「まさか、このような土地に竜人族が……」

「危なかったですね。そうと知らずに聖職者の人たちと遭遇していたら……」

「人族はともかくとして、他の種族の方々には巫女や神官といった地位は意味を成しませんからね」


 今更だけど、今回の問題は深い危険をはらんでいたんだと思い知る僕たち。


 マドリーヌ様は、聖水を手に入れるために、聖職者を泉へと派遣した。

 もちろん、護衛の戦巫女いくさみこ神官戦士しんかんせんしは同行していたけど、それはあくまでも魔物から身を守るため、という意味合いが強い。

 神職に身を置く者を、人族が襲撃することはないからね。


 だけど、現状は違った。


 楽園には竜族や精霊といった、人族の宗教に影響を受けない存在が住み着いていた。

 しかも、人族ではない種族が盗賊として跋扈ばっこしていた。

 今や、楽園は未知の危険が潜む危険な場所になってしまっていた。


 今回は、三つの問題を無事に解決することができた。

 だけど、根本的な部分は未解決なのだと、僕たちは改めて思い知る。


「困りました。既に、ヨルテニトス王国の国中で、楽園の存在は知られています。今後、東の地の開発が進めば、観光などで来訪する人々が増える可能性もあるでしょう。ですが、この地が危険なままですと……」


 ちらり、とマドリーヌ様が水の精霊王さまを見る。

 言いたいことはわかります。

 力のある存在、つまり精霊王さまに主導してもらって、治安を維持してもらおうと思ったんですよね。

 だけど、精霊が現実世界のことわりに干渉するとは思えない。ましてや、耳長族の住んでいない森なんてね。

 竜族が暴れようが、悪人が跋扈しようが、精霊は精霊として、自由気ままに暮らすだけだ。


 僕の説明に、顔を曇らせるマドリーヌ様。

 でも、僕は自分で説明しておきながら、自分で妙案みょうあんを思いつく。


「いい考えがあります!」


 きらり、と素敵な笑みを浮かべる僕。

 なのに、他のみんなはいぶかしげな瞳で僕を見つめ返す。

 プリシアちゃん、君もか!


 せぬ。


「んんっと、お兄ちゃんが悪巧みしてる?」

「いやいや、悪巧みじゃないからね!」


 こほんっ、と咳払いをひとつ。

 気を取り直して、思いついた考えを披露する。


「ここに、神殿を建立こんりゅうするっていうのはどうかな? ただし、巡礼のための神殿じゃなくて、巫女様や神官様が厳しい修行をするための神殿を」


 僕は、説明する。


 これから先、観光客が来る心配があるのなら、そもそも来ることがはばかられるような場所にしちゃえばいいんだよね。

 楽園は、聖職者の人たちが厳しい修行をする場所、という認識が一般化すれば、観光で場を荒らそうという人は出ないはずだ。


「エルネア君の案は画期的に思えます。ですが、竜族や精霊の問題がそのまま残っていますよ?」

「ふっふっふっ。マドリーヌ様、素晴らしい指摘をありがとうございます。でも、僕はその解決手段も思いついているんですよ」


 なんと、禁領にはプリシア教団の信徒がいるのです。

 もちろん、強制的に彼らをこの地へと移住させる気はないけどさ。

 でも、少なからず興味を示してくれる耳長族の人たちはいるはずだ。


「アリシアちゃんは、さっき言ったよね。精霊王さまが住んでいるのに、耳長族が住んでいないなんてもったいないって」

「でも、禁領の人たちって、悪いことをした人たちよね?」

「アリシアちゃん、正確にはちょっと違うかな? イステリシアの部族の人たちは、強制力で精霊を使役していたんだよね。でも、僕はそれを禁止させたんだ。精霊と仲良くなってほしかったからね。そして、神職を目指す耳長族の人たちにとっては、厳しい修行をしながら精霊たちのお世話もできるこの楽園は、最適な環境になるんじゃないかな?」


 ただでさえ辺境の地なのに、楽園には竜族や精霊たちが住み着いている。

 そんな危険で特殊な場所に神殿が建立されれば、ヨルテニトス王国だけじゃなくて、アームアード王国からも修行を積みたいという徳の高い人たちがやって来るはずだ。

 耳長族の人たちが彼らに混じって修行を積み重ねれば、きっと素晴らしい聖職者になると思うんだよね。


「洗礼を受けたあとの耳長族の巫女は精霊術を使うことができなくなりますが、精霊たちをお世話することはできるというわけですね?」

「マドリーヌ様、そういうことです! まあ、耳長族の人たちが賛同してくれればの話だし、そもそも精霊王さまが認めてくれればなんですけど?」


 うかがうように、僕たちは泉の水面に立つ水の精霊王さまを見る。

 精霊王さまは、変わらぬ慈愛の笑みを浮かべていた。


「貴方のお考えでしたら、協力いたします」

「ありがとうございます!」


 やっぱり、優しい精霊王さまだ。


「それでは、残りの問題ですが。竜族の件と、他の種族の方々への対処はいかがなさいますか?」

「ええっと、それはね……」


 マドリーヌ様の問い掛けに僕が答えようとした時だった。横合いから名乗りを上げたのは、フィレルだった。


「竜族の問題でしたら、ぜひ僕に関わらせてください!」


 やる気を見せるフィレル。


「そもそも、竜族と人との関係は、僕が命題としている問題でもあります。それは、竜騎士団に所属する竜族だけでなく、野生に棲息せいそくする竜族も含まれると思うんです」

「はっはっはっ。実は、僕もフィレルにお願いしようと思っていたんだよね」


 丸投げ!? とアリシアちゃんが可笑しそうに笑う。

 だけど、フィレルは嬉しそうに握り拳を作っていた。


「ユグラ伯は仰いました。自分にできないことを他者に頼ることは、なにも悪いことばかりではない、と。エルネア君は竜峰やいろんな地域で活躍されています。それに加えて、この地の負担までお願いするのは、申し訳ないです。ですから、僕に頼ってもらって良いと思うんです!」

『まだまだ、頼りないがな』


 ユグラ様が後ろでつぶやいていますよ、フィレル君!


 だけど、フィレルの心意気は素晴らしいものだと僕も思う。


「僕も、できるかぎり協力するからさ。なにせ、禁領の耳長族の人たちに移り住んでもらう可能性もあるんだしね」


 まだ、僕たちの案は絵空事えそらごとだ。

 神殿を建立するには、ヨルテニトス王国や神殿宗教の支援が必要になる。

 禁領の耳長族が僕の話に乗らなきゃ頓挫とんざしちゃうし、精霊たちが嫌がったら全てが水泡すいほうす。

 しかも、神殿が建立されて耳長族の人たちが移住した場合でも、フィレルが竜族を押さえられなかったら、修行している人たちに被害が出てしまう。


「だけど、悲観はしちゃいけないよね。逆に全てが上手くいけば、竜族や精霊たちが護る楽園に手を出す他の種族がいたとしても、絶対に阻止できるだろうからね」


 最初は、なんだって無理に思えたり無謀に感じるかもしれない。

 それでも、僕たちは進むんだ。

 そして、進んだ先にこそ、結果は残るんだよね。


 泉の岸辺で、僕たちは今後の方針を熱く語り合った。

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