蠢く闇と金色の空
「巨人の魔王の国に仕える
素早く、バレジロッドが神殺しの長剣を引き抜こうと反応した。
だが、動けない。
新たに現れた女は、細い瞳でバレジロッドを見た。
「死をご希望でございます?」
ふふふ、と微笑みを絶やさない女。
しかしそれだけで、腕の立つ上級魔族に戦いを挑み続けてきたバレジロッドの敗北が決まる。
これは、化け物だ。
他の魔族と同じだと思ってはいけない。
魔王。いや、それ以上に恐ろしい存在だ。
そうだ、とイステリシアは理解する。
強いて言うならば、朱山宮に住む者に近い。
どちらがより絶望をもたらす存在なのかは、イステリシアには
ただし、魔王程度の気配でないことくらいは、本能が理解していた。
「やれやれ。俺たちもお終いかね?」
「と、仰いますと?」
金色の君と呼ばれた女の圧倒的な気配に、バルトノワールでさえも肩を
それを見て、女は不思議そうに首を傾げる。
「いやね。俺は確かに九尾の大魔族の封印を解き、味方に引き入れようと
この女の姿を知らぬ者は、魔族のなかにはいない。
姿を見たことはなくとも、言い伝えを聞いている。
かつて、神族に対抗するために組織された大魔族連合軍。それを纏め上げたのは、巨人の魔王の最側近であり、大元帥と
瞳はいつも微笑んでいるかのように細く、横巻きの金髪が特徴的な絶世の美女。
魔族の支配者の庇護のもと、この世界に住んでいるイステリシアも、シャルロットの姿や逸話を少しくらいは知っている。
しかし、本当にこの女が……?
シャルロット以外のこの場の全員が、困惑していた。
なぜ、シャルロットがこの場に現れたのか。
バルトノワールの口にした「金色の君」とはなんなのか。
九尾の大魔族とはどういうことなのか。
何かと画策していたバルトノワールでさえ状況を正確には飲み込めておらず、顔が引きつっていた。
それを見た金色の君、シャルロットは上品に微笑みながら、イステリシアの視界にも映るように前に出る。
「おや、私をお探しだったのでしょう?
「竜王……エルネア君にかい?」
「はい、彼は良い子です。彼のおかげで、こうして復活を果たせました」
「へええ。詳しく聞いても?」
バルトノワールが珍しく緊張している。それを知ってか知らずか、シャルロットはここ最近の出来事をつらつらと話す。
健気な竜王を
誰も口出しすることなく、シャルロットの話を聞く。
あのお調子者のライゼンでさえ、シャルロットの前では軽口を
「……なるほど。それじゃあ、貴女は俺に味方してくれると?」
話を聞き終わると、バルトノワールがようやく口を開いた。
しかし、口調からもバルトノワールが半信半疑なのだと
それはそうだろう、とイステリシアも内心で頷く。
なにせ、巨人の魔王とその配下たちは、目下のところバルトノワールが企む計画を阻害する
その
周囲の
「おやまあ。思っていたよりも随分と
「なに?」
ぎろり、とバレジロッドの瞳が光るが、それだけだ。
シャルロットはそれを無視すると、平然と恐ろしいことを言う。
「考えてもみてください。私が敵であるのなら、こうしてまみえる前に、皆様を殺していますよ?」
ふふふ、と微笑むシャルロットに、イステリシアは魂までも凍りつく。
この女がその気なら、それくらいは軽くやってのける。それだけの力量を持ち合わせている化け物なのだと、この場の全員が瞬時に理解していた。
「なるほど、一理ある。俺たちの居場所さえ把握したのなら、わざわざ貴女を諜報員として送る必要もない、ということか。だが、どうやってここを突き止めたのか聞いても?」
「ふふふ、
つまり、黄金色に染まった空は、それ自体がシャルロットの放つ魔力だったというわけか。
世界を覆うほどの魔力を、自分たちは見せつけられた。そして、今もなお生きている。
それはつまり、シャルロットが自分たちを討ちに現れたのではない、ということを
「俺としては、巨人の魔王をその場で仕留めてから合流してきてもらいたかったんだがね?」
「その際は、巻き添えでエルネア君も死ぬことになっていましたが?」
「やれやれ、色々とお見通しか」
バルトノワールが竜王と呼ばれる人族の少年に
だが、まさか少し前まで敵であったはずのシャルロットにまで知られているとは。
どうやら、味方になってくれそうな気配のシャルロットだが、油断はしない方がいい。
なにより、イステリシアの野望のためには、竜王と似た称号を持つ竜姫と敵対しなければならないのだ。
魔剣使いのバレジロッドは、絶望を振りまくシャルロットを憎々しげに睨んでいた。
おそらく、今は手出しができない存在だが、いずれは勝負を挑んでやる、などと無謀な考えを持っているに違いない。
ライゼンはというと、軽口こそ挟まないものの、興味津々な視線でシャルロットを見ていた。
なんとも
しかし、シャルロットは
はたして、バルトノワールはシャルロットを味方に加えるのか。
もしも味方に加えたとして、どのような役目を担うことになるのか。
イステリシアはバルトノワールを伺う。
バルトノワールは、伏し目がちに思案していた。
これまでの話から、どうやらバルトノワールが当初から言っていた「切り札」とは、このシャルロットのことだろう。
金色の君や九尾の大魔族という二つ名は知らなかったが、この絶望的な気配を前にすれば、誰だって理解できる。シャルロットが加わった勢力が、この騒乱の勝者になれるのだと。
だが、自分の思惑から外れたところで復活を果たしたらしい金色の君に、バルトノワールは未だに困惑しているのかもしれない。
たしかに、敵ではないのだろう。だが、シャルロットの真意がわからない。
復活したのはいい。
だが、なぜその後にこちらと合流してきたのか。その真意は、話を聞いても理解できなかった。
「ふぅん、それではどうでしょう?」
僅かな時間、廃墟に沈黙が流れた。それを打ち破ったのは、シャルロットだ。
話が進展しないことに困った様子のシャルロットは、またもや恐ろしいことを口にした。
「そうですね。では、手土産に魔王の首を幾つか持ってきましょうか。ああ、ただし。私が表立って動く以上、雑魚であるこの場の方々は用無しでございますよね?」
ひい、とイステリシアは小さく悲鳴をあげる。
シャルロットはこう言っているのだ。
自分たちの役目程度など、シャルロットが片手間にやってのけると。そして、不要な自分たちは殺してしまおうと、バルトノワールに提案しているのだった。
これには、ライゼンとバレジロッドとルガも露骨に動揺を見せた。
バルトノワールはそこで、ようやく決断したらしい。
深くため息を吐くと、シャルロットの提案を却下した。
「彼らは俺の大切な同志だ。そして、その仲間に貴女も加わっていただけるというのなら大助かりだ。だが、仲間内での争いだけは勘弁してほしいものだな」
「ふふふ。腐っても人族らしいぬるい提案に、ここは素直に乗っておきましょう」
「そりゃあ、どうも」
気配は相変わらずだか、シャルロットはどうやら自分たちの正式な同志に加わったようだ。
では、この女は同志となって、なにを成そうとするのか。
バルトノワールもそこが気がかりなようで、シャルロットに問いかける。
「私の願いは、陛下のお命でございます。貴方がたは、上位の方々を引っ張り出したいのでございましょう? では、そちらはお任せいたしますね。私はその隙に、陛下から積年の奉仕に対する対価を受け取らせていただきますので」
「ははは、貴女でも上位の存在は目障りだと?」
「はい。あのお二人が君臨し続けている間は、魔族の国でのんびりと暮らせませんので」
これだけの魔力を持つシャルロットだ。始祖族で間違いはない。
だが、始祖族であることはすなわち、上位の者に縛られているということを意味する。
シャルロットはバルトノワールたちを利用し、その呪縛から解放されることを願っているのかもしれない。
「いやぁ、まさかこんな感じで切り札が手に入るとはねぇ。しかし、これは好機だろう。全員、これからも各自の活動に励んでほしい」
どうやら、シャルロットの意思を確認したことで、この場はお開きらしい。
バルトノワールの言葉に、バレジロッドが
ルガも背中から翼を生やすと、夜の空へと飛んでいく。
「よう、俺っちをまた運んでくれよ?」
「わらわは貴女が嫌いです」
「はははっ、そう言わずに。お互い、同じ時期に怪我した仲間じゃねえか」
けたけたと笑いながら、イステリシアに近寄ってくるライゼン。
だが、イステリシアは勘付いている。ライゼンは先に立ち去った二人と同じく、早くこの場から移動してしまいたいのだ。
それだけ、同志になったはずのシャルロットの気配は恐ろしいということか。
当のイステリシアも、早くこの場を去りたいというのが本音だ。イステリシアは深くため息を吐きつつ、大罪の大杖を発動させた。
闇に飲み込まれるイステリシアとライゼン。
久々に集った同志たちが名残を惜しむ暇もなく、廃墟から気配を消していく。
そして、最後はバルトノワールとシャルロットだけが残った。
「……それで、貴女の本当の願いは?」
イステリシアとライゼンを見送ったバルトノワールは、シャルロットへ視線を戻す。そして、油断のない瞳で問いかけた。
シャルロットは「なんのことでしょう?」と微笑みながら首を傾げていたが、バルトノワールは見透かしたかのように見つめ続ける。
「ふふふ、さすがはエルネア君の先輩、
ふふふ、と相変わらずの糸目で微笑むシャルロットだが、こちらも油断は見せていない。
「ここ最近ですが、どうも神族の動きが不穏です。詳しいことは掴めず仕舞いでしたが、どうやら
「さぁて、覚えていないね」
「そうですか。まあ、神族のことなどどうでも良いのですけどね。ただし、貴方には興味があります。もしや、新たな禁術を開発されたのでは?」
シャルロットの質問に、バルトノワールは一切の反応を示さない。
「御遣いともあろう者が、禁術に手を出す。とてもとても、興味があります」
「貴女が何を言っているのか、俺にはわからないね?」
「ふふふ。もしや、背後の双頭竜や竜人族はそれに必要な素材なのでは?」
「ははは、よしてほしいものだね。俺は大切な者を犠牲にするような男じゃない」
「ふうん、そうなのですか」
シャルロットは、バルトノワールの背後で姿と気配を押し殺しながら警戒する双頭の古代種の竜族、ガフを正確に認識していた。
バルトノワールは、切り札として手に入れたはずのシャルロットが思いの外扱いに困る存在なのだと改めて認識し、疲れたように肩を落とす。
「俺への興味はさて置き。貴女には、こちらの切り札として動いてもらいたいんだがね?」
「具体的には? 私もこの地で暴れまわった方が良いのでしょうか」
「いや、それには及ばない。ライゼンとバレジロッドが奮闘しているからね。それに、貴女は上位の者に目を付けられたくはないんだろう?」
「ですが、貴方がたはその上位のお二人を引っ張り出したいのでしょう? それとも、本当の狙いは別にあるのでしょうか」
「はははっ、
バルトノワールの指示に、シャルロットはふんふんと頷く。
「では、私は陛下が隙を見せるまで、貴方の側で傍観させてもらいましょう。どうか、面白楽しく舞ってくださいませ」
シャルロットは微笑むと、右手を差し出した。
バルトノワールは躊躇うことなく、シャルロットの手を握り返した。
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