深淵からの帰還

 空も陸も、目に見える全てが不思議な世界へと変貌へんぼうしてしまっている。

 まるで、知らないうちに別世界へとやってきたかのようだ。

 ほうけたように周囲の景色を見渡していると、極彩色ごくさいしょくの空からレヴァリアが降りてきた。


 レヴァリアはよほど疲弊しきっているのか、いつもとは違い普通に着地する。そして、地面にぐったりと首を下す。


「エルネア様!」


 レヴァリア同様に疲れているはずのライラは、それでも必死に僕のもとへと駆けてくる。

 すると、お疲れ様、と迎えるよりも早く、ライラは僕にがしりと抱きついた。

 でも、普段のような愛情の抱擁ほうようじゃない。なんだか、僕がここにいることを確かめているような、そんな抱きつき方だった。


 いったい、どうしたんだろうね?

 ライラのお胸様に顔を埋めながら、首をひねる。

 そうしたら、その疑問はすぐにライラの口から判明することとなった。


「心配しましたわ。空から見ていて、エルネア様がどこか遠くへ行ってしまうような感覚に襲われました!」

「えええっ!?」


 僕はずっとここに居たし、どこにも行かないよ? と言って安心させたかったけど。見ると、ライラに続きみんなも頷きあっていた。


「エルネア君が消えていなくなってしまうような怖さがありました」

「存在が希薄になっていくと言えばいいのかしら? あのまま見送っていたら、きっとエルネア君はこの世界から消えていたんじゃないかと思うわ」

「なななっ!」


 ルイセイネとセフィーナさんの言葉に、僕は顔を引きつらせる。


「ユンユンが消えてしまいそうになったときの感覚に似ていたわ」

「リンリンが消滅しそうになったときの気配に似ていたわ」

「そんな……」


 ユフィーリアとニーナの言葉に、僕は今更ながらに寒気を覚える。


すさまじい技だということはすぐに察したけど、代償にエルネア君が消失しそうだとは、俺も確かに感じたよ」


 ウォルさえもが、僕の存在の危うさを感じていたらしい。


 もしかして、僕は踏み入ってはいけない領域に入っちゃったのかな?

 あのまま、ミストラルの声やみんなの存在に反応しなかったら、世界に取り込まれていたのかもしれない。


 極彩色の風景を改めて見渡し、みんなの言葉を反芻はんすうして、僕は自分の技の恐ろしさを知る。

 ルガを倒し、バルトノワールの禁術を打ち破ったという達成感よりも、自分の技の方が怖い。

 ライラに抱きしめられたまま、僕は少しだけ震える。

 だけど、僕は新たなことに気づき、ふと我にかえる。


「そういえば、ライラの抜け駆けが成功してる?」

「はわわっ、抜け駆けではありませんわ」


 さっきから、僕はライラだけに抱きしめられていた。普通だと、この状況に真っ先に飛びかかってくるのがルイセイネで、ユフィーリアとニーナが隙を見て僕を奪う、という流れになるはずなんだけど?

 むむむ、どうしたんだろう?

 確かめるように、もう一度みんなを見る。

 すると、全員が疲れ果ててその場に座り込んでいた。


 そうか。僕が必死に竜剣舞を舞っている最中に、ルガの猛攻をしのいでくれたのはみんななんだよね。そりゃあ、疲弊していて当然だ。


「みんな、ありがとうね!」


 本当は、ひとりひとりにお礼を言って回りたい。でも、それはもう少し後でのことになっちゃいそうだ。


「エルネア君……」


 マドリーヌ様に呼ばれ、僕はライラの抱擁から抜け出した。そして、横たわったバルトノワールの傍に膝をつく。


「なんともまあ、素晴らしい技だったよ……」


 バルトノワールにとって、禁術こそが生きたあかしであり、世界へ存在を示す手段だった。

 竜人族のルガを転臨てんりんさせ、始祖族を超える存在を人工的に作り出すことに成功した。

 でも、その二つは僕たちによって打ち砕かれてしまった。

 バルトノワールのたくらみは、全てが無に帰した。


 それなのに……


 なぜか、バルトノワールは満足そうな表情をしていた。


「もしかして……。貴方は、僕に禁術を破ってほしかったの?」


 ふと、頭に浮かんだ疑問を口にする。

 すると、バルトノワールは黒いひげの奥で笑みを浮かべた。


「いいや、それは違うさ。何かを企んだ以上、それが達成されることが最上だ。だがね……。もしも、俺の企みを阻止する者がいるとすれば、君が相応ふさわしいと思っていた……」

「それは、僕が貴方とは真逆の生き方をしているから?」

「ああ、そうだね……」


 言葉を交わしている間にも、バルトノワールの呼吸が浅くなっていく。

 もう、彼に残された時間はあと僅かしかない。


「孤独に生きた俺と、孤独とは無縁に生きていく君。いったい、どちらが選ばれるのか……」

「貴方は、決して孤独なんかじゃなかった!」


 死にゆく者に対し、僕はつい声を荒げてしまう。

 でも、それが僕の正直な感情だ。だから、バルトノワールにはしっかりと僕の感情を受け取ってほしい。


「貴方は、孤独なんかじゃなかった。たしかに、長く生きているうちに大切な仲間を失っていったかもしれないよ。でも、新しい仲間や友人もいたじゃないか!」


 虹竜にじりゅうのガフが、最後に言いかけた言葉。


「我はお前のことを……」


 次に続く言葉は、誰だってわかっていた。

 少なくとも、ガフはバルトノワールのことを友人だと思っていたんだ。


 それだけじゃない。

 僕たちに、なかなか心を開いてくれなかったイステリシア。

 彼女が最初に身を寄せたのは、同族でもなく庇護者ひごしゃでもなく、バルトノワールだったじゃないか。

 イステリシアもまた、バルトノワールをしたっていたひとりだ。


 僕の言葉に、無言で耳を傾けるバルトノワール。


「貴方は、孤独なんかじゃない。過去を引きずり、盲目もうもくになっていただけなんだ!」

「ああ、そうなのか……。俺は、別れることを恐れ、心をとざざしてしまっていたのか……」


 そして、バルトノワールは焦点しょうてんの合っていない黒い瞳で、僕を見つめる。


「俺は、いつから間違えていたんだろうね?」

「間違えてなんて……」

「いや、いいんだ……。俺は、人生の歩み方を間違えたんだ。だが……所詮しょせん、人とはそういうもんさ」


 バルトノワールは、弱々しい動きで僕の服のすそを掴む。


「何百年生きようと、人はこんなにも容易たやすく、道を間違う。こうして、新人君に間違いをさとされるくらいにね……。だから、君はきもとどめておくといい。俺のような最期さいごを迎えないように……」

「僕は、貴方と普通に出会いたかった。そうすれば、いい先輩と後輩になれたと思うんだ」

「いいや、それは無理さ……。なにせ、俺は君が生まれるずっと前から道を踏み外していたんだからね」


 それでも、と思わずにはいられない。

 同じ「選ばれし者」として、もっと別の形でめぐうことはできたはずなんだ。

 バルトノワールは、誰でも簡単に間違いを犯すと僕に言う。なら、先達せんたつの者として、いろんなことを教えてほしかった。

 間違った道の終着点ではなく、たくさんの分岐点ぶんきてんをどう選んできたのか、どう選ぶべきなのかを学び、共に歩んでいきたかった。


 でも、それはかなわない。


 マドリーヌ様によって延命していたバルトノワールの命も、もう尽きかけようとしていた。


 僕の服の裾を握る手から、力が抜け落ちる。

 焦点の合わない瞳は、もうなにも映してはいない。

 徐々に、バルトノワールの息が弱くなっていく。


 バルトノワールは敵であり、大災厄だいさいやくを呼び起こした張本人だけど、このまま静かに看取みとってあげたい。

 そんな僕の想いを容易く踏みにじったのは、九尾の大魔族だった。


「最後に、おうかがいしたいことがございます」

「シャルロット!?」


 死にゆく者に慈悲じひ欠片かけらさえも見せないシャルロットに、僕だけじゃなくマドリーヌ様やみんなが非難の視線を向ける。

 だけど、僕たちの視線なんて痛くもかゆくもないのがシャルロットだ。


「エルネア君、これは重要なことなので」


 と、いつもの細目で言うと、バルトノワールに顔を近づける。


「最初にお伺いしましたが、もう一度確認させてください。貴方は、こちらへたどり着く前に、神族の国を訪れませんでしたか?」

「ははは、なんのことかな……?」

「帝国のみかどに、悪知恵わるぢえさずけた黒ずくめの男の存在を掴んでいるのですが?」

「……そこまで把握していて、俺になにを聞こうと?」


 なんのことだろう、と事情を知らない僕は首を傾げる。

 というか、いつのまにかミストラルとシャルロットの死闘は終焉しゅうえんを迎えていた。

 もちろん、ミストラルは無事で、勝敗はつかずだ。


 シャルロットは、敵対していた僕たちを蚊帳かやそとに、バルトノワールと最後の言葉を交わす。


「貴方はやはり、禁術をもうひとつご存知なのでは? それも、超特大のものを」


 シャルロットの質問に、バルトノワールは僅かにくちびるはしをあげただけで、答えは言わなかった。

 でも、シャルロットはその反応だけで満足したらしい。

 要件は済みました、とバルトノワールから離れるシャルロット。


 僕は改めて、バルトノワールの最期を看取る。


「俺が言うのもなんだがね。家族や仲間は大切に……」

「うん。大切にします。約束します!」

「ああ、それじゃあ、女神様のひざもとで、君の楽しい人生を見届けることにするよ……」

「向こうで、奥さんや仲間のみんなと再会できることを祈っています」

「ありがとう……」


 バルトノワールの呼吸が浅くゆっくりになっていく。

 そして、僕たちが見つめる前で、静かに息を引き取った。


 マドリーヌ様がとむらいの祝詞のりと奏上そうじょうし、僕たちは祈る。


 とても大きな騒動の割には、随分と湿しめっぽい終わり方になっちゃった。


 長い祈りを済ませ、僕は立ち上がる。

 みんなも少しは回復できたのか、弱々しい足取りで僕の周りに集まってきた。


「それじゃあ、帰ろうか」


 みんなに微笑みかける。

 笑い返してくれるみんな。

 それと、いつものように微笑みを浮かべたシャルロット。


 シャルロット……


 シャルロット!


「ふふふ、まだ終わっていませんよ? それでは、続きを始めましょうか」

「えええええぇぇぇぇっっっ!」


 ばちーんっ、とむちをしならせ、強大な魔力が可視化した九本の尻尾を揺らめかせるのは、大魔族のシャルロット。


 此の期に及んで、やる気満々のシャルロットを前に、僕は絶望する。

 そうでした。まだ、この人の対処が終わっていませんでした!


 きゃーっ、と悲鳴をあげて、みんなはレヴァリアに飛び乗る。

 レヴァリアは嫌そうにしながらも、巻き込まれてはたまらんと翼を羽ばたかせ始めた。


「ちょっ、ちょっと、みんな!」


 逃げ遅れたのは僕。それと、泉に浸かる人魚のルイララ。


「こうなったら……」


 覚悟を決め、僕は白剣を握る。


「ルイララを生贄いけにえに、巨人の魔王を召喚しょうかん!!」

「うわぁ、やっぱりエルネア君は酷いよね」


 ルイララのため息を無視して高くかかげた白剣から、雷光がほとばしる。

 高波のように大きく波打った大地に、瘴気の闇が発生する。


 僕たちが見守る先で、その者は降臨こうりんした。


 青い豪奢ごうしゃな衣装の上から、飾りのようなよろいを身に纏う。金色の髪は稲妻のように美しく輝き、絶世ぜっせいの美をたたえる。

 まさに魔王らしい風格で瘴気の闇から姿を現した者こそ、最古の魔族、巨人の魔王だった。


「シャルロットよ」


 ぎらり、と光る魔王の瞳は支配者の威光を示し、絶対的な力を宿す。


「これはこれは、魔王陛下」


 そんな存在に対し、シャルロットはおくすることなく糸目をさらに細めて微笑ほほえむ。


 そして、うやうやしくひざまずいた。


「シャルロットよ、そろそろ休暇きゅうかは終わりだ」

「はい。十分にお休みをいただきました」


 シャルロットを見下ろす巨人の魔王。

 主人である魔王に服従するシャルロット。


「やっぱり、うそ反乱はんらんだったーっ!」


 そして、僕は脱力しながら叫んでいた。

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