試練と花嫁修行

 キーリとイネアと笑顔で別れ、竜の森に入り、夜闇にまぎれて飛び立つ。そして深夜に、僕たちはミストラルの村へ帰り着いた。


「平地でのやり取りの報告は明日だな」


 ザンの言葉で解散し、僕とルイセイネは借りている長屋の部屋に入る。

 すると、ミストラルとライラは起きて待っていてくれて、ルイセイネは早速ライラに首飾り型の守護具を渡した。


「ありがとうございますですわ」


 ライラは涙を流して喜び、ミストラルに付けてもらう。


「ライラには、こういったきらびびやかな装飾品が似合いますね」


 ルイセイネが褒める。


 最近のライラはよく食べ、健康的な生活を送っているせいか、最初の頃の貧相さはなくなって、お肌のつやもいい。

 そしてお胸様が更に。いや、何も思うまい。僕の頭の上にはニーミアが乗っているんです。


「にゃあ」


 首筋を長い尻尾ではしはしと叩かれました。


 僕とニーミアのやり取りなんて見ていない女子三人は、守護具の美しさに惚れ惚れとして話し込んでいた。


 ライラは笑顔が絶えない。

 おとぎ話と、その後の苔の広場でのスレイグスタ老の説明の後、ライラは自身の問題と素直に向き合えるようになってきている気がした。


 ライラの首元で、蝋燭ろうそくの揺れる光に合わせてきらりきらりと光る守護具。

 これがあれば、ライラは他者からの精神干渉に対抗できるんだね。


 ライラの件がいち段落をした感じがして、僕はほっと胸を撫で下ろす。

 と思ったら、翌日に試練が待ち構えていました!


「エルネア、父と母が帰ってきたわ」

「ぐうう」

「あらあらまあまあ、エルネア君は寝ていますね」

「スレイグスタ様と同じような起こし方が必要ですわ」

「そうね」

「んんっと、ミストのそれは危険よ?」

「うわっ! 嘘です。起きてます、だから殺さないでっ」


 不穏な空気に、僕は慌てて飛び起きる。

 そうしたら、ミストラルは腕を組んで立っているだけで、凶器は手にしていなかった。


「お馬鹿さん」


 ミストラルのため息と、女子全員に笑われました。


「ううう、酷いよ。騙すなんて」

「騙してないわよ。本当に今朝早く、父と母が帰ってきたのよ」

「ぐふっ、そこは真実なんだね」


 いよいよこの日がやってきました。


 ミストラルの両親は、行方不明のラーザ様を捜索するために、今までずっと村を留守にしていたんだ。

 そして今朝、帰ってきたらしい。


 ミストラルの両親が帰ってきたら僕がしなきゃいけない事。それはただひとつ。


 僕はミストラルに身支度を手伝ってもらいながら、心を落ち着かせる。

 忘れていたわけじゃないし、今までもちゃんと考えてきた。でも、いざ本番が目前になると、緊張で頭が真っ白になる。


 緊張した面持ちで準備を進める僕を見て、ルイセイネとライラは「頑張れ!」と応援を他人事のように飛ばす。


 僕は、所持している服で一番上等なものを着込み、寝癖を直し、ミストラルと共に部屋を出た。


 村の広場に出ると、野次馬が大勢詰め掛けていた。

 僕は見世物ですか。というか、挨拶はミストラルの実家の中で行うようなので、広場にいても何も起きませんよ。


「失敗するがいい」


 ザンが酷い事を言う。


「なあに、勢いで適当に押し切ればいいんだ」


 昨夜は村に泊まったセスタリニースが、役に立たない助言をくれる。


「拒否されろー」

「追い返されろっ」

禿げてしまえ!」


 一部、意味不明な野次を浴びせられながら、僕はミストラルと並んで、彼女の両親が待つであろう実家へと入った。

 質素だけど落ち着いた雰囲気の、明るい家だ。


「ただいま」


 ミストラルが声をかけると、廊下の奥から女性がひとり姿を現わす。


 僕はその女性を見て、驚いた。


 金髪を肩口まで伸ばし、柔和な笑みを浮かべた綺麗な女性。どことなく身体の輪郭線がミストラルに似ている。間違いなくミストラルのお母さんだ、と直感でわかったけど。それにしては若すぎるように見えたのが、驚いた原因。

 十八歳になったミストラルを生んだような年齢には全く見えない。どう見ても、二十代前半にしか見えないミストラルの母親に、僕は目を丸くした。

 竜人族の年齢は、本当に見た目じゃわかんないや。


「いらっしゃい。待っていたわ。さあ、中に入って」

「は、初めまして。エルネア・イースと言います」

「はい、初めまして。ミストラルの母の、コーネリアよ」


 僕は緊張しつつ名乗り、巫女のルイセイネに習った丁寧な会釈を返し、案内されるままに家の奥へと入る。

 廊下を挟んで右側に客間があり、そこに通された。


「お父さんは今、お風呂に入っているからもう少し待ってね」


 言ってミストラルのお母さんは、僕とミストラルに飲み物を出して別の部屋へと出て行った。


「帰ってきたばかりだから、荷物の整理が忙しいのよ」


 ゆったりと寛げそうな長椅子に腰を下ろしたミストラルは、隣に座るように僕を誘う。


「来るのが早かったかな。もう少し落ち着いてからの方が良かったんじゃない?」


 気後れしつつ、隣に座る僕。

 僕とミストラルが座る長椅子の前には、飲み物とお菓子が置かれた背の低い平机があり、その向こうに家の主人が座ります、といかにも言いそうな格調高そうな椅子があった。


「大丈夫よ。父も母も、そんなにやわじゃないわ。それに、早く貴方に会いたがっていたもの」

「ううう、そうなんだね」


 ミストラルのお父さんとは、この村に来た最初の夜にあった。優しく気さくな雰囲気だったのを覚えている。

 そしてお母さんの方も、柔和な笑みを讃える優しそうな人だと思った。

 でも、ラーザ様を捜索する人員に選ばれて、春先から今まで、ずっと竜峰を駆け回り続けた猛者なんだ。だから、戻ってきたからちょっと休憩、なんて緩い考えはなく、やるべきことはさっさと済ませる、という両親なのかもしれない。


 そう思うと、余計に緊張してきて、僕は石像のように固まってしまう。


「がんばってね」


 とミストラルが横で呟いた。


「やあ、婿殿。待たせてしまって申し訳ない」


 僕が緊張で固まって待っていると、コーネリアさんを伴って、ミストラルのお父さんが客間に入ってきた。

 お風呂から上がってすぐに来たことが伺える。まだ濡れた髪が窓から差し込む朝日で眩く輝き、湯気立つ肌がしっとりと湿っていた。


「もう、貴方。せっかくエルネア君が来てくれたのだから、もう少しまともな格好で来てよ」


 と言いつつ頭を拭いてあげたり、服のよれを直そうとしているコーネリアさんの姿は、気配りが行き届くミストラルの雰囲気によく似ていた。


 僕は客間へと入ってきたミストラルのお父さんとコーネリアさんを見て、座っていた長椅子から立ち上がる。


「よく来たね。妻とはもう自己紹介が終わっているというし、なら僕も名乗っておこう。僕はアスクレス。宜しく」


 握手を求められ、僕は名乗りながらアスクレスさんの手を取った。

 柔和な笑みからは想像もつかないような厚みのある大きな手で、戦士として超一流なのだとそれだけでわかる。


「さあ、掛けてくれ」


 アスクレスさんは対面のひとり掛けの立派な椅子に腰を下ろし、コーネリアさんがその横に佇む。


 でも僕は、掛けてと促されても、座るわけにはいかなかった。

 今ここで座っちゃうと、緊張と覚悟が同時に沈んでしまうような気がしたから。

 だから僕はこのまま、やるべきことをやり遂げるんだ、と気合を入れる。

 そして、アスクレスさんとコーネリアさんを真摯しんしに見つめ、深く頭を下げた。


「ミストラルさんと、結婚させてください!」


 飾った言葉も、取りつくろった行動もない。僕は純粋に、心からお願いをした。


「僕はミストラルさんが大好きです。僕はこの人と一生を添い遂げたいです。だから、結婚させてください」


 嘘偽りなく言える。


 苔の広場で出逢ったときから、一目惚れでした。スレイグスタ老に促されてミストラルと縁組を交わしたわけじゃない。ひとりの男として、純粋にミストラルが好きで、結ばれたいと思っているんだ。

 僕はまだ至らないところばかりだし、ミストラルを惚れさせれているのか自信はない。

 だけど、僕の好きだという気持ちは嘘じゃないし、結婚したいと心から願っている。

 だからどうか、結婚の許可をください。


 深々と頭を下げた僕に、アスクレスさんは声を掛けた。


「うん、良いよ。僕も婿殿になら、大切な娘を預けれる」

「えっ、本当に!?」


 呆気なく認めてくれたアクスレスさんに、僕は目が点になって、つい聞き返してしまった。


「ふふふ、認められて嬉しくないの?」


 隣で、ミストラルが可笑しそうに微笑む。


「気のせいか、僕たちが村を出た時よりもひとり嫁が増えている気もするけど」

「うっ」


 ライラのことですね。ルイセイネとライラのことは、きちんと説明しないといけないと思っていました。


「でもまあ、嫁の数は気にしていない。一夫一妻いっぷいっさいだなんて、竜人族にはそういう決まりなんてないんだ。ただ、大切なのは覚悟だけだよ」


 言って柔和な笑みを消し、真剣な表情になるアスクレスさん。


「君の覚悟は、もう既に見せてもらった。ミストラルから君のことを聞いた時。正直、人族が自力でこの村まで来られるとは思っていなかったよ。でも、君は辿り着いた。それも、誰も想像も真似もできない方法でね。その時に、僕は君になら娘を預けられると確信出来た」


 だから、安心して娘を嫁がせてやれる。と、また笑顔になり、もう一度僕の手を取ってくれた。


「人族の男子に、これほど立派な者がいたとは。これから先、娘を宜しく頼むよ」

「はい、絶対に幸せにしてみせます!」


 僕の誓いに、アスクレスさんとコーネリアさんは微笑んでくれていた。

 僕はミストラルの両親に認められてようやく落ち着き、ミストラルの横に腰を下ろすことができた。


「それでは」


 僕が腰を下ろすと、今度はコーネリアさんが口を開いた。


「次は、貴女の番よ」


 言って、ミストラルを真剣な表情で見つめるコーネリアさん。


「貴女も、エルネア君を夫として迎えるのね?」


 コーネリアさんの真剣な表情に、ミストラルはゆっくりと頷く。


「はい。翁の組んだ縁談だからという訳ではなく、自分の意思で決めて彼と結婚します」


 ううっ。ミストラルに「彼と結婚します」なんてはっきりと言われると、恥ずかしさと嬉しさで胸が爆発してしまいそうです。


「そう。それじゃあ、覚悟は、なんて野暮なことは聞かないわ」

「結婚に、覚悟なんていらないもの。わたしはエルネアの側にずっと居たい。それだけが一番大切なものだと思うわ」


 ああああ。ミストラルの言葉に、顔を真っ赤にする僕。


 ミストラルは最初に、僕に言った。縁組を進めるなら、わたしを惚れさせてね、と。

 僕はもちろん努力してきたつもりだけど、ちゃんと惚れてもらえているか、今でも自信はない。

 この両親への挨拶も、ひとつの通過点でしかないと思っている。縁談をこれからも進めていく中で、ご両親に認めてもらう、というのは遅かれ早かれ訪れる、最大級の壁だよね。


 その、最終地点ではないけど最大級の壁を乗り越える時に、ミストラルにこうもはっきりと言葉に出して言われると、やっぱり恥ずかしさと嬉しさで心が沸騰して、変になっちゃいそう。


 高鳴る胸、真っ赤になる顔、熱く沸騰する心を必死に抑える僕の横で、ミストラルとコーネリアさんは話を続ける。


「なら、花嫁修行が必要ね。これはしきたりだから、拒否はできないわよ?」

「はい、それは覚悟してるわ」


 花嫁修行?

 気配りも家事も完璧で、普段からスレイグスタ老の世話役をやっているミストラルが、今更どんな花嫁修行をするんだろう。


「しきたりだから、仕方ないのよ」


 首を傾げる僕を見て、ミストラルが微笑む。


「丁度、という言葉は悪いけれど。南のワムさんのところがそろそろらしいから、貴女はそこに行って来なさい」

「はい」


 何がそろそろなんだろう、という僕の疑問は置いておいて。どうやら、ミストラルは村から離れて花嫁修行をするらしい。

 少しの間、貴方たちから離れるわ。とミストラルは微笑み、早速旅の準備を始めるべく客間を後にした。


 ミストラルとコーネリアさんが退席して。


「それじゃあ、他の嫁のことを話してもらおうかな、婿殿」


 アスクレスさんはわざわざ僕の隣に座り直してきて、なごやかに迫った。

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