悲鳴が響く森

 みんなと別れ、森を行く僕。


「ぐぬぬ。なんで僕がこんなことに……」

「んんっと、プリシアは楽しいよ?」

「それだけが僕のいやしだよ、プリシアちゃん」


 ただし、ひとりではない。

 そう。僕と手をつないで森を歩いているのは、冒険心に満ちたプリシアちゃんです。


「プリシアちゃん、危なくなったら全力でみんなのところに逃げるんだよ?」

「わかったよ!」


 そして、僕とプリシアちゃんの二人は、何ものんびりと散策をしに森へ入ったわけではない。

 全ては、アルフさんの悪巧わるだくみからだった。

 アルフさんは、森の奥に駐屯ちゅうとんしている兵士、つまり、街道から外れた場所で封鎖網を敷く兵士たちをだます作戦を提案した。そこに、帝尊府ていそんふを利用するわけだ。

 それで、僕が帝尊府を引き付ける役目を押し付けられたわけなんだけど。なぜか当たり前のように、プリシアちゃんが一緒に来ちゃったんだよね。


 僕とプリシアちゃんは足もとに気をつけながら、森を進む。


「この辺は、随分と手入れされた森だね?」

「あのね、プリシアの森よりも木が小さいよ?」

「そうだね」


 プリシアの森……。間違いなく、竜の森のことだろうね。

 スレイグスタ老に守護された竜の森と比べれば、確かにどの森の樹々だって小さくなるね。

 それに、と周囲を見渡す僕。

 高く真っ直ぐに伸びた樹々が林立する風景が、どこまでも続く。ただし、足もとにも太陽の光が届くくらいには樹々の間隔が離れているのに、下草や茂みはそれほど深くない。

 これは、計画的に植樹されたあとも、きちんと手入れが行き届いている証拠だ。


「辺境の人たちは林業で生計を立てているのかな?」


 ミストラルと別れた村外れの森にも、仕事をする人たちのための納屋があったしね。


「んんっと、どんぐりは落ちているかな?」

「はははっ。どんぐりの季節はまだ早いよ。でも、果物とか野草とかはありそうだよね?」


 まあ、採取する暇はなさそうなんだけどね。と、背後の気配を探る僕。


「プリシアちゃん、気をつけてね。帝尊府が近づいて来ているよ」

「わかったよ!」


 街道から森へと入る際に、帝尊府が気付けるような痕跡こんせきを残してきた。それを追って、どうやら帝尊府が僕たちに追いついて来たみたいだね。


 そうそう。僕とプリシアちゃん以外は、こちらよりも先行して森を進んでいるはずだ。

 僕たちは、その先行するみんなが、封鎖網を敷く兵士と掛け合っている上手い状況の時に帝尊府を引き連れて、つまり、追われた状況で合流することになっていた。


「追って来ているのは……四人か。凄腕風の兵士が、他の人たちを置いて先行して来たんだね」


 帝尊府の人たちは、もうすぐこちらに追いつく、と思ってくれたらしい。

 それで、ここぞとばかりに追跡速度を上げてきたんだ。

 ぐんぐんと距離が縮まっている気配が伝わってくる。

 僕はプリシアちゃんを抱き上げると、少し早足で森を進む。それでも、背後から迫る気配はこちらに容易く追いついてきた。


「小僧、止まれ!」


 神言しんごんではない、それでも有無を言わさない迫力のある声が、背後の木々の先から響いた。

 僕は素直に足を止めると、慌てたように後ろを振り返る。


 日差しが差し込む森の中。

 くまさん……ではなく、とても大柄おおがらな熊のような男が僕たちに追いつき、威嚇するようにこちらを見下ろしてきた。

 熊男に続き、長身の若い男、中肉中背ちゅうにくちゅうぜの壮年の男、それと鋭い気配の女が追いついてくる。

 そして、四人で僕たちを囲むと、強い語気で尋問してきた。


栗色くりいろの人族の小僧。貴様が、仲間が言っていた一味だな?」

「な、なんのことでしょうか……?」


 怯えた様子を見せる僕を見て、若い男が鼻で笑う。

 いかにも、人族を見下した態度だね。

 続けて、壮年の男が同じように僕を見下しながら問う。


「貴様の仲間はどうした? 話によれば、竜人族の小娘がいたはずだが?」

「ええっと、その方は……」


 と口を開いた僕に構うことなく、熊男が割り込む。


「貴様の主人はどいつだ? よもや、抱いている耳長族の幼女などとは言わぬだろうな?」


 やれやれ、と内心で深くため息を吐く僕。

 神族が、人族や他の種族を下等種族と見下すことは最初から知っていた。それでも、こちらの話を聞く様子もないくらいに人として扱われていない感じを強く受けて、嫌気がさしちゃうよね。

 だけど、ここで短気を見せるわけにはいかない。


 僕は怯えた様子で、四方を取り囲む神族たちを落ち着きなく見渡す。


「まあ、待ちなさい。この子も、あんたらの気配に怯えきって、話せないでいるでしょう?」


 すると、僕が見る限り一番鋭い気配を放っている女性が、思いがけず手助けしてくれた。

 僕はそれに便乗して、口を開く。


「ぼ、僕とこの子は……」

「んんっと、プリシアはお母さんを探しているんだよ?」


 くっ!

 流石はプリシアちゃんだ。神族たちが放つこの程度の気迫なんて、全く通用していません!

 まあ、実は僕にも効いていないんだけどね?

 全ては、演技です。

 とはいえ、無邪気なプリシアちゃんのおくした様子のない声音こわねに、神族たちは少し不機嫌そうな気配になる。


 おおっと、いけません。

 もう少し、話を引っ張ってみましょう。


「僕は、ご主人様に命じられて、この子の母親を探しているんです。それで、森に入って……」

「竜人族の女はどうした?」

「貴様の主人は、その女か」


 まったく、もう。この人たち、人の話を素直に聞く気はないようです。

 自分たちの望む答えだけを口にしろと言わんばかりの気配を放つ神族たち。

 だけど、ミストラルのことは言えません。

 だって、ミストラルは竜峰へ帰ったよ、なんて言って「それじゃあ、仕方がない」と神族たちが引き上げていったら、今後の作戦に支障をきたしちゃうからね。

 なので、僕はわざと口籠くちごもる気配を見せる。

 視線を泳がせ、いかにも秘密を隠しています、というような表情を見せた。

 そうしたら、神族たちはまんまと罠に掛かった。


「どうやら、痛い目に遭わないとわからないらしいな?」

「ひぃっ!」


 狼狽うろたえる僕の姿を見て、若い男がまた馬鹿にしたような笑いを見せる。それを横目に、熊男がのっしのっしと、ゆっくり僕に近づいてきた。


 でも、その時!


 熊男の巨躯がいきなり宙を舞うと、綺麗にすっ転んだ!


「なっ!?」


 目を白黒とさせて、突然起きた現象に困惑する熊男。残り三人の神族も、熊男がいきなり転んだ様子に目を見開いて驚いていた。

 唯一、場の雰囲気を読まないプリシアちゃんだけが、熊男の醜態しゅうたいを見て容赦なく笑っていた。


「き、貴様……っ!」


 見下していた下等種族、それも幼女に笑われたことで激昂げきこうした熊男が、怒り心頭で立ち上がる。そして、これまでになく強い神気を放つ。

 だけど、それも束の間。

 立ち上がった瞬間に、また前触れもなく横転する熊男。


「っ!?」


 意味がわからず、混乱する熊男。

 何が起きた、と三人の仲間を見るけど、他の神族たちも状況が掴めずに狼狽えている。


 まあ、僕たちはわかっているけどね?

 熊男の傍に、リンリンの気配を感じる。

 つまり、威勢を張る熊男を二度も転ばせたのは、姿を隠したまま様子を伺っていたリンリンです。


 二度も無様に転んだ熊男をみて、プリシアちゃんが愉快に笑う。

 それで、熊男だけでなく他の神族たちも頭に血が上ったようだ。


「下等種族如きが、舐めた態度だな!」

「儂らの質問に素直に答えておくべきだったと、後悔させてやろうぞ」


 いやいや、こちらの話を聞かなかったのは、そっちだよね!?

 なんて、野暮なことは言いません。代わりに、及び腰の演技で数歩後退る。

 だけど、背後には鋭い気配を見せる女が待ち構えていた。


 改めて立ち上がった熊男と、若い男。それと壮年の男が、三方からこちらへ近づいてくる。


「先ずはその細い腕をへし折って、自分の愚かさを実感させてやろう」


 二度も醜態を晒した熊男が、勢い良く僕の腕へ手を伸ばす。


「わっ!」


 だけど、驚いた風の僕の声は、四人の包囲網の外から響く。


「なにっ!?」


 熊男の巨大な手は、僕の腕ではなくて何もない空間を掴んでいた。

 ほんの直前まで包囲していたはずの僕とプリシアちゃんが瞬間移動したことに、四人の神族は一瞬だけ理解できずにお互いの顔を見合う。

 そして、四人の包囲網を易々と突破した僕たちを認識すると、激昂した。


「貴様っ!!」


 熊男が顔を真っ赤にして、突進してきた。

 僕を捕まえようだとか、そんな勢いではない。殺気の籠った突進に、僕は悲鳴をあげる。そして、プリシアちゃんを抱いたまま走り出す。


「逃すかよ!」


 若い男と壮年の男も続く。

 そして、あっという間に三人に追いつかれる僕たち。

 だけど、その瞬間。

 三人が伸ばした手の先から、僕とプリシアちゃんは忽然こつぜんと消え失せる。そして、三人の手が届かない前方へと出現する。


「坊やの抱いた耳長族の娘の、空間跳躍よ!」


 後方から女の声が飛ぶ。

 でも、残念です。正解は、僕の空間跳躍でした!

 まあ、人族が空間跳躍を使えるなんて、普通の人は知らないから勘違いしちゃうよね。


 ともかく、僕は悲鳴を上げながら森を走る。そうしながら、神族たちに追いつかれそうになると、空間跳躍で距離を取る。

 僕がわざとらしく悲鳴を上げながら逃げる様子が面白いのか、腕の中のプリシアちゃんはきゃっきゃと笑う。それが神族たちのしゃくに触るのか、逃げ続けていくうちに男たちは追っ手としての限度を越え始めた。


『地をぎ、風をぐ』

「くっ!」


 背後から鋭い違和感が伝わってきて、咄嗟とっさに空間跳躍を発動させる。

 直前まで僕が走っていた下草がかまで払われたように千切れ飛び、烈風が舞う。


くさびは汝を地に縛る!』

の者、地にすべし』


 男たちの手加減のない神術を警戒して、連続で空間跳躍を発動させようとした。

 結果から言えば、空間跳躍は発動した。だけど、思っていた場所とは違う地点に飛び出してしまう。しかも、なぜか地面に倒れ込まなければいけない、という強迫観念に駆られて、ひざを折りそうになった。


『エルネア、神言に負けては駄目よ!』

「言われなくとも!」


 リンリンが心配そうに飛んできた。僕は崩れ落ちそうになる膝に必死の力を注ぎ込み、踏ん張る。そして、改めて走り出す。


 神術は、言葉に乗せた神力によって森羅万象を操る。

 力ある言葉は、時には空間をゆがめ、時には他者の意志をじ曲げる。

 先ほど放たれた神術は、空間跳躍の阻害と、僕の動きを封じるもののようだね。

 でも、その程度の術の影響なんて、アミラさんの本当の声に比べれば小石が転がる程度にも及ばない。

 僕は神術を受けながらも、空間跳躍を駆使しながら逃げ回った。


「このっ!」

「人族の小僧風情が!」


 自分たちの神術が上手く通用していないことで、神族の理性が更に吹き飛ぶ。

 腰の剣を抜き放ち、殺気と共に振り抜く。

 僕は慌てて剣戟けんげきを潜り抜け、神族たちの暴走に悲鳴をあげた。


「こ、殺されちゃうっ! 助けてっ」


 いや、素直に殺されたりはしないんですけどね?

 でも、この人たち。当初の目的を完全に忘れちゃってるよ!

 僕を尋問して、ミストラルの行方やご主人様の情報を聞き出したかったんじゃないの?

 それなのに、今はもう、僕たちを捕まえて殺す気満々です。


 森の奥に、神族たちの殺気が満ち始めていた。

 神族たちの怒号が響き、僕の悲鳴が重なる。


 本気になった神族の追跡を受けて、僕の方も本気で逃げる。

 そうしないと、手練てだれの神族たちに追いつかれちゃう!


 だけど、そこで思わぬ事態が発生した。


うるさし。我が森での狼藉ろうぜき、これ以上は見過ごせぬ」

「えっ!?」


 突然、森の奥に顕現した存在に、僕も神族たちも目を点にして動きを止めてしまう。

 唯一、プリシアちゃんだけが陽気な声をあげた。


「おわおっ。森の精霊王様だよ!」

「へ……?」


 森の……精霊王!?


「汝らからは、とうときお方の気配を感じる」

「んんっと、アレスちゃんかな?」

「よんだよんだ?」


 今度は、ぽこんっとアレスちゃんが顕現してきた。

 森の精霊王さまはアレスちゃんの姿をまぶしそうに見つめて、頬をほころばせる。


「よもや、このような地で御身を拝謁はいえつできますとは。光栄の至りにて」


 アレスちゃんに向かって、うやうやしくこうべれる精霊王さま。

 そして、ゆっくりとおもてを上げて、何故なぜか僕を鋭く見据みすえた。


「よもや汝は、尊きお方の親愛を受ける娘を連れ去ろうとしていのか。それに、汝の傍には禁忌きんきの気配もある」

「へ?」

「この騒動と汝らの蛮行ばんこう。見過ごすことはできぬ」

「はいぃい!?」


 何か、物凄い勘違いをしていませんか、この精霊王さま!?

 確かにリンリンは禁忌に触れた耳長族だけど、悪い人じゃありません。

 それに何より、僕がプリシアちゃんを誘拐しようとしているって思われている?

 いやいや、それは全然違いますよ! と、弁明する暇もなかった。


 森の精霊王さまの号令によって、精霊たちが集まってくる。

 そして、僕たちに向かって襲いかかってきた!


『捕まえろー!』

『耳長族の娘を助けるんだっ』

『いけーっ』

「きゃーっ!」


 今度こそは、僕の本当の悲鳴だった。

 迫る精霊たちから、全力で逃げる僕。


「ちっ。邪魔が入ったか!」

「訳がわからんが、ともかく小僧を逃すな!!」


 精霊たちの乱入によって思考が停止していた神族たちも、僕が逃げ出したことで我に帰る。そして、精霊たちに先を越されないようにと、冷静さを取り戻した思考で追いかけてきた。


「にげろにげろ」

「んんっと、楽しいね?」

「楽しくないよ!? アレスちゃん、森の精霊王さまに説明してあげてーっ!」


 なぜか、プリシアちゃんとアレスちゃんだけは、とても楽しそうです!

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