暗雲

 巨人の魔王は、僕たちへの挨拶も程々ほどほどに、後をシャルロットに任せて、すぐに出発していった。


「……ええっと、僕たちの報告って、そんなに重要なものだったのかな?」


 巨人の魔王の長距離移動手段といえば空間転移で、だから離宮の玄関から馬車に乗って出立する、なんてことはなく。僕たちの目の前で息が詰まるほどの瘴気を生み出し、その闇の奥へと消えていった魔王。それを見送ったシャルロットに、なんとなく聞いてみる。


 いや、わかっているんだ。

 島と、そこに住む住人の全てが忽然こつぜんと消失し、みかど直轄ちょっかつの軍や武神ぶしんの配下を使ってまで秘密にしようとした出来事が、小さな問題であるはずがないよね。

 それでも、今回の騒動はあまりにもつかどころがなさすぎて実感が薄かったから、魔王の側近であるシャルロットに確認してみたかったんだよね。

 すると、シャルロットはいつもの糸目を更に細めて微笑み、楽しそうに教えてくれた。


「はい。それはもう。エルネア君たちの報告がなければ、最悪の場合は魔族の国が消滅していたかもしれません」

「えっ!?」


 目が点になる僕たち。

 魔族の国が消滅していたかもしれない?

 この、人族の国を遥かに超えた栄華を極める、魔族の国が?


「いやいやいや、さすがにそれは言い過ぎじゃないかな? たしかに魔王は、魔族と神族の争いに深入りしすぎると戦争に巻き込まれるって忠告していたけどさ」


 魔族と神族は、これまでにも数えきれないほどの戦争を起こしてきた。

 何千年も前に、魔族が東の地からこの地へと移ってきたのだって、いろいろな要因があったとはいえ、最終的には神族に追われたからだよね。

 そして、この地に国をおこした後も、この地の神族と何度となく戦争を繰り返してきたという。


「……ああ。でも、そうか。魔族と神族の戦争で、神族の国は何度となく滅びているんだよね?」


 少しだけ聞いたことがあるよね。

 神族の大軍を迎え撃つために、シャルロットが大魔元帥だいまげんすいとなって魔族軍を率いた戦争。

 たしか、五百年くらい前の話だっけ?

 まだ、ルイララも生まれていなかった時代だ。

 当時の大戦で勝利した魔族。逆に、大敗をした神族の帝国は滅びの道を歩むことになった。

 そういえば、今の神族の帝国が興ったのって、その後だよね?

 衰退すいたいした古い帝国を今の帝が倒して、新しい帝国を築いたんだね。

 他にも、二千年前に今の僕たちが住む禁領まで攻め入ったという神軍も、最終的には魔族に打ち滅ぼされたと聞いたことがある。


 きっと、他にも数えきれないくらい戦争を繰り返してきたはずだ。

 そして、神族の国はその度に衰退したり滅びたり、新たな国が興されてきたんだね。

 そう考えると、国が滅びる、というシャルロットの言葉には重みが増して、現実的な出来事に思えてくる。


「でも、やっぱり違和感が残るよね? たしかに、神族の国は魔族との戦争で何度となく滅びてきたんだろうけどさ。でも、魔族の国は一度だって滅びたことはないよね? それが滅びるかもって、にわかには信じられないよ?」


 魔族が東の地を支配していた時代から今に至るまで。栄枯盛衰えいこせいすいを繰り返してきた魔族の国。でも、僕の知る限りでは、国そのものが滅びたことはないはずだ。


 だって、魔族には絶対的な力を持つ、支配者の存在があるから。


 かつては闘神とうしんを討ち破り、今も尚、その圧倒的な力と存在力で魔族を真に支配する者。あの人と側近が存在する限り、魔族が滅びることはないと、僕にだって確信できる。

 だから、シャルロットの言葉にどれだけ真実味が含まれていたとしても、鵜呑うのみにできないんだ。


 僕の言い分に、だけどシャルロットは微笑みながら肩をすくませた。


「エルネア君の仰る通りでございます。の方々が存在する限り、魔族が滅びることはございません。ですが、国は別でございますよ?」

「と、言うと?」

「エルネア君もご存知だとは思いますが、彼の方々は国を統治し運営する、ということに興味をお持ちになられませんから」

「ああ、なるほど!」


 忘れていました。

 そうだよね。魔族の支配者は、国のことに何の興味も持っていない。だから、東の地では神族に追われながらも反撃せず、今だって各地に魔王を配して国を治めさせているんだ。

 それでも、魔王を含めた全ての魔族が絶対服従を示すほどの畏怖いふを持つ。そこが魔族の国を統治する「魔王」ではなく、恐怖の存在として君臨くんりんする「支配者」たる所以ゆえんなんだね。


「彼の方々のことです。魔族の国が滅ぶ様子にすら享楽きょうらくを見つけてお楽しみになることでしょう」

「うわっ。最悪だね!」

「ふふふ。はい、最悪でございますね」

「そこで楽しそうに笑い返せるシャルロットもね!」


 きっと、シャルロットも支配者側の思考を持つ存在だよね。

 今でこそ巨人の魔王に忠誠を誓って奉仕しているけど、かつては金色こんじききみとして魔族を滅ぼしかけたくらいだからね。


「でも、魔族の国が滅びるような事態になれば、支配者にも神族の牙は向くと思うんだけど?」

「その時は、彼の方々が直々に神族を滅ぼしになることでしょう。かつて、闘神を打ち倒した時のように。今回は、私もお側で見学させて頂きましょうか。ふふふ、楽しみでございますね」

「いやいや、全然楽しくないからね!?」


 支配者は、魔族の存亡になんて全く興味を示さない。ただひとつ。己に立ち向かうような存在が現れた時にだけ、その者に興味を向けるのかもしれない。

 そして神族の帝は、その恐るべき支配者に牙を剥くために、密かな力を蓄えつつあるのかもしれないね。


「それで、シャルロット。僕たちが見てきたことって、具体的には何を示すの?」


 湖の中心に存在していたはずの「天族の楽園」と呼ばれた島が、周辺の村々に住む住民にさえ知られることなく、丸ごと消失した。その事実を、帝は信頼の最も厚い第一軍を使って秘匿ひとくしていた。

 また、その報告を受けた巨人の魔王は、僕たちの報告をさかなにして楽しむことを切り上げてまで、支配者のもとへ報告に行ってしまった。

 僕たちは、いったいどれほどの秘密を知ってしまい、報告してしまったのか。


 下手をすると魔族の国が滅びるくらいの秘密だってことは既に言われたけどさ。でも、もっと具体的な話が聞きたいよね。

 と言うと、シャルロットは少しだけ考えて、何か思いついたかのように口角を軽く上げた。


「あっ。絶対、悪い考えが過ぎったよね!?」

「ふふふ。どうでございましょう?」

「いやいや、今の顔は絶対に、いつもの悪巧みとか僕たちをもてあそぶ時の顔だったよ!」


 うんうん、とみんなも頷いています。

 僕たちの様子を見て、シャルロットは楽しそうに微笑む。そして予想通り、僕たちが望む質問には答えずに、逆に質問を投げかけてきた。


「仕方ございませんね。エルネア君たちがそこまで望むのでございましたら」

「シャルロットの悪巧みは、全然望んでないよ!」

「そう仰らずに。きっと、陛下もこの場にお残りでしたら聞いていたはずのことでございますから」

「いやだ。聞かないで!」

「エルネア君。それに、皆様。今回の件ですが、なぜ神族との約束を反故ほごにして魔族に知らせてくれたのでしょうか?」

「……ああ、そのことだね」


 そういえば、言っていなかったような気がするね。

 なぜ、闘神の秘密に関わるアミラさんたちの話をしたのか。そして、なぜ、グエンとの約束を破って、天族の楽園に関する出来事を魔王に知らせたのか。


「そうだね。もしも僕たちが魔族に情報を漏らしたなんて神族に知られたら、アームアード王国や竜峰が危険に晒されちゃうってことは、百も承知していることなんだ。それでも報告したのは、きっとこの件は、世界にとってとても大切だと思ったからだよ」


 もちろん、離宮を訪れる前に、家族会議は済ませている。何を話し、何を秘密にすべきなのか。

 中でも、アミラさんの秘密と天族の島のことは最重要議題だった。

 だけど、これはすんなりと家族の意見が纏まったんだ。






「アミラの件は、話しておくべきだわ」

「闘神の話は、言っても良いと思うわ」

「そうね。姉様たちの言う通りかしら。魔族側には、闘神本人と相対した古株ふるかぶが今も存命なんだし、隠しておく必要性が低いわ。それよりも、むしろ話しておいた方が、今後のことを考えると動きやすいのじゃないかしら?」

「巨人の魔王やシャルロットなら、もう少し詳しく闘神の話を教えてくれるかもしれないしね。アミラさんが力を制御できるようになる秘訣ひけつを探るためにも、闘神の過去の話は聞いておいて損はないはずたよね」


 神族の国から帰る途中。ニーミアの背中の上で家族会議を開いた僕たち。

 ユフィーリアとニーナ、それにセフィーナさんの三姉妹の意見と僕の話に、全員が頷く。


 アルフさんとアミラさんは、僕たちが神族の国を離れる前に、ルルドドおじさんと世界を巡る修行に旅立った。だから、神族も魔族も、アミラさんに干渉しようとしても難しい状況になってしまっている。

 なにせルルドドおじさんは、武神が何人来ても追い返せるぞ、と豪語するような人だからね。頼りになるルルドドおじさんに守られたアミラさんに手出しをできるような者なんて、まずいないと思う。

 魔族の支配者が本気になれば違うかもしれないけど、あの人は逆に、自分たちが興味を示せるくらいまでアミラさんが成長するのを、手ぐすねを引いて待ってくれるはずだ。

 それに、そもそも旅に出て所在不明になってしまえば、手出ししようにも接触することさえできないからね。


 しかも、こちらが先に打ち明けておけば、何か困った時に相談しやすいしね。

 秘密を秘匿し続けるよりも、頼れる者とは情報を共有しておいた方が良い。

 まあ、秘密を打ち明ける者の厳選はさせてもらうけど。その辺は、僕たちにとって得意な分野だ。

 なにせ、竜の森の秘密や禁領のことだって、ごく限られた者にしか伝えていないし、そこから世間へ広まってしまったという失敗もないからね。


 そして、天族の島の件だけど。

 こちらは、グエンの約束を破ってでも、必ず報告しなきゃいけないと全員が感じていた。


「あれは、神族の帝国が秘密裏に進めている計画、で終わらせられるような甘い事態ではないと思うわ」

「僕もそう直感したよ、ミストラル。世界にとっての、異常事態ってことだよね」

「もしも我が身可愛さ、身内可愛さの保身でグエンとの約束を律儀に守っていたら、取り返しがつかない未来になりそうで怖いわ」


 ですが、と手を挙げたのは、ルイセイネだった。


「その報告を、本当に魔族へ伝えて良いものでしょうか。確かに、帝国の様子を見てくるように依頼してきたのは魔族ですが。ですが、巨人の魔王様は信頼できたとしても、その上の方々が……」

「そうだね。それが心配な部分ではあるんだけど……」


 僕たちへ神族の帝国の内情を調査しろ、と依頼してきたのは、魔族の支配者だ。

 もちろん、あの怖い人へ直接報告なんてしたくないから、僕たちはまず巨人の魔王へ報告して、それを伝えてもらうような流れになる。

 つまり、僕たちが見聞きして報告した話は、そのまま魔族の支配者へ伝わるってことだよね。


 そこで問題になるのは、魔族の支配者がどう動くか、という部分が僕たちにはわからないことだ。

 アミラさんの秘密のように、神族の企みが成熟するまで傍観する、という選択肢になるのかな?

 それとも、面白くなってきたとばかりに周りを巻き込んで暴れるのかな?

 もしも後者になった場合、魔族や神族は支配者に引っ掻き回されて大変なことになるのではないだろうか。

 僕たちの報告次第で、魔族と神族の間に大戦争が勃発ぼっぱつするのではないか。


「……ううん、違うのか。きっと、このまま帝国の計画が進めば、遅かれ早かれ大きな戦争になるんだよね。それでも、関係のない民間人や周辺諸国の被害を最小限に抑えたいのであれば、やっぱり伝えるしかないんだね」


 種族として絶大な力を持つ神族に抵抗できるのは、匹敵する力を持つ魔族だけだ。

 そして、僕たちは神族よりも魔族と親しい。ならば、巨人の魔王に事情を話し、有事に備えることこそが、今の僕たちにできる最大限の協力なんだね。


「巨人の魔王なら、正しい方向で対応してくれるはずだよね」


 巨人の魔王は、国と民を大切に思う、珍しい魔族だと思う。

 だから、僕たちは信用して交流を続けている。

 その魔王から報告を受けたら、きっと支配者も真摯しんしに受け止めてくれるはずだよね。……だよね!?


「ともかく、伝えないことには対処のしようもないはずだね。知らせるべきことを伝えないで大勢の人たちの命が脅かされる危機に発展したら、目も当てられないよ!」


 僕たちの報告が良い方向へ向かうのか、悪い方向へ向かうのか。全ては巨人の魔王と魔族の支配者に掛かっている。

 だけど、不確定な結果を恐れて足踏みしてしまうのは、僕たちらしくない。

 もしも悪い方向へ向かうようだったら、僕たちが先頭に立って正しい道へ軌道修正していけば良いんだ!


 僕の導き出した結論に、全員が賛成を示してくれた。






「というわけで、僕たちは報告したんだよ。だから、真面目に対処してね!」


 とシャルロットに釘を刺すと、そうなると良いですね、というシャルロットらしい意地悪な答えが返ってきた。

 でも、魔王の反応を見る限り、魔族にとっても脅威になる報告だったみたいだから、最悪な方向へは進まないような気がするね。


「それで、シャルロット。そろそろ教えてよね。僕たちの報告に、心当たりがあるんでしょ? だから、魔王はすぐに報告をしに行ったんじゃないかな?」


 見当もつかないような事態であれば、魔王もこの場で首をひねって、神族の企みの真意を探ろうとしていたはずだ。それが、僕たちの旅話が全て終わるのを待たずに行ってしまったということは、やはり何かしらの心当たりに引っかかったからだと思う。

 僕の予想に、シャルロットは楽しそうに微笑む。


「エルネア君は、いつも鋭いですね。陛下も私も、そういうところが好きなのでございます」

「それって、そういう僕をいかにして弄ぶのか、ということが好きって意味だよね!」


 という突っ込みは程々にして。

 僕たちは、真面目にシャルロットの答えを待った。

 すると、僕たちの真剣な気配をようやく呑んでくれたのか、シャルロットは糸目をさらに細めて微笑む。


「そうですね。エルネア君たちの報告だけでは、今はまだ確信にまでは至りませんが」


 言葉を区切った後。シャルロットは言った。


「ひと言で申せば、大禁術だいきんじゅつ、でございます」

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