終幕の炎

「カディス。貴方が生まれた時代。その時は既に、深緑の魔王は傀儡の王と争った後で、国内の魔族に対して弱さを見せてしまっていた。だから、貴方は物心がついた頃から魔王を見下していた」


 でもね?

 それでも、魔王なんだよ。

 極悪非道、弱肉強食の世界で頂点にまで上り詰めた、大魔族なんだよ!

 魔族の真の支配者に認められて魂霊の座を下賜かしされた、たった十二人しか存在できない最高位の存在なんだ。


 だから、カディスは学ぶべきだった。

 たとえ年老いて弱った相手だったとしても。

 父として。魔王として。支配者として、この国を統治するすべ真摯しんしに学んで、受け継ぐべきだった。


「でも、貴方は深緑の魔王を倒すことに固執こしつしすぎて、この国を守護する深い自然を燃やす魔法ばかりを学んできた。魔王が言ったように、炎の魔法ではこの国は統治できない。滅ぼすことはできるだろうけどね?」


 それでも良いの?

 弱い魔王を討って、強い魔王として新たな支配者となる。そのために、実の父親に剣を向ける覚悟で謀反を起こしたんだよね?

 それなのに、自分の未熟さで、手に入れた国を滅ぼすつもりなの?

 僕の問いに、カディスは灼熱色の魔剣を強く握り締める。


 他者の上に立とうとこころざしたカディスは、聡明そうめいだ。

 だから、もう気付いている。

 自分のあやまちと、父である深緑の魔王の偉大さに。


「……それでも」


 カディスは、灼熱色の魔剣を構えた。


「それでも、俺はもう後には退けぬのだよ」


 国家転覆を企てた反乱者。でも、その反乱が失敗に終われば、首謀者は間違いなく死罪になる。

 たとえ魔王の実子であっても、犯した罪と罰からは逃れられない。

 だから、この国の根幹を知って、自分が魔王として未熟だと気づけても。もう、カディスには引き返すことができないんだね。


「深緑の魔王、ヨグアデス。貴方も最初は失敗したのだろう? 深炎では国を滅ぼすばかりだとわかって、深緑の魔法を新たに会得えとくしたのだ。であれば。……俺も、これからこの国を統治するに相応しい新たな魔法を会得すればいいだけだ」


 だが。とカディスは僕たちを睨む。


「その前に、俺は俺自身の実力を全ての魔族に見せつけなければならん。深緑の魔王を討ち、傀儡公爵を排除し、太公さえも倒したという実績と実力をもって、未だに膝を折らない魔族どもに見せつけなければならないのだ。そうして人心を掌握し、俺は新たな魔法でこの国の支配者となってやろう」


 カディスの覚悟。

 自分に刃向かう邪魔者は、何者であろうと蹴散らす。

 深緑の魔王が嘗てそうだったように、失敗したのならそこから新たな道を探せばいいと、自分の在り方を決定させた。


 でも、やっぱりそれじゃあ駄目なんだ。


「聞くけど。貴方が深緑の魔王を倒した後に、この国を守護する新たな大魔法を会得するまでの間、この国の人たちはどうやって生きていけば良いのかな? 国民全てを難民として放出する? それこそ、巨人の魔王や賢老魔王、それに東の魔術師が黙ってはいないよ? 貴方が貴方の道を決めるのは自由だよ。でも、それで国民が大きな被害をこうむるのなら、やはり見過ごすことはできないね!」


 深緑の魔王も、僕の言葉に頷く。


「昔の私には、やり直せるだけの環境と時間の猶予があった。なにせ、この地は豪雪地帯で、暮らしていた者も限られていたからな」

「では、その者たちをどうしたのだ?」


 カディスの問いには、神官長が口を開く。


「神族との大きな戦争の際に、私は神殿宗教を知り強く感化された。信者となった私は、もちろん国民を庇護した。この地に大神殿を建立こんりゅうし、豪雪地帯に暮らす最初の国民たちをかくまった」


 その時の献身けんしんで、この国は巫女頭様ではなくて深緑の魔王が神官長として神殿宗教を統治する流れができたんだろうね。


「しかし現在、この国には既に多くの国民が暮らしている。其方が私を討った後に次の魔法を模索している間に、数え切れぬほどの犠牲者が出るだろう。私は神官長として、それを見過ごすことはできぬ」


 たとえ人形であっても、深緑の魔王を写し取った存在だ。だから、人形の思考であっても深緑の魔王の本心を代弁する。

 神官長様に問い詰められたカディスは、だけど握りしめた魔剣の柄から力を抜くことはなかった。


「全て、承知の上だ。それでも、俺は今更に退くことはできん。俺は、俺のこれまでの人生とは、父であるヨグアデスを超えて新たな魔王になるためだけに存在していたのだからな!」


 言ってカディスは、灼熱色に輝く魔剣の切先を、躊躇ためらいなく深緑の魔王に向けた。


「父魔王よ、貴方の偉大さとこの国の意味を、俺はようやく知った。遅すぎたことではあるが、やはりそれでも俺は高みを望む。そのために貴方を倒す必要があるのなら、俺は躊躇わぬ!」


 深い理性はある。それでも、目的のためにはどんな犠牲もいとわない。

 魔族の中の魔族。それこそが魔王としての資質かもしれない。

 カディスは、その魔王位に相応しい、強くとも暴虐な意志を示した。

 でも、だからといって僕たちがそれを素直に受け入れるわけにはいかない。

 だって、カディスが自分の道を進んだら、やっぱり多くの者たちに被害が及んじゃうからね。


「それじゃあ、太公として僕が相手をします。深緑の魔王、傀儡の王、メジーナさん、それで良いよね?」


 弱りきった深緑の魔王を戦わせるわけにはいかない。

 傀儡の王に任せたら、きっとまた愉快で迷惑な人形劇を繰り広げるはずだ。

 そして神殿側の意向は、申し訳ないけど神官長様じゃなくてメジーナさんに聞く。

 だって、深緑の魔王と神官長様の意志はまるっきり同じものだからね!


「太公エルネア・イース。其方を、私、深緑の魔王の名代みょうだいとして一任しよう」

「ふふ。ふふふふふ。私は構いませんよ? エルネア様、貸しでございますからね?」

「えっ!?」

「私、メジーナもエルネア様にお任せ致します!」

「エルネア様、頑張ってくださいですわっ」

くそ竜王め、カディス卿に負けしまえっ」

「ええっ!」


 始祖族だけが、なんか不穏なことを言っていますよ!

 ひどいよね。

 でも、これで僕はみんなから任された。


「カディス、僕と勝負だ!」


 僕は白剣を一閃させて、深緑の魔王に向けられていた魔剣の切先を弾く。

 カディスは、灼熱の炎が宿った瞳で僕を睨むと、魔剣の切先を今度は僕に向けた。


おうとも。望むところだ!」


 カディスが跳躍する。

 僕へ向かってではなく、玉座の間の中心へ向かって。

 玉座の間では、未だに人形たちが戦い続けていた。

 それを蹴散らし、玉座の間の中心に立ったカディスが、魔力を膨らませる!


「はわわっ」


 玉座の間の入り口付近にいたライラたちが、慌てて玉座付近に逃げてきた。

 直後。

 視界の全てが真っ赤に染まる!


 炎の揺らめきと、瞳を焼くような真っ赤な輝き。

 全てを燃やす炎と、全てを溶かす熱。


「にゃーん!」


 ライラの胸元に隠れていたニーミアが、最大級の結界を張り巡らせた。

 僕やライラも、全力で結界竜術を発動させる!


 やはり、カディスは本気を隠していたんだね!

 カディスの豪炎は、僕たちだけでなく全てを飲み込んだ。

 玉座の間を越え、魔王城を覆い尽くし、巨大な大樹をも炎に包む!


「はあっ!」


 白剣に竜気を乗せて、竜剣舞を舞う。

 嵐の竜術で、全てを焼き尽くす炎を蹴散らすんだ!


 まず最初に、玉座の周囲に張り巡らされた結界を破ろうとうごめく炎を払う。そうして嵐の渦に炎を乗せて、吹き飛ばしていく。


「やはり、この程度は意味をなさぬか」


 玉座の間、だった場所の中心に立つカディス。

 炎が払われて、視界が広がる。

 それで、僕たちは知った。


 カディスの炎は、文字通り全てを焼いて消し炭に変えていた。

 魔王城の深部だった場所は、今や荒廃の地へと変わり果てていた。

 背後に聳える巨大な大樹の樹皮は黒く焦げ、未だに燃え続けていた。


「俺は、貴様たちを越えて先へ進むしかないのだ! 邪魔者は全て排除させてもらう!」

「させるものかっ!」


 僕は、空間跳躍を発動させた。

 このまま間合いを取られて豪炎の大魔法を放たれ続けたら、僕たちは耐えられても巨樹や魔都の人たちには大きな被害が及んでしまう。

 だから、先ほども圧倒できた接近戦で、僕はカディスを追い詰める!


 だけど、カディスだって魔王を狙うほどの大魔族だ。

 一度犯した過ちは、二度と繰り返さない。

 空間跳躍で懐に飛び込んだ僕に、素早く反応するカディス。そして、距離を取るように強く跳躍する。


「んなっ!?」


 一瞬で、カディスは僕の間合いから去った。

 しかも、容易くは追いかけられないような距離と場所に。

 未だに燃え続ける、大樹。その、炎に巻かれた太い枝の上に、カディスは移動していた。


 炎が熱を伝える速さで、カディスは動けるという。


 き火をするとき。薪木まきぎに火が灯ると、すぐに暖かさを感じる。

 それと同じように。炎の熱が周囲の空気に瞬時に影響を及ぼすほどの速さで、カディスは移動できるんだね!


 見上げる巨樹の上方へと移動したカディスは、またも容赦なく豪炎の魔法を放った!

 頭上から炎の津波が押し寄せて、地表を呑み込む。


「そっちが遠隔攻撃に徹するんだったら!」


 僕だって、こういう状況への対処はできるんだ!

 なにも、距離を取る相手を律儀に追いかける必要なんてない。

 僕は、僕の戦い方を押し通すだけだよね!


 荒廃した玉座の間で、竜剣舞を間う。

 今度は、右手に白剣。左手に懐から取り出した霊樹の枝を持つ。

 竜気を漲らせて、炎の海で舞い踊る。

 竜気は右手を伝って白剣に流れ、嵐の竜術を呼び込む。

 左手から霊樹の枝へと流れた竜気は、そこで霊樹の枝の糧となる。霊樹の枝は生命力溢れる霊樹の力を振り撒いて、殺意のこもった豪炎の性質を浄化していく。


「カディスの豪炎が全てを焼き尽くすものであるなら。僕は、全ての生命をいつくしむ熱に変えよう!」


 何年も前に。

 ヨルテニトス王国の東の地で、勇者リステアと共闘した。

 リステアが邪悪な死霊を炎で祓って、僕が世界の再生を導いた、死霊軍との戦いだ。

 その時は、リステアに頼っていた部分があったけど。

 今なら、僕だけでもきっとやり遂げられる!


「さあ、精霊さんた。人形劇の終幕は賑やかな演出にしなきゃね!」

『まってましたーっ』

『うたげじゃー!』

『人形劇は見応えあったよ?』


 忘れちゃいけない。

 精霊たちは、何処にだって存在しているんだ。

 もちろん、この国にも。魔王城の深部にも。


「炎と雪の精霊さんは手を繋いで、踊りましょう。水の精霊さんと風の精霊さんは一緒に歌ってね。地の精霊さんは、舞台をより相応しいものへ!」


 嵐の竜術によって渦を巻き始めた炎の海が、白くあわく輝く。それが風に乗り、きらきらと美しい雪雨になって降り積もっていく。

 僕の足もとが、地響きを上げて動き出した。

 玉座の間にいた僕たちを、高い位置へといざなう。


 カディスが絶句していた。

 自身の渾身の大魔法が通用しないどころか、僕に利用されてしまっている。

 それだけでなく、天変地異のような大地の異変まで起き始めた。


 僕は、高く隆起していく大地の上で竜剣舞を踊り続ける。

 視界が遠くまで広がっていった。


 焼け朽ちた魔王城。魔都にも、大きな被害が出てしまっている。

 未だに魔都中で暴れていた軍隊が、魔王城の異変に手を止めて、こちらを呆然ぼうぜんと見上げていた。

 大神殿や様々な場所に避難していた人々も、こちらを指差して驚いていた。


 僕は、舞い続ける。

 傀儡の王の迷惑な人形劇から始まった、この国の運命を左右する反乱を鎮めるように。

 人形劇の舞台に終幕を導くために。


 カディの豪炎は、白い炎となって慈悲深く大地に降り積もる。

 優しい風に乗った雨と白い炎が混ざると、美しい花吹雪となって魔都中に慈雨じうを届けていく。

 今や、カディスが移動した大樹の上方にまで達した僕たちは、高い位置から魔都と周囲の深い樹海を見下ろした。


「うーん。魔都くらいならなんとかなるけど。この国の至る所で燃えている森の炎を消すのは、難しいなぁ」


 この国の南方では、傀儡城やその周囲にも豪炎の被害は出ている。近場の、僕たちが移動した先でもカディスは森を焼いたから、きっとそこは今でも火の海が広がっているはずだ。

 僕の力では、さすがに国土全体の炎を鎮火させることは難しい。

 なにより、被害場所を正確に特定できていないしね!


 すると、僕の言葉を拾った深緑の魔王が言った。


「良かろう。太公の力は十分に見せてもらった。其方らの勝負は着いた。であれば、これ以上の迷惑はかけられぬ」


 言って、深緑の魔王は玉座に座ったまま、両手を頭上に掲げた。


 灼熱色よりも深い、真紅の炎がてのひらの上に浮かび上がる。


「っ!」


 離れた場所で、カディスが驚愕きょうがくする。


「豪炎の魔法。私から言わせれば、それもまだ未熟。息子よ、しかと見届けよ。これこそが、嘗て私が愛した深炎の大魔法」


 ぱっ、と深緑の魔王の手の中で真紅の炎が散った。

 それで、終わりだった。


 遠くに見えていた豪炎の炎。未だにくすぶっていた熱。嵐の竜術に取り込まれた炎。その全てが消失した。


「法術において、高位の術者は未熟な巫女の法術をその意志だけで抑え込むことができます。アーダ様も、そうした能力をお持ちでした。深緑の魔王陛下は、ご自身の魔力でご子息様の魔法を抑え込んだのですね……」


 メジーナさんが感慨深く見つめていた。


「俺は……」


 僕に敵わず。

 見下していたはずの相手に、魔力で圧倒されて。

 カディスはとうとう、自らの膝を折った。


「ふふ。ふふふふ。体力は老齢で衰えましたが、やはり魔力は老いることなく絶大でございますね?」

「でなければ、深緑の魔法を維持はできんだろうよ、傀儡の」

「そうでございますね。カディスもそこに気づいていれば、もう少し面白い人形劇を披露できましたのに」


 なるほど、と僕たちは頷いてしまう。

 老いた、衰えた、と誰がどう見てもそういう印象を抱く深緑の魔王だけど。

 魔力だけは、現在も最盛期の状態を維持し続けているんだね。

 そして、その絶大な魔力で、この国を支え続けていたんだ。


「カディスよ」


 深緑の魔王は、複雑な感情を乗せて実の息子を見つめる。

 膝を折ったカディスは敗北を悟り、とうとう灼熱の魔剣を手から離してしまっていた。


 カディスの謀反は、失敗に終わった。

 であれば、残された課題は首謀者の断罪だけ。

 己の運命の結末を、聡明なカディスが見間違えるはずがない。


「何か言い残すことは?」


 深緑の魔王だって、弱肉強食の世界のおきては誰よりも熟知している。

 だから、たとえ愛すべき実の息子であろうとも、決断するときは容赦なんてしない。

 深緑の魔王の言葉に、カディスは腰に帯びていた魂霊の座を差し出した。


「俺には抜けませんでした。その時に、薄々とは気づいていたのです。俺はまだ方々かたがたには認められていないのだと」


 所有者として認められていないカディスが、なぜ魂霊の座を帯びても呪われていなかったのか。

 それは、今の僕たちならわかる。

 魂霊の座を人形に持たせるために、封印を施していたんじゃないかな?

 そして、最高位の魔剣に封印を施せる者なんて限られているだろうから。

 つまり、魔族の真の支配者も、この国の事情を把握していたってことだよね。


「俺は、この魔剣を抜く資格を得られまんでした。ですが、陛下が俺に最後の慈悲を授けてくださるのなら。どうか、魂霊の座の刃によって、誉れ高き死を」


 魔王は、魂霊の座を所有し使用することを許された、特別な存在だ。

 その特別な魔剣で、特別な死をたまわりたい。と最後に願い出るカディス。

 深緑の魔王も、カディスの想いを否定することなく、魂霊の座を受け取った。


 反乱者の最期。

 カディスの死よにって、この反乱劇は幕を下ろす。

 そう、誰もが確信を抱いた時だった。


 上空に、雷鳴がとどろく。

 そして、僕たちの眼前に、一条の豪雷が降ってきた!

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