エルネア君、遅刻ですよ?

「困ったわね?」

「ふふふ、エルネア君らしいですね?」


 苦笑しているミストラルさんの横で、わたくしもつい肩を落としてしまいます。


 何故なぜかと言いますと。


肝心要かんじんかなめのエルネア君がひとりだけ遅刻しているわ」

「先導役のエルネア君がひとりだけ行方不明だわ」


 と、ユフィーリアさんとニーナさんが笑い合う通り。


「はわわわっ。エルネア様が心配ですわっ」

「ライラがここに居るということは、抜け駆けではないのね?」


 右往左往するライラさんと、それをなだめるセフィーナさん。


「エルネア君は、理由もなく予定を反故ほごにするようなことはありません。ですので、流れ星の皆様はくれぐれも誤解なさらないようにお願いいたします」


 マドリーヌ様は、誰ひとり脱落することなく目的地に到着した流れ星の皆さんへ説明しています。


「ふふ、ふふふふ。やはりエルネア様はとても楽しいお方ですね?」

「あの馬鹿竜王め。わたしたちに苦労させておいて、自分は何をしているんだ!」


 二人仲良く到着したエリン様とアステル様。

 本当にこのお二人は犬猿けんえんなかだったのでしょうか?

 今ではすっかり、エルネア君を弄ぶという友情で硬く結ばれています。


「まったく、あの子ったら」


 そしてまた、ミストラルさんが周りを見渡して苦笑しました。


 はい。ルイセイネです。

 禁領に長期滞在中の流れ星の巫女様に日々刺激を受けて、自分の至らなさを痛感させられている、ルイセイネでございます。


 ふふふ。きっとエルネア君なら、こういう思考でしょうか?

 いつも元気いっぱいで、いとおしいわたくしたちの大切な夫です。

 ですが、その夫様が現在において、行方不明になっているのです。


 エルネア君は、風の谷に腰を下ろした風の精霊王様への挨拶と耳長族の方々の修行のために、お屋敷を出る際に言いました。

 五日後。風の谷の入り口に集合しましょうと。

 もしも遅刻したり目的地に到着できなかったりすると、失格です。


 わたくしたちや流れ星の巫女様は、失格でも特に問題はありません。ですが、耳長族の方々は遅刻をしてしまいますと、これから風の谷で行われる修行には参加できないという大きなばつが課せられるのです。

 ですので、耳長族の人たちは必死の思いでこの集合場所に辿り着きました。


 素晴らしいことに、流れ星の巫女様方にも耳長族の方々にも脱落者や失格者は出ていません。

 ですが……


「あらあらまあまあ、エルネア君らしいですね?」


 なんと、計画の立案者であり、耳長族の方々と風の精霊王様を引き合わせる大役を負っていたエルネア君が、遅刻中なのです。

 ミストラルさんが気配を探っても、残念ながら周囲にエルネア君の気配はないそうです。

 わたくしも瞳を凝らして見渡してみますが、エルネア君の竜気はえません。

 つまり、エルネア君だけが約束に間に合わないということです。


「エルネアのことだわ。きっと最初は霊山に登ったのじゃないかしら?」


 ミストラルさんの推測に、家族全員でうなずきます。


「ですが、エルネア君ですからね。きっとその後にまた騒動に巻き込まれたのではないでしょうか?」

「やっぱり、あの子をひとりで行動させてはいけないわね?」

「ふふふ、そうですね」


 口では困ったようなことを言って苦笑しているミストラルさんですが、本心では素直に笑っています。

 ミストラルさんの美しく輝く竜気ににごりがないことが、その証拠です。


 わたくしだけでなく、エルネア君をよく知る身内の全員が、本心では微笑ほほえんでいますね。

 ですが、必死に目的地へ辿り着いた流れ星の巫女様たちや耳長族の方々の手前、遠慮なくエルネア君の「騒動引き寄せ体質」を笑うわけにはいきません。


「……定刻、はもう過ぎたわね」


 五日前の早朝に、お屋敷の玄関前を出発しました。

 そこから正しく五日が過ぎて、現在の太陽の位置は中天に差し掛かっています。

 残念ながら、エルネア君だけが脱落者確定ですね?


 仕方がないわね、とミストラルさんはエルネア君の到着を諦めて、耳長族の方々と風の谷の入り口へ意識を向けました。


『あの者は、我の思惑の風になびくことのない、たぐまれな者だな』


 わたくしは視ます。

 顕現こそしていませんが、風の谷の入り口には、偉大な風の精霊王様がたたずんでいます。

 そして、わたくしたちと同じように、笑ってくださっています。


『我は其方らよりも広い範囲で風を読んでいる。よってあの者の同行も其方らよりかは詳しい。あの者が定刻にこの場に姿を見せなかったということは、其方らにこの場のことをたくすという意味なのだろう。よって、我は許そう。竜人族の娘ミストラルよ、其方が代表して物事を進めるがよい』


 顕現していない風の精霊王様の姿を見ることはできませんが、万物の声はイース家の者であれば聞くことができます。

 それで、ミストラルさんがエルネア君の代行をすることになりました。


 耳長族の方々は、この地にたどり着いた時から緊張なさっています。

 それもそのはずですよね。

 近くには、偉大な風の精霊王様がいらっしゃるのです。

 そして、これから風の精霊王様の指導によって、耳長族の方々は精霊と耳長族の正しい絆の結び方を学ぶのですから。


「それでは、僭越せんえつながらわたしがエルネアの代わりに取り仕切ります」


 言ってミストラルさんは、約束の場所に集った方々と風の精霊王様の間に立ちました。

 ごうごうと、風が巻き起こります。

 そして、ようやく風の精霊王様が顕現なさいました。


 長く美しい緑色の髪を風に靡かせた、息を呑むほど美しい成人男性の姿で。


「やっぱり、エルネア君がいないと男の姿だわ」

「やっぱりエルネア君の影響がないと男の姿だわ」


 耳長族の方々は、男性と女性が半数ずつ。ですが、残りはわたくしたちや流れ星様と、女性ばかりです。ですので、顕現された風の精霊王様の姿は男性でした。

 その風の精霊王様のあまりにも美しい姿に、流れ星の方々は目を見張って驚いています。

 逆に、顕現なさった風の精霊王様の存在に、耳長族の方々はより一層に緊張していますね。


「風の精霊王。この者たちが、今回の試練を受ける者になります」


 ミストラルさんが、緊張で固まった耳長族の方々の代わりに、ひとりひとり紹介していきます。

 風の精霊王様は、美しくも思慮深い瞳で、紹介されていく耳長族の方々をひとりずつ見つめます。


かつて過ちを犯した耳長族よ。我が其方らをゆるそう。しかし、其方らはまだ耳長族としての基礎にさえ足をかけてはいない未熟者である。よって、我が慈悲深く其方らを導こうではないか。しかし、甘くはないぞ?」


 全員の紹介が終わると、風の精霊王様は言葉を風に乗せました。

 きっと、今回の試練を力量不足だとして見送ったお屋敷に残る耳長族の方々にも、風の精霊王様の声は届いているのでしょうね。


 風の精霊王様の、耳長族の方々の過去の罪を赦すふところの深さ。ですが、精霊の父であり母である精霊王としての厳しさも持ち合わせます。

 なんとも深い風が、集合場所を包んで満たしています。

 わたくしの瞳には、まばゆい深緑色に染め上げられた世界が視えていました。


 風の精霊王様は、代行者であるミストラルさんへ視線を向けます。

 風の精霊王様の意図いとを汲んだミストラルさんが、耳長族の方々にこれからの試練の内容を伝えました。


「それでは、エルネアと違って約束通りここに辿り着いたあなた達に、エルネアに代わって試練を伝えるわ」


 ミストラルさんの言葉に、耳長族の方々の長い耳の先がぴくりと動きました。

 どれほどに風の精霊王様の存在に緊張していても、これからミストラルさんから伝えられる試練の内容を聞き逃してしまっては意味がありません。

 耳長族の全員が、身構えるようにミストラルさんの言葉を待ちます。


 わたくしたちは、エルネア君から事前に聞かされていました。

 耳長族の方々に、これから風の谷でどのような試練が待ち受けているのか。

 耳長族と風の精霊王様の顔合わせは、試練でもなんでもありません。

 これからお世話になる方への、大切な挨拶です。


 ですから、風の精霊王様の存在だけで緊張に固まっているようでは、これからが本当に大変ですよ? と、わたくしたちは内心で耳長族の方々を心配してしまいます。

 ですが、ミストラルさんはイース家の心配を他所よそに、よどみなく試練内容を伝えました。


「あなた達にはこれから風の谷に入ってもらうわ。そして、精霊を使役できるようになってもらう。けれど、無期限ではないわ。今年中に精霊との絆を結べなかった者は、試練脱落者とみなします」


 ミストラルさんの宣告に、これまで緊張で固まっていた耳長族の方々に動揺が広がりました。

 そして、お互いの顔を見合ったり、不安を零す方が現れます。

 それもそのはずです。

 何故ならば、耳長族の方々はこの禁領に住み始めてから、必死に精霊との絆を取り戻そうとしてきました。

 ですが、竜王の森へと移住できた数名以外は、未だに精霊を使役できていません。

 それなのに、これまで達成することのできなかった難題を年末までに達成するように言われたのですから、それは慌ててしまいますよね?


 ですが、ミストラルさんは耳長族の方々の不安を容赦なくびっしりと両断しました。


「エルネアは前に、あなた達と似たような試練を受けたことがあるわ。当時、竜剣舞さえまだ真っ当に舞えないほど未熟だったエルネアは、冬前から始まった試練で年末までに竜王の称号をジルド様より継がなければわたしとの婚姻の約束がなくなるという試練を受けたわ」


 わたくしもよく知っています。

 エルネア君がどれだけ大変な思いをしながら、スレイグスタ様の課した厳しい試練を乗り越えたのかを。

 だからこそ、耳長族の方々に待ち受ける試練がどれほどゆるいのかも理解しています。

 だって、そうですよね?


 嘗てのエルネア君とは違い、耳長族の方々は今回の試練を乗り越えられなくても、次があるのです。

 ミストラルさんは、一生に一度の試練とは言っていないのです。

 期限こそ区切っていますが、今回が駄目でも二回目の試練に挑めば良いのです。

 それに、風の谷での試練は、風の精霊王様の指導のもとで行われるのです。

 一生にたった一度、ミストラルさんとの絆を賭けて、スレイグスタ様の助力だけでなくミストラルさんの補佐も受けられなかったエルネア君の試練に比べれば、とても軽いものですよ?


 わたくしだけでなく、エルネア君の家族は全員がそのことを知っています。

 特に、当時のエルネア君の苦労を陰ながら見守り続けていたミストラルさんは、本当に厳しい試練はと何かということを身に染みて知っていますので、容赦をしません。


「もちろん、自給自足は続けてもらうわ。耳長族たるもの、深い森での自給自足くらいは出来て当然よ?」


 ひいっ、と女性の耳長族が悲鳴を上げました。

 年末までに、風の精霊王様の厳しい指導のもとで精霊との絆を結ばないといけません。そのうえで自給自足となると、耳長族の方々の負担は相当なものになるでしょう。

 ですが、それが今回の試練なのです。


 自然と共に生きる。精霊と共存共栄し、精霊を使役して生き抜く。

 えやかわきを乗り越えるためには、自然との関わりを学んで身につけなければいけません。

 これから急速に訪れる冬の寒さをしのぐためには、必ず精霊を頼らないといけません。

 禁領のお屋敷では経験できない、自然との精霊との向き合い方を学ぶことこそが、この試練の意味なのです。


 とはいえ、命を失ったり身体や精神に支障が出ることは誰も望んではいません。

 ですので、最後にミストラルさんが優しく伝えました。


「絶対に無理はしないこと。自分の限界を知って、時には退く勇気も大切だと学んでほしいから」


 そうです。

 エルネア君の受けた試練とは違うのです。

 今回が駄目でも、二回目、三回目の試練に挑めば良いのです。

 大切なのは、試練を乗り越えようとするたゆまぬ努力と、諦めない心なのですから。


 わたくしたちの想いを正しく受け取ってくださったのでしょうか。

 最初は風の精霊王様の存在に緊張したり、ミストラルさんから伝えられた試練内容に驚愕きょうがくや困惑を示していた耳長族の方々ですが、瞳に強い意志がともり始めています。

 同時に、ゆらゆらと頼りのない風のように揺れていた耳長族の方々の精霊力が安定してきましたね。


「みなさん、お気をつけて行ってらっしゃいませ」


 わたくしたちの見送りに、耳長族の方々が強く頷きます。

 そして、強い決意を持って、風の谷へと足を向けます。


「其方らには感謝する。我にこの地をゆだねてくれたこと。耳長族の指導を任せてくれたこと。この場にいないエルネアに、この感謝の意を伝えてほしい」


 風の谷へと空間跳躍で入っていた耳長族の方々を追うように、風の精霊王様も風そのものになって戻っていかれました。

 風の精霊王様と耳長族の方々を見送ったわたくしたちは、それでは、と肩の力を抜きます。


「もう少しだけ、エルネアの到着を待ちましょうか」


 ミストラルさんに言われるまでもなく、セフィーナさんは休息用の陣地を築き始めています。


「むきぃっ。エルネア君は到着したらお仕置きですっ」

「でも、きっとエルネア君は私たちが待っている間には到着しないわ」

「でも、きっとエルネア君は私たちが帰る頃になっても到着しないわ」

「はわわっ。わたくしはエルネア様をお探しに行きたいですわ?」

「あらあらまあまあ。ライラさん、それは駄目ですよ? ここに来るまでは単独行動という約束ですからね?」


 ですから、エルネア君。

 誰かと一緒に騒動に巻き込まれているからといって、その方を連れてここへ到着してはいけませんからね? と全員で笑い合って空を見上げた時でした。


 黒い天馬てんまが五体、遠い東の空を飛び去っていく姿が見えて、今度は全員で驚きます。


「禁領に天馬なんて魔獣は住んでいたかしら?」

「おわおっ。お馬さんに翼が生えて飛んでいるよ? プリシアは空を飛べるお馬さんに乗りたいよ?」

「プリシアよ、それは無理だ。これから追いかけても、あの黒い天馬たちには追いつけまい」

「って言うか、天馬なんて知らないわよ!?」


 プリシアちゃんが、リンさんの腕のなかから空に向かって両手を広げます。それをユンさんがなだめています。

 プリシアちゃんのお母さんも、不思議そうに東の空を飛び去っていく五体の黒い天馬を見つめています。

 誰もが、見たことのない黒い天馬の姿を不思議がったり、どこに生息しているのかと話題を口にしています。


 ですが、わたくしの竜眼だけは捉えていました。

 黒い天馬にまたがる者たちの存在と、桁違いの法力を。

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