巫女騎士 アリス・バラード

 輝く金髪は背中に長く伸ばされていて、純白の天馬のお尻の上で踊っている。

 金髪に金眼の、美しい女性。だけど、まとう気配からは只者ただものではない圧倒的な存在感が隠しきれずに漂っていた。


 更に、装備品まで普通じゃない。

 つい先日にグリヴァストの遺作であり最高傑作と謳われている薙刀を見たり触ったりした僕が、断言してしまいそうになる。天馬にまたがった女性が右手に持つ風変わりな薙刀の方が、明らかに性能が高いんじゃないかな?

 しかも、見た目からして普通の薙刀ではない。人の身長よりも長いつかの両端に、反り返った薙刀の刃が付いていた。

 双刃薙刀そうじんなぎなたとでもいうのかな?

 しかも、美しい意匠のつばには、大小幾つもの宝玉が埋め込まれていた。

 あの薙刀を振り回して、並み居る敵をばったばったと斬り伏せる姿が容易に想像できてしまう。


 天馬に跨がった女性は、まさに武人然とした装いだ。

 纏う気配や異形な薙刀だけでなく、巫女装束の上から肩を覆う大袖おおそでや腰から下を守る草摺くさずり、金属製の胸当てや手甲を装備していた。

 戦いを専門とする戦巫女いくさみこのルイセイネや流れ星さまたちでさえ、薙刀は持っていても鎧までは身に着けない。

 それなのに、女性は戦場に立つ猛者もさのように鎧で武装していて、僕の知る巫女の姿とは大きくかけ離れていた。


 その武人然とした巫女さまが、なんと言ったんだっけ?


 剣聖ファルナ様の手掛かりと引き換えに、巫女をひとり殺してほしい?

 僕は、こちらへ言葉を降らせた後にゆっくりと降下してくる天馬に跨った女性に言った。


「お断りします!」


 即答。

 思考を回すまでもなく、拒絶する僕。

 だけど、女性は僕の返答に関わりなく、こちらへと降下してくる。

 そして天馬が地面に足をつけて翼を畳むと、ようやく次の声を発した。


「私の提案は、貴方には魅力的なものだと思うのだが。なぜ断るのかを聞いても?」


 天馬は、普通の馬よりもひと回り大きい。その背中に跨った女性の視線は僕の遥か頭上にある。

 着地しても尚こちらを見下ろす格好の女性に、僕は視線を上げて理由を口にした。


「提案が魅力的かどうか以前にですね? 僕たちは、誰かの依頼で誰かを殺す、なんて仕事は絶対に受けませんよ?」


 僕たちは暗殺者でもなければ、殺し屋でもない。

 戦いにおいて、目的を達するために仕方なく相手を力でじ伏せるという場面は、これまでに何度となく経験してきた。でも、それが力におぼれて力を求める原因になっていると思ったからこそ、僕たちは一時的に武器を手放して、初心に戻ろうとしているんだ。

 それなのに、見知らぬ誰かの依頼で僕たちに関係のない誰かを殺すなんて選択をしてしまったら、きっと竜神さまだけでなくミシェイラちゃんや女神様にだって見放されるだろうね。

 ファルナ様だって、利己的に情報を得て自分に接触してきた僕たちに対して失望して、教えを与えてはくれないはずだ。


 僕は躊躇ためらいなくこちらの想いを伝えた。馬上の女性は無言で僕の話を聞いてくれた。

 そして、僕が話し終えて。「そうか」とひと言呟いて頷くと、える笑顔を見せてくれた。


「なるほど。竜神様よりうかがっていた通りの、素直な少年だ」


 言って女性は軽やかに天馬から降りると、笑顔のまま僕に右手を差し出してきた。


唐突とうとつ不躾ぶしつけな依頼を振ってしまい、失礼した。竜神様の御遣いエルネア・イース殿。私はとある聖域を守護する巫女騎士みこきしアリス・バラード。ゆえあって聖域を離れ、この地にやってきた」


 僕の正面に立った女性、アリスさんは背が高かった。ミストラルよりも背が高いんじゃないかな? 魔女さんほどではないけど、女性にしてはかなりの長身だ。つまり、僕よりもうんと背が高いってことですね!

 アリスさんが天馬から降りても結局見上げる格好になった僕は、素直に握手に応じる。


「僕たちのことを竜神さまから聞いているんですね? 僕は竜神さまの御遣いエルネア・イース。初めまして、アリスさん」


 突然に現れて突拍子とっぴょうしもない依頼をしてきたアリスさんだけど、間違いなくこの人は悪い人ではない。

 巫女さまに悪い人はいない、という前提条件とは別に、僕は直感で確信できていた。


 それに、ここは霊樹ちゃんの根もとであり、アレスさんもかたわらにいる。その霊樹ちゃんとアレスさんが敵意を見せていない時点で安心だし、なにより禁領の守護者たるテルルちゃんも反応していないからね。

 つまり、アリスさんは禁領に入る資格を持っていて、霊樹に関わる存在に受け入れられている者、というわけだ。


「ところで、巫女騎士って何ですか?」


 握手を交わしながら僕が質問すると、アリスさんは親切に教えてくれた。


「女神様に仕える巫女であれば、本来は戦巫女と呼ぶ方が正しいのだろうが。私たちは女神様に仕えながら、聖域の守護にも就いている。それで、純粋に女神様に仕える戦巫女とは区別した方が良いだろう、と昔にある方が言ったのだ。それからは代々、私のような者は特殊な立場として巫女騎士と名乗っている」


 騎士といえば、忠誠厚く国に仕える立派な武人だ。つまり、巫女騎士アリスさんは、深い忠誠で聖域を守護しながらも、立場的には戦巫女である、ということかな?


「なるほど。それで、その聖域ってどこなんですか? ある方って? 竜神様にどこで会ったんですか?」


 興味に釣られて矢継ぎ早に質問したら、アリスさんが快活かいかつに笑った。


「はははっ。貴方は本当に純粋だ。いったいどういう人物が竜神様の庇護を受けたのかと、聖域の者たちは誰もが興味を持っていたが。貴方は良い子だな」


 そして、まるで子どもを褒めるときのように僕の頭に手を乗せて、優しく撫でてくれた。

 アリスさんの、大きな手。

 僕は頭を撫でられて、安らぎを覚えてしまう。


 ふと思った。

 アリスさんの見た目は、二十代半ばから三十前くらいに見える。でも、実年齢はうんと上なんじゃないかな?

 僕たちと同じで、もしかしたら寿命の制約を受けいない人なのかもしれない。

 もしくは、長命種?

 人族の僕は、見た目では相手の種族を見抜けないからね。


 アリスさんは満足するまで僕の頭を撫でると、傍のアレスさんと背後にそびえる霊樹ちゃんへ向き合う。


「挨拶が遅れた。若き霊樹とそこに宿りし精霊よ、改めて急な来訪を謝罪する。しかし、私にはどうしても達するべき目的があり、そのためにこの地を訪れた」


 アリスさんが霊樹ちゃんのとうとさやアレスさんの偉大さを熟知しているのなら、本来であれば僕と言葉を交わす前に霊樹ちゃんとアレスさんに挨拶をすべきなんだろうけど。アリスさんは、霊樹ちゃんとアレスさん存在を二の次にして、僕と言葉を交わした。

 それってつまり、今のアリスさんには霊樹ちゃんとアレスさんよりも僕の存在の方が重要だってことなのかな?


 アリスさんの挨拶を受けて、霊樹ちゃんが枝葉を揺らす。


『いらっしゃい! わわっ。すごい存在に守護されているような気配を感じるよ? もしかして?』


 霊樹ちゃんは、アリスさんの纏う気配に何か気づくことがあったみたい。嬉しそうに揺れる枝葉のれる音からは、歓喜に近い旋律せんりつかなでられていた。


「許す。其方の思惑をわらわが見届けよう」


 そして、アリスさんの心を読んだのか、アレスさんはそれだけを言うと大人の姿から幼女の姿へと戻った。

 小さくなったアレスちゃんは僕の腕の中に滑り込んで、すやすやと眠り始めた。


 むむむ!

 アレスちゃん!?


 アレスちゃんは、アリスさんの一体何を読み取ったんだろうね?

 本来は睡眠を必要としない精霊のアレスちゃんが、僕の腕の中で狸寝入たぬきねいりに入った。

 それって、アリスさんがこの地に来た理由を知ったけど、僕にも誰にも助言や助成はしない。でも結末は見届けたいから顕現したまま。だから狸寝入りを決め込む! ってことですよね!?


「せいかいせいかい」

「寝ているはずなのに反応した!」


 僕の心を読んで、寝言のように呟くアレスちゃん。突っ込みを入れる僕。それが面白かったのか、アリスさんがまた快活に笑う。

 どうやらアリスさんは、武人然とした姿と同じで、性格も男前みたいだね。


「どうやら、霊樹の精霊は私の想いを容認してくれるようだ。それはありがたい」


 アリスさんは、アレスちゃんに心を読まれたことに動揺を見せていない。

 そこから読み取れることは、やはりアリスさんもただならぬ環境に身を置いていて、日常的に超越者が思考を読む環境に慣れているんだろうね。


「ええっと、それで。アリスさんはやっぱり、巫女さまを殺すために禁領に来たんですか?」


 自己紹介の挨拶も終わり。霊樹ちゃんとアレスちゃんの反応を確認して。僕は話の軌道を元に戻す。

 アリスさんは、僕に言った。「巫女を殺してほしい」と。


 巫女。

 つまり、創造の女神様に奉仕する女性のことだよね?


 ふと頭に浮かんできたのは、ルイセイネとマドリーヌ。そして流れ星さまたち。

 でも、僕の家族にも流れ星さまたちにも、聖域を守護するという巫女騎士アリスさんから命を狙われるような罪を犯した者はいないはずだ。

 では、アリスさんが言った「巫女」とは誰なのか。


 僕の質問に、アリスさんは遠くへ視線を向けながら事情を口にしてくれた。


「少し前に。邪族じゃぞくどもが一時的に活発になった時期があった」


 それは、僕たちが妖魔の王を討伐した頃の前後だろうか。

 巨人の魔王から聞いた。

 僕たちが預かり知らぬ場所で、シャルロットとルイララが邪族の王のひとりと相対したらしい。他にも、アームアード王国や禁領にも邪族が出現したよね。


「聖域にも、やはり邪族は現れた。巫女騎士である私たちは、聖域とそこに住む者たちを守るために戦った。だが……。ひとりの巫女が、裏切った。夫である神官の命と引き換えに、邪族の王の側近を見逃してしまった」


 いつの間にか、アリスさんの表情は快活なものから悲痛な面影に変わっていた。


「馬鹿な女だ。結局、その巫女の夫は当時の傷が原因で死んでしまった。わかっていたのだ。邪族の王の側近と取引をしても、神官の命は僅かばかり。戦場で死ぬか、暖かいとこで妻たる巫女と娘たちに見送られながら逝くか。それだけの違いだった」


 きっと、想像を絶する戦いだったんだろうね。

 あのシャルロットとルイララでさえ、邪族の王を足止めするだけで力を損耗させたり重傷を負っていた。

 その邪族の王の、側近だ。

 計り知れない力で聖域を襲ったに違いない。そして、アリスさんやその巫女さまたちは、必死に戦った。


 でも、巫女さまは女神様に背を向けてしまった。

 聖域の守護という任務ではなく、愛する夫のために邪族と取引をしてしまったんだ。

 アリスさんの話からは具体的な内容は伺えないけど、きっと巫女さまの裏切りで少なからず被害が出たんだろうね。


「だが、裏切ったはずの巫女は赦された。これまでの巫女の功績や、結果的には邪族の王や側近を討てたことをかんがみて」


 しかし、と今度は厳しい表情になり、アリスさんははっきりと言った。


「私は。私だけは、許せなかった。女神様を裏切り、聖域を危険に晒した罪は、断罪されなければいけない」


 厳しい人だ。

 武人然とした立ち振る舞い。男勝りな性格。

 まさに騎士として相応しいアリスさんは、巫女さまの裏切りを認めなかった。


「だから、その巫女さまを殺すんですか?」


 聞いた僕に、頷くアリスさん。


「仲間や聖域を危険に晒した代償は、命を以て償うべきだ」


 アリスさんの判断が正しいのか間違っているのかは、部外者の僕にはわからない。

 だけど、幾つかの疑問とともに違和感も覚えた。


「でも、アリスさんの守護している聖域はこの地ではないでしょうし、なんで態々わざわざこの禁領に来てまで僕に殺しの依頼をしたんですか?」


 巫女騎士としてアリスさんが守護する聖域は、絶対に禁領ではない。

 それなのに、アリスさんはなぜ、禁領に来て僕に殺しの依頼を打診したのか。

 アリスさんがその巫女さまを赦せないと言うのなら、なぜ自らの手で断罪しないのか。

 僕の疑問に、アリスさんはまたも表情を変えて、北方へ視線を巡らせながら悲しそうにひと言、こう言った。


「私は巫女だから……」

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