なんでこうなったの

「さっきの人たちって、耳長族だよね」


 ミストラルとふたりで森の中を歩きながら、僕は尋ねた。


 竜の森に伝説の竜が住んでいるって話はよく耳にするんだけど、耳長族まで住んでいるなんて初耳だよ。


「ええ。彼らは昔からこの森に住んでいるそうよ」

「ミストラルは知っていた? というか面識があるような会話だったね」

「そうね。定期的にわたしの方から翁の万能薬を届けたり、向こうから差し入れがあったり。さっきみたいに不埒者がいれば、お互いに連携して行動することもあるわ」

「へええ。そうだったのか」


 鼻水万能薬は耳長族の人も使っているんだね。でもその正体を知っている人はいるのだろうか。興味深いね。


「耳長族からの差し入れってなに?」

「森の中で取れる果物とかが主流かしら。たまに村で織られた生地や武具、というものもあるけど。もらったら大概はわたしが竜人族の村へと持って帰るわ」

「ふううん。そういえば、ミストラルは毎日自分の村からおじいちゃんの所へと通っているの?」

「そうよ。村は竜峰にあるけど、翁の竜術でわたしは簡単に来られるから」


 僕みたいに、ミストラルもスレイグスタ老に送り迎えをしてもらってるんだね。竜峰から毎日行き来だと、さすがに遠いからかな。


「いつかミストラルの村へも行ってみたいな」


 僕の何気ない一言に、ミストラルはちょっとだけ意地悪そうに微笑んだ。


「そうね。いつかわたしの両親に挨拶に行かないとね」

「あ、ああっ!?」


 そ、そうだよね。ミストラルと結婚するなら、挨拶に行かないといけないんだよね。

 ミストラルは竜人族内でも人気だって言っていたから、挨拶に行ったら村中が大変なことになるんじゃないかな。というか、竜人族の人たちは僕とミストラルのことをもう知ってるのかな。

 将来のことを考えてみて、僕は緊張して嫌な汗をかき始めた。

 痛てててて。全身の細かい傷に染みてひりひりする。


「ふふふ。でもそれはまだ先の話しね。まずは貴方が一人前にならなきゃ」


 ミストラルは微笑んで、僕の頭を撫でてくれた。

 ミストラルは年上なんだけど、たまに僕を子供扱いするよね。頭を撫でられるのは好きなんだけどさ。ひとりの男としてどうなんだろう。


「うん。僕がんばるよ。そしてミストラルと一緒にこの森を護る」


 スレイグスタ老の世話役であるミストラルと一緒になったら、僕もこの森を護る一員になれるのかな。

 そうしたら、さっきの耳長族とも一緒に行動する日が来るんだろうか。

 耳長族なんて、スレイグスタ老と一緒で伝説の種族だからね。一緒に何かできるなんて、貴重なことだよ。


 もしかしたら、勇者のリステアでさえ知らない事なんじゃないかな。


「一緒に森を護ってくれるのは嬉しいけれど、さっきのような危険なことはもうごめんよ」


 ミストラルに釘を刺されて、僕は渋面した。

 決して油断していたわけじゃないんだけど、まさか悪党に捕まって命の危険が訪れるとは。安易に物事に首を突っ込みすぎたんだね。これは反省しなきゃいけない。


「うん。ごめんなさい。これからはちゃんと考えてから行動するよ」


 僕が素直に謝ると、ミストラルも満足そうに微笑んでくれた。

 美人さんのミストラルが微笑むと、ものすごく神秘的な絵になる。

 ついつい見とれちゃって、ミストラルに遅れをとった。


「立ち止まっていないで、早く行きますよ」


 先行するミストラルに言われて、慌てて彼女の後を追う。


 歩いて程なく。森の空気の雰囲気が変わる。

 この瞬間、僕はいつも苔の広場がある古木の森へと導かれている。


 眼前にいつの間にか現れた巨大な古木を迂回すると、すでに苔の広場が見えていた。

 いつも来ているんだけど、この瞬間の不思議さには毎回驚かされるよ。


 苔の広場の中央では、小山のような大きさの巨竜、スレイグスタ老が僕たちをすでに見ていた。


 僕とミストラルは並んで、苔の広場に入る。


「ただいまもどりま……」

「おじいちゃんこんに……」

「ぶえっっくしゅんっっっ!!」


 ぎゃぁぁっ。


 僕とミストラルは、いきなりのスレイグスタ老のくしゃみで吹き飛ばされた。

 押し寄せる鼻水の濁流に流されて、古木の森へと押し返される。


 全身鼻水まみれ。


「お、おじいちゃん。いきなりなんて事するの」

「おーきーなー!」


 ミストラルが鬼の形相で、片手棍を抜き放つ。気のせいかな、全身から闘気がゆらゆらと溢れ出してますよ。


 僕と同じように全身鼻水まみれになったミストラルが、ずしずしとスレイグスタ老に近づく。


 輝きだす漆黒の片手棍。


「まてまてまてまて」


 慌てふためくスレイグスタ老。


 殺ってしまいなさい、ミストラルさん。

 僕はミストラルを支持します。


 まったく。スレイグスタ老はミストラルに怒られるとわかっていて、なんで毎回変なことをするのかな。

 同情の余地なし。


 僕も苔の広場に戻りながら、殺気立つミストラルの背中に応援の視線を向けた。


「わ、我は怪我をしているであろうエルネアを心配してだな」

「問答無用。そこに直れ」


 じたばたと前足をわななかせ、ぶんぶんと顔を振って無実を主張するスレイグスタ老。

 ミストラルはしかし、聞く耳持たず片手棍を振り上げた。


 殺ってしまえー。


「こ、これ。物騒なことを考えるでない」


 スレイグスタ老が僕の思考を読んだ。


 おじいちゃん、怪我をしたら自慢の鼻水を塗ってあげますからね。素直にミストラルの餌食になってください。

 僕はスレイグスタ老に手を合わせて黙祷した。


「我の恩を仇で返すのか」


 スレイグスタ老の悲痛な叫びも虚しく、ミストラルの鉄槌が指先へと振り下ろされた。

 光る尾を引く片手棍は、鈍い音を響かせてスレイグスタ老の指先の鱗を粉砕した。


響く爆砕音。


「あぎゃぁぁっ」


 情けない悲鳴をあげるスレイグスタ老。

 あらら。叫んで大きく口を開けたんだけど、牙が一本欠けているよ。

 も、もしかして昨日ミストラルともめて折られたのかな。


 お、おそろしい。


 見上げる大きさの伝説の巨竜と、それを負傷させる美少女のミストラル。目の前の非現実的な光景に、僕は苦笑するしかなかった。


「まったく。エルネアの傷を心配するのはわかりますが、もっと他にやり方があるでしょうに」


 ミストラルは一撃かまして気が収まったのか、片手棍を腰に戻し、困り顔でスレイグスタ老を見上げた。

 スレイグスタ老は涙目で指先をさすりながら、ぐぬぬと唸る。


 僕もようやく、二人の側に辿り着いていた。


 鼻水万能薬は不思議なことに、放置してるとすぐに蒸発して無くなっちゃうんだよね。なので僕もミストラルも、すでに服は乾いていた。乾いたけどなんか不潔、とは思っちゃいけない。


「その時点で思っているではないか」


 スレイグスタ老の突っ込みに、しまった、と顔をしかめる僕。ごめんなさい。

 でもおかけで、全身の擦り傷が治ったよ。さすがだね。


「ふむ、傷も癒え、危険もなんとか乗り越えたか。無事で何より」


 僕の健全になった姿を見て、スレイグスタ老は満足したように目を細めた。


「おじいちゃんが僕の危険を察知してくれたの?」


 遺跡の時もそうだったけど、離れた場所のことを感知できるなんて凄いな。


「森への被害を感知し、同時に汝の竜力が乱れておったので、よもやと思いミストラルを急がせた。大事に至らず良かった」


 おお。そうだったのか。


「ありがとうございます」


 僕はスレイグスタ老とミストラルにきちんとお礼をする。こういうことは親しい仲でもきちんとしなきゃね。


 それにしてしも、竜力の乱れを感知か。今の僕にも、少しは竜力があるってことなのかな。それと、僕ももっと修行をしたら、スレイグスタ老のように竜脈や竜気を感じ取って、遠く離れたこともわかるようになるのかな。


「汝次第であるな。望むのなら、まずは努力することだ」

「はい、頑張ります」

「貴方たちは、まったく……」


 僕とスレイグスタ老の心と言葉の会話に、ミストラルが呆れたようにため息を吐く。


「ふたりとも、いつも言っているでしょう。わたしにわからないような会話をしないで」


 やれやれ、と首を振るミストラル。合わせて長く美しい髪が揺れていた。

 うん、万能薬のおかげかな。いつも以上に艶やかで綺麗だよ。でもこれを言うとミストラルに怒られそう。


「ふむ、我が鼻水は、髪にも潤いをもたらすか。良かったな、ミストラルよ」

「あああっ、おじいちゃん。何てことを」


 言ってくれるんですか。

 僕の引きつった顔を睨むミストラル。


「エルネア、正座なさい」


 ミストラルにびしっと指差され、僕は慌てて従った。

 そしてスレイグスタ老は、僕たちを見てかかか、と笑っていた。


 牙が一本無くなってるから、なんか間抜けだよ。


「さてそれでは。翁、エルネアに渡すものがあったのですよね」


 ミストラルは僕とスレイグスタ老に呆れながらも、話題を変えてきた。


「あ、僕も大切なことを言わなきゃいけなかったんだ」


 竜殺し属性の魔剣。今日はこの事を話すのが最重要事項だったよ。


「ふむ。では汝の話から聞こうではないか」

「わたしにもわかるように、ちゃんと言葉に出してね」


 ミストラルの突っ込みに苦笑して、僕は今日の王城での経緯を話した。


 遺跡で回収された魔剣。呪いを浄化したのに朽ちなくて、竜殺しの属性が残った四本の同じ型をした剣。

 それと、ヨルテニトス王国から飛竜騎士団が飛来していることも、僕は語った。

 王子様の嫌味な性格は言わなかったけどね。


「竜殺しの剣、ですか」


 ミストラルが神妙な面持ちで、片手を顎に当てて考え込む。


 スレイグスタ老も瞳を閉じて、何やら思案していた。

 毎回なんだけど、僕はなんでスレイグスタ老の小さな動きだけで、なんとなくだけど感情とかいろんなことがわかるのかな。

 僕もスレイグスタ老みたいに、竜の心が読めたりできるのかな。と思っていると、スレイグスタ老が瞳を開けて僕を見下ろした。


「同時に複数本、同じ型、同じ能力を持つ魔剣を造る魔族か。それほどの力を持った魔族がいたかどうか。いや、魔剣だけなら造れる魔族は居るであろう。しかし竜殺しの属性付与となると……」


 うぬぬ、と唸るスレイグスタ老。


 スレイグスタ老ほど長く生きていれば、いろんな魔族を知ってるんだろうね。その中に該当する魔族がいないか、探しているに違いない。


 僕もミストラルも、考え込むスレイグスタ老を黙って見つめた。

 でも、どうやら思いつかなかったらしく。


「ミストラルよ。村に帰ったのち、このことを竜人族、及び竜族にも伝えよ。何者が製作したかはわからぬが、竜殺しの武器などはなはだ放って置くわけにはいかぬ」


 スレイグスタ老の珍しく厳しい口調に、ミストラルは頷く。


「かしこまりました。竜峰の者たちで、魔族の動きも警戒いたします」


 そうだよね。魔族が何も考えなしに竜殺し属性の魔剣なんか造らないと思うんだ。良からぬことを画策しているから、造ったんだと思う。

 そしてそれが竜峰を越えた人族の国、アームアード王国で見つかったことも気になる。

 まぁ、国内のことは勇者の出番なんだろうね。きっとリステアはこれから忙しくなるに違いない。


「よく知らせてくれた。魔族どもめ、何やら企んでおるな」

「それでは、次にこちらの番ですね」


 ミストラルに促されて、スレイグスタ老は頷く。


 僕に渡すものってなんだろう。期待を込めて見ていると、スレイグスタ老は手首の漆黒の毛を掻いて中から何やら取り出した。

 毛は物をしまう場所なんですか。

 そんな僕の疑問には触れず、器用に二本の爪の先で取り出した長細いものを僕の間近に置く。


 ええっとこれは。


「木刀?」


 僕の眼前には、一本の木刀、と言うには余りにも荒作りな木の枝が置かれていた。

 刃渡は中剣よりも長く、長剣よりも短い。片刃に削られているけど、幅も厚みもそれほどない。

 つばの部分は枝がそのまま短く伸びている格好。三本の枝が、私が鍔です、と主張するように短く伸びていて、そのうち一本に葉っぱが二枚、別の一本に葉っぱが一枚残っていた。

 握りの部分なんて木の皮がそのまま残っているし、木刀全体に何故か蔦が絡まってますよ。


「ええっと。これは」


 なんだろう。少し嫌な予感がするよ。蔦の絡まった木、ねぇ……


「それは、汝が昨日採ってきた霊樹の幼木である」

「ああぁぁっ。なんてことを!!」


 霊樹の母木の下じゃあ育たないだろうってことで、わざわざミストラルと頑張って抜いて持ってきたのに。

 なんで木刀にしちゃうんだ。

 かわいそうじゃないか。


 僕はあまりのことに愕然としてしまった。

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