再会

 僕は逃げた。


 だって、年末年始は禁領のお屋敷でみんなとまったり過ごしたいからね。

 これから魔族の問題に巻き込まれたら、下手をすると騒動のただ中で年を越しちゃうかもしれない。

 だから、脱兎だっとごとく魔王の前から逃げ出した。


 全力で走って、転移用の部屋に飛び込む。そして、急いでスレイグスタ老に連絡をつけて、苔の広場に転移してもらった!


「遅い」

「きゃーっ、先回りされていたよ!」


 だけど、苔の広場で待ち受けていたのは、スレイグスタ老の悪戯いたずらでも、妻たちの温かい出迎えでもなくて、巨人の魔王の冷たい眼差しでした!


「しくしく。僕の平穏はいったいどこへ?」


 がっくりと項垂うなだれる僕。それを見て、魔王が可笑しそうに笑う。


「くくく、私にひざまずかぬどころか、己の意志を通して逃げ去るような者は其方くらいだ」


 そりゃあ、恐怖と絶望の象徴である魔王に対して不敬な態度を取ったら、そのまま死に繋がるからね。

 でも、僕は知っています。

 巨人の魔王は本当は優しいんだよね。だから、僕を弄んで楽しんでいる内は、ちょっとくらいの遊び心は許されるんだ。


「老婆を利用して遊び心をはぐくむとは、汝も成長したようだ。それでこそ竜神様の御遣いであるな」

「おじいちゃんに褒められちゃった!」

「ほほう、私も甘く見られたものだ。では図体だけ無駄に大きくなった坊やとその弟子に、私の本当の恐ろしさを示すとしよう。まず手始めに、この森に千年の呪いをかけて永劫の雷雨を降らせるとしようか」

「エルネアよ、汝の魂を捧げてこの老婆の暴挙を止めよ!」

「一瞬でおじいちゃんに裏切られちゃったよ!」


 ぎゃーきゃーと騒ぐ、僕とスレイグスタ老。


「はい、エルネアもおきなも暴れないで。巨人の魔王様も程々にお願いします」


 すると、僕よりも先に来てスレイグスタ老のお世話をしていたミストラルが、仲裁に入ってくれた。


「エルネアとセフィーナとマドリーヌはこれから大切な用事があるので、魔族の問題には関われません」


 先ずはアームアード王国で、僕たち三人そろって僕の両親に挨拶をしてから、その足で王さまとセフィーナのお母さんに挨拶しに行く予定になっているんだよね。

 その次にヨルテニトス王国に向かい、今度はマドリーヌの両親に挨拶をする。


 今回は、関係者だけの最小人数での行動になる。

 大所帯で動いて人目についたら、昨日までの引き篭もり生活が無駄になっちゃうからね。

 ということで、残念ながらライラのお願いは今回もお預けです。ごめんね?


「婚姻前の挨拶か。結婚の儀には、もちろん私も呼ぶのだろうな?」

「もちろんですとも!」


 準備をしてくれる皆さん、大変だろうけどお願いします! と心の中でお詫びを入れる僕。


「では、竜姫に免じて猶予ゆうよを与えてやろう」

「諦めてくれるわけじゃないんですね……」

「言ったであろう。このまま狂淵魔王の内乱を放置しておくことはできぬ」

「それじゃあ、僕たちじゃなくて魔族が動いた方が良いのでは?」

「駄目だ。私の配下は動かせん。内乱とはいえ、他国の問題だからな。内政干渉になる」

「それで、大公たいこうの僕が動いた方が良いと?」

「いいや、今回の其方は身分や立場を秘匿したまま動いてもらう」

「えっ!?」

「丁度、其方は竜気を使用しない修行中なのだろう? 正体を隠しつつも実力的に申し分のない人族の其方に動いてもらう」

「魔王の起こした騒動を、制限された力の僕が……それって、とても難易度が高いですよね!」


 生身の人族は、下級魔族にさえも苦戦する程度の身体能力しかない。

 僕だって、これまで上級魔族や魔王や始祖族と渡りあえたのは、内包する竜の王の竜宝玉の恩恵が大きい。

 もちろん、竜気以外にもアレスちゃんの力を借りたり、僕自身が身に付けた竜剣舞だってあるけど、それだけではやっぱり心許こころもとないよね。


「今の修行を継続したまま魔族の問題に関わるのは、わたしも危険だと思うわ。それに、人族の、と敢えて強調したということは、竜人族のわたしは同行さえできないのではないかしら?」

「あっ、ミストラルの言う通りだよ!」


 なんで人族じゃないといけないのかな?

 巨人の魔王の配下が干渉できないのは理解できる。実力のある魔族ほど、相手に名前や容姿が知られてしまっているからね。

 その点、竜気の使用を禁止した状態の僕なら、容姿の特徴で怪しまれたとしても、戦い方の違いなどから存在が露見する可能性は低いよね。

 でも、そもそもなんで、人族にこだわるんだろう?


 狂淵魔王に見つからないように、内乱を鎮めるため?

 それとも、もっと深い理由があるのかな?


「その答えは、其方が導き出すといい」

「難問ですね!」

「ともかく、この件は見過ごすことのできぬ問題になる。猶予を与える。それまでに覚悟と準備をしておけ」

「拒否はどうしてもできないんですね?」

「私の知る限りで最も信頼の置ける人族は其方だ」


 巨人の魔王にそこまで言われて、これ以上逃げていたら、男がすたるよね!

 それに、魔王やシャルロットが搦手からめてで僕を知らず知らずのうちに騒動に巻き込んでいたり、弄んで楽しもうとしているわけじゃない。

 それどころか、今回初めて、正面から僕に依頼してくれたんだよね。

 僕も、魔王からの信頼には真摯しんしに向き合いたい。それくらいの恩はあるし、いつもお世話になっている。


「それじゃあ、お受けします。でも、僕たちはこれから本当に大切な用事があるので、その後で良いですね?」

「今年いっぱいくらいの猶予は与えてやる。それくらいならば、こちらで現状を停滞させることはできるだろう」


 ということは、狂淵魔王の問題に関わるのは来年初めからかな?


「そうだな、来年の立春あたりから其方には狂淵魔王の国へと赴いてもらう」

「わかりました。それまでにできる限りの準備をしておきますね?」

「準備というのなら、流れ星にも促しておけ。あれらの中から数人を其方に同行させる」


 危険じゃないかな?

 というか、妻も含めると結構な大所帯になる?


「今回は其方の妻らは留守番だ」


 魔王の言葉に、妻たちから一斉に苦情があがった。

 だけど、魔王は首を横に振る。


「この件はなるべく密かに計画を進め、狂淵魔王の目論見を潰しておきたい。同行者からエルネアの正体に繋がるような愚行は踏むな」


 つまり、流れ星の巫女さまを数人同行させるのも、僕の正体を隠すためなんだね?

 僕だけでなく、妻たちの容姿や戦い方も上位の魔族には知られるている可能性が高い。

 栗色の髪の少年が、伝聞に近い容姿の女性を複数人連れて行動していたら、そこから露見するかもしれないよね?

 逆に、栗色の少年として僕が疑われても、同行者の容姿や特徴が違ったら、他人の空似で通せる。


「流れ星さまたちには迷惑をかけちゃうけど……」

「其方なら護りきれるであろう? それに、流れ星たちもやわではなかろう?」


 流れ星の巫女さまたちは、なぜか格上の相手と戦い慣れている。たとえ上級魔族を相手にしても、勝てずとも自身の身を護るすべを知っているよね。


「流れ星さまのことは、禁領に帰ってからの相談にします。でも、なるべく魔王の要望に添える編成で挑みますね?」

「よかろう。では、礼に其方らを東方の国まで送ってやる。こちらで用事が済んだら、またここへ戻ってこい」

「ぬうっ。老婆め、それまでここに居座るつもりか?」

「くくくっ。久々に悪坊の相手でもして暇を潰すとしよう」

「ええいっ、エルネアよ、すぐに戻ってくるのだぞ!」

「おじいちゃん、後のことはお願いしますね! 行ってきまーすっ!!」


 僕はセフィーナとマドリーヌの手を取って、慌てて苔の広場を後にした!






 古木の森を抜けて、鬱蒼うっそうとした深い森の奥を三人で進む。

 数歩毎に周囲の景色が変化していく。

 竜の森も、冬を前にして美しい緑の輝きは薄くなり、枯葉が積もった茶色い地面と葉を落とした樹々の寒々しい風景が続く。


「絶対に、帰ったら僕はミストラルやルイセイネたちから怒られるよね?」


 と、魔王の相手を任せてしまった妻たちの心配をする僕。

 すると、セフィーナが笑いながら言う。


「ライラは泣いてしまうのじゃないかしら?」


 マドリーヌは、ユフィーリアとニーナから詰め寄られたら面倒だと愚痴を溢した。


「でも、仕方がないよね?」

「そうね。これは大切な用事だもの」

「エルネア君のご両親にしっかりと挨拶できなければ、巫女頭として失格ですからね」


 両手から伝わってる二人の手の感触からは、ちょっとだけ緊張が伺えた。

 無理もないよね?

 僕だって、ミストラルたちとの結婚の前に、妻たちの両親へ挨拶する際は、とても緊張したからね。


「まずは僕の実家へ行って、父さんと母さんに挨拶をしようね? 大丈夫だよ、僕が二人の支えになるからね!」

「頼りにしているわ。それじゃあ、その後に王城へ行って、今度は私の母に挨拶ね? でも、人目に付かずに王城の母の所まで行けるかしら?」

「それ以前に、エルネア君の実家まで誰の目にも触れずに辿り着くことも難題ですよ?」

「僕の実家の周りは、観光名所になっているからね……」


 それでも、夜中なら観光客もいなくなって、王都の人通りも少なくなるよね?

 ということは、夜中を待って王都に侵入かな?

 と、三人で相談しながら竜の森を進んでいた時だった。


 不意に、人の気配を読み取る。


 竜の森の奥まった場所に、人の気配?

 それも、二人分。

 耳長族の人かな?

 気配を慎重に読み取る。

 そして、気配の正体を知る。

 僕はセフィーナとマドリーヌを連れて、竜の森を駆けた。


「リステア! スラットン!」

「わっ、エルネアか!?」

「ぐぬおっ、お、お前っ!!」


 僕たち三人が突然に森の奥から出てきて、リステアとスラットンが素っ頓狂な声をあげた。


 人目につかないように行動しなきゃいけないけど、この二人は別だよね!

 だって、前に手紙のやり取りもしているしね。


「二人とも、お久しぶり! でもどうして、二人が竜の森の奥にいるのかな? 珍しいよね?」

「エルネア、お前なぁ……」

「どうしてもこうしてもねえよっ! お前たちの方こそ、あのとんでもねぇ騒動を残して、どこに消えてやがった! しかも、あの手紙はなんだよっ。エルネア! よくも抜け抜けと俺の前にその間抜けなつらを臆面もなく出してきたなっ。この際だ、お前を倒して俺が竜王になってやるぜ!!」

「スラットン、どうどう」

「俺は馬じゃねえっ!」


 僕たちの突然の登場に苦笑するリステアとは違い、スラットンは僕を認識すると騒ぎながら詰め寄ってきた。

 だけど、僕の胸ぐらを掴む前に、スラットンの方が宙を舞う。


「スラットン、エルネア君に何をしようとしているの? エルネア君に手を出すなら、まずは私が相手になるわよ?」

「うっ……」


 そう。勢いよく突進してきたスラットンを軽々と投げ飛ばしたのは、セフィーナです。

 さすがのスラットンも、王女であり年上でもあるセフィーナには及び腰みたいで、受け身を取って地面に上手く転がった後に、僕に再び襲い掛かろうとはしなかった。


「スラットン殿、身勝手な暴力は認めませんよ? この巫女頭の前で暴力を振るうような愚かな行為はいたしませんよね?」

「うううっ……」


 そして、神殿宗教の敬虔けいけんな信者であるスラットンは、マドリーヌにそう言われてしまうと、もう何もできません。


「スラットンが大人しくなってくれて、俺も有難い。まあ、俺としてもエルネアたちがなぜ竜の森に現れたのかは気になるが。それよりも、俺たちの方が先に事情を説明した方がいいだろうな」


 いつでも冷静なリステアが、上手く話を進めてくれた。

 リステアは、真面目な表情のまま竜の森を見渡す。


「耳長族から共闘の依頼を受けた。ここ最近、手強い妖魔が竜の森を徘徊しているらしいんだよ」

「妖魔が?」


 スレイグスタ老は、妖魔の件は何も言っていなかったよね?

 そういう話題をする暇がなかったのかもしれないけど!

 とはいえ、竜の森で起きている問題なら、僕は見過ごせない。それは勿論、僕だけでなくセフィーナとマドリーヌも一緒だ。


「詳しく聞かせてくれるかしら?」

「負傷者は出ていませんか?」


 僕よりも先に、セフィーナとマドリーヌがリステアに問い掛けた。

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