師弟の絆

 三日間、霊樹の精霊さんたちにみっちりとしごかれた後にようやく解放されて、苔の広場へと戻る。すると、ミストラルが朝のお勤めにいそしんでいた。


「ミストラル、勝負だ!」

「あら、エルネア、おはよう。それと、お帰りなさい。聞いたわよ。竜の森の騒動はちゃんと収まったのかしら?」

「あっ、ただいま。うん。もう森の暴走は収まっているはずだよ。ミストラルが竜の森の騒ぎを知っているってことは、もう母さんたちも家に戻ったんだね?」

「昨日のお昼過ぎに、無事に帰り着いたわよ」

「それは良かった。僕なんて、霊樹の精霊さんたちに捕まって大変だったんだ。……じゃなくて! ミストラル、勝負だよっ。ひと皮剥けた僕の実力を見せてやる!」

「ふふふ、それは楽しみね。でも、もう少し待ってくれるかしら? おきなのお世話がまだ残っているから」

「はーい」


 僕はやる気満々で身構えちゃったけど、言われてみればそうだよね。ミストラルはスレイグスタ老のお世話を終わらせなきゃ朝ごはんも食べられないんだ。


 僕は、素直にお預け状態で待つ。

 でも、それが間違えだったと気づいたときには、もう手遅れだった。


「んんっと、おはよう?」

「あらあらまあまあ、エルネア君ではありませんか。おはようございます」

「エルネア様の声がしましたわ! おはようございますですっ」

「エルネア君、今の話は聞かせてもらったわ。おはよう」

「エルネア君、今の話はしっかりと耳にしたわ。おはよう」

「にゃーん」

「み、みんなもいたんだね!?」


 これも、ちょっと考えれば予想できたことなんだけど……。でもさ、三日間も拉致らちされていて、そこまで思考が回らなかったんだ。


 ということで。

 苔の広場には、朝から家族の全員が揃っていた。

 そして、ミストラルとは違い、やる気満々のみなさん。


「ええっと……」


 僕は、ミストラルを見つけて、つい手合わせをしたくなっちゃっただけですよ?

 けっして、みんなと騒ぎたいわけでは……


「エルネア君の相手をするわ。エルネア君をぎゃふんと言わせた者が、今夜独占できるわ」

「エルネア君が勝負したいみたいだわ。エルネア君を最初に押し倒した者が、今夜独占できるわ」

「いやいや、ユフィとニーナは何を言っているのかな?」


 僕とミストラルの話を聞いていたというユフィーリアとニーナが、嬉々ききとして竜奉剣りゅうほうけんを構える。


「そういうことでしたら。わたくしも、アーダさんに修行を見てもらいましたので、少し自信があります」

「エルネア様は、わたくしだけのものですわっ」


 こうなると、ルイセイネとライラも参戦してきちゃうよね。

 そして、プリシアちゃんとニーミアもやる気満々で準備運動を始め出しています。


「あら、貴女たちがそうなら……」

「ミストラルは、お勤めを優先させなきゃだわ」

「ミストラルは、お役目を完遂させなきゃだわ」

「いいえ、翁は後回しです」

「汝らは、我を軽く見ておるのう」


 ミストラルに大きなくしで漆黒のひげを解いてもらっていたスレイグスタ老が、がっくりと悲しそうにため息を吐く。


「ということで、エルネア。覚悟はいいかしら?」

「ふぁ!?」


 ミストラルさん、しょぱなから瞳があおく光ってますよ!

 見つめられただけで萎縮してしまいそうな気配を放つミストラルは、櫛を置くと代わりに片手棍を持つ。

 僕は妻たちのやる気に気圧けおされて、顔を引きつらせながら後退あとじさった。


「先手必勝ですわっ」


 じりじりと間合いを図っていた女性陣のなかで、ライラが先んじる。

 ライラの竜気を一身に受けた両手棍が黄金色に輝くのと同時に、こちらへ突進してきた。


「やあっ!」


 ライラの渾身の一撃が迫る。

 まともに食らっちゃうと、手合わせで大怪我しちゃう!

 僕はライラの武器と同じ材質の、霊樹の木刀を抜き放つ。そして、勢いもろとも薙いで受ける。


「はわわっ」


 必殺一撃を受け流されて、ライラは体勢を崩す。その背中を僕がちょこんと押したら、顔面から苔の上に倒れこんじゃった。


 まあ、お胸様が緩衝材になっていたし、大丈夫だと思います。

 なんて、乙女のあられもない姿をのんびり観察している場合ではありません。

 ライラのお胸様とお尻に僕が目を奪われている隙に、ミストラルが一瞬で距離を詰めてきた。


 背後から、恐ろしい鈍器どんきの気配が!

 振り向きざまに霊樹の木刀を振るう。

 狙いすましたかのように、木刀の刃と片手棍の先端に付いたとげがぶつかり合う。


 このまま普通に力勝負になると、僕が負けちゃうのは一目瞭然だ。そこで、木刀と片手棍が交わった場所を起点とし、僕自身が流れるように動いてミストラルの爆発力を受け流す。

 するり、とえがくように足を捌き、ミストラルの側面へと移る。

 ミストラルの不意打ちを完全に見切った動きにはなったけど、彼女の目は横に逃げた僕をしっかりと捉えていた。

 とはいえ、ここからが竜剣舞の本領発揮だ。手数でミストラルを圧倒して、今日こそは勝つ!


 というのが、いつもの僕。


 だけど、今の僕はこれまでとは違うよ?


 横に流れた勢いを利用し、回転しながらの二連撃に持っていく僕。

 だけど、ミストラルはそんな僕の動きなんてお見通し。一撃目を弾かれ、二撃目を見切って回避し、反撃をする。

 僕も負けじと手数を増やすけど、ミストラルは的確な動きで防ぎ、僕の隙を突いて必殺の一撃を繰り出す。


 という、少し先の未来が手に取るようにわかる。


 竜剣舞は、対峙する者を舞の相手として剣舞に巻き込み、戦いの流れををこちらに引き込む剣術だ。

 だけど、格上の相手は容易く僕の舞から離れ、逆に僕を掌の上で踊らせる。

 これじゃあ、負けない戦い、完璧な竜剣舞とはいえない。

 それは、昔からわかっていたこと。だけど、解決の糸口を見つけられないでいた。


 なぜなら。

 僕は、間違った考え方をしていたんだ。

 竜剣舞は手数が命。そう教えられてきたし、そう信じきっていた。

 でも、違うんだよね。

 本当の舞って、動と静が完璧に釣り合った状態じゃないと美しくないんだ。


 京劇で観た舞姫も、静と動を見事に使い分けていたよね。僕も魅入られて、竜剣舞に取り込もうとしていたけど、美しさにばかり気を取られていて、本質を見極められていなかったんだ。


 でも、今なら理解できる。

 あれは、無駄を省いた究極の美であり、そこへ至るためにはまだまだ試行錯誤が必要なんだ。

 そして、静と動を極めるためには、時として手数を捨てる覚悟も必要になる。


 これまでの僕なら、勢いを上手く利用して連撃を繰り出す。その決まり切った流れをぐっとこらえて、横薙ぎの一閃だけを放つ。


「?」


 すると、僕の動きに素早く違和感を察知したのか、ミストラルは攻撃を弾くと怪訝そうにこちらを見た。


「あら、意外ね。今の流れなら、二連撃から竜剣舞に入ると思ったのだけれど?」


 やはり、読まれていたね。

 読まれている動きを予定調和のように演じても、相手の思う壺でしかない。


「しかし、奇をてらったのであれば失敗であるな。今の動きで足が止まってしまっておるぞ?」

「ぐぬぬっ」


 達観している場合じゃありませんでした!


 いつもとは違う僕の動きを見たスレイグスタ老が、鋭く指摘してくる。


 そうなんだよねぇ。

 本心を言わせてもらうと、奇をてらったわけじゃない。

 僕だって、三日間も霊樹の精霊さんたちと濃密に修行してきたわけじゃないんだ。

 僕は、竜剣舞の修正に入っていた。

 攻撃一辺倒、手数で押せ押せだった型を改めて、相手の動きをしっかりと予測する、無駄を省く、戦況を捉える、という新たな要素を取り入れようとしていた。


 もちろん、これまでだってそれを怠ったことはない。

 でも、竜剣舞を更なる高みへと持っていくためには、これまで以上に精度を高める必要があるんだ。

 だから、基本を見つめ直し、あらのあった部分を無くす必要がある。

 格上の相手と相対したときに弱点があったら、必ずそこを突かれてしまう。それは、これからを考えると絶対に駄目なんだ。


「ふむ。負けられぬか。しかし、それで今までのものが崩れてしまっては意味がない。汝のいまの動きは、竜剣舞を習い始めた頃の不器用なそれであった」

「はい、自覚はしています。でも、最初からになったとしても、僕はこの戦い方を習得してみせます!」


 慣れた動きに修正を入れるのは、色々と覚えていくことよりも難しい。

 三日間みっちりと修行したといっても、この程度の動きしかできていない。

 だけど、前進はしていると思うんだよね。


 これまでだと考えなかったような、手数を減らして相手の動きを見極めるとか、攻撃一辺倒だった思考を変革することはできているんだ。


「まずは意識からであるな。あとは基本からやり直し、癖を修正していけば良い」

「はい。なので……。おじいちゃん、これからもよろしくお願いします!」

「くくくっ。汝の竜剣舞は、もう我の知識にあるそれを凌駕りょうがしておる。これよりは、お互いに試行錯誤であるな」

「自分じゃ悪手とか動きの悪さには気付きにくいので、またいっぱい指摘してくださいね」

「良かろう。厳しくいくことにしよう」


 僕とスレイグスタ老が硬く誓い合っていると、横でミストラルがあきれたようにため息を吐いた。


「はあ。エルネア、今がなんの最中だか忘れたのかしら?」

「はっ!」


 そういえば、手合わせの最中でした!


「会話がようやく終わったわ。隙ありっ」

「会話がやっと収まったわ。お覚悟っ」


 すると、待ちわびていたようにユフィーリアとニーナが襲いかかってきた。

 ミストラルに!


「なっ! なんでわたしなのかしら!?」

「まずは、邪魔者を排除だわっ」

「まずは、一番の強敵を倒すわっ」


 竜奉剣を使い、風の竜を生み出したユフィーリアとニーナは、ミストラルに容赦なく連携技を叩き込む。

 ミストラルは僕から双子へ戦意を向け直すと、怒涛どとうの反撃をしだした。


「うわぁ。容赦ないよねぇ」


 誰が、とは言いませんよ?

 ただし、悲鳴をあげているのはユフィーリアとニーナです。


「んんっと、プリシアがお兄ちゃんを最初に捕まえたよ?」

「あらま、いつのまにか捕まっちゃったか」


 ミストラルの戦いを観察していたら、プリシアちゃんが僕に飛びついてきた。

 がしっ、と僕に抱きつくプリシアちゃん。

 アレスちゃんも顕現してきて、幼女に捕縛される僕。

 ついでに、ニーミアも頭の上に飛び乗ってきた。


「どうやら、今夜は幼女たちとお泊まりに決定だね!」


 けっして、喜んでいるわけじゃないよ?

 つるぺたの幼女との楽しい夜よりも、妻たちとのむふふな夜の方が……


「エルネアお兄ちゃんが、よこしまなことを考えているにゃ」

「エルネア君!?」

「ち、違うんだ、ルイセイネ。プリシアちゃんたちに邪な考えなんて持ってないよ! ニーミア、変な部分だけ通訳しないでっ」


 ニーミアが漏らした部分だけで判断されちゃったら、僕は本当の変態さんになっちゃうじゃないかっ。とニーミアに抗議する僕。

 だけど、ルイセイネは冷たい視線で僕を見つめたまま、法術を容赦なく発動させた。


「うわっ!」


 状況分析や、相手の思考や動きを読み取ることが大切だ、なんて考えていたはずなのに、早速の見落としです。

 というか、ルイセイネの法術に気づけなかった。


 それもそのはず。

 ルイセイネは、苔の広場を覆う広範囲で法術を展開していたんだ。


 ルイセイネが法術を発動させた。

 すると、僕の足もとを収束点として、広げていた法術の罠が起動する。

 術に蓄えられた法力が一点に収束することで密度を増し、威力を上げていく。


 慌てて逃げようとしたけど、僕の下半身には幼女がまとわりついていて、思うように動けない。

 結局、僕は幼女たちと一緒に呪縛の法術に捕らわれてしまう。


「ぐぬぬ。普通の三日月みかづきじんなのに、こうもあっさり捕縛されちゃうなんて」

「ふふふ、発動方法を少し変化させただけなんですよ」


 僕たちを完全に呪縛したルイセイネが、満足そうに微笑んでいる。


 三日月の陣とは、本来であれば対象者の足もとに三日月の光と影を生み出して、影の部分で拘束する術だ。

 三日月の光が薄ければ薄いほど、術者の法力と精度が求められるらしい。

 そして、光が半月になると低威力の代わりに発動が速い「半月の陣」になったり、光る部分が完全になくなると上位呪縛法術の「新月の陣」へ変化するのだとか。

 なので三日月の陣は、巫女様が覚える初歩の法術なんだって。


 でもまさか、こんな初歩的な法術の展開を見落として、簡単に束縛されちゃうなんて。

 苔の広場の外縁に沿って展開していた三日月の陣は、広く薄く張り巡らせていたせいで、術の存在が希薄になり気づけなかったんだ。


 なんて、冷静に戦況分析をしている場合じゃありません。


 目に見えないなにかに、全身をかちんこちんに固められている感覚。下手をすると、胸の鼓動まで束縛されて止まりそう。そんな束縛力に包まれた僕たちは、危機にひんしていた。


 ふふふ、と怖い笑みを浮かべたルイセイネが、薙刀をくるくると回しながらこちらへと近づいてくる。


「ル、ルイセイネさん。術者であっても、三日月の影に入っちゃうと動けなくなるんだよね?」

「はい。なので、影の外からちくちくとさせていただきますね。巫女が薙刀という長物を使う理由のひとつです」

「!」


 悪い子にはお仕置きを。なんて生易なまやさしい気配じゃありませんよ、ルイセイネさん!

 このままじゃあ、僕はルイセイネにぶすぶす刺されちゃう!


 こうなったら……


 僕は、視線だけでプリシアちゃんとアレスちゃんに指示を出した。


「エルネアと」

「プリシアと」

「アレスの」

「「「くうかんちょうやくっ」」」


 指先さえ動かなくとも、僕たちには緊急脱出がある!


 術が発動し、プリシアちゃんとアレスちゃんが消える。直後には三日月の陣から遠く離れた場所に再出現して、きゃっきゃと楽しそうに跳ね回っていた。

 そして僕も。僕も……。僕は?


 なぜか空間跳躍が発動せずに、三日月の陣に捕らわれたまま。


 な、なぜーっ!?


「ふむ。今後のことも考えて、汝の竜術を封印してみた。場合によっては、そういう相手もおるであろう? 我は、汝に厳しくいくと誓ったのだ」

「おじいちゃん、よりにもよって、この状況でなんということを!」


 だけど、スレイグスタ老の厳しさはこんなものじゃなかった。

 動けない、しかも逃げられない僕へと、黒く巨大な手を振り下ろすスレイグスタ老。


「んにゃーっ!」


 僕の頭の上で寛ぎ、プリシアちゃんに触れていなかったせいで取り残されていたニーミアが、頭上に迫る超巨大な手に悲鳴をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る