大河と騎士

「ライラ、緊張してる?」

「き、緊張なんてしていないですわ。ずっとひとり旅をしてきましたので、夜営には慣れてますわ」


 いやいや、僕が聞いたのはそういうことじゃないからね?


 湖のほとり。竜の森との間にできた僅かな空き地で夜営することにした僕たち。

 火を起こしたり夕食の準備などは、僕とミストラルがほとんど行った。みんなは思いのほか疲れている様子だったので、これは元気な人の役割だ。

 だけど、夜間の見張りは甘いことばかりは言っていられない。油断、気の緩みが生命の危機に直結する。それは、竜峰で竜人族の戦士の試練を乗り越えた僕たちは、身に染みて理解していること。

 なので夕食後は、順番で夜営の見張りをすることになった。


 幼女たちを省いた残りで、二人一組の見張り当番をする。

 そして、僕とライラが一番最初の見張り役になった。


 食事を終えて、軽い談笑をした後はすぐに就寝。今回は遊びじゃないので、綺麗な景色や涼やかな自然の音を遅くまで楽しんでばかりもいられない。

 幼女組は遊び疲れたせいか、満腹になるとすぐに眠りについた。他のみんなもそれに釣られて、眠りに落ちた。


 正直、ユグラ様と暴君がそばにいる時点で、何かの襲撃なんてあるはずがない。だけど一応は、見張りを怠るわけにはいかないよね。


 見張りは立てるけど、ユグラ様と暴君に挟まれて、思い思いの場所で安心して眠りに就くみんな。本来なら、木や岩陰に身を潜めて寝るのが一番安全なんだけど。

 警戒しているのかしていないのか、よくわからない夜営です。


 みんなが寝静まったあと。焚き火の炎を絶やさないように枝をくべながら、隣に静かに座るライラに話しかけた。


 組み割りはミストラルの一存で決まったけど、僕とライラが一緒になった意図はなんとなく理解している。


「ライラはお城に戻ることが怖くない?」

「な、なんのことかわからないですわ。私は今回初めて、ヨルテニトスのお城に行くのですわ」


 そうでした。そういう設定でした。


 ライラは自分の出生をかたくなに口にしない。ヨルテニトス王国のお姫様は知らない誰かであり、ライラではない。ライラ自身はこの立場を貫こうとしている。そして僕たちも、ライラはライラであり、他の何者でもない大切な家族で、お姫様なんて知りませんよ、と貫くことが暗黙の了解になっていた。


 これは、今も過去から目を背けているという話じゃない。

 ライラには、僕たちに出会ってからのことが全てであり、今の彼女にとって過去はもう必要のないものでしかない。

 僕たちもライラの過去は重要ではなく、今現在の元気で明るいライラが大切だと思っているんだ。

 だから、誰がなんと言おうとライラはライラであり、どこかのお姫様だったり死んだはずの少女ではない。


「そうだね。僕もアームアード王国の王城には一度だけ行ったことがあるけど、あそこは本当にきらびやかですごい場所だったんだよ。だから、ライラはそういう場所に行くことに緊張しないのかな、と思って」

「私はエルネア様が側に居てくれれば、何も怖いものはないですわ」

「うん。僕だけじゃないよ。みんながライラの側にいるからね。だから、なにも恐れなくて良いと思う。何かあっても、僕たちが全員でライラを守るからね」

「……はい。ありがとうですわ。ですが、できればエルネア様おひとりに守ってもらいたいですわ」

「あはは、心がけるよ……痛っ」


 隣で焚き火のほのかな灯りに照らされたライラの瞳には、少しだけ涙がにじんでいた。そして、そんなライラに肩を寄せようとしたら、背後からなぜか石が飛んできました。


 気のせいでしょうか。


 振り返ってみるけど、背後にはミストラルとルイセイネが仲良く二人で寝ているばかり。


 気のせいだよね。


 ライラをもっと勇気付かせるためにも、ここはもう少し近づいて親密なお話とかした方が良いと思うんだ。


 気を取り直して。ライラの肩に触れるくらい近くに座り直す。


「痛いっ」


 今度は右手奥から木の枝が飛んできました。


 あっちでは双子王女様がなぜか抱き合って寝ている。


 むむむ。この野営地は危険かもしれない。何者かが悪意のある攻撃を仕掛けてきているのかも。


 ここはライラを守るためにも、もっと近づいて……


「いもいも」


 突然、僕の膝上にアレスちゃんが顕現してきた。


 ぐぬぬ。


 精霊のアレスちゃんには、睡眠は重要ではない。

 両手にふかし芋を握ったアレスちゃんは、僕とライラを邪魔するように、膝上で戯れる。


「敵が多いですわ……」


 ライラもさすがに苦笑していた。


 みんな寝ようよ! 明日も朝は早いんだよ!


 がっくりと肩を落とす僕。そしてなぜか四方八方から、くすくすと笑い声が漏れていた。


『愚か者め』


 暴君の呆れたような喉鳴りが夜の闇に溶けていく。そして僕とライラの見張りはこのあと、いくつもの妨害を受けながら、あっという間に過ぎ去っていった。






「エルネア君、起きてください。早く起きないと、置いていきますよ」

「ううん、それは困るよ……」


 翌朝。ルイセイネに優しく揺すり起こされる。彼女は相変わらず朝が早いので、見張りも明け方前にミストラルと担当していた。


 ルイセイネに起こされて、寝ぼけまなこで湖のふちへと顔を洗いに行く。夏なのに冷んやりと気持ちいい水で顔を洗うと、もう少し微睡まどろんでいたいという欲求は消えて、代わりに気合が湧いてくる。


「よし、今日は頑張るぞ」

「あらあらまあまあ。エルネア君は何を頑張るのでしょうか。わたくしたちはフィレル殿下に付き添って、王様のお見舞いに行くだけですよ?」

「そうなんだけどね」


 湖の水面に映る僕の顔は、複雑な笑みを浮かべていた。

 そして水面に映った自分の容姿を見て、頭が爆発していることを知る。


「仕方ないですね」


 ルイセイネは櫛を取り出し、僕の寝癖を直し始める。僕は大人しく座り、ルイセイネに頭をお願いすることにした。


 ミストラルは前夜に続き、朝食の準備を始めていて、ライラが手伝っている。

 双子王女様もすでに出発の準備は完了しているらしく、まだまだ寝足りないプリシアちゃんとニーミア相手に世話を焼いていた。

 フィレルとお付きの三人は相変わらずユグラ様のお世話中。

 フィオリーナとリームは、朝から飛び回っているよ。元気だね。

 全員がそれぞれの準備を整えいち段落してから、朝食になった。


「それでは、本日の行程を発表します」


 そして食事を食べ終えると、フィレルがみんなの注目を取る。


 王都までの空路はユグラ様が大まかに決めているけど、昔とは勝手が違う。細かい修正や進路上の注意はフィレルが行うことになっていた。


「この先、湖畔こはん沿いを進むと、シューラネル大河へと続く河があるそうです。それに沿って大河まで進み、その後は大河沿いに北上して、ヨルテニトス王国のカッド砦を目指します」

「カッド砦?」


 僕の質問に、フィレルが頷く。


「はい。ヨルテニトス王国側の国境検問所のようなものですね。そこには水竜騎士団と飛竜騎士団が常駐しています」


 水竜騎士団とは初めて聞きました。

 シューラネル大河を警備するんだろうね。


「カッド砦に寄り、そこからは正規の空路で王都を目指します」


 竜峰から離れてしまえば、僕たち一行の出処は不明になる。このまま所属不明で王都へと飛んでいっても、フィレルと双子王女様がいるからどうにかなるらしい。だけど、ここは穏便に。まずはカッド砦に寄り、正規の通行証を貰う。そして飛竜騎士団と同じ空路で進むことによって、無駄な疑いを払拭するのが最良らしい。


 僕たちには詳しいことはわからないので、素直にフィレルに従うことになった。


 朝食の後片付けの後、ユグラ様と暴君の二手に分かれて騎乗する。


 昨晩の抽選の結果。暴君には昨日と同様に僕とライラが騎乗する。そして今日は、前半はミストラルとルイセイネが一緒になった。


 どうも僕とライラは固定みたい。なんでそうなったかは省略するとして、午後からの後半は、ミストラルとルイセイネの代わりに双子王女様が騎乗する予定になっていた。


 プリシアちゃんはフィオリーナとリームと遊びたいので、ニーミアと一緒に終日ユグラ様に騎乗するみたい。


 全員が騎乗し終えると、ユグラ様と暴君は夜営地を飛び立つ。

 ユグラ様は優雅に。暴君は荒々しく。


「きゃぁっ」


 わざとらしい荒い飛び立ちに、ルイセイネが悲鳴をあげる。


「こらっ。もっと静かに飛んでよ」

『ふふん。なぜ我が貴様らへ配慮せねばならんのだ』


 暴君は咆哮をあげて、一気に高度を上げていく。

 ライラとルイセイネは抱き合って悲鳴を上げているけど、何か楽しそう。

 僕の傍に座るミストラルは、ことの成り行きに苦笑しつつも、暴君の力強い羽ばたきに満足そうにしている。


 暴君が暴れるので、ユグラ様は仕方ないといった様子で後をついてきた。

 振り返ると、フィレルや双子王女様が手を振って応えてくれた。何気にお付きの三人も楽しそうに手を振っています。


 本日も天気は良いみたいで、流れる景色の空はどこまでも青く気持ちが良い。時折、厚い雲が現れるけど、それは瞬く間に遠くの景色へと変わる。


 暴君、張り切りすぎです。

 予定よりも早い速度で、僕たちは目印になる大河へと到達した。


「うわあっ、すごいよ!」

「本当ですね。これは河と呼べるものなのでしょうか」


 僕とルイセイネが感嘆のため息を漏らす。


 それもそのはず。シューラネル大河は。河と呼ぶには想像を絶するほど広い。

 暴君が限界高度まで上がってようやく、東と西の対岸を同時に見ることができた。

 先にこれが大河だと教わっていなかったら、ここも湖かもしくは海なんじゃないかと思っていたかも。


 アームアード王国にも、幾つもの河川が存在する。なかには王都を流れる河もあるけど、それとは規模があまりにも違いすぎる。


 これが大河というものなんだね。


「西に見える岸がアームアード王国、東に見える岸がヨルテニトス王国ですわ」

「わたしたちは今、国境の上を飛んでいるのね」


 フィレルは大河沿いに北上すると簡単に説明していたけど、これはヨルテニトス王国側に寄って飛ばないと、カッド砦を見失いそうだね。


 暴君にお願いして、大河の東側を飛んでもらう。


「大河の水は、北側に向かって流れているんだね?」

「そうですわ。この先ずっとずっと北に進めば、大陸の北にある海に出ますわ」

「ライラさんは物知りですね」

「はい。小さいときは時間が沢山ありましたから、いろんな冒険譚を読んだりしていたんです」


 はにかむライラ。


 ライラが読んだ冒険譚のなかに、自作のいかだ船を造って、北の海を目指す少年少女の物語があったらしい。


 なにそれ。すごく興味あります。僕も読んでみたい!


 その他にも、大河を氾濫はんらんさせる魔獣と水竜の騎士の物語や、アームアード王国とヨルテニトス王国の両岸に住む村娘と貴族の男の子の恋話など、ライラの語りに耳を傾けながら、北へと進む。


 すると昼前。突如ユグラ様が暴君の前に飛び出しててきた。

 何事かとフィレルを見ると、何やら合図を送っている。


『カッド砦が近いらしい』


 竜心は便利だね。


 大声を出しても届かない距離でも、竜心があれば離れた竜の意思を読み取れる。

 ユグラ様の意思を読み取り、みんなに伝える。


「少し速度を落とそう。高速で接近して変な警戒を与えるわけにはいかないからね」


 僕の提案で減速するユグラ様と暴君。


 だけど、僕の配慮は意味がなかった。


 突然、大河の水中から何本もの水の柱がせり立つと、ユグラ様と暴君を囲う。

 最初に進路を阻まれて、空で急停止した瞬間を狙われた。前後左右を水の檻で取り囲まれてしまった。


『無法なる空の愚か者よ、どこへ行こうというのだ』


 水中奥深くから現れたのは、二十騎を越える水竜騎士団だった。

 そしてそのうちの一体が甲高い声で鳴き、竜心に触れる。


『これより北は、人の治める領域。無用な侵入はつまらぬ争いを生むだけだ。用がなければ早々に立ち去れ。さもなくば……』


 大河の水面に現れた二十以上の水竜が、けたたましく雄叫びをあげて叫ぶ。

 そして、その背に騎乗する竜騎士が、角笛つのぶえのようなものを鳴らして、水竜の鳴き声と共鳴する。


 水竜騎士団の警告行動に、ぎらりと暴君の四つの瞳が鋭く光った。

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