南への意志

「ちょっと待ってもらえるかしら、シャルロット」


 シャルロットの思わぬ宣告に固まる僕たち。だけど、ミストラルだけがなんとか衝撃に耐えきって、話に割り込んできた。


「変じゃないかしら? 神族の国に関わるな、とエルネアに言っていたのは巨人の魔王の方でしょう? それなのに、今さら偵察に行けだなんて、虫が良すぎるのではないかしら?」


 そうだよね。

 僕が神族の国に関わることを誰よりも懸念けねんしていたのは、巨人の魔王だった。

 事あるごとに、神族の国が気になっても関わってはいけない、と釘を刺されていたよね?

 巨人の魔王以外にも、スレイグスタ老やミストラルから注意されていたから、僕は今まで竜峰の南にはあまり近づかないようにしていたんだ。

 それなのに突然、神族の国へ赴いて内情を調査しろだなんて、あまりにも急で違和感がある。


 僕たちの疑問に、シャルロットは細い瞳を更に細めながら、人差し指をあごに当てて困った表情を見せる。


「そうなのです。陛下も、本当はエルネア君たちを関わらせたくないと仰っていました。ですが、方々かたがたからの勅命ちょくめいですので、断れなかったのです」

「あの方々……? そうか、本当はそっちからの依頼なんだね」


 つまり、僕たちを巻き込んだのは、巨人の魔王ではなくて、魔族の支配者ってことだね?


 魔王といえども逆らうことのできない、絶対の支配者。

 妖魔の王との戦いには介入してこなかったけど、まさかここにきてとんでもない命令を下してくるなんて!


「っていうか、僕たちは魔族の支配者のしもべじゃないんだから、勅命とか関係ないよね!?」

「そうですね。エルネア君は魔族でもないですし、神族と魔族の事情も関係ありませんね。ですが、彼の方々の機嫌を損ねますと、禁領や竜峰より東の地が、果たしてどうなりますでしょうか」

「わわっ! 魔族の支配者らしい、清々しい卑怯ひきょうさだね!」


 思わず感心しちゃった。

 相手のことなんて、これっぽっちも考えていない、自分勝手な魔族らしい命令。しかも、その命令は自分の支配する魔族だけでなく、関係のない僕たちにまで及ぶ。そして、拒否すれば壮絶な仕返し、というか嫌がらせが待っているに違いない。

 しかも、魔族の支配者であれば禁領に霊樹ちゃんが根付いたことを知っているはずだ。知っているからこそ、僕たちが拒否できないと確信していて、今になって命令してきたんじゃないかな?


 どこまでも僕たちを弄び、翻弄する魔族の支配者に、全員で大きなため息を吐く。


「でも、なんで今さらなの?」

「と、仰いますと?」


 僕の質問に、首を傾げるシャルロット。


「だってさ。神族と魔族の対立は、ずっと前からだよね? なのに、急に僕たちへ命令してきたのはなぜだろう?」


 今までだって、魔族は何度となく神族の国を偵察してきたはずだ。

 ルイララも、何度となく神族の国に入って調査してきたと言っていたよね。

 なのに、なぜ今回は僕たちなんだろう?


 こちらの疑問に、シャルロットは「そういえば」と一旦は僕に手渡した通行証を取り戻し、注意深く見るように促す。


「うわっ。真紅の通行証……!」


 改めて、通行証に目を向ける僕たち。

 表面は黒漆くろうるし螺鈿細工らでんざいくで美しい風景が描かれている。おそらく、朱山宮しゅざんぐうを遠目に見た景色だろうね。縁取りは金で、いかにも重厚な見た目の通行許可証だ。そして、美しい螺鈿細工を損なわないように、通行を許可するむねの文章が銀の文字で彫り書かれていた。

 その通行許可証を、シャルロットが裏返す。すると、表面とは違い、こちらは真紅色に染められていた。

 だけど、真紅色に染められているだけで、御名ぎょめいの刻印や玉璽ぎょくじの押印はされていない。


「エルネア君たちには、おわかりですよね? 現代ではすたれた魔族の風習ではありますが、この色は禁色きんしょくでございます」

「たしか、昔の魔族は色にもこだわっていて、支配者が好む色は他の者たちは使えなかったんだよね?」


 巨人の魔王であれば、鮮やかな青。シャルロットだと、金色かな。

 魔王や大魔族が指定した色は、下位の魔族は使用できない。

 そして、真紅色や朱色しゅいろといえば、今でも魔族の支配者を指す色だと誰もが知っていた。


「表面には朱山宮の螺鈿細工が施されていて、裏面は真紅色。つまり、誰が発行したかとか書かなくても、魔族であれば絶対にわかるってことだね?」

「この通行証に逆らうということは、彼の方々に逆らうことを意味していますね」

「魔族の国を進むのなら、この上なく安全な通行証だ!」


 ウェンダーさんとジュエルさんも、まさか支配者が通行許可証を発行するとは思わなかったのか、目を見開いて驚いていた。

 だけど、魔族を甘く見ては行けません。

 注意事項として、とシャルロットが笑顔で付け加えてきた。


「この通行証を持っていることを、一般の魔族側は知りませんので。提示していないときに襲われても、こちらは関知致しません。とはいえ、困った時にはこちらを持って行政府へ駆け込んでくださいませ。そうすれば、お二人だけは魔族の庇護ひごを受けられますので」

「うわぁ……」


 この極悪魔族、さらっと恐ろしいことを凝縮して口にしましたよ?

 通行証の提示がない場面では、何が起きても知らない。もしも何か事件や騒動に巻き込まれても、通行証を持つウェンダーさんとジュエルさんしか助けない。そして、助けを求めるなら行政府へ駆け込まなきゃいけないうえに、よりにもよって「魔族」の庇護を受けることになる、と明言しちゃった。

 これって、元武神と元神将の二人には、屈辱的な意味を持つよね。


 とはいえ、これは魔族側からしてみれば破格の待遇を用意したことになるのかもしれないね。

 なにせ、敵対する種族の実力者を懐の内で自由にさせようというのだから。

 ウェンダーさんとジュエルさんも十分に理解しているのか、シャルロットの言い分に食い下がったり反抗心を見せたりしはしない。

 というか、シャルロットは最初からウェンダーさんもジュエルさんも相手にしていない。

 話し相手はいつだって僕で、通行証も二人にではなくて僕に手渡すくらいだ。

 まさに、眼中にない、といった感じだね。


「それで、通行証の発行と引き換えに僕たちに働けと?」

「はい。つまるところ、エルネア君たちへの嫌がらせは、この通行証を発行する対価でございます」

「今、嫌がらせってはっきり言ったよね!?」


 やっぱり、魔族の支配者の嫌がらせなんだね?

 申し訳ない、と表情を曇らせるウェンダーさんとジュエルさん。

 それでも、こちらに選択肢はないようなので、僕は素直に通行証を受け取った。そして、ウェンダーさんとジュエルさんに手渡す。


「ふふふ、エルネア君でしたら、素直にお受けくださると思っていました」


 魔族の思惑通りに進んでいるのか、シャルロットは満足気に微笑んでいる。

 まあ、いつも細目で微笑んでいるから、僕のように表情で本心を読み取る、なんてことはできないんだけどね。


「では、具体的なお話に移るといたしましょう」


 屋外での立ち話もなんですし、とルイララの案内でお屋敷に入る。

 家礼のお婆さんとお爺さんが準備してくれていた席に座り、僕たちはシャルロットから魔族の意向を聞くことになった。


「エルネア君たちには竜峰の南から神族の国に入っていただきたいと思います」


 竜峰の南端は、神族の帝国に接している。

 この帝国こそ、魔族を滅ぼし、人族や他の種族を呑み込んで大帝国を築こうとくわだてている諸国の敵なんだよね。

 僕たちは、その帝国の内情を調べなきゃいけないようだ。


「エルネア君たちは人族ではありますが、同行者に巫女が二人もいますし、神族の奴隷狩りに会う危険性は少ないと思います。ですので、できればどこかの都市などに入って帝国の動きを探ってほしいところでございます」

「ミストラルは竜人族だけど?」


 魔族や神族は、相手を見ただけで種族を見抜く眼を持っているよね。

 ルイセイネやマドリーヌ様が同行するとはいえ、竜人族がいても大丈夫かな?


「んんっと、プリシアは耳長族だよ?」


 あろうことか、シャルロットの膝の上に乗ってお菓子を食べながら、プリシアちゃんが無邪気に言う。

 つまり、君も同行する気満々なんですね!


「その辺りも、竜峰の近くでしたら多目に見られるかと思いますよ?」

「そうか。南の方では、竜人族と神族の交流が少しあるらしいからね」


 だから竜峰の南から入れ、とシャルロットは言ったんだね。


「横からすまない。それであれば、我らの故郷を頼ると良いかもしれない」

「ウェンダーさんの故郷? なるほど。アレクスさんたちの住む村ですね?」

「あそこは竜峰の麓で、竜人族との交流もある場所だ。アレクスも君たちへの恩があるだろうし、協力してくれるだろう」

「でも、僕たちは魔族のために情報収集をしようとしているんですよ? 神族を巻き込んだら、迷惑では?」

「いや、大丈夫だろう。君たちならな」


 どういうこと? と家族全員で目を見合わせて首を傾げる。


「ともかく、アレクスを頼ると良い。きっと君たちにとって有意義な旅になるはずだ」


 むむむ。有意義な旅、ですか。

 神族としては、自分の国を探りに行く計画を立てていることに思うところがあるはずなのに、ウェンダーさんは「有意義な旅」を強調したね?

 なにやら、ウェンダーさんにも色々と隠し事があるようです。そして、僕たちが神族の帝国でアレクスさんたちと合流することが最善に繋がると思っているみたいだね?


「シャルロット、それでも良いかな?」


 念のために確認を入れると、プリシアちゃんとたわむれあっていたシャルロットが「はい」と返事をした。

 ふむふむ。シャルロットにとって、ウェンダーさんの事情、というか神族なんて本当に眼中にないんだね。

 しかも、ここでもさらりと恐ろしいことを言う。


「もしも神族を頼って危険になった場合は、リリィを通して私へ伝えてくださいませ。そうすれば、その問題を消し去って差し上げますので」

「それって、土地ごと消し飛ばすって意味だよね!? シャルロットの介入は、駄目、絶対!」


 これは、シャルロットがウェンダーさんに釘を刺したってことで良いのかな?

 僕たちを利用して危険にさらすのなら、封印を解放してでも神族の帝国を消し飛ばす、と脅しているんだ。

 元武神のウェンダーさんなら、大魔元帥だいまげんすいとしてのシャルロットの恐ろしさも知っているだろうからね。


「エルネア君。陛下も心配していらっしゃいました。今回は上の方々の意向で逆らえない依頼ですが、どうか無理はなさらないように。危険だと判断した場合は、どのような状況であっても撤退してください」

「まさか、巨人の魔王に心配されるだなんてね。魔王は本当に僕たちを神族の国に関わらせたくないんだね?」

「それは、もちろんでございます。今、魔族と神族の問題に関わるということは、国家間の問題に足を突っ込むことを意味していますから。良いですか、エルネア君。今回の件に入り込みすぎますと、行き着く先は戦争でございますよ? その辺りを十分に考えて、行動してくださいませ」

「魔族と神族の戦争か……。もう、個人の思惑なんて意味をなさない領域になるんだね?」


 僕は、今までにも色々な問題に巻き込まれてきた。

 だけど、国と国、という単位の問題はなかったような気がする。

 でも、今回は違うんだね。

 僕たちは、魔族の依頼で神族の国を調査しようとしている。それが、今後にどんな意味を持つのか。僕たちはその辺も考えながら旅をしなきゃいけないようだ。

 神族の帝国の内情を考えなしに調べ回り、持ち帰った情報によって大規模な戦争に発展した。なんてことになったら、僕たちには大きな責任と罪がのしかかってくる。


 運良くなのか、意図してなのか、シャルロットは何を調べて何を報告するのか、具体的なことには言及しなかった。

 きっと、僕たちの立場をかんがみて、魔王やシャルロットが配慮してくれたんだろうね。


「よし。それじゃあ、まずは竜峰を南に下って、アレクスさんの村を訪れる。そこから神族の都市か情報が集まるような場所に赴いて、内情を調べる。調べる内容なんかは、僕たちに任せるってことで良いんだよね?」

「はい。彼の方々も、そこまでは言及なさっていませんでした」

「あくまでも、僕たちを神族の国へ行かせたいことが重要なのかな? 僕たちは、神族の国の内情よりも、魔族の支配者の思惑に気をつけないといけないみたいだね」


 あえて口に出して状況を整理してみたけど、シャルロットからの突っ込みはなかった。

 つまり、僕の考えは正しいということだ。


「はははっ。エルネア君、彼の方々に目をつけられるなんて、大変だね。それじゃあ、気をつけていってらっしゃい」

「ルイララは行かないの?」

「何を言っているのかな? 僕は魔族だから、おおやけには活動できないよ?」


 ちっ、とわざとらしく舌打ちをすると、みんなが笑う。

 ルイララも、残念そうな表情で僕をみて笑っていた。


「本当に、エルネア君は酷いよね? 病み上がりの僕を巻き込もうとしていなかったかい?」

「気のせいだよ?」


 まあ、気のせいじゃないけどね!

 あわよくばルイララを巻き込んで、魔族の支配者の魔手をそっちに受け持ってもらおうと思ったんだけど?

 だけど、ルイララにはルイララの役目が待っていた。


「ルイララ。貴方には陛下より御下命ごかめいはいしております。貴方は妖精魔王ようせいまおうの国へ赴き、そちらの内情を調べなさい。場合によっては、有翼族の隠れ都市国家や以南の人族の国へ向かってもらう場合もありますので」

「うわぁ、僕も大変そうだ」


 上司であるシャルロットの命令に、ルイララも表情を引き攣らせていた。

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