聖地

 驚きのあまり、僕とルイセイネはお互いにきゅっと抱き合う。その姿を見て、アイリーさんが更に深く微笑んだ。


「あら、お邪魔だったかしら? でも、君たちも破廉恥はれんちな様子をわたしに見られたくはないでしょう?」

「そ、それはそうですけど……それよりも! なんでこんな場所にアイリーさんが!?」


 ここは、禁領。

 霊山の西側に広がる、深い樹海の奥。

 僕たちでさえも存在を知らなかった古代遺跡の地下。

 そこに、なんでアイリーさんの姿が!?


「はっ! まさかアイリーさんも古代遺跡を利用して転移してきたのかな!?」

「エルネア君、それだとアイリー様はわたくしたちよりも奥の階段の下から現れるはずですよ?」

「言われてみると? いや、先入観を持っちゃっ駄目だよ、ルイセイネ。アイリーさんは僕たちが来る前に転移していて、隠れていたんだ!」

「それですと、わたくしもエルネア君もアイリー様が気配を隠したいたことを見破れなかったことになって、ミストさんやアリスお母様にお仕置きされますよ?」

「うっ……」


 未知の領域へと入るわけだから、僕もルイセイネも油断はしていなかった。

 まあ、ちょっぴり下心に支配されそうにはなったけどね?

 でも、周囲の警戒を怠るような僕たちではない。だから、アイリーさんが古代遺跡の近辺に身を隠していて、僕たちの不意を突いて出てきたわけではないと思う。

 では、アイリーさんはなぜ、突如として僕たちの背後、古代遺跡の入口の方に現れたのか!?


「単純な話じゃないかしら? 君たちの辿った痕跡を追って、全力で追いかけてきたのよ? それで、今まさに追いついたところだったってわけね。もう少し早めが良かったかしら? それとも、もっと遅めが良かった?」

「どっちも控えてほしかったですよーっ!」


 僕の叫びは、地下へと続く階段の中に響き渡る。


「あら、ごめんなさいね?」


 びれもなく微笑むアイリーさん。そうしながら、やはり遠慮なく僕とルイセイネの側に歩み寄ってくる。


「それで、ルイセイネちゃんの質問の答えだけれど。人族の繁栄の跡、大陸の中心には神殿宗教の『聖地』が在るのよね?」


 なんでアイリーさんが人族の宗教にいつて詳しいのかな?

 何百年も生きてきた間に積み重ねられた知識なのかな?

 その疑問はともかくとして。


 ルイセイネは、アイリーさんの答えに頷いた。


「はい。アイリー様の正解でございます。エルネア君は答えられませんでしたので、あとでわたしくのお仕置きですよ?」

「えっ!?」


 ご褒美ですか?


「それにしても、不思議だわよね? 大陸の中心で繁栄を謳歌おうかして、今でも『聖地』と呼ぶくらいの場所なら、ずっとそこに住み続ければ良いじゃない?」


 どういうこと? とアイリーさんの言葉の意味の補足を貰おうと、ルイセイネを見つめる。

 僕とルイセイネはまだ抱き合ったままだったから、睫毛まつげが当たりそうなほど近くにルイセイネの顔があった。


「エルネア君、勉強不足ですよ?」

「ごめんね、ルイセイネ。あとでいっぱいお仕置きを受けるから、お馬鹿さんな僕に教えてくれないかな?」


 仕方ないですね、とルイセイネはとても嬉しそうに微笑みながら、アイリーさんの補足をしてくれた。


「人族は、聖地を追われたのです」


 大陸の中心で、繁栄を極めた人族。

 だけど、ある時代。人族の繁栄は突如として終焉を迎える。

 それでも、人族は嘗ての繁栄の中心であった大陸の中心から動くことはなかったという。


「ですが、数千年前のことです。人族は、大陸の中心にある聖地さえも失ってしまったのです」

「聖地は失われたの? どうしてかな!?」


 なぜ、人族は聖地を失ったのか。僕の疑問に、だけどルイセイネは困ったような表情を見せた。


「じつは、その部分も詳しくは伝わっていないのです」

「えっ!?」

「何が原因で人族が聖地を失ったのかを、わたくしも知らないのです」


 ルイセイネが知らないということは、神殿宗教の関係者は誰も知らないということだよね。少なくとも、アームアード王国やヨルテニトス王国の神殿には、聖地を失った原因は伝わっていない。

 だけど、聖地を失った時代の人族の歴史だけは伝わっていたみたい。

 ルイセイネは話してくれる。


「聖地を追われた人族は、長い放浪の時代に入りました」


 幾たびにも及ぶ厳しい試練や、過酷な困難の連続。

 だけど、人族は諦めずに前へと進み続けた。


「人族は、それを女神様の試練だと信じて真摯に向き合い続けたのです。そして、その人々の心の支えであり最後まで導いた者たちこそが、エルネア君もご存知である聖四家せいよんけの方々なのですよ」

「マドリーヌのご先祖様は、思っていた以上にすごかった!」


 聖四家の巫女を中心として、人族は長い放浪の旅を続けた。

 そして、新たな定住の地を見つける。

 それが現代の神殿都市だと教えてくれる、ルイセイネ。


「だから、人族は神殿都市を『神殿宗教の総本山』として大切にしているんだね!」


 女神様の試練の果てに辿り着いた「約束の地」だからこそ、人族は神殿都市を大切に守り、信仰しいるんだ。

 そして、聖四家がいかに尊い家系なのかも、改めて思い知る。


「エルネア君、ですがお話はそこで終わりではないのですよ?」

「と言うと?」

「わたくしたち人族が何故なぜ、未だに大陸の中心を『聖地』と読んでいるのかを考えましたか?」

「追われて失われた場所なのに、聖地と呼び続ける理由……? かつての繁栄の場所だったから、という理由だけじゃ薄いよね?」


 アイリーさんは、僕とルイセイネのやり取りを邪魔しないように、傍で静かに見守ってくれていた。

 僕は、むうむうと思考を巡らせる。

 そして、思いついた。


「……もしかして? 大陸の中心を『聖地』と呼び続ける理由が人族にはある? そして、聖地に関する伝承が民間ではなくて神殿宗教に残っているということは……?」


 本来であれば、歴史に詳しいのは歴史学者だよね。でも、こと聖地に関する伝承は、ルイセイネがしゅとなって話しているように、神殿宗教に深く由来している。

 それは何故なのか。

 そして、そもそも何故「聖地」なのか。


「つまり、大陸の中心には、神殿宗教にとってとても大切な『何か』があるんじゃないかな? だから、聖職者の人たちは人族が繁栄を謳歌した大陸の中心を今でも『聖地』と呼び続けている?」

「ふふふ、正解です」

「やったー! それじゃあ、正解のご褒美をちょうだいね?」

「仕方がありませんね? ですが、それは帰ってからですよ?」


 それじゃあ、聖地にはどんな大切なものがあるの? という僕の疑問に、ルイセイネは苦笑した。


「ふふふ。エルネア君、ようやくそこに辿り着きましたね? では、お教えいたします。聖地には、神殿宗教において最も崇高なお方が残られているのです」

「最も崇高なお方? それって、神殿都市の巫女王様じゃないの?」

「ある意味では、巫女王様も最も崇高なお方ですね。ですが、違うのです。聖域には、神殿宗教の祖である、姫巫女ひめみこ様が今でも人族の帰りを待ってくださっているのです」

「えっ!? 姫巫女様?」


 そ、それって……!?


「アリスお母様やミシェル様は、聖域からいらっしゃったのですよね?」

「う、うん。そして、その聖域には巫女王様や奥の姫様がいるって、アリスお母さんが……」


 聖域を守護する、巫女騎士。それが、アリスさんだ。


「それじゃあ……? 聖域って、聖地のことだったんだね!」


 ああ、だからなのか。とアリスさんの配慮を思い出す。

 アリスさんは、自分たちの正体やどこから来たのかという秘密を、流れ星さまたちには伝えないように僕にお願いをしていたよね。


「つまり、アリスさんやミシェルさんは聖地の人ってことだね?」


 でも、それだとお話の辻褄つじつまが合わなくなるような? と首を傾げた僕に、ルイセイネが補足してくれる。


「人族は聖地を追われました。ですが、聖地に残った方々もいらっしゃるのです。それが姫巫女様や、ご奉仕をする方々ですね」


 そして、続けるルイセイネ。

 身体こそ僕に預けているけど、心構えは真剣そのものだ。ルイセイネ、というか神殿宗教に身を置く者にとって、このお話はとても重要なものなのだと、密着した上半身の緊張から伝わってきていた。


「人族は、いずれは聖地へと帰る。それが、神殿宗教の尊い願いであり、目標でもあるのです。ですので、神殿都市では今でも聖地を目指す巡礼団が度々編成されているそうですよ?」

「そうなの? それじゃあ、聖地を訪れた人もいるんだね?」


 いったい、聖地とはどういう場所なんだろうね? と気楽に言ったら、ルイセイネは困った表情になった。


「エルネア君。人族は聖地を追われ、長い旅の果てにようやく約束の地に辿り着いたのですよ? ですので、聖地へ向かうということは、その過酷な試練をさかのぼりするという意味になるのです。それに、アリスお母様は言っていませんでしたか? 聖域にはそう易々とは入れないのですよ?」

「聖域には、選ばれたものしか入れないんだよね? その選定や、資格のない者の侵入を防ぐ役目が、アリスさんたち巫女騎士なんだよね。それじゃあ……?」

「過去から現在に至るまで。聖地を目指した巡礼団が無事に帰還を果たしたという話は伝わっていません」


 息を呑む僕。

 これまで、いったいどれくらいの巡礼団が編成されて、何人が聖地を目指したのかはわからない。

 だけど、聖地に向かい、無事に辿り着いて、巡礼を終えて神殿都市に帰ってきた者はいない。

 その事実に、僕は愕然がくぜんとしてしまう。


「聖地……アリスお母さんさんたちの故郷である聖域って、本当に特別な場所だったんだね? ミシェルさんたちがアリスお母さんを必死に呼び戻そうとしていた理由も、きっとそういう部分にあるんだろうね?」


 まあ、ミシェルさんだけは、実の母親を失いたくはないという個人的な想いが一番に強かっただろうけどね。


「ここは、その聖域と禁領を繋ぐ古代遺跡なんだね?」


 それじゃあ、僕たちも古代遺跡を利用したら、厳選された巡礼団さえ辿り着けなかった聖域に行けるかも? とは思わなかった。

 だって、古代遺跡の空間転移は、まだ得体の知れない術だかなね。

 あの魔女さんやアーダさんが封印して回っていたくらいだ。きっと、僕たちが思うような簡単な性能ではないはずだからね。

 知識不足のなかで起動させてしまったら、何が起きるかわからない。それこそ、嘗てのセフィーナのように、知らない場所へと勝手に飛ばされて、途方に暮れるなんて可能性だってあるんだ。


「僕たちが古代遺跡を利用することはないね。だいだいさ。行くのなら、聖地には自力で行きたいよね! それこそ、ニーミアやレヴァリアに乗って、ばびゅーんってさ?」

「エルネア君、ニーミアちゃんやレヴァリア様に乗せてもらうことは自力と呼べるのでしょうか?」

「うっ、それは……。でも、ほら。僕たちは竜神さまの御遣いだからね! 竜族の力を借りることは間違いではないと思うよ?」

「ふふふ、言い訳ですね?」


 何はともあれ。

 まずは、古代遺跡をしっかりと調査しなきゃいけない。そのために僕たちはここへ来たんだからね?


 ん?


 それじゃあ、古代遺跡を調査しに来た僕とルイセイネを追って来たアイリーさんは、どんな用事があるんだろう?

 そこでようやく、僕とルイセイネはアイリーさんと向き合う。

 アイリーさんはこれまで、僕たちのやり取りを辛抱強く見守ってくれていた。

 そのアイリーさんが、それでは、と微笑んだ。


「その竜神様の御遣いである君たちに、お願いがあって来たのよ?」

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