風の谷のエルネア
何事も、現場に入らなければ問題の根幹は見えてはこない。
ということで。
さてと、と僕は風狂う渓谷へ一歩踏み入った。
その直後。
「あああぁぁぁぁぁぁあああっっ!」
右から左から、上から下から。あらゆる方向から暴風に
翼なのい僕が風に乗って空を飛んでいる、と
制御不能の状態で飛ばされた僕に、切り立った
「はあっ」
暴風によって吹き飛ばされて、崖に激突しそうになった直前で、僕は空間跳躍を発動させた。そして、瞬間的に移動した僕は、暴風から逃れて崖の下に降り立った。
ふう、と
危うく、崖に身体をぶつけて痛い目をみるところだったよ。
と、気を抜く暇もなく!
「うひゃあああぁぁぁっっ!」
僕はまたもや暴風に煽られて、上空へと荒々しく吹き飛ばされた!
ニーミアは、この風狂う渓谷に僕を残して、飛び去っていった。それはきっと、ミストラルたちの意志によるものだ。
つまり、僕はこの渓谷の荒れ狂う暴風を鎮めなきゃいけない役目を負っているんだと思う。
では、この問答無用に吹き荒れる風は、いったい何なのか。
渓谷に一歩入っただけの僕を、
自然の風ではないよね。
風に揉みくちゃにされながらも、僕は状況を見極めていく。
渓谷を支配する、荒れ狂う暴風。
人を簡単に空へと舞い上がらせる荒々しい風は、まるで意志でも宿しているかのように僕の自由を奪う。
僕は舞い上げられた上空で何も抵抗できずに、暴れ回る風の意のままに吹き飛ばされ続ける。
そして、今回は大木の幹に叩きつけられそうになって、慌てて空間跳躍を発動させた。
一瞬で視界が切り替わり大木の根元に無事に着地する僕。
空間跳躍が使えなかったら、僕は最初の時点で大怪我を負っていたかもしれない。
それだけ容赦のない風が、原生林に覆われた渓谷を支配していた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒れ狂う風は、息さえもまともに
でも、肩で荒く息をしていると、またすぐに強風が吹き荒れ出す。
「そう何度も同じ手には掛からないぞ!」
今度は暴風に巻き上げられる前に、僕は逃げるように空間跳躍を発動させた。
だけど、風に待ち伏せされていた!
跳躍した地点で、旋風が巻き起こる。そして、僕はまたもや一瞬にして上空へと投げ出された。
やはり、この風は自然現象なんかではない。
渓谷に吹き荒れる風の全てに何者かの意志が乗っていて、そして侵入してきた僕を
僕は考える。
というか、考えるまでもなく、ある答えが頭を
ミストラルたちの報告では、竜王の森に風の精霊王が流れてきたという。その風の精霊王は、竜王の森の守護者になろうと考えていたようだけど、ミストラルたちによって
最終的にはアレスさんの登場で全てが丸く収まったように思たけど。
でもね?
その後の話を、僕はまだ聞いていないよ?
風の精霊王の、それからのお話。
禁領をそのまま流れ去ったのなら、特には問題ないよね。
だけど……
もしも、風の精霊王が禁領に残っていたとしたら。
そして、竜王の森以外の場所で風を巻き起こしていたら?
僕は、意識を研ぎ澄ませていく。
自然を感じ、世界に心を溶け込ませ。そして、風を読む。
『我の風域に気安く足を踏み入れるとは、なんと
僕を上空へと吹き飛ばした風。
ごうごうと、風切音が耳を支配する。でも、その声は耳にではなくて心の中に直接届いてきた。
「その声は、風の精霊王さまですね?」
吹き飛ばされながら。僕は、風の声に応える。
すると、反応があった。
『我が風を読むか、人族の小僧よ』
「はい。ミストラルたちと同じように、僕にも精霊王さまの声が聞こえますよ」
それだけじゃないよ、と僕は目の前を荒々しく通り過ぎていった風に手を伸ばす。
感じる。
精霊の気配と、精霊の
ルイセイネのように視認することはできなくても、僕は顕現していない精霊の存在を感じることができるんだ。
そう。アレスちゃんを常に感じているように。
「……あれ? というか、アレスちゃんの気配がない!?」
ま、まさかアレスちゃんにも置いていかれちゃった!
僕は、アレスちゃんの協力無しでこの問題に立ち向かわなきゃいけないのかな?
うーむ、それは困りましたね。
霊樹の精霊であるアレスちゃんがいてくれたら、あっという間に問題解決だったんだけど。
という僕の楽観的な見通しは呆気なく崩れてしまう。
「いやいや、その前に! 何が問題なのかな!?」
と、僕はそこでようやく、この騒動の根幹を深く考えてみる。
もちろん、暴風に好き勝手に吹き飛ばされながら!
そもそも、ミストラルたちは何を問題視しているんだろうね?
風の精霊王が禁領から去っていないこと?
原生林の渓谷を風狂う風域にしてしまっていること?
それとも、もっと深い問題が隠されていて、僕がそれにまだ気づけていない?
『愚かしい人族の小僧』
僕の思考でも読んだのか、風が
乱れ狂う風は、今度は僕を渓谷に流れる川へ叩きつけようとしてきた。
空間跳躍を発動させる僕。着地地点は、川の
だけど、僕の動きを読んでいたかのように、跳躍地点には狂風が待ち構えていた!
「甘いですねっ!」
ふっふっふっ。その程度では、僕を
僕は余裕の反応で、連続的に空間跳躍を発動させた。そして、一瞬にして川から離れた原生林の奥に移動する。
跳躍先で気配を消し、息を潜める。
プリシアちゃんたちと鬼ごっこをしてきた僕が、そう簡単に相手の思惑通りに踊らされたりはしないよ?
それに、吹き荒れる風で相手を巻き上げたり吹き飛ばしたりする芸当は、嵐の竜術を使う僕にだってできるんだ。だから、風の流れを読むこともできるのです!
と、ふふんっ、と鼻を鳴らしたら、それで見つかったらしい。
『耳長族でもない人族の小僧が、空間跳躍を駆使するか』
暴風が巻き起こる。
「あああぁぁああああぁぁっ!」
抵抗することもできずに吹き飛ばされる僕。
暴風は、僕を上空で弄ぶ。
上に突き飛ばしたり、かと思えば地面に叩きつけるような急降下の風を巻き起こしたり。身体の
暴風は、文字通り僕を好き勝手に扱う。
僕は、悲鳴をあげたり空間跳躍を発動させたりしながら、
崖にぶつかりそうになったら、安全な場所へ退避する。時には連続空間跳躍で風から逃げて、身を隠す。
だけど、渓谷の大気を支配した風からは逃げきれない。
『
風は、容赦しない。
僕がどれだけ逃げても捕まえるし、隠れても見つけ出す。
だけど、それでも僕は諦めないんだ!
「ぜぇ、はぁ。風の精霊王さま、なんでこんなことをするんですか?」
何十度目か。
僕が最初に渓谷へ足を踏み入れた時は、太陽はまだ空の高い位置で輝いていた。だけど、今はもう西の樹海の先へ姿を半分以上も隠している。
その間に、僕は数えきれないほど暴風に巻き上げられたり吹き飛ばされながら、何度も何度も風の精霊王に問いかけていた。
僕は、知らなきゃいけない。
風の精霊王さまが、いったいなぜ渓谷に居座っているのか。
これが本当に、ミストラルたちが困っていた問題なのか。
だけど、僕の問いに風は応えてくれない。
代わりに、諦めない僕の心を
僕と風の精霊王の
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
全身で荒く息をする。
数えきれないほど繰り出した空間跳躍で、竜気は尽きかけている。それだけでなく、精神力も限界に近い。
ぐうう、とお腹まで悲鳴を鳴らし始めた。
それもそのはず。
僕と風の精霊王との根競べは、太陽が沈んだ後も続いて、気づくと東から翌日の太陽が姿を現し、今ではその太陽がまたも西へ沈みかけていた。
僕はその間、休む暇もなくずっと風の精霊王が巻き起こす暴風に弄ばれ続けていた。
でも、そろそろ終わりは近いのかもしれない。
僕の限界もそうだけど……
「ねえねえ。ちょっと休憩するか、それとも僕とお話をしませんか?」
全身で荒く息を整えながら。僕は、風に問い掛けた。
すると、僕を上空へと吹き飛ばさそうと乱れ始めていた風が、ふと風速を弱めた。
そして、疑問の意志を乗せた風が、僕の耳もとに流れる。
『……なぜだ?』
風の微かな声に、僕は首を傾げた。
『なぜだ、人族の小僧』
またもや、疑問の意思が乗った風が流れる。
暴風ではない、僕を吹き飛ばさない風に、僕は意識を整える。
ようやく、風の精霊王が僕と対話をしてくれる気になってくれたらしい。
研ぎ澄ませた心が、風を読み解く。
これまで吹き荒れていた暴風以上の濃密な風が、僕の眼前に在った。
きっと、これが風の精霊王さまの本体なんだろうね。
僕の意識が正しく風の精霊王を認識している。そう読み取ってくれたのか、風から更なる意思が吹いてきた。
『なぜ、其方は抵抗しない?』
風の精霊王さまの疑問に、僕は首を傾げた。
「抵抗? ちゃんとしていましたよ? 空間跳躍で逃げたり、隠れたりしていたじゃないですか?」
僕の返答に、そうではない、と風が乱れる。
『我は、其方を弄んでいるのだぞ? なぜ、怒らない。なぜに力を振るわない。その腰に帯びた剣は
風の精霊王の問いに、僕は白剣へそっと手を伸ばした。
でも、刃を
だってさ。流石の白剣でも、顕現していない精霊は斬れないよね?
それとも、風の精霊王さまは白剣であれば自分を斬ることができる、と予感しているのかな?
そういえば、白剣の鍔先に揺れる鈴は、精霊力が込められているんだよね?
もしかしたら、僕が精進不足なだけで、白剣の可能性はまだまだ秘められているのかもしれないね!
という横道は置いておいて。
僕は、風の精霊王さまの問いに笑顔で応えた。
「うーん。僕と精霊王さまの間では、認識の
『齟齬とは?』
反復する風の精霊王さまの風に、僕はこれまでの経験談から語る。
「ええっと。そもそも、僕は攻撃されているなんて全く思っていなかったから、白剣を抜いて攻撃しようなんて考えも及ばなかったですよ?」
それに、と続ける僕。
「ほら。精霊さんたちって、耳長族や僕たちを弄んだりして遊ぶのが楽しいんですよね?」
故郷の竜の森では、精霊たちとたくさん遊んだ。
霊樹の精霊王に会いに行けば、精霊たちが満足するまで帰してはもらえない。精霊の里に行くと、各属性の精霊王たちまで顕現してきて僕たちを弄ぶ。
「だから、僕が怒る理由もないですよね? 僕はただ、精霊王さまが満足するまで遊びに付き合っていただけですから」
争う必要はない。戦う必要もない。
精霊とは、自由気ままな存在なんだよね。だから、精霊が満足するまで相手をしてあげれば良いだけなんだ。
そう僕が笑顔で語った時だった。
ふわり、とこれまでとは違う柔らかな風が吹いた。
そして、絶世の美女が僕の前に顕現する。
緑色の長い髪。
人では表現できないような美貌と、女性らしい体型。
見ただけでわかる。
これが、風の精霊王さまの顕現した姿なんだね。
……ミストラルたちの前では美しい男性の姿だったらしいけど、この場には僕しか居ないから、女性の姿なんですね?
顕現した風の精霊王さまは、深い緑色いの瞳を僕にじっと向ける。
「其方は……」
絶世の美女に見つめられて、ちょっと胸の鼓動が高鳴っちゃう。でも、浮気心も恋愛感情も湧きませんからね?
それだけはスレイグスタ老にも誓えます!
風の精霊王さまは、僕を見つめたまま言った。
「其方は、人族でありながら耳長族の秘技を自在に操り、精霊のなんたるかを理解するのか」
だから、僕は応える。
「精霊術による空間跳躍とは違うんですけど、それでも耳長族の術をお手本にしているから正解ですね。精霊たちともこれまでずっと一緒に暮らしてきたので、色々なことをいっぱい知っていますよ?」
なんなら、竜の森での日々をお話ししましょうか? という僕の提案を、風の精霊王さまはやんわりと断る。
そして、代わりに自身のことを口にした。
「我は、竜王の森と其方らが呼ぶ土地の守護者となろうとした。しかし、竜人族の娘、ミストたちに阻まれたことにより、断念した」
知っている。ミストラルたちから聞いていたからね。
でも、風の精霊王さまが続けたその先は、初耳だった。
「我は素直に諦めた。竜王の森の守護者になることを。……しかし! 我はこの地が気に入ったのだ。豊かな自然。未熟ではあるが耳長族も住み着いている。何よりも、耳長族以上に精霊との接し方を知っている者たちの存在に感銘を受けたのだ」
風の精霊王さまの少し興奮し始めた声音に、ふと嫌な予感が過った。
そして、嫌な予感は見事に的中するのです!
「それで、決めたのだ。竜の森は諦めよう。しかし、我はこの渓谷を流れる風が気に入った。よって、我はこの渓谷に楽園を築き守護者になろう」
「な、なんだってーっ!」
絶句する僕。
転んでも
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