新しい風
「いやいや、精霊王さま。向こうが駄目だったから今度はこっち、だなんて!?」
そんなことを言い出したら、もしも僕が今回は渓谷を諦めさせることに成功しても、きっと別の場所に移動して、また居座っちゃうよね?
そして、禁領の全ての場所で何度も何度も風の精霊王さまを説得して、もう残りの場所はありません、という状況になるまでこの問題は終わらないことになっちゃう。
ああ、そうか。と僕はようやくミストラルたちが問題視していた部分の根幹に気づく。
ミストラルたちは、最初からわかっていたんだね。
竜王の森を素直に諦めた風の精霊王さまが、こうして禁領の別の場所に居座ってしまうだろうということを。
自由奔放な風そのものである風の精霊王さま。
その何者にも影響されない風を禁領から完全に追い払うことは、
それこそ、風の精霊王さまを力で強制的に使役して立ち去る命令を与えなきゃ、本当に説得し続ける長い問題になるだろうね。
だけど、たとえ僕たちの協力者としてユーリィおばあちゃんやユンユンやリンリンという大賢者がいても、強制的に使役して命令する、という選択肢は取れない。
だって、禁領に住む耳長族のみんなに、精霊は力ではなくて友情で使役するように、と導いたのは僕たちの方だ。
その僕たちが力を使った解決方法を安易に選んでしまったら、これまで努力してきた耳長族の人たちに示しがつかない。
勝手に居座って守護者になろうとしている風の精霊王さまを説得し、諦めてもらわなければいけない。
だけど、力による解決方法は絶対に取れない。
それで、ミストラルたちは困っていたんだね?
そして、僕に役目が回ってきた。
むむむ。と僕は驚きのあまり地面に転がってしまった身体を起こして、改めて風の精霊王さまと向き合う。
「なるほど! 精霊王さまはこの渓谷が気に入ったんですね?」
「そうだ、人族の小僧、エルネアよ」
もう、暴風は吹き荒れていない。
僕がひっくり返って驚いたり、何か話している間も、こちらの動きを阻害する様子を見せない。
どうやら、自由気ままな思考は持っていても、相手と対話を重ねる
さすがは、風の精霊王さま!
「それで、其方は
風の精霊王さまが、僕に問い掛ける。
まるで、僕を試すかのように。
きっと、僕が満足のいく説明や説得ができなければ、風の精霊王さまは本当にこの渓谷を支配する風になるんだろうね。
僕は、思考を巡らせた。
と同時に、心を落ち着かせていく。
風の精霊王さまの
そして、答えを導き出した。
「ええーっと」
僕の声に、風の精霊王さまが興味の視線を向けてきた。
いったい僕がこれから何を語るのか、と無言で待ち構える。
僕は、美しくとも強い眼差しを向けてくる風の精霊王さまに、はっきりと言った!
「良いんじゃないですか?」
ミストラルたちが問題していた、風の精霊王さまの自由すぎる振る舞い。
だけど、僕は素直に認めた。
風の精霊王さまが、この渓谷の守護者になることを。
僕のあっさりとした肯定は、さすがの精霊王さまでも予想していなかったらしい。
美しい瞳を点にして、僕を見つめ返す。
だから、僕は笑いながら補足を入れた。
「ほら、感じてみてください。というか、精霊王さまなら僕以上に感知していますよね?」
手を広げる僕。
暴風でない、柔らかい風が肌を撫でながら流れていく気配が伝わる。
ゆさゆさと、渓谷を覆う原生林の樹々が揺れている。
大地は
風の精霊王さまが気にいるほどの豊かな自然を全身で感じた。
それと同時に、精霊たちの気配を読む。
『遊び疲れたわ』
『こんなに賑やかなのは初めてだ』
『騒がしかったが、悪くはないな?』
『意外と好きよ?』
『向こうの森の精霊たちは、こんな毎日を送っているのね?』
『素敵だわー』
精霊たちが賑やかに騒いでいた。
暴風吹き荒れる風の精霊王さまが、勝手に居座った渓谷。
だけど、そこに住む精霊たちは実に楽しそうだよね。
遊び疲れた風の精霊さん。これまで体験したことのない出来事に戸惑いながらも、受け入れている地の精霊さん。炎の精霊さんも水の精霊さんも、満足している。
他の精霊たちも、実に幸せそうだ。
僕は精霊たちの気配を読みながら、風の精霊王さまに言った。
「渓谷に元から住んでいた精霊たちが嫌がっていたなら、僕は全力で貴女を排除したかもしれません。でも、精霊たちは楽しかったみたいですよ?」
風の精霊王さまが僕を弄んでいた時。渓谷に住んでいた精霊たちも、一緒に流されたり隠れたり逃げたりしながら遊んでいた。僕は、その気配をずっと読み取っていた。
だから、風の精霊王さまに怒ったり反撃したりしようと思うこともなかったし、ましてや白剣を抜くなんて考えもしなかったんだ。
「貴女が渓谷の守護に就きたいのなら、良いと思いますよ。精霊たちも、その方がきっと嬉しいでしょうし?」
僕の言葉を裏付けるかのように、周囲の精霊たちが好意的に風の精霊王さまの周りに集まる。
まるで母や父を
「それと、もうひとつ」
まさかこうも呆気なく自分の主張が通るとは、勝手なことを言った風の精霊王さま自身も思っていなかったんだろうね。風の精霊王さまは、未だに目を点にして僕を見ていた。
僕は、そんな精霊王さまの様子を遠慮なく笑いながら、もうひとつの決め手を口にした。
「貴女は慈悲深い。そして、きちんと理性を持っている、と僕は判断しました」
なぜ? とようやくひと声漏らした風の精霊王さま。
「なぜかって? それは、周りを見ればわかりますよ。それに、ミストラルたちからも聞いていました」
風の精霊王さまが竜王の森を諦めた以降の話は聞いていなかったけど、それまでの報告はしっかりと受けていた。
だから、僕は最初からある程度は風の精霊王さまのことを知っていたんだよね。
僕は、知っていたこと、知ったことを伝える。
「貴女は、どれだけ暴風を撒き散らせても、自然を壊さなかったですよね」
そう。風の精霊王が巻き起こす風は、僕を簡単に吹き飛ばすほどの暴風だった。
竜王の森でも、ミストラルたちを吹き飛ばそうと容赦なく暴風を撒き散らしたらしい。
だけど、原生林が生い繁る渓谷でも、竜王の森でも、樹々や草花には一切の損傷が見られない。
それは、風の精霊王さまが完全に風を操り、豊かな自然を傷つけまいと細心の注意を払っていた証拠だ。
「貴女になら、渓谷を任せられると思います。精霊たちからも受け入れられていますし、自然を破壊することもないとわかりましたから」
だから、認める。
風の精霊王さまが、この渓谷の守護者となることを。
「ああ、でもひとつだけ確認しても良いですか?」
「なんだ、エルネアよ?」
僕の言葉がまだ完全には呑み込めていないのか、反応の薄い風の精霊王さま。
もしかしたら、内心では「本当に良いのかな? 騙されていないかな? 自分は何か間違ったかな?」なんて困惑の思考が乱れ吹いているのかもしれないね?
そういう風の精霊王さまの心情は、僕にはわからない。
そして、もうひとつ。僕にはわからないことがあったから、聞いてみた。
「貴女は、禁領の豊かな自然のかなで精霊と耳長族の楽園を創りたいんですよね? でも、その理想の片翼を担うはずの耳長族は、この渓谷にはいませんよ? その部分をどう考えているのか聞いても良いですか?」
耳長族は、精霊のように自然発生したりはしない。
別の土地から移住してくるという可能性も、この禁領にはない。だって、禁領には認められた者しか入れないし、住めないからね。
僕の疑問に、ようやく心の整理がついたのか、美しい表情に戻った風の精霊王さまが笑みを浮かべた。
「それは、我の意志を認めた其方に素直に相談しよう。確かに、この渓谷には共存すべき耳長族が住んでいない。しかし、竜王の森や
風の精霊王さまのその言葉に、僕は「欲しい答えを得た」とにやりと笑みを浮かべた。
僕の不敵な笑みを見た風の精霊王さまが、美しい仕草で首を傾げる。
「ふっふっふっ。そうですか。耳長族の存在はやっぱり必要ですよね? そうかー。仕方がないなー」
「嫌な口ぶりだな?」
僕の言葉に、少し警戒色を示す風の精霊王さま。
でも、もう遅いのです!
僕は、風の精霊王さまの
「良いでしょう! 耳長族がこの渓谷にも住むようになるために、僕たちも手を貸しましょう。具体的には、お屋敷や竜王の森に暮らす耳長族の人たちに、新たな定住の地として提案してみますね!」
ですが、と僕はそこで真面目な表情になる。
つい最近になって流れてきた風の精霊王さまの知らないことを、正直に伝えておかなければいけない。
公正に物事を進めなければ、あとで隠し事が発覚して関係が崩れてしまう可能性もあるからね。
だから、僕は包み隠さずに伝えた。
禁領に暮らす耳長族の経緯と、一族として過去に犯した過ちを。
ユンユンとリンリンの罪を。
最も偉大な大賢者のユーリィおばあちゃんは、絶対に竜王の森から移住してこないことを。
僕の独断ではあったけど、ミストラルや耳長族のみんなは許してくれるはずだ。
風の精霊王さまの問題を僕に
自由に吹く風の精霊王さまの処遇や、耳長族の秘密のことをどう扱うか。みんなは僕を信頼してくれていて、全ての決定権を委ねてくれているんだ。
だから、包み隠さずに語る。
禁領の事情や耳長族たちの罪を知ってなお、風の精霊王さまは渓谷の守護者となるのか。
いや、絶対になるだろうね。
ようやく手の届いた「精霊と耳長族の楽園の守護者」という理想を、この風の精霊王さまが今更になって手放すとは思えない。
そして、そういう状況になるように、僕は後出しで伝えたんだ!
まさに、腹黒い策士!
いつもは魔王たちの
と、勝ち誇ったように胸を張った僕に、風の精霊王さまは言った。
「なんだ。やたらと
「な、なんですとーっ!?」
い、いや。それもそうか。精霊たちは、特に風の精霊たちは、違う地域の出来事や噂を風に乗せて伝えたりするんだよね。
ということは、風の精霊王さまは耳長族の裏事情を僕に聞く前から知っていて、それを承知でこの地に精霊と耳長族の楽園を築こうとしていたのかな!?
だ、だとしたら……
僕はそこでようやく、風の精霊王さまの本当の偉大さと慈悲深さを知った。
「精霊たちと耳長族のみんなを、よろしくお願いします!」
僕は、深々と頭を下げてお願いをした。
僕は勘違いをしていたようだ。
今回の騒動は、僕たちが風の精霊王さまの処遇を決めるような、上から目線の問題ではなかったんだね!
本当は、耳長族として未熟な者たちを知ってもなお、精霊との正しい絆の結び方を導こうとしてくれている風の精霊王さまの慈悲深さと懐の深さに感謝をして、こちらの方がお願いをしなきゃいけない立場だったんだ!
「精霊王さま。僕はみんなを連れて、改めて挨拶に来ようと思います。ぜひ、よろしくお願いしますね?」
僕がそうお願いをすると、風の精霊王さまは美しい微笑みで頷いてくれた。
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