自然に囲まれた家で

「それで、お前たちはどこに帰るんだ?」


 という誰かの質問に、僕たちはこう答える。


「ちょっと竜峰の西に用事があるんだよね」


 と。


 ミストラルと竜峰を散歩したときに出会った鮮やかな赤い衣装の女の子。彼女の好意によって、僕たちは禁領に家を建ててもらうことになったんだ。それで、どこに建ててもらおうか、とこれから下見に行くわけです。


 大宴会が終わり、会場のみんなは思い思いに動き出していた。

 帰路に就く者。また迷宮へと挑む者。この場に残って、もう少し宴会を続ける者。


 僕たちも次に向けて、早速行動を始める。

 新たな宴会場となった山のなかの大空洞から抜け出すと、テルルちゃんが待っていてくれた。僕たちは巨大化したニーミアの背中に乗り、テルルちゃんが開いてくれた空間の亀裂に飛び込む。

 すると、あっという間に禁領へ。……禁領に来たはずなんだけど。


「……ええっと、ここは間違いなく禁領だよね?」

「間違いなーい」


 テルルちゃんは伝説の魔獣だ。

 竜族が束になっても敵わないような強さを持っていて、偉い人たちから禁領の守護を任されている。そんなテルルちゃんが、場所を間違えるはずなんてない。

 僕たちは、テルルちゃんと一緒に空間の亀裂を飛び越えて来たのだから、テルルちゃんが「間違いない」と言えば絶対に間違ってはいないはずだ。

 現に、東には竜峰。西には霊山が見えて、目印になる二つの地形の間には数え切れないくらいの湖が点在していた。


「それじゃあ、帰りまーす。またね」


 テルルちゃんは何事もないかのように無数の脚を繰り出すと、霊山の方角へと行ってしまった。そして、ニーミアの背中の上で呆気あっけにとられている僕たちを残し、大地の割れ目へと消えた。


「……エルネア、確認をいいかしら?」

「な、なにかな?」

「もともとここにはこういうものが在った、というわけじゃないわよね?」

「ミストラルたちも前に禁領に来たから知っているはずだよ。ほら、前に寝泊まりした霊山の麓はあそこだし……」


 僕が指差す先には、廃墟となった村が見える。廃墟の村は霊山の東に広がる緩やかな斜面の中腹にあり、テルルちゃんの寝床になっている大地の裂け目も近くに見えた。

 その山腹から斜面に沿って東へと視線を移すと無数の湖が点在する平地になり、さらに視線を東へ向けて行くと、竜峰の険しい山々が現れるわけだ。


 そして霊山の麓といえば、僕たちが活動をしていた一帯になる。

 とはいえ、限られた日程の間でしか過ごしていないので、行ったことのない場所や訪れたことのない湖はまだまだ存在する。


 だけど……


「こんな屋敷は知らないわ」

「こんな場所は知らないわ」

「前に来たときには見なかったですわ」


 お胸様連合の三人が首を傾げて地上を見下ろす。


「エルネア君とミストさんが魔族の方に家をお願いをしたのは、つい五日ほど前ですよね?」

「そうだね……」

「でも、あれからたった五日でこれは無理じゃないかしら?」

「そ、そうだね……」

「不思議にゃん」

「んんっと、不思議なの?」

「ふしぎふしぎ」


 プリシアちゃんの疑問は置いておいて。

 とにかく、眼下に広がる景色に僕たちは呆然としていた。


 禁領には、千の湖があるという。

 大きいもの、小さいもの。大きさだけでなく、水質や周りに広がる自然が色々と異なる湖が霊山から北の海にかけて存在していて、空から見るととても不思議で幻想的な風景を作り出している。


 でも、いま僕たちの眼下に広がる風景は、そうした自然が創り出す雄大ゆうだいな風景とは真逆の、人工的なものだった。


 竜峰の近く。この辺りにも湖は点在しているんだけど。

 そのうちの二つ。

 けっして小さくはない湖が並ぶ場所。

 その二つの湖を、巨大な建築物がぐるりと取り囲んでいた。


「と、とにかく、下に降りてみよう。なにかわかるかもしれないし」

「にゃーん」


 僕の提案に、建物の一画のなかで正面玄関になっているらしい場所の近くへと降りるニーミア。

 二つの湖を取り囲む建物は、二階から四階建て。豪華な外装と、整えられた庭。真新しい外壁には汚れのひとつもなく、まさに完成直後といった家屋が左右に延々と続いている。

 壁沿いに歩いていけば、途切れることなく二つの湖の周りを一周し、元の場所に戻って来られるんだよね。

 この長大な屋敷が数日のうちに突然として禁領に出現するなんて、にわかには信じられません。


「エルネア、どうするつもり?」


 豪華な門構えを見上げる僕に、ミストラルが突っ込む。


「いやいや、ちょっと待って。まだこれが僕たちの為の家と決まったわけじゃないし。ほら、気に入らなかったら何度でも建て直しするって言ってたし!」


 そうだよね。この巨大な建築物がそもそも僕たちの物と決まったわけじゃない。

 確かに、前に禁領を訪れたときにはこんなお屋敷は存在していなかったけど。やはりどう考えても、五日で完成するような建築物じゃないよね。


「二、三年でも無理にゃん」

「……そ、そうだね」


 僕の心を読んだニーミアの鋭い突っ込みに、視線が泳ぐ。


「魔族のことだわ。これくらい造作もないわ」

「魔族のことだわ。これくらい朝飯前だわ」

「いったい、どんな大工さんなんでしょうね!?」


 ここは禁領だからね。滅多な者は入れない。

 だとしたら、許可を得たとしても信頼の置ける少人数の大工さんがやって来て建てたはずだ。

 でも、ニーミアの言うように数年で完成するような規模の建物じゃない。


「ほう、随分な嫌がらせをされたな」

「うわっ!」


 正面玄関の前で僕たちが困っていると、不意に背後から知った声が聞こえてきた。

 振り返ると、巨人の魔王が苦笑交じりに立っていた。


「嫌がらせ!?」


 挨拶もおろそかに、僕たちは巨人の魔王の台詞せりふに顔を見合わせる。


「僕たちって、なにか嫌がらせされるようなことをしたかな?」

「魔王位を蹴ったわ」

「魔族の上層部を招待しなかったわ」

「エルネア様とミスト様だけ二人で散歩しましたわ」


 ふむ、ライラの指摘は置いておいて。

 確かに、ユフィーリアとニーナの指摘は正しいのかもしれないね。

 だけど、巨人の魔王が来させないようにしたんだよ。それに、家を建ててやると言ったのはあの鮮やかな赤い衣装の女の子だし。


「いや、其方そなたらに対する嫌がらせではない。命令を下した者への当てつけだろう」

「ということは、僕たちはとばっちりをうけた?」

「そういうことになるな。彼奴あやつめ、命令されて嫌々と仕事を請け負ったのだろうな。それで嫌がらせとして、こういう屋敷を建てたのだ」

「嫌がらせで巨大なお屋敷を建てる大工さんって……」


 やはり、魔族の思考はよくわかりません!


「ともあれ、外で話し込んでいてもらちはあかない。これは間違いなく其方らの家だ。私が保証する。さあ、理解したならさっさと入れ」


 言って巨人の魔王は、臆することなく正面玄関を開く。

 建物のなかも、予想通りの豪華な造りになっていた。

 ふかふかの絨毯。高価な調度品や美しい絵画など、いったい総額はいくらになるんだろう、と白目をいちゃいそうなほどの家具や装飾で彩られた屋敷内に、僕たちは入るのを躊躇ためらってしまう。


「彼奴め。相変わらずというか、手加減がない」


 巨人の魔王は僕たちのことなんて気にした様子もなく、お屋敷に入って邸内を見渡していた。

 巨人の魔王は、このお屋敷を建てた大工さんを知っているみたいだね。


 本当に、誰が建てたんだろう……?


「いずれ紹介しよう。建て直すと言うのなら、今すぐにでも連れてくるが?」

「い、いえ。結構です!」


 気に入らなければ何度でも建て直させると言っていた女の子。だけど、この規模のお屋敷を建てた大工さんに「気に入らなから建て直して」なんて言えるほどの勇気と太い精神は持ち合わせていません。


「では、素直にこの屋敷に住むことだな」

「やっぱり、そうなっちゃうんですね……」


 正面玄関前で、改めて建物を見渡す僕たち。

 どう考えても、数人で暮らすには巨大すぎる建築物です。

 アームアード王国の実家の何個分かな。実家の敷地も広大だけど、このお屋敷と比較すると別邸くらいになっちゃいそう。


「さあ、早く入れ。に及んで逃げるようなら、殺す」

「ええぇぇっ……」


 巨人の魔王の容赦ない呼び込みに、僕たちは重い足取りでお屋敷へと入った。






「それではこれより、今後のことについて話し合いたいと思います」

「んんっと、プリシアは隠れんぼがしたいよ?」

「プリシアちゃん、なにをして遊ぶかの話し合いじゃないよ。このお屋敷をどう扱うか、という話し合いだからね。というか、このお屋敷での隠れんぼは禁止だよ。隠れたら絶対に見つけられないからね」

「むう……」

「掃除が大変だわ」

「お風呂を沸かすのが大変だわ」

「どのお部屋を使うか決めておかないと、節操せっそうがなくなると思います」

「そもそも、生活に利用する場所を限定しておいた方がいいのじゃないかしら?」

「台所とお手洗いは何箇所もありましたわ」


 お屋敷に入ってまずやったことは、探検だった。

 延々と続く長い廊下。数え切れない豪華絢爛ごうかけんらんな部屋。嫌がらせで建てられたとはいっても、一定間隔で階段が設置されていたり、外庭や中庭へと繋がる出入り口も設けられていた。そしてライラの言うように、調理ができる場所やお手洗い場といった、生活に必要な設備は親切な位置に配置されていて、湖の先からおしっこのために猛然もうぜんと走ってこないといけない、という心配はない。

 だけど、そうした親切設計があだとなり、お屋敷のどこにいても快適に暮らせちゃう、という贅沢な悩みが出て来ちゃった。


 それと、ユフィーリアとニーナらしくない鋭い指摘に頭を抱える。

 大きすぎるお屋敷。

 実家でも、使用人さんたちが毎日のお掃除を頑張ってくれていたけど。このお屋敷の掃除を自分たちで、と考えると、気が滅入っちゃう。


「掃除は大丈夫だろう。使ってない場所は魔法で清潔に保たれているはずだ」

「ええっ、魔法ってそんなに便利なんですか!?」

「いや、それほど便利ではない。ただ、彼奴のことだ。それくらいは気を利かせているだろう。自分の住む屋敷もそうやって建てていたからな」

「つまり、大工さんが元々そういう魔法をお屋敷にかけているってことですね?」

「そういうことだ」


 もしかすると、結構な上級大工魔族さんなのかもしれない。というか、絶対にそうだよね。魔王やその上の存在に指名されるような大工さんだ。きっと伝説の大工さんなんだ!


「それじゃあ、掃除の問題は置いておいて。生活する場所は、正面玄関周りでいいんじゃないかな?」

「そうですわ。正面玄関付近の造りは他と違いますし、お客様も気付きやすいですわ」

「ライラ、そもそも禁領にはお客さんが来ないわ」

「ライラ、空から見ないと正面玄関の位置がわからないわ」

「ううう……」

「ですが、ライラさんの意見は的を射てると思います。どこでわたくしたちが生活しているのか、もしもの場合にわかるのは、やはり周りとは少し造りの違う正面玄関付近ではないでしょうか」

「そうすると、使用する台所やお風呂場も近くのものの方が良いわね」

「近くのお風呂場……」


 さっき探検したときに、お風呂場も確認していた。

 でも、近くのお風呂場は……


「あの大浴場をお湯で満たすのは無理があるんじゃないかな?」

「確かに、そうね」


 お部屋を三つ分ほど間抜きした規模の大浴場。そこには「百人入っても大丈夫!」と言えるくらいに大きな浴槽が設えてあった。

 でも、その浴槽をお湯で満たそうと思うと、ものすごい労力が必要だと思うんです。


「お風呂場には井戸がありましたわ」

「じゃあ、ライラがその井戸から水を汲んでね」

「じゃあ、ライラがお湯を沸かしてね」

「はわわっ……」


 ユフィーリアとニーナの言う通り、お湯を沸かせるのもひと苦労だよね。


「では、お風呂は別の場所に……」

「いやいやんっ」

「泳ぎたいにゃん」


 ルイセイネの言葉を遮って拒否権を発動させたのは、プリシアちゃんとニーミアだった。


「にゃんが水を汲むにゃん」

「プリシアがお湯にするの」

「おお、その手があったか! 大きな浴槽だけど。ニーミアが大きくなって湖から水を汲み上げれば簡単かな? それと、プリシアちゃんに精霊術を使ってもらって……使ってもらって?」


 はて、プリシアちゃんは炎の精霊と契約していたっけ?

 というか、ニーミアが大きくなって湖から水を組み上げるといっても、巨大化したニーミアが出入りできる扉はありません。


「残念だけど、ニーミアとプリシアの意見は却下ね。お風呂場は手頃な大きさの場所を探し直しましょう」

「かなしいかなしい」

「……っ!?」


 いや、ちょっと待って欲しい。

 ここに救世主がいましたよ!


 いつ間にか顕現して、お菓子を食べているアレスちゃん。

 なにを隠そう、アレスちゃんは精霊たちを取りまとめる霊樹の精霊です。

 と、いうことは……!


「もしかして、アレスちゃん。お願いをしたら浴槽を水で満たしたり、それをお湯に変えられちゃったりするのかな!?」

「おまかせおまかせ」

「おおおーっ!」


 アレスちゃんの頼もしい返事に、僕たちは歓声をあげた。


 まあ、アレスちゃんも大浴場で泳ぎたいだけなんだと思うんだけど。

 ちなみに、使用後のお風呂のお湯は、水の精霊さんたちが風の精霊さんたちと協力をして周囲の自然に振り撒き、消費してくれるという話でまとまった。使用後のお湯の再利用問題と、周囲の自然への恵みになって、一挙両得だね。

 なにはともあれ、こうして利用する場所が決まったわけだけど。

 実は、大きな問題を僕たちは後回しにしていた。


「それじゃあ、部屋割りを決めましょうか」


 ミストラルが全員を見渡す。

 誰もが気合いの入った瞳をしていた。


「僕は、ええっと……」


 どのお部屋が良いか、と聞かれると困ります。だって、このお屋敷には数え切れないほどのお部屋があって、どれもが豪華な内装になっているんだもん。そのなかで、自分の部屋なんてすぐには決められません。


「其方が部屋を決めなければ、嫁たちが部屋を決められない。早く選べ」

「むむむぅ」


 巨人の魔王は、お酒を飲みながら僕たちの会議を面白そうに見学している。きっと、今日のお酒のさかなは僕たちの困った顔なんだろうね。


「エルネア君、どこにしますか」

「エルネア様、わたくしが決めて差し上げますわ」

「ライラの部屋は私が決めるわ」

「ライラの部屋は一番遠くだわ」

「うううう……」


 なんだか、今日はライラがみんなからいじられているね。困ったときに見せるライラの表情や仕草が可愛いから、みんなもついいじめたくなっちゃうんだ。


「ほう、其方はライラ押しか」

「エルネア様っ!」

「エルネア!?」

「エルネア君!?」

「うひっ」


 巨人の魔王が変なことを言うもんだから、ライラが僕に飛びついて来ちゃった。

 僕の視界はライラのお胸様に埋まり、真っ暗になる。張りのあるお胸様。なんて素敵なんでしょう。でも、今はのん気に幸福感を満喫している場合じゃない。


「エルネア君、ずるいわっ」

「ライラ、ずるいわっ」


 予想通り、ユフィーリアとニーナが参戦してきた。

 柔らかい感触と、人肌の温もり。


 ふひっ!

 まさか、脱いじゃった!?


「ユフィさん、ニーナさん、なんてはしたないっ」

「エルネア、どういうことかしらっ」


 いやいや、ミストラルさん。これは僕のせいじゃありませんよっ。

 声に出して反論したいけど、ライラのお胸様に包まれて息もできません。


「あのね。プリシアも遊びたいの。でもお兄ちゃんを取られたの」

「ふむ、では私が奪ってきてやろう」


 プリシアちゃん、君はいったい誰にどんなお願いをしているのかな!?


「危険にゃん」

「きけんきけん」


 た、助けてーっ!


「はふんっ、エルネア様。胸の間で吐息を荒くされては、私は……」

「エルネアー!」

「エルネア君っ!」


 ようやく手に入れた僕たちの夜。

 だけどこの日、僕は逃げ回った挙句あげくにお屋敷の片隅に隠れて、息を潜めてひっそりと独り寂しく過ごすこととなった。

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